縮刷版2023年1月下旬号


【1月31日】 渋谷でも山の手にあって松濤との境目を形成して円山町への壁となりつつ富裕層を顧客に持っていた東急百貨店本店が本日を以て建て替えのために閉店とか。そんなに大きくしなくたってBunkamuraもあってオーチャードホールもあって十分にやっていけそうな気もするんだけれど、そこはやっぱり渋谷全体が渋谷ヒカリエの開業もあって坂の下からさらに山手線の東側へとシフトする中で、宇田川町へと人を惹きつけていたパルコが建て替えによってどうにか面目を保ったこともあって、ここで東急としても頑張って渋谷全体を盛り上げようという考えなのかもしれない。

 とはいえ東横店もとっくの昔に閉まって百貨店という形式が西武百貨店に残されるだけとなっていよいよ消費のスタイルも大きく変化してきたことが伺える。まあ東横店自体がターミナル駅にあって食品スーパーや衣料品店を高級化したようなところがあったから、三越百貨店に代表される百貨店形式は後発ではあったんだけれど、それが一時の東急のイメージをグンと押し上げていたことは確かだろう。けれども今となっては大家に店子スタイルの店が幅をきかせるようになる中で、高級品が何でも揃う百貨店は時代遅れになってしまった。そんな変化にさしもの五島慶太から五島昇へと引き継がれた東急百貨店も勝てなかったといったところだろう。

 もちろん核となる鉄道を持っていることが東急の強みではあるんだけれど、東横線が地下鉄副都心線と直通になってしまって通過駅になりかかってしまった問題を、どうにかしなくちゃといった思いもあったんだろう。とはいえあれだけの開発を進めながらパンテオンに代表される映画館は渋谷には開かず新宿に持っていってしまうところにちょっと揺れる戦略もありそう。東急から派生した東映が持っていた渋谷東映も閉館だしなあ。とはいえあそこはル・シネマが間借りするみたいだから映画への傾倒はまだありそう。何しろ東映が史上発の100億円超え映画を送り出して沸きに沸いている訳で、その波に乗らないって手はないよなあ。

 ただ鉄道を敷いて沿線を開発し百貨店を作り映画館も作ってといった阪急が大阪でやった戦略を小林一三にならって五島慶太が東京で行い成功をおさめた東急の戦略が、ひとつ取り場を迎えた一方でアニメーションという子供のものにすぎなかった文化が過去にない売上げを叩き出すあたりにひとつの文化であり産業の変化も見えそう。その波が今後も続いてい広がっていくものなのか、シフトした果ての極北であってあとは落ちるだけなのか。そこは東映が次に作る映画にかかってくるんだろう。やっぱり「ONE PIECE」でいくのかな。それとも「SLAM DUNK」で何かもう1本?

 そこはプリキュアでと言わんばかりに新宿駅で20周年を迎えたプリキュアの大展開が開催中。ロフトプラスワンでまつもとあつしさん、数土直志さん、西田宗千佳さんとそして神山健治監督を迎えて開かれたイベントで、アニメの現在地とそしてこれからの話を聞いた後で新宿駅へと立ち寄りプリキュア20周年の超横長映像を見ながら、20年分のプリキュアが果たした役割は何だったのかをちょっと考えた。
 それは正義の心を育んだことなのか、アニメ好きの女子をいっぱい作ったことなのか、フル3DCGのダンス映像を進化させたことなのか、大勢の声優を送り出したことなのか、バンダイを儲けさせたことなのかどんなことなのかいろいろ考えつつプリキュアじゃない何かが生まれ育まれて東映のIPの柱が増えた可能性はあったのか、ここまで続いてしまうと、これから20年も続けなきゃいけないとしたらそれは何をもたらすのか、等々。セーラームーンから赤ずきんチャチャにこどものおもちゃやおジャ魔女ドレミ、ナージャといった女児向けアニメもいっぱいあった90年代から2000年代の豊穣が、今やプリキュア1本かぶりの状況は豊穣なのか貧困なのか。代わりが思い浮かばないだけに難しいなあ。


【1月30日】 すごいすごい、三笘薫選手がすごすぎる。DAZNでFAカップのブライトン対リヴァプールを見ていたけれど、1対1でこのまま引き分け再試合かと思ったアディショナルタイムにブライトンがフリーキックをもらい、それをゴールに向かって右側から大きく左側へと蹴って受けた選手が右へと戻したところにいたのが三笘選手。ダイレクトでは打てなかったので地面すれすれに右足でトラップをして上に上げ、それを右足でボレーかと思いきや1回いなして相手が動いた隙を狙ってすぐさま同じ右足のアウトサイドで蹴り込んだ。

