OKAGE


 世界が滅亡して誰もいなくなった地上に、たった1人生き残れると何の根拠もなしに信じていた頃がある。というか実はまだ少しだけは信じたい気持ちが残っているが、残念なことに地上に生まれ出てより今日まで、スプーンは曲がらず念写は出来ず幽霊は見えずUFOにすら遭ったことがない、どこにでもいるありきたりな凡人、とまあ言葉を幾つ重ねても足りないくらいに正真正銘ごくごく普通の人間であることが解かり、世界が滅亡する時にあるいは他の誰かが生き延びようとも、自分だけは絶対に生き残れるはずがないだろうと認識できるくらいにはなった。

 が、それでも世界に60億もの係累を持つ巨大な勢力となった人類。脊椎動物でも最重量級にまで発育したその脳髄に秘められた、パワーのすべてが解明されたとは決して言えないだけに、いざ事有れば種の存続のために某(なにがし)かのパワーを発揮しないとも限らない。大地震の前に逃げ出す鳥に沈没の前に逃げ出すネズミの例えもあり、これで生物なかなかに危機を探知し種として生き延びようと懸命になる機能を、生まれながらに持っているのかもしれぬ。

 生命の貴賤は無いといくら頭で思っても、やはり同類たる人類ならば鳥や鼠に勝るとも劣らない危機回避のメカニズムを持っていて当然だと、客観的にも主観的にも思えるし思いたい以上、存亡の危機を迎えてどうして何の力も発揮せずに諾々と滅亡を受け入れるはずがあるだろうか。梶尾慎治が世に96年にハードカバーの形で問い、このほど文庫化なった「OKAGE」(早川書房、840円)を読んでなおのことそんな思いを強く持つ。

 子供が消えた。九州の熊本で起こった、塾に行くといって出かけた子供が夜になっても帰宅せずそのまま失踪してしまった事件が実は、その街だけで14人の失踪となり、また日本レベルのみならず世界レベルで発生していたことが次第に明らかになって来た。子を失った大人たちはパニックを起こし、マスコミも警察も子供たちを追って駆けめぐる。なかに子供たちが並んでコンビニエンストアに現れ、あるいは街道を横切っていた姿を見つけた大人もいたが、誰も彼らを捕まえられず、唯一車に連れ込むことに成功した男は、車ごと破壊され全身に火傷を追って危篤状態に陥ってしまった。

 だが、連れ戻そうとして車に押し込んだ少年の不思議な技によって男は復活を遂げ、ある役割を追わされる。同じ様に若いころインドに旅してそこで自分の事を待っていたという女性、プルニマと巡り会い結婚した村上也津志も、やがて帰国し阿蘇に一緒に暮らすようになったプルニマから、未来を託されていることを告げられる。

 まだ子供だった頃、住んでいた街が大洪水に襲われた日、也津志は橋の下で震えていた毛玉のような生き物を見たことがあった。母親には見えなかったその生き物を也津志は見失ってしまったが、子供たちの失踪が判明して後、消えた子供たちもまた大人には見えない奇妙な生き物を脇に侍らせ、その言葉に従って行動していたことが解って来た。

 なぜ子供ばかりが消えたのか。子供が連れている子供たちにしか見えない奇妙な生き物な何なのか。消えた子供たちはどこに向かおうとしているのか。そして子供たちを「せっかん」するために大人が返信した奇怪な生き物「式神男」とはいったい何者なのか。次々と明示される謎、そしてその回答が壮絶にして壮大なラストへと向かって疾走し、大いなる危機の存在とそれを乗り越える唯一の手段としての「おかげまいり」の存在が浮かび上がらせる。

 自分だけは生き残りたいという思いを超えて、奴らだけを生き延びさせたくないという思いの意外なまでの強さに心焼かれつつも、実は内心惹かれていることに気付かされる身震いする。地震から逃げる鳥や船上から消える鼠が純粋に種としての存続を本能的に願っているように見えることとは正反対に、人間には賢しくなったが為の業のようなものなのか「死なばもろとも」の強い思いが宿っているとしか思えない。

 世界を幾度となく滅ぼすことが可能な武器弾薬を多くの国が貯蔵し、また世界を幾度となく危機に陥れることのできる薬物物質を恒常的に海だし垂れ流す様を見ると、自分さえ良ければというエゴですらない、自分ですら悪いのだからという負の集合的無意識が人類に滅びの道を選ばせているような、そんな気にさえなって来る。人類が滅びるとしたらそれは憎しみのようなあからままな敵愾心ではなく、妬みや嫉みといったささやかな、けれども根深い感情故なのかもしれない。

 梶尾慎治によって可能性として示唆された未来を、果たして諾々と受け入れられるのかどうか、現状を見るにつけいささかの懸念を禁じ得ないが、だからこそ広く読まれかつ研究もされて、可能性を広げるための導きの書として「OKAGE」が存在し続けることを、式神男と同じく死なばもろともの思いに迷いを抱きつつも、我が身なればこそ生き残るかもとかつて思ったエゴに代え、君なればこそ生き延びて欲しいとの思いを醸成させつつ、願いたい。


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