縮刷版2023年2月上旬号


【2月10日】 豊島区長の高野幸夫さんが亡くなられたとの報。東京アニメアワードフェスティバルが池袋へと移って開かれるようになってから、オープニングだとか贈賞式だとかに出席してはテープカットをしたり豊島区長賞を贈賞したりとアニメに理解をしめしてくれた。ニコニコが池袋へと拠点を移していろいろなイベントを仕掛けた結果として、ハロウィンのコスプレも定着して渋谷の喧騒とちは違ったおだやかて愉快なコスプレハロウィンが開かれるようになった背景にも高野区長を始めとした豊島区職員の尽力があった。

 どちらかといえばウエストゲートパークだったりデュラララ!!だったりするハードな街といった印象の池袋を、文化とサブカルの拠点に昇華させられたのにもそうした区長や区職員の働きがあったのだとしたら、東京を変えた人として歴史に名を刻まれてもおかしくない。秋葉原がどんどんと魅力を失いコセプトカフェめいたキャバクラ的な店が跋扈しメイドたちが銃撃戦を……ってそれはアニメの話だけれども電気街でもオタクの街でもなくなりつつあるのと対照的な池袋を育て豊島区を埼玉の植民地から解放した立役者に、改めて敬礼。

 起きたら雪は降ってなかったので家を出て、三鷹方面へと向かい始めたら御茶ノ水あたりで雪が降り出し新宿を過ぎたら積もりだした。やっぱり千葉は南国で東京は北国ということらしい。三鷹駅前にもうっすらとつもり始めていたので、倉庫での作業を4時間くらいで切り上げて帰宅。いろいろと残っていることが分かったのでいずれどこかに出てくるだろう。何かは内緒だ。近所にあるセブンイレブンに入ったけれども「シン・仮面ライダーチップ」は売っておらず近所でも売り切れなので各所で馬鹿売れしているみたい。ラッキーカードを手にする日は来るのだろうか。

   噂の「安倍晋三回顧録」(中央公論新社)を買って読んだものの基本的には成果となったものについてはだいたい自分を褒めていて、そうでないことには自分は関わっていないといったスタンスが何となく見えてしまってこれまでも散々にインタビューだとか国会の答弁だとかで見てきたパーソナリティが、回顧録という場でも存分に発揮されたといった感じ。いろいろと取りざたされている森本学園のあたりとか、財務省が自分をハメようとしただなんてどうしてそんなことが思えるのかが謎めくというか、行政機構の長たる内閣総理大臣が言ってはいけない言葉だとしか思えない。

 土地取引に関して報告が上がってなかったのは上げてこなかったからだと言っているけれど、そこで報告を上げたので聞いてましたと言ったら自分に責任が及ぶから、聞かなかったことにしなくちゃいけないといった感じで回りが配慮して局長のあたりで話を留めて置いた可能性だってあるにも関わらず、聞いてないのは回りが勝手に忖度してやったからだって言われてしまってはあなたのためを思ってやったのにそれはつれないとやる気を削がれてしまうだろう。だからもはや官僚に魅力を感じないと現役がどんどんと辞めていき、若い人は入らなくなっている。そんな官僚機構に誰がした? って話だよなあ。

 内閣人事局を作って官僚の任命権を一手に握って気に入らなければ首を飛ばせるシステムを作ったことで、気に入られることをしなくちゃ官僚でいられなくなった人たちが気に入られようとしてやったことが気に入らないからと知らん顔。そういう酷薄さをさを漂わせているにもかかわらず、支持を集めるのは官僚は悪だといった認識をメディアが広めていったからだろう。そういうメディアもまた気に入られなければ仕事にならないような状況を作り出した結果が今のこのタガが緩んで高潔さを保てない日本という国のシステムだとしたら、その元凶は誰だったのかを問い直すための材料になる本ってことかもしれない。2島返還をそれが現実的だからと進めて何も得られなかった反省もないしなあ。米国を警戒されたならそうさせないようにするのが政治だろうにそこは知らん顔。やれやれだぜ。


【2月9日】 正月明けにカタカタと打ってどうにか体裁を取り繕った事業報告書が何度かの推敲を経て校了直前となったので、最後の手直しを入れて提出。これで通ればどうにかこうにか面目も保たれるのであとは謹んでお願いしますとお祈りしつつ家を出て、とりあえず茅場町あたりに腰を据えて原稿をカタカタ。読んだ本の感想なんかを書いてだいたい2000字くらいになったので、とりまとめて送って1日の仕事を終える。なんか1日に出来る仕事の本数が1本から2本程度になってしまったなあ。

 前はそれこそ新聞紙面の1ページ分を全部1人で埋めるかのように5本10本書いて平気だったけれど、その大半がリリースを横から縦にするようなものだったので頭を使わずそのまま熟々となぞっていれば済んでいた。多少なりとも自分の頭で展開から構成から考えるとその下準備も含めて脳を使いまくって3時間くらいで疲れてしまうのだった。そこでシュークリーム分なりエクレア分なりコーヒーゼリー分でも補給すればあるいは回復するのかもしれないけれど、そうやって絞り出すと次の日がヘロヘロになりそうなのでセーブするのだった。