 その冷静さもそのテクニックもどちらもワールド級。相手が強豪リヴァプールというのも凄い。このまま活躍すればさらに大きなクラブから引き合いがあるかもしれないなあ。南野拓実を出したリヴァプールが取るとかあるのかなあ。まあでも活躍していたからビッグクラブに移ったら埋没してしまうケースもあるだけに、今はどこまでやれるか見極める時かも。一方でかつてマンチェスター・ユナイテッドに所属した香川真司選手は日本へと戻るみたい。シントトロイデン自体が日本のDMM傘下めいて日本人選手が多いんだけれど、そこにも残れないというのはなあ。セレッソで大活躍して欲しいなあ。

 コンビニエンスストアでは勝手に売り物のポテトを喰らい店内をモップに乗って跳ね回るアルバイトが自撮りをしては大騒ぎになり、回転寿司では回っている寿司やら置いてあるしょうゆ差しやらにいたずらをする様を自撮りして大騒ぎになる件が続々と。店のものとか売り物に勝手に手をつければ大騒ぎになって非難を浴びて損害賠償だって請求されかねず、さらに逮捕される可能性があるにも関わらず、やってしまうほど人間が阿呆というよりはそうした阿呆さを味わう以前のネットからの讃辞なり承認に人は惹かれてしまうものらしい。

 昔も冷凍ケースに横たわったりいろいろやって大騒ぎになったのに、どうして繰り返されるのかってあたりがそうした過去を知らない世代が自分で自由に扱えるツールでもって世界とダイレクトにつながれることを覚え、そこで騒がれている何かをみて騒がれることにこそ価値があり、あるいは正義すらあるのかもしれないと勘違いしてしまうのかもしれない。これがテレビだったらいくら過激でも他人のものをどうこうするとかしないから、そうしたある意味で公序良俗の範囲内にあるメディアの衰退がそこに現れているとも言えそう。とはいえこうして問題になるといよいよネットも規制といった話が出てくる。それはそれで厄介なだけに阿呆どもにはちょっと落ち着けと言いたいねえ。

 気がついた時にはAmazonでは品切れ取り寄せになっていて、慌てて他のオンラインサイトを見たら軒並み売り切れになっていたOVA「フォトン」のブルーレイセットが7netには残っていたので注文したら、翌日には近所のコンビニに届いてそのロジスティック能力の高さに感嘆する。Amazonだって頼めば翌日とかに来るから凄いんだけれど、そうした流通とはまた違ったところに使えるオンラインサイトがあるというのは心強い。あとは家にいなくてもコンビニで預かってくれるところがありがたいかも。いろいろ使うかどうかは考え物だけれど、Amazonだけに絞らずほかのもちょっと注文してみようかなあ。

 先だってイエロー・マジック・オーケストラの高橋幸宏さんが亡くなったと思ったら、今度はイエロー・マジック・オーケストラの演奏やらツアーにもギターで参加したことがあるシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんが死去。スタイルが良くて背も高くて、超カッコ良いギタリストの代表格めいた人だったけれども膵臓ガンには勝てなかったみたい。何年か前に相方のシーナさんを亡くしてそれでもロックを続けていただけに残念無念。昨年の暮れにもギターを持ってステージに立てるくらいだったのに、やっぱりガンは怖いなあ。気をつけよう。いやまあ自分の場合は惜しまれることなんてないから良いんだけれど。


【1月29日】 部屋にいたら寒さで布団から出られなくなるので早々に家を出て、さても秩父宮ラグビー場でリーグワンの試合でも見るかどうか考えあぐねてとりあえず、日本橋まで行って以下にある大阪王将でチャーハンと餃子のセットを食べてそれからネットでスケジュールを見ると、午後の2時半からということで相当に時間があまってしまうと判明。てっきり午後1時からだと思っていたのでこれは時間を潰すのも面倒と、日本橋をブラつくことにして富山の名品があつまる店によったら鱒の寿司が残っていたので買ったらお金が尽きた。

