のーてんき通信。
エヴァンゲリオンを創った男たち

 羨ましい、とまず思った。それから妬ましくなって来た。

 SFと出会った。それから「オタキング」とこ岡田斗司夫らと出会って「第20回日本SF大会 DAICON3」を取り仕切り、模型ショップ「ゼネラルプロダクツ」を立ち上げ、「ダイコンフィルム」を作り「快傑のーてんき」に扮して喝采を浴びた。

 アニメーション製作会社「ガイナックス」を設立して数々のアニメを世に送り出し、「新世紀エヴァンゲリオン」で全国的なムーブメントを起こした直後に脱税騒ぎで世間の顰蹙を買い、今また新たな体制でアニメ作りに邁進している。そんな人生を、ガイナックスで取締役統括本部長を務める武田康廣が振り返った「のーてんき通信 エヴァンゲリオンを作った男たち」(ワニブックス、1400円)を手に取り、ページを開いてすぐにそんな感情がわき起こった。そしてページを繰るごとにそんな思いは強まっていった。

 「新世紀エヴァンゲリオン」で日本を代表するトップクリエーターとして一般にも強く認識されるようになった庵野秀明。若干22歳で名作「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を監督し、今また「まほろまてぃっく」で華麗な復活を遂げ、アニメーション界の先頭を突っ走ってる山賀博之監督。「プリンセスメーカー」で育成シミュレーションのジャンルを確立し、イラストレーターとして、またキャラクターデザイナーとしてラフィールなどを生んだ赤井孝美。いずれも世に知られたクリエーターで、共にガイナックスの取締役を務めている。

 「DAICON3」のオープニングアニメ製作で出会い結集した彼らと、武田康廣は20余年をずっと一緒にやって来た。他にも多々、アニメ界・SF界・ゲーム界・オタク界に綺羅星の如く輝く人々と、単に知り合いというだけでなく、一緒に何かをやって来た。それが羨ましい。そして妬ましい。一緒にそこにいられなかったことがただ悔しい。

 タイミングというものもあっただろうし、関西という地の利もあっただろう。大阪にいて、SF好き、それもとてつもなくバイタリティーに溢れたSF好きが周囲にわんさといて、そんな人たちと神輿を担ぎ神輿として担がれながらどんどんと大きくなっていった成果が先に挙げた綺羅星たちとの交流だとするならば、地方にいて、SF好きなんて回りに誰もいなくって、ひとりこっそりジトジトと甘く薄く読み続けて来た挙げ句がごくごく平凡な一読者。もしあの時代、あの世代としてあの場所にいたら? そう思うと地団駄を踏みたくなる。

 もっともたとえあの時代、あの世代としてあの場所にいたとしてもそこに居続けられるほどの才能も情熱も持ち合わせていたかというと、分からないとしかいえない。現実に、世代も場所も違うのに一念発起して頑張って仲間となって綺羅星のひとつとなっている人たちも大勢いたりする訳で、羨ましがって妬ましく思っているうちは、フィールドに立たないまでも球場へと駆けつけ外野で観戦しているファンですらない、テレビで観戦しながらくだをまく、ただの傍観者にしかなれないし、現にそうでしかなかったりする。

 これは人生のすべてにいえることで、SFにしてもゲームにしても本業にしてすらも、どこか中途半端に興味を示しながらも中途半端にしかのめり込めず、周囲をぐるぐると回りながら知ったか振りをして悦にいる、たちの悪さではトップクラスの愚か者になりかかっている。ここでだったら一念発起できるのか、というと、歳のことを理由にしたり、どうせ自分には才能はないんだからと言い訳に終始して、やっぱり何もできないから始末に負えない。そんな気持ちで読むとこの「のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち」は結構、心に痛いものがある。

 とかいいながら、読んであんなこともあった、こんなこともあったなんて思い出しつつ、同じ時代を生きて来たんだなあ、という気持ちになってしまうのはやっぱり避けられない。これからも多分同じような本がどんどんと出てくるんだろうし、この本だってこれで終わらずまだまだ続くんだろうけれど、書かれてある同時代的ではあるものの傍観者としてしか触れられないその内容に、悔しさと誇らしさ、恥ずかしさと嬉しさの複雑に入り交じった気持ちを抱えながら、接して行くことになるんだろう。足を踏み出す勇気を奮えなかった者への、それが天からの罰なのだ。

 巻末の山賀、庵野、赤井というガイナックス取締役3人組による武田康廣についての対談は、仲良しクラブでは決してなかったガイナックスでの、こと仕事に関しては職人気質な人たちによる激しいやりとりの様子が今に伺えて、好きなだけではやって行けそうもない雰囲気に身が震える。そんな力と技が幅を利かせる空間で、クリエーターとは余り言えない立場でずっとやって来た武田・統括本部長の苦労・苦悩たるや並み大抵のものではなかったと想像できるし、にも関わらずずっとやって来れた労力・能力も同様に並みのものではなかったことも伺えて、あらためてそのバイタリティーに感じ入る。

 ゴシップ的には岡田斗司夫のガイナックス退社のいきさつや、世間を騒がせた脱税事件への言及に興味がひかれるけれど、ゴシップ的な視点を離れてもファン活動の延長のように来た会社が本格的に事業として動いていく過程での「青春の蹉跌」であり「成長の儀式」のドラマとも読み取れるし、日本を代表する産業だともてはやされながらも、その実資金面などで難しい状況が続いていたし今も続いているアニメ製作環境への苦言とも読め、学ぶところも多い。作家の菅浩江とのなれそめと途中の失恋と、それでもへこたれずゴールへとたどり着いた経緯は、もう一段の言及が欲しいところだが、読んで当てられるのもかなわないので、この位で我慢しておこう。

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