 酒でも入れれば回復も早いかというともう3年近くアルコールを入れてないのでどうなるか分からないところがあって踏み込めない。知らないうちにアーリータイムズのイエローラベルが製造中止になっていて、かわりに訳の分からないホワイトラベルのアメリカンブレンデッドなバーボンとはいえないアーリータイムズが蔓延り始めていて、お前いったいバーボンを何だと思っているんだって気分になったけれども考えて観れば飲んでいたのはジム・ビーノだったりI.W.ハーパーだったりフォア・ローゼスだったりしてアーリー・タイムズは元よりあまり飲んでなかったのでどうでも良かったのだった。

 白いのも試してみたい気はあるけれど今はアルコールは控え気味にしつつとりあえず糖分で脳を活性化する方を選ぶことにするとして、それでも1日1本くらいのペースで訥々とやっていくのが今は良さそう。先週先々週あたり超忙しかったのでそれもしゃあなしだ。さても原稿が書き上がったので茅場町から歩いて日本橋から東京駅の丸の内側へと回って東京ステーションギャラリーで佐伯祐三展。若くして無くなった画家がパリやら下落合やらで描いた風景がいっぱい飾ってあって、100年を経てもなお艶々とした油絵の具の筆致にそこにいて、筆をとって描いていた画家の眼差しを感じ取る。こういう枯れないところが油絵の具の凄いところなんだよなあ。

 荒々しさも持ってダイナミックな構図の佐伯祐三と、同じモチーフを描きながらもどこか落ち着きを見せている荻須高徳のどちらが好みかっていうと前に一宮だか稲沢にある荻須高徳美術館でまとめて見た時は荻須が好みになったけれども改めて佐伯をまとめてみるとなるほどこの若々しさには人を惹きつけてやまないものがあるなあと感じ入る。情動が漂っているというか塗り込められているというか。荻須はそのあたりが少し散ってもうちょっと対象に入り込める感じ。その差を改めて考えた時に見る時の気分が左右して気が滅入っている時は荻須が良く、ちょっと昂揚している時は佐伯に引っ張られるのかもしれないと思い至る。並べて見るなり荻須をまとめて見てそのあたりを考え直そう。

 時間がきたので新宿ピカデリーへと出向いて押井守監督が鳥海永行監督と共同で手掛けた「ダロス」の上映とその後のトークイベントを聞く。実は「ダロス」って見るの初めて。散々っぱらオシイストを名乗りながらも見る気があまり起きなかったのはOVAってことでテレビとかで流れなかったこともあるし、LDボックスを買った時にも入っていなかったことがある。なので見てやっぱり押井作品だと思おうとしたものの、こういうのって高橋良輔監督だとか富野由悠季監督だとかがやっても変わらない感じじゃないとか思えて押井守監督作品である必要性があまり伝わって来なかった。

 それもそのはずでトークイベントに登壇した押井監督によれば、鳥海監督と交互に手掛ける感じで第1話あたりは鳥海監督が手掛けた家族のドラマになっていたりして、押井監督らしさを出す場面もなかったみたい。そうやって始まった物語に押井監督がやりたかった「アルジェの戦い」みたいなテロなりゲリラなりの物語がマッチするはずもなく、ミリタリー描写の緻密さに込められはできたものの全体としては家族のドラマと階級闘争の物語が渾然としてぶつかりあったり混じり合ったりする奇妙な作品に仕上がった。ところどころ山下将仁さんらしい絵があってそこは「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」っぽかった。どうやらそれと「ダロス」とテレビシリーズの「うる星やつら」を同時進行していたらしい。若いとそういうことも出来るんだとか。

 いっしょに登壇したのが「メタルギアソリッド」の小島秀夫監督だったから、押井さんがハマってるゲームの話なり小島監督の話なりに向かうかと思ったものの、押井さんが覚えてないと言い張っていた記憶を小島監督がつついて引っ張り出すような感じになって、元来話し出すととまらない押井監督がそれで刺激されてどんどんとしゃべり出してほとんど「ダロス」とその他幾つかの押井作品についての話で終わってしまって小島監督と押井監督とのなれ初めだとか、同じ大塚明夫さん使いとしての感想だとかは聞けなかったので次の機会があれば是非。でもまあ小島監督だからこそ「ダロスって何ですか?」という聞きづらい質問も出来たんだろうなあ。解決してないものなあ。一応は月面の裏側にあって外の宇宙に向かって地球人類ここにありを示すモニュメントだったらしいけど、だったらあの自己修復機能だの自己防衛機能は何だってことになるよなあ。謎めく。


【2月8日】 予定していた取材がふっとんだ代わりに別のコラム仕事が入って来たので準備のためにあれやこれやと読書する。その前に日本SF大賞の候補作も消化しておかなくちゃってことで小川哲さんの「地図と拳」を改めて一気読み。前にも読み始めて孫悟空が出て来たあたりで止まってしまっていたもので、満州に作られた架空の都市を拠点にいろいろと考える人もいれば、戦線を広げる日本軍についていろいろと考える人もいたりしてあの時代の満州に関する人の見方といったものがいろいろと伺えた。

 それと同時に架空の都市を築き上げようとする動きすらも途中でねじ曲げられていく過程で、それならと資源を消費しないようにして頑張って頑張って復興後の日本について考えようとする動きもあって人間、短期的な視座だとか心情的な視点だとかに立っていたら見えないものがあるってことを教わった。どれだけ長期にどれだけ広く見通せて見渡せるのか。そんな人が戦前の日本には架空じゃ無くていたんだけれど今はいったいどうなんだろう。目先のことしか考えず立場のことしか考えない政治家に忖度する官僚によって作られたシステムが生む目先だけ良ければそれで良いといった気分。20年後にどうなっちゃうんだろうなあ、この国は。