 いやクレジットカードで払ったから尽きはしないんだけれど重たい鱒の寿司を持ってラグビー場へ行くのも何なんで、やめてTOHOシネマズ日本橋で映画でも見ることに切り替える。最後となる「ONE PIECE FILM RED」がちょうど始まる時間だったものの、最後ということで満席売り切れになっていたので断念。5分遅れで始まる岩本ナオさんの漫画が原作になった長編アニメーション映画「金の国 水の国」にしたらこれが原作の良さを存分に生かしてほっこりとできる映画に仕上がっていた。

 仲の悪い2つの国があって片方は交易で栄えているけれど水資源に乏しく砂漠が広がっている。もうひとつは交易から外されて貧乏だけれど水資源は抱負で自然は豊かだからそんなに食べ物に困っているという感じはない。そんな国が昔ちょっとだけ交流していた時期にかわした約束があって、金の国からは1番の美女を水の国に読めに出し、水の国からは1番賢い男を婿に出すというものだったけれどそんな約束なんて守ってられるかと美女の代わりに猫が送られ、賢い男の代わりに犬が送られてしまった。

 もうこれは戦争になったかというと、それぞれを受け取った男女がどうにもふわふわとしていて、怒るより黙ってやり過ごそうとしたものの犬を送られた姫の姉たちが賢い男を見たいと言い出した。さあ困ったという所で巡り会ったのが偶然にも猫を送られた男。そうとは知らず連れてきて婿の代わりにしたことから始まった交流が、やがて両国を大きく変えていく。そんな原作のストーリーを丁寧に描いているから見ていて気持ちもほっこり。残酷っぽい展開はあってもあんまり血なまぐさくないのも見ていて心安らぐ。姫を護ろうとするベールをかぶったラライヤさんというキャラクターがどうにもユニーク。そんなキャラたちの良さもあって最後まで気持ち良く見て通せた。

 超絶的な作画によって描かれるのがアニメーション映画化というと、そういう雰囲気もないでもないえど昔は漫画映画的に楽しくて笑えて面白い映画が割といっぱいあったような記憶。無理に騒がずともこうしてしっかりと作られた映画が存在することで、日本のアニメーションも時流に乗って人気漫画ばかりがアニメ化されるような風潮を、ちょっとは曲げてくれればいろいろなアニメーションが公開されて楽しめるんだけれどなあ。でも当たらないのは寂しいので、「かがみの孤城」の後を追うようにしっかりとした興行収入を上げて次ぎの似たような企画を通す一助となってくれれば。そのためにもう1回くらい観に行こう。

 帰宅して鱒の寿司を開いたら鱒がなくてご飯だけだった。そしてご飯を引き上げるとしたに鱒がはりついていた。逆じゃん、ってことはなくって元祖せきの屋の鱒の寿司はほかとちがってご飯の上に鱒を載せて笹で包むのではなく、ご飯の下に鱒を敷いてご飯を載せて笹で包む方式をずっと採用しているらしい。それによって鱒の美味しさがご飯に逃げるのを防ぐのだとか。鱒自体もレアで分厚い感じではなく水分がやや抜けて魚としてのうま味が凝縮したような感じ。それをご飯と食べることによって生まれる味わいはやっぱり芳醇。これは好きかも。富山のアンテナショップには日替わりでいろいろな鱒の寿司が入るみたいなんで次は別のも食べてみよう。

 蘇野一行さんの「Mother D.O.G」(電撃文庫)はとある少女から派生した細胞によって人間が怪物化して跋扈している世界で、大元の少女が従者を連れて狩り回っているというストーリー。とある街ではバディを殺された女刑事と会って退治の話をするけど実はといった展開から、自分が生み出してしまった恐怖を狩り続けなくてはならない少女の苦しみが浮かび上がってくる。その少女に間接的に家族を殺され自身も命を奪われたにもかかわらず、少年はどうして少女とともに有り続けるのか。共生関係とはまた違った理由が気になる。そんなライトノベルだ。


【1月28日】 書くものもひととおり書いたので、明治サブさんの「腕を失くした璃々栖 〜明治悪魔祓師異譚〜」(角川スニーカー文庫)を読む。時は明治の中盤以降か、まだ伊藤博文が元老的に存命な日本は神戸に悪魔が現れるってんで、退治に臨んだ少年将校が死んで蘇って美少女悪魔の眷属になるといった展開。その少年将校の父親がまた少年のような容姿だったりするダブルショタ状況でなおかつ悪魔がやや姉といった関係性は見ていてなかなかに羨ましい。

