お稲荷さんパワード

 東方明珠電視塔という巨大なテレビ塔が建っている、中国の上海にある浦東新区という場所に、1993年の秋ごろに行った。今は500メートル近いタワーが睥睨するその周辺に、巨大なビルが建ち並んで空港まである浦東新区だが、当時は、かろうじて道路が出来て、ダンプカーやトラックが走り回り、土煙がもうもうと立ちこめる、開発途上の埋め立て地だった。

 それから20年が経った2012年の浦東新区は、魔都と呼ばれた古い上海の街並みから、外灘(バンド)と呼ばれる河の向こうにあって、昼には摩天楼が天を衝いてそびえ立ち、夜には輝く光で天空を照らす近未来的な姿を、見る人の目にさらす。同じだけの年月が経ちながら、未だ荒れ地の多く残る東京港のお台場・有明・青海地区とは大違い。そして浦東新区は、今なお開発が続き発展を続けている。

 50年。上海で浦東の開発に携わっていた市だったか、党だったかの関係者はそんな長い年月を挙げて、ここを開発していくのだと語っていた。短絡に狼狽せず、長いスパンで未来を描く遠大な構想力。その実現に必要とあらば、古いもの、妨げになるものをあっさりと切り捨てる冷徹な決断力。それによって中国は、激変する世界情勢に多くの国々が疲弊し、脱落していく中で、50年先、100年先に、世界の頂点に立っているかもしれない。

 叶泉がボイルドエッグズ新人賞を受賞した「お稲荷さんが通る」(産業編集センター、1200円)と、その続編「お稲荷さんパワード」(産業編集センター、1300円)に示されている世界像は、そんな可能性が本当になったものだ。

 物語の舞台は、100年後の日本列島。新種のウイルスによってもたらされた、穀物と家畜の被害に異常気象が加わって、世界的な飢饉が引き起こされた。アメリカ大陸は滅亡に近い状態となり、欧州もダメージを被る中、中国は周辺を切り捨て、いち早い復興を成し遂げ、東アジアに覇権を打ち立てた。衰退した日本は中国によって買収され、日本省として組み入れてしまった。

 漢民族が優位に立ち、日本人は日本族として下に置かれる状況にあって、主人公の桐之宮稲荷は、下層にいる女性が金を稼ぐためにとれる手段、すなわち娼婦として生きている。あるきかっけから、伏見稲荷のウガに取り憑かれることになった稲荷は、日本の崩壊とともに信心が失われ、存在を蔑ろにされている神様たちの怨みを買い、襲われ、果ては稀代の怨霊、、菅原道真にも目を付けられながら、取り憑いているウガや、漢民族の少女でアイドルの筱と、その相棒のヤタの助けも借りて撃退した。

 これで一件落着かと思いきや、暮らしている稲荷山を出れば、相も変わらず襲ってくる神々たち。崇徳に淳仁といった怨霊化した天皇もいて、強大な力で稲荷を追いつめようとした時、彼女を救ったのが、欧州連合から日本に視察に来ていた、シルヴィアという王女だった。

 彼女もまた、素戔嗚というウガも崇徳も淳仁もかなわない強大な神を身に降ろしていたが、強靭な意志でどうにか押さえ込み、稲荷を助けて知人となる。一方で稲荷は、客として来た、ケンジという若くて美しい顔立ちの男とも知り合う。彼は義伊という名を持つ建仁派の若きリーダーで、身に豊川稲荷を降ろしていて、ほどなく訪れる大流星群の最中に、豊川稲荷の力を増し、そこに伏見稲荷の力も載せて神々を従えようと画策していた。

 そのために稲荷に近づき、5人目の妻として迎えても良いと言った義伊の申し出を、始めは受けるもすぐに断った稲荷。それでもつきまとう義伊との間に勝負事が持ち上がり、稲荷に掘れている子俊という男の暴走を呼び、義伊の底知れなさを見せつけ進んでいく物語は、シルヴィアの中にいる素戔嗚の暴走という、日本が滅びかねない事態へと転がっていって、稲荷たちに決断を迫る。

 前作にも増して、神々たちのバトルによるスペクタクルなシーンが多く、手に汗を握る楽しみを味わえる上に、日本以外の地域が、未曾有の飢饉をどのように受け止め、どう対処しようとしているのか、といった世界設定に関わる部分が、より広範囲に明らかにされて、いずれ訪れるかもしれない有り様の、可能性を示してくれる。本当にそうはならないために何をすべきなのか。この物語から感じ取れることは少なくない。

 欧州から来て、常に毅然とした態度を見せるシルヴィア姫、子俊の危機に、意外な本性を現す占い師のジャジ子、好きな人のために、文字通り人肌脱ぐ筱ら、女性キャラクターたちの強さ、逞しさも際だって見えて、猪突猛進なだけの子俊や、僧侶でありながらサディストで好色で策謀家の義伊ら、男性キャラクターたちの至らなさが浮かび上がる。それでも最後は悟ってみせた義伊の、その答えの出し方は、煩悩にまみれて生きている人々に、何か示唆を与えるかもしれない。そうは簡単に割り切れないのが、普通の人間なのだろうが。

 一件は落着して、稲荷は本業に戻り、ウガもその身に降りたまま、神々に狙われる日々は続く。世界は立ち直りつつあるものの日本は中国の統治下に置かれたまま、下層の民族としての日々に甘んじる。果たしてこの先の物語で何が描かれるのか。反抗か。浮上か。言葉と食べ物に拠り所を求めた民族のアイデンティティへの言及が、何かを動かしうねりを呼ぶも良し。虐げられても邪険にされても、したたかに己を保って生きる姿を見るも良し。いずれにしても中国は、着実にその立場を強くしてきている。物語の世界像へと至る分かれ目は、もしかしたらすぐそこに、来ているのかもしれない。


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