 20年といえば西尾維新さんがデビューから20周年ってことでいろいろな本を出していたりする。そうした中にデビュー咲くとなった<戯言シリーズ>の最新刊なんかもあったりして、積み上がっているので手に取ったらこれがなかなかに面白くって、そこから最初の作品へと遡って<戯言シリーズ>を全部読んで<最強シリーズ>に手を出して<人間シリーズ>まで入ってしまうともう西尾維新さんづくしになってしまいそうな気がして困っている。そうはならないように<物語シリーズ>と「刀語り」あたりで留めていたのにこれは困ったけれど、いつまでも見て見ぬ振りはできないからここが良いタイミングだったと思おう。しかしやっぱり哀川潤、すげえなあ。

 家にいたら寝てしまうので本を読みつつ西船橋駅で立ち食い蕎麦を食べてから大手町まで出て本屋で<戯言シリーズ>の文庫本とか探したけれど欲しい巻が見つからず、それならと池袋まで回ったものの見つからなかったのでこれだけ人気でも書店では切れるくらいに時間が経っているんだなあといった思いを抱く。ストックしておきたくてもそんなスペースがないのか、あるいは増刷して欲しいけれども版元が増刷を絞っているのか、分からないけれども20周年期年なんだしここは改めてボックス入りでも作って欲しいきもしないでもない。それだと最新作が入らないか。だったらノベルズのボックスを是非。

 立ち食いそば屋といえば西船橋駅の改札を出たところにあったお店が1月31日で閉店になっていた。会社を辞めて頭が呆然としていた頃に将来への不安から食べるものを絞っていたところで、朝に安く食べられたのでここで食べてから船橋西図書館へと通って高橋留美子さんとか小山ゆうさんとか一ノ関圭さんに関する評論を書いていたんだった。鬱状態になると本当に思考が鈍って短い数字すら覚えられない状況にっていたんだけれど、そんな中でよくもまあ5000字くらいの原稿を3本も書いたものだと今さらながら思ったりしている。「漫画家本」ではほかにも何作か書いたのでいずれどこかでまとめたいけど、そんな未来はなさそうなので同人誌でも作るしかないかなあ。

 池袋から戻る途中に亀戸に寄ってそこでキッチンDIVEに寄って目玉焼きがいっぱい載った弁当を買って帰宅して食べて1日がくれていく。セブンイレブンに夜と「シン・仮面ライダーチップス」が入っていたので何袋かまとめて購入して、カードをみたらちょっぴりヤケた感じとかボケた感じが昔の仮面ライダーカードっぽさを漂わせてくれていた。書かれている文章もひらながなが多用され子供でも読める感じであり煽るような諭すような言葉遣いも子供が読んで感動しそう。でもそれを読んで懐かしがるのは50歳を超えた大人達というこのギャップを果たして映画自体は埋められるのか。「シン・ウルトラマン」の興行が案外に振るわなかったあたりからいろいろと考えてしまうなあ。


【2月7日】 例の映画のパンフレットへの寄稿を転載するにあたってパンフレットを作った映画会社が二次使用料を払うのが当然といったスタンスを見せた件に関して、最近は小説のアンソロジーを作りたくても、転載にあたって二次使用料を求める出版社が増えてアンソロジーを編みづらくなったといった話が聞こえてきた。著作権が著作者のものであり続ける以上、法律的に二次使用料なる制度が成立し得るかという問題は一方にあるものの、感覚として小説などを雑誌が掲載する場合はいずれ後の短編集なり自社でのアンソロジー刊行を目的とした顔見せ的な掲載であって、そのために苦労して交渉し執筆させ編集もして掲載したのだから、それを他社が使うなら使用料くらい払ってよと言う理屈は成り立つような気がしないでもない。

 ただ、パンフレットへの寄稿や雑誌でのコラムやエッセイについては、小説なんかと同様に掲載までの労苦はあるものの、再録など想定されてないものでそれを二次使用料で縛られたら、売文屋として辛いなと言う感覚はあったりする。放っておいたら埋もれてしまって浮上しない文章が書籍に収められて陽の目を浴びた時、そこで取り上げた映画へも脚光が浴びて映画会社としてももう一花咲かせられると思えば心情的にも許せる気もするんだけれど、自分が配給権を獲得して上映した映画は我が子も同然、その子に奉仕した文章もすべて我が子だといった認識があるのだとしたら、心情面はともかく法律面でしっかり線引きをしておかないと、今後に禍根を残すことになる気がするなあ。さらに成り行きを注目。

 囲碁の棋士は女性も男性も同列でプロ棋士である一方で女流だけのタイトル戦もあって男性は参加できないので最年少とかいった部分で将棋界と一概に比べられないところもあるものの、仲邑菫三段による女流棋聖のタイトル獲得は、「史上最年少の中学生チャンピオン」だそうでそれは男性女性を合わせたタイトル戦すべてでのことだそうだけれど、その棋戦に男性棋士が参加していたらとか考えた時に同列では語れない。ただその出自も含めて注目され続けた中での戴冠だけにやっぱり驚きだし応援したい気もたっぷりとある。幼い頃に強そうだからと飛び級でプロ入りした逸材だけど、そこから折れず曲がらずしっかりと成長してくれた。今後が楽しみ。

