ニッポニア・ニッポン


 ストーリーを聞いたとき、なるほど、と思った。というより、あるあるある、と何度も何度も頷いた。阿部和重の「ニッポニアニッポン」(新潮社、1200円)のことだ。今の気分、とりわけ若者層が抱いているだろう気分をここまでリアルに、かつドラマティックに描き出した物語を他に知らない。

 日本では絶滅が確実になったトキを絶やしてはいけないと、中国から番(つがい)のトキを連れてきては繁殖させ、孵化させ育成しようとするプロジェクトがある。けれどもよくよく考えてみれば、日本原産でもないトキを連れてきて子供を産ませたところで、それを果たして「日本のトキ」と言って良いいもなのだろうか。

 違う、なにかが間違っている。そう感じた17歳の少年が、インターネットを駆使して情報を集め、武器を手に入れ、佐渡島へと出向きトキを解き放つなり、殺害するなりして「人間の書いたシナリオ」に反抗を企てる、というストーリーに誰もがきっと、心踊らせたことだろう。日本人の多くが心に持っている、けれども”熱烈歓迎”な風潮に言い出せずにいる疑問への、実にストレートな解答だと誰もが感じただろう。

 中学時代に関心を寄せた少女にストーカー気味につきまとった挙げ句、警察沙汰となって故郷に住めなくなって東京へと出たまでは良いものの、父親の友人が営む洋菓子屋での仕事にはじきに行かなくなり、部屋にほとんど閉じこもってはインターネットで情報を見て回って過ごしていた少年の日々。そうなってしまった理由が、自分の少女への執着心にあるにも関わらず、それを彼女のためだと正当化して省みない思考プロセスのストレートなまでの歪みっぷりが、今時の感性に照らして実にリアルなのに驚く。

 中国生まれの両親から生まれた、遺伝子的には中国系でしかないトキの繁殖にはしゃぐ人々の欺瞞性の源を、「ニッポニア・ニッポン」と言う学名がそもそもトキに付けられている点に見出していく思考自体は、17歳の少年とは思えないくらいに聡明だが、一方で妥協せず愚直なまでに考え抜いた挙げ句に、そうした結論へと達するプロセスのストレート過ぎるくらいにストレートな様は、曖昧さを美徳と思わず沈黙は金とも思わない、汚れておらずスレてもいない17歳の少年らしいと言える。

 ストーカー気味で引き籠もり気味な少年の想いをシミュレートし、なり切って描写してみせた点も含めて、よくもまあそこまで”17歳”になり切って書いたものだと感心する。残念にも落選した芥川賞の選評で、誰かがトキを倒しに行く上であれこれ動機が説明され過ぎてると書いていた。

 だが、それは別に作家が説明しようとしたものではない。17歳の少年が、世間的には犯罪とされている自分の行為を正統化するために必至で理由を考え出し、理屈をこね上げるプロセスを見事に描ききった結果だと言って言えなくもない。説明され過ぎて当然だし、ない方が逆に気持ち悪い。

 分別のついた老人たちが読むと、トキ襲撃といういかにもな反社会的な行動を、インターネットといったいかにもなガジェットに絡めて描いた物語と読めてしまい、辟易してしまうのかもしれない。だからこそ選考委員では比較的若手に入ってしまう池澤夏樹、宮本輝だけが評価できたのだろう。10代にある少年少女、あるいは10代の尻尾を引きずったモラトリアムなコミュニケーション不全人種が読むと、胸とか背筋に結構ヒリヒリと来る小説であることは確かだ。

 トキを襲撃に佐渡へと渡ろうとした主人公の少年と、騙されて佐渡まで来てしまった14歳のプチ家出少女との関わりの部分が、救いようのない罪へと真っ直ぐに、しかし着実に進んで行っている物語のあるいは救いになるのかも、と瞬間思わせたもののそこは阿部和重、ある意味嬉しくもありまたある意味安易な展開にはせず、予想どおりのどこか滑稽な、けれども主人公の少年にとっては真摯な結末へと至り、さらに別の同じような引き籠もり気味の少年へと伝染していく展開に、これまた今のリアルさを見た気がする。

 カタカナのサヨク的な青年たちが、パン屋を襲撃するような感覚でプチ革命をやったとしても、あるいは閉塞感にあえぐノンポリの中年たちが元青年の主張よろしくやったとしても、多分それなりの展開にはなっただろう。けれども自らの鬱屈を世間全体にすり替えてためらわない17歳の少年に主役の座を与えたあたりに、今という時代を見ようとする時には誰の目を介するのが最適なのかを考えて正答を出した作者の冴えを感じる。

 以下は余談。主人公の少年が入れ込んだ少女の名前が本木桜という部分が、ある漫画の主人公を想像させて頬を緩めさせる。作家が意識しているのか否かは知らないが、こういう名前の少女がいて、その名前に相応しい振る舞いをして欲しいと願うのもまた、現代の若者の願望をリアルに活写した結果とも言えそう。単に作者本人の10代へと気持ちを振り替えた挙げ句に浮かんだ、心底よりの願望なのかもしれないが。


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