 日本の型式認定がそのままアメリカの型式認定ではないことくらい、調べれば分かっただろうことなんだけれどそこを軽く見たのか本当に分からなかったのか、かつてMRJと呼ばれた国産旅客機のスペースジェットがアメリカでの型式認定取得の壁に阻まれ続けてこのまま続けても陳腐化した技術が通るだけだといった判断からプロジェクト撤退へと至った。YS11の夢をもう1度といった思いもあるし日本だってジェット旅客機が作れるんだと思いたい気持ちもあって応援したかったプロジェクト。ちゃんと飛ぶ飛行機はできたものの型式認定がとれず商用化できなかったらやっぱり意味は無いってことで、そこがどうして頓挫したのかを今後精査する必要がありそう。

 ボンバルディアとかアメリカでなくても作ってアメリカの型式認定を受けて世界に売れる飛行機を作っているメーカーもある訳だから、やればやれないことでもなかったんだろうけれど、日本が得意の技術をぶち込めばぶち込むほど、そうした技術の安全性を確固たるものにするための審査が厄介になるというジレンマを超えられなかった。だからといって古い技術を援用して作って型式認定を通しても未来はない訳だからなあ。その意味で厳しくなり過ぎたアメリカの型式認定もちょっと考え直すタイミングなのかもしれない。エアバスとか欧州の旅客機がどうやっているかも気になるところ。アメリカを無視して他の世界で需要があれば作っちゃっても良いのかな。

 毎日新聞が中部での夕刊を止めるとか。しばらく前で夕刊8ページとかこれ意味があるのといった体裁になっていたのでもはや出して配達リソースを使うよりも朝刊に絞った方が良いんじゃ無いかって気はしていたから、逆に遅いくらいだし経営を考えたらもはや中部で出す意味もないんじゃなかって思うけれども朝日だったり読売だったりが出している場所から引いては全国紙の看板をおろさざるを得なくなるといった判断もあって朝刊は維持せざるを得ないんだろう。とっくの昔に中部総局だか支局だかをエアにして発行もほとんどしていない産経に比べれば頑張っているなあ。その頑張りが仇にならないと良いけれど。


【2月6日】 レアル・ソシエダの試合はDAZNで途中まで観て久保建英選手が活動はしていても得点では負けているからたいした評価はされないだろうと思ったら、その試合のマン・オブ・ザ・マッチになったみたいで負け試合であってもその活躍ぶりから目を離せないくらいだったみたい。そうやって評価されていけばあるいは元いたレアル・マドリードへと戻れるかというと超ビッグクラブは選手層も分厚く試合に出られるとは限らず、出られなければどれだけ良いパフォーマンスを持っていても無価値になってしまうからここは伝統と格式を合わせ持ったラ・レアルに留まり活躍を続けるべきなんだろう。

 スコットランドではセルティックの古橋亨梧が得点をとったりして大活躍中で、前目で走り回ってボールを追う前田大然選手の献身ぶりもあったりしてすっかりチームにも地元にも溶けこんでいるかのよう。日本人選手ばかりとって批判もあるんじゃないのと思わないでもないけれど、チームが弱いよりは強い方が良いってことなのかも。とはいえスコットランドはセルティックとレンジャーズの2強が抜きんでて試合をだいたい支配できるから活躍もできるんであって、そこから移った中村俊輔選手がスペインでイマイチだったのを観ると絶対的な評価はちょっと不明。なので古橋選手前田選手にはイングランドにでも移ってそこで同じくらいのパフォーマンスを見せて欲しいなあ。

 朝から家を出て三鷹へと向かって倉庫で仕事。懐かしい作品の懐かしいイラストとか眺めた後、夕方になったので新宿に寄ってTOHOシネマズ新宿でBTSが釜山で行ったライブの映像をまとめた映画を観る。2時間にも満たない時間だけれども中身はぎっしりで歌はたっぷり。それを2400円だなんって料金で観られて良いんだろうかと思えるくらい素晴らしい作品に仕上がっていた。もちろんファンにはジャニーズだとかLDHとかのグループによるライブ映像も嬉しいんだろうけれど、そこはグラミー賞にもノミネートされて世界が認めたグループによるパフォーマンス。ダンスも歌唱もセットも場内も全てはハイクオリティでその場にいなくても、というより映画だからこそ最前列でどアップでかぶりつきで観られる幸福を味わえた。

 ラップがあってメロディもあってダンスもあってと多彩な上にそれぞれがトップクオリティなのは韓国のグループには通常。背丈もそろって足が長くて見た目もカッコ良いのも韓国ならではといったところ。同じ感じのユニットが日本にないのはなぜだろうと考えるけれどもたとえばKAT−TUNで似たようなことをやろうとしたもののできなかったところに、ジャニーズを受容するファン層とK−POPのユニットを見つめる層との違いなんかがあるのかもしれない。2時間くらい観ていると何となくメンバーの違いも分かってきて名前も覚えられそうになるけれど、会場を出たら忘れてしまったのでもう1度くらい観てくるかな。ラストからの多幸感はやっぱり抜群な作品だから。

 佐々木敦さんが映画のパンフレットに寄稿した文章を集めて他の文章なんかとまとめて本にしたら、パンフレットを制作した映画配給会社がどうして勝手に持っていくんだと怒ってひともんちゃく。なるほど寄稿してもらった文章なのに断りがないのは言語道断と思う気持ちは分かるけれども、パンフレットして売って終わりの文章を後に単行本化する訳でもないのに持っていたって仕方がない。何より文章は書いた人に著作権が帰属して何者もそれを奪えないのが法曹界の理解となっているのだから、そこで挨拶くらいしてよと言うのはあっても二次使用料を払えというのはちょっとお門違い感が漂ってしまう。

 言われた出版社の側もなるほど断らなかったのは拙いと謝ったけれどもそれはそれ、二次使用料を払いますとは言わなかったし、佐々木さんもそうした必要性を認めていない。そこで認めてしまうと立場の弱いライターが寄稿した文書を、後に使おうとしても断られてお金に換えられないケースが出て仕舞いかねない。それこそ著作権の譲渡は無理でも使用権はしばらく持っている的な契約でもあったら別だけれど、そうでもないにも関わらず声高に二次使用料を訴えてしまったことで映画会社への同情も薄れてしまった。それでも撤回してないのは何か経営している人に思うところがあるのか、思い違いがあったりするからなのか。いずれにしてもいろいろ話題になりそうな案件。様子を見守りたい。


【2月5日】 三笘三笘、ブライトンの三笘薫選手が凄い凄すぎる。サイドでドリブルしようとしてもダブルチームでさえぎられて活躍できずこのまま沈むかと思った試合も終わりがけになって、サイドから上がったボールをジャンプして頭で合わせて見事にゴール。前のリヴァプールが相手のFAカップではトラップからの2度蹴りでもってゴールに突き刺した足技を見せてくれたけど、それだけじゃなくジャンプの高さも武器として持っているってことがこれで満天下に伝わっただろう。サイドで止めてもジャンプで稼がれる得点をどう止める? 次の試合も楽しみだ。

 朝なので支度をしてTOHOシネマズ日比谷へ。すでに上映が始まっていた「鬼滅の刃 遊郭編、そして鍛冶の里編」の舞台挨拶付きが当たっていたので観にいったもので、この舞台挨拶付きも前日に竃戸炭二郎を演じている花江夏樹さんが登壇した回が開かれていたけれど、応募の時にもうひとつ、花澤香菜さんが出演する舞台挨拶があると分かってそちらに応募していたのだった。やっぱり観たいじゃないですか、花澤香菜さん。いやインタビューもしたけれどやっぱり何度観ても楽しいものだから。

 さても甘露寺密璃を演じている花澤さんとあと時透無一郎役の河西健吾、そしてど派手な宇随天元を演じている小西克幸さんが登壇した舞台挨拶は、野太い声が響き渡る宇随を演じているとは思えないくらいに小西さんの声が高めで、普段はそんな声でもああいった言い声が出せると分かって頑張りたくなった。低くて響く声が出ないんだよなあ。そして花澤さん。しゃべり出すとステージの上を右に左に動いてまるでスティーブ・ジョブズによるiPhoneのプレゼンテーションみたいだった。引っ張られて河西さんもやらされていて大変そう。でも楽しかったので良しだ。

 映画の方はすでにテレビなんかで放送された「遊郭編」の最終2話を上映したけれどもその時からど派手に凄まじい作画だったものが大きなスクリーンでみると超ど派手に素晴らしく目に刺さってこんなクオリティでもってテレビアニメを作られてしまうと、他の作品なんてかなわないよと思うしかないのだった。巨大なスクリーンに伸ばしてもまるで破綻してないんだよなあ。テレビ向けって小さな画面に大きく描くものだけれど、そうせず細かく描いたのは劇場を意識していたのかな。

 そしてさらに「鍛冶の里編」も上映されたけれどもその冒頭で上弦の鬼たちによる大集合があって鬼舞辻無惨様の冷たくてそして投げやりな演技が聞けてとても良かった。そんな無惨に付き従う上弦の鬼たちではすでに声が聞かれていた猗窩座と童磨の石田彰さんと宮野真守さんに加えて黒死牟の置鮎龍太郎さん、半天狗の古川登志夫さん、玉壺の鳥海浩輔さんがそれぞれ声を当てていて、ベテラン超ベテランならではの凄みをきかせてくれた。気になるのは半天狗だけれど漫画の方ではいろいろ登場するんだよなあ、それを全部当てるんだろうか、喜怒哀楽の古川さんが聞けたらちょっと楽しいかも。

 蜜璃さんのあのこぼれそうな姿を大きなスクリーンで見られるのも良かった映画を見終わって、御徒町へと出てぱすたやでカレーパスタを食べてそれから近くを歩き回って特に何も買わないまま、キッチンDIVEで500円の弁当を買い込みそのまま船橋へと戻ってVELOCHEでSFマガジン向けの原稿をカタカタと書いてどうにかこうにか仕上げる。1週間分の原稿がこれで片付いたけれど新しい1週間が始まるのでまた原稿を書かなくてはいけないのだった。報告書という大物が片付いたので少しは本を読めるかな。読まないといけないんだよなあ。

 という訳で読んだ谷尾銀さんによる元柔道少女と美貌の悪魔的少女がゆるゆるとオカルト探求に取り組む学園ストーリーが「ゆるコワ!〜無敵のJKが心霊スポットに凸しまくる〜」。サボるようにして作ったオカルト部でもって仕方なく活動しているように見えるけれども、そうやって出かけていった先で幽霊を観たり半グレたちをこてんぱんにしたり丑の刻参りの謎を探ったりそんな丑の刻参りを仕掛けた側が死んでしまったりと結構ダークでハード。ゾクとさせられるけれどもそうした周囲をまるで気にせず2人のゆるゆるとした部活動は続くのであった。オカルトは理不尽だ。


【2月4日】 総理官邸で岸田文雄総理についている荒井勝喜秘書官がLGBTや同性婚に関する大暴言を吐いたとかで咎められ、撤回してもそうした考えを持って仕事をしていると露見して更迭へ。官邸で総理番の記者を相手にオフレコで喋ったことがあまりに酷いと記事化された模様で、いつどんな場であっても世界が否定すべき見解を持っていることを公言しては、その場に相応しとは言えないので更迭されるのは当然として、そうした取材のプロセスというか仕組みがやっぱり日本的で、そのオールドスタイル自体もやっぱりきしみを生じているような気がしてる。

 オフレコだからといって喋っちゃいけないことを喋った阿呆さ加減はそれとして、喋ったその場で誰もダメでしょうと咎めず諾々と聞いては政治部のデスクなり官邸詰め記者のキャップなりに報告をして、そこでこれは拙いと言ったご判断を得て記事化したというプロセスにおいて、現場で直接話を聞いた記者はただの糸電話の紙カップに過ぎない。そこに意思もなく思いもなくジャーナリズムの欠片もない姿勢を強いてコマとして使うことで、本当にジャーナリストとして成長していくのかどうなのか。自分で考え自分で意見し自分で変えようとする意思を持たないシステムのピースが生まれるだけだろう。

 経験を積んでキャップだとかデスクに上がっても、上からの習いごとをそのまま実行していくだけの伝統芸が繰り返されていくだけのメディアが、本気で何かを変えようとする気構えなんて発揮できるはずもない。そういった部分を問わずオフレコであってもヤバい発言をよく記事にしたって称える空気を海外から見たら、どうしてその場で書くと断言して断固書くような判断をしないんだって笑われそう。オフレコだから引き出せた本音というのもつまりオフレコなら何をいってもいいような空気を許容している国だと思われるだけだろう。誰もが本音でぶつかりあい、是々非々で丁々発止する風潮を取り戻せる時は来るのかな。来なければ政治もメディアも共倒れは必至だな。

 メディアと言えば岡山県で陸上競技の選手として注目を集めている女子中学生のドルーリー朱瑛里さんが、あまりに集まる注目にズレたものが多くて心労が重なって出場する予定だったクロスカントリー競技を辞退したとか。“美しすぎる”といった言葉であれやこれやのセクターにいる女性を持ち上げとりあげフレームアップするメディアの薄気味悪さがアイドルでもない中学生の陸上選手に対して行われた結果、陸上とは無縁のメディアが押し寄せ迷惑をかけまくっているらしい。ここで官邸のようにある程度、意図された統一があれば抑制もきいたんだろうけれど、そうはならずとも放っておく意識をメディアは持つべきなんだろう。個人配信者は迷惑行為として通報すれば良いし。

 1本、原稿の発注を受けたので外で書こうと出かけたものの、本屋で参考となる資料を買うとたぶん家にあるのと重複してしまうので、これはちょっと業腹と思いつつ家にある本が出てくる可能性は低いので、戻って船橋西図書館で該当の本を引っ張り出してもらって見ながらパソコン利用席でカタカタと原稿を打つ。3時間いっぱいは使えなかったので100分ほどで退散し、続きは別のカフェで打ってどうにかこうにか完成へと持っていく。3時間くらいで2600字は早いと言えるかもしれないけれど、そうした原稿を書く上なそれこそ四半世紀は知識を溜め込んで来ている訳で、だからこそ短時間で書けても1本は1本だから何が変わる訳でも無いのだった。

 まあその分は眠る時間が増えたと思えば半ばリタイアメントしている身にはありがたいのかもしれない。一方で勉強に時間をかけられないまま上がらない原稿料でライターを続けている若い人には未来は大変かもしれないなあ。などと思いつつ店を出てスーパーでコーヒーを買い込みご飯も買って帰宅して食べて寝るのだった。スーパーには恵方巻きの残りが並んでいたけどそんなに安くはなっていなかった。節分が終わっても太巻きは太巻きだから食べて悪いものではないのだから安くする必要もないんだなあ。これがクリスマスケーキだとやっぱりクリスマス後にはあんまり食べないものだから。


【2月3日】 なぜか紅白歌合戦を開催中のNHKのスタジオにいてそこでエキストラ的に出演を待っているようで、そこに小学校中学校時代の知り合いが来たりして話し込んだりしている中でトイレにいきたくなって廊下を歩いていったけど、女子トイレしか無く戻って来る途中にスタジオの外に上岡龍太郎がいて喋っていて、戻って控え室から外を見たら港で大型の飛行艇が何機もあってそして外を列車がミサイルを積んで走りすぎていった。そんな夢を見た。まったく訳が分からない。

 途中でいっしょに出ていくコスプレイヤーの女の子が顔をなぜがガンギメにして笑われていて、慌ててぬぐっていたのは「レジェンド&バタフライ」を見たせいだなってちょっと思った。いろいろな記憶がほころび散らばるようにして夢って作られるんだなあ。だったら上岡龍太郎は何なんだ。そんな夢から目覚めて事業報告書の最終稿をえっちらおっちら仕上げてどうにか午前中という期限までにアップして、これで4月から取り組んで来た事業に関する書記仕事も一段落。いよいよしこっていた作業にとりかかれるかというと寒さで指もかじかんで動かないとか、日々の糧のための仕事もしなくちゃいけないとかいった理由を挙げて、きっと動かないんだろうなあ。山にこもるしかないかなあ。

 天王洲へと行かなくちゃいけないので支度をして家を出て、とりあえず昼ご飯でもと思い日本橋から東京駅へと歩いて東京ラーメン横丁にある長岡食堂で、今度は塩ラーメンの半チャーシューを戴く。醤油と違ってさっぱりしていてもやっぱりスープにショウガが溶けこんでいて寒いときに体がポカポカ温まるのだった。長岡にいけば食べられるそうだけれどだとしたら新潟市内でも食べられるのかな。3月にちょっとだけ長期で滞在する予定なんであるなら食べに行きたいな。もちろん名物のイタリアンも。

 JRとモノレールを乗り継ぎ天王洲アイルからちょっとだけ歩いて寺田倉庫のホールへと行き文化庁メディア芸術祭の25周年企画展を見物する。これまでの受賞作から主だったものをピックアップし、ポスター発表よりはちょっぴり豪華にATMみたいな感じでブースを並べて映像を見せたりマンガだったら原画を並べたりして見せていた。ざっと振り返ってあれもあったこれもあったと思い出すことができたけど、全体像をつかむのはちょっと無理、そういう意味では振り返展といった意味合いが正しいのかもしれない。

 中には石黒浩教授なんかが関わったロボットだとか、新潟で中学生だか高校生高に作品が踏み荒らされたクワクボリョウタさんのメディア芸術祭の受賞作が展示されていて、メディアアート的には楽しめるところもあって良さそう。あと「骨噛み」が話題の矢野ほなみさんによる新作も原画なんかが展示してあって、点描とは違った1枚1枚がアートのような原画が並んでいてこれを枚数重ねて撮影するアニメーションの大変さというのが感じられた。ほか、過去の受賞者の色紙も飾ってあって今敏監督のサインに感じ入る。もらっておけば良かったなあ、ってもらってたんだった本とかに。宝物にしなくちゃ。

 片渕須直監督とか、白井弓子さんとかクリエイターの方も数名ほどいてなかなか楽しめたけれど、外に出たらやっぱり寒くて冬本番を感じいる。遠目にあれは品川インターシティって分かる建物が見えたので、歩いて行けるかと挑戦して15分ほどで品川駅までたどり着く。行けるものなんだねえ。そこから総武線で船橋まで戻ってシャポーに入っている魚屋さんで恵方巻きを買って囓る。縁起物でしかないけれどもそれだけい食べられるときも限られているからやっぱり食べる野だった。恵方は分からないので向かなかったけど。意味ないじゃん。

 そういえば朝からツイッター界隈では凍結祭りがあったそうで、知り合いも何人かが凍結を喰らっていた。どうやら外のサービスと連携して掲示板的にコメントをやりとりできる機能を使っていた人なんかが対象に入っていたよう。外部に人を誘導してそれで収益を得ているようなサービスを排除する気満々といったところだけれど、そうしたサービスであってもプラットフォームとしてはツイッターを利用している訳で、それで得られるアクセスからの広告収入も考えると凍結して閉め出すこともないんじゃないかなあ。そういう発想をいれる隙間もなく、外部と連係していれば即アウトといった判断を、AIなんかが自動的に下しているのかもしれない。いつか人間すら閉め出すぞ奴ら。「86―エイティシックス―」に書いてった。


【2月2日】 寒いけれども起きないと起きられないので起き上がって船橋中央図書館まで行きリチャード三世と聖徳太子に関する本を書棚から持ってきていろいろ読みながら原稿を書く。いったい何の原稿だ。それはそのうち。3時間ほどで半分以上は書けたのでとりあえず席を立って外に出て、いつものサイゼリアへと向かう途中にいつもあった、日本共産党と幸福の科学のポスターが並んで貼ってあった建物が取り壊されているのに気がついた。

 畳屋さんも確か入っていたような建物だったけれどもその一角がすぽっと空き地に。かといってビルなんて建てられる場所でもないのでそのうち近隣もまとめて更地にされてしまうのかもしれない。船橋は駅前にあった戦後バラックのような一角がまずなくなり、サトームセンがなくなて大きなビルが建ったりして着々と変化中。十字屋のビルにはドンキが入り向かいの長崎屋のビルは取り壊されて新しくなったけどショッピング系ではなさそう。オフィスビルなんて需要があるのか分からないけど、30年も経てばやっぱりいろいろ変わるのだ。

 サイゼリアではハンバーグを囓りドリンクバーのコーヒーをがぶがぶと飲みながらとりあえず原稿の続きを書いてフィニッシュへ。無関係に見える作品を同じテーマで繋いでみせる力業は果たして通用するのかな。ここにも2時間はいたようでとりあえず外に出てしばらく歩いたのち、やっぱりいつものVELOCHEへと入って別の原稿を書いたり、明日が提出期限になっている事業報告書の様子を見たりしてすごす。窓際のカウンターにはいつもいてブツブツいいながらノートをつけたりしている薄毛のおじさんがいて厄介そう。いろいろな人がいるということで。

 プリキュアの新シリーズには男の子のプリキュアがいたり成人といっても今は18歳からでも成人だからそれくらいのプリキュアがいたりしておねしょたでもするのかなんてふと思ったりもしたけれど、そうやって進取の気風で行くなら次は例えばキュアユキ子が女子中学生でキュア友紀子が実はパパでキュア雪子はママだったりしてキュアゆきこはおばあちゃん、そしてキュア由希子が長男だけれど見た目は全部いっしょという「ふたりと5人はプリキュア」が始まればイタリアあたりで絶賛されると思うのだった。なぜイタリアかは「おちゃめ神コロコロポロン」について調べてみよう。

 「仮面ライダースナック」が復活、と言ったら少し違うか。3月公開の庵野秀明監督による「シン・仮面ライダー」にあわせて「シン・仮面ライダー」が売り出されるそうで、普通に袋入りのも売られつつカードがセットになったバージョンも発売。これならカードほしさに買ってお菓子を捨てる悪い子が出なくて済むってことで。でもお菓子も花びらのようで甘くて美味しかったから僕は食べていたなあ。それをまた食べられるなんて何という幸福。並んだら買い占めよう。でも記憶だと最初はかっぱえびせんのようだった記憶もあるのだった。名古屋だけだったのかそれとも。謎めく。

 夕ご飯も松屋でハンバーグ。ボロネーゼハンバーグってつまりは挽肉を固めて焼いた上から挽肉を煮詰めたものをかけてあるだけってことで肉オン肉の肉づくし。大きいし分厚くてこれで1000円切ってて良いんですかってちょっと思った。いつまで売っているか分からないからまた行こう。カルボナーラ風のチキンも悪くないんだよなあ。松屋には良いメニューがそろっている。店を出て歩いていたら前はあった回転寿司屋が閉店になっていた。カウンターがあって職人が握って回すタイプだからイタズラなんて起こるはずもなかったから、風評ではなくチェーン店自体の見直しだろう。1度も入ったことがないけど寂しいねえ。


【2月1日】 平成13年だから2011年の3月に国会の衆議院で尖閣諸島にヤギがいて繁殖していて、自然環境が荒らされているけど政府はどうするんだといった質問が行われていたとうことは、すでにその頃から環境破壊が問題化していたはずなのにそれから12年も経った昨日今日になって、尖閣諸島で繁殖しているヤギが草木を荒らすものだから、1年で様子が様変わりしているといった調査結果が出てくるのがどうにもこうにも不思議でならないのだけれど、そうした調査をしたのが東海大学の山田吉彦教授というところに、ナニカがあるとピンと来るのは日頃からそういった人たちの名前が絡んであれこれ騒がしいことになっていると、知っているからだろうなあ。

 国際基本問題研究所理事、ってことはつまり櫻井よしこ理事長とご同類ってことで尖閣諸島の問題を是が非でもこのタイミングでクローズアップして危ない危ないと騒ぐことで、なにかしらのメリットを得られるってことなんだろう。もちろん台湾有事が叫ばれる折に尖閣にも中国から調査船が入っていろいろと騒がしいことになっているけれど、そんなのは日常茶飯事と言えば言えなくもない訳で、その理由にヤギを挙げてなおかつ「外来」といった言葉で誰かヤバい筋が持ち込んだかのような印象も醸し出しているところが引っかかる。そもそもがそのヤギを持ち込んだのは日本青年社という右翼団体であって、非難するならそちらかから先にどうぞと言ってみたくなる。

 加えてもう何十年も問題化している話を常に言わず、このタイミングでぶち込んでくる態度に本当に尖閣の自然を心配しているのって意見も出て来そう。それこそ長期も長期だった政権の中で何とかすべき問題だったのに、まるで触れずに来なかったものをこのタイミングで取り上げることによって目を向けさせるのは、やっぱりどこかに含みがあるような気がしてしまう。もちろん尖閣は日本固有の領土であって護るべきものであるし、自然環境も保護すべきものであることに異論はないけれど、そうしたストレートにして純粋な愛国的思考ではない、何か為にしようとしているんじゃないかと想像させてしまう態度はいただけない。疑心暗鬼を生じさせて分断を生み、結果として敵を利するそうした行為を愛国の御旗の下でやらないで戴けないものかなあ。

 毎日新聞に第77回毎日映画コンクールの選評が載っていて、アニメーションに関連してアニメーション映画賞を受賞した「高野交差点」への片渕須直監督の評が載っていた。「『高野交差点』は、一見そこに葛藤などないように描くことで、観客の中に深いわだかまりを沈潜させる。そして、たった一つの動作だけで鮮やかに反転させ、すべてを表して見せる。映画的である」。アニメーション作品に対するもうひとつの賞の「大藤信郎賞」を受賞したのが商業アニメーション映画の「犬王」だったりするところに、ちょっぴり逆転現象が感じられたけれどもこうした選評を読むと、表現として画期的なところがあった「犬王」が大藤賞で、短くても映画になっていた「高野交差点」がアニメーション映画賞だということが分かる。そうした賞の振り分けの過程で、両方の候補に挙げられながらもどちらも逃した和田淳監督の「半島の鳥」は残念無念。別に何かの賞を是非。

 何かの参考にしようと山岸凉子さんの「日出ずる処の天子」を全巻鞄に入れて家を出て、イオンシネマ幕張新都心まで行って読書しつつ映画「レジェンド&バタフライ」を見る。なるほど木村拓哉さんも綾瀬はるかさんもバッチリしっかり演じてて目にも嬉しい作品。ただ内容的には4、50年前の織田信長像を今になって映像化したような感じで、少し「おんな太閤記」も混ざったような雰囲気でもあって、そういう信長像をすり込まれた僕を含む世代には驚きとかもなく普通にスッと見ていけるんじゃないかと思ったり。あとキムタク信長はきっと世間に「すごく優しい男」と呼ばれていて、綾瀬帰蝶に勝つよと約束していっしょに本能寺の変から逃げ出してくれたらイエス!って叫んだかも知れない。そういう映画も楽しいけれど、あっさりとすっきりと終えたラストも格好良かった。やっぱり信長は素材として最高だ。


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