 美少女悪魔は腕がなくってその腕を探すことによって強くなり、迫ってくる別の悪魔を撃退できるんだけれど相手は強くて追い詰められる。そして明らかになった少年将校の正体。皆無という名前と関わりのあるその正体から始まる新たな物語がちょっと楽しみ。「レンタル・マギカ」のような本格的魔術ライトノベルも出していたスニーカーが久々でもないけど繰り出してきた魔術もの。ベルゼブブがなかなかに暗躍しそうでそちらも楽しみ。

 家にいると寒さに布団から出られなくなるので適当に出てとりあえず日本橋へと向かい書店を散策。そこから八重洲の地下街へと降りて北側にもできていた東京ラーメン横丁に入っている高田食堂ってところでシャーシューがのったしょうゆラーメンを食べる。ひとくちスープをすすってその味わいに惚れ惚れ。食べているうちにショウガが溶けこんでいることに気づいてすするのを止められなくなる。チャーシューも厚手で食べ応えがあってなかなか。1000越えだけど今時はそんなもんだからなあ。次ぎに通りかかってまだ入れるようなら今度は塩を試してみよう。

 銀座方面へと向かう途中で八重洲ブックセンターによりジョン・アーヴィングとJ・D・サリンジャーのハードカバーを2冊ずつ買う。なにやら再開発でしばらく店舗が閉まるみたいで、果たして再開されるかどうかも分からない中でお別れ状況にあるってことで、就職活動で東京に出て来た時には必ず立ち寄っていたその書店に経緯を払ってしばらく通って何冊か買い増そうと決める。ここまで本が充実した本屋は当時の名古屋にはなかったっけ。今だと丸善が丸の内にもあるしジュンク堂が池袋にある。神保町もあるけれど、東京駅に近い本屋は当時ここだけだったんだ。卒論のきっかけになった渡部建夫さんの「インド最後の王」を買ったのもここだったよなあ。再会できる時を祈ろう。

 そのまま歩いて丸の内TOEIで「ONE PIECE FILM RED」の舞台挨拶付き上映を見る。ほとんど半年も上映していたこの映画の最初の舞台挨拶も新宿バルト9で見たっけか。それから何度か見てやっぱり面白いと思った映画を誰もが面白いと思ってここまで引っ張られる映画となった。当然と言えば当然の結果だけれどそれをしっかりものにした谷口悟朗監督も凄かった。場内は満席で明日の最終上映もほぼほぼ売り切れというから最終的には何億円くらいにいくんだろう。東宝のぶっちぎりが目立ってた映画興行で東映が一矢報いた感じ。いや「THE FIRST SLAM DUNK」と合わせて二矢か。「レジェンド・アンド・バタフライ」も突き抜ければ東映もいよいよ本格的に復活か?

 ずらり並んだ麦わら海賊団+UTAではサンジ役の平田広明さんが来てなくってゾロ役の中井和哉さんが寂しそう。武道館でのワールドプレミアムで登場時に2人でいがみあってる光景を魅せようぜって言われた話を出して先輩さすがっすと讃えてた。役をシャッフルしてセリフを言わせるコーナーで、ナミ役の岡村明美さんにチョーさん演じるブルックのあのセリフを言わせるのは、有りだけれど無しだけれど有りだろうかと迷うなあ。本人がOKなら良いかとも言えないよなあ。そこのあたりがやぱり映画業界、ちょっと古いかも。ルフィ役の田中真弓さんが例の件について何か言うかと思ったけど言わず。そういうのを持ち込む野暮は避けたってことかな。

 野暮といえば岸田文雄総理大臣が出産やら子育てやらで休む事がキャリア形成に支障があるらしいならその間に勉強しなおしたら良いんじゃないのと言って大ひんしゅく。産休やら育休があるのは出産でも子育てでも大変だからであってそんな大変なときに勉強なんてできるはずがない。なおかつそうして休んだ人が社会に戻るにあたってハンディがあるとしたらそれこそがこの少子化を作りだしてる元凶であって企業にはキャリアに差をつけないことを言明するなり、それこそ学び直し休暇を別に与えることを推奨すべき。そういう当たり前のアイデアを出せないところに岸田ブレーンのポン酢ぶりがあるんだろうなあ。安倍総理が同じ事を言ったら讃える人が大勢いた可能性は高いけれど。


【1月27日】 トヨタ自動車が社長交代を発表したからまたどこかのホテルで新社長と現社長とが並んでひな壇で会見したのかと思ったら、遠くどこかのスタジオからお抱えアナウンサーの司会によって2人が登場する生配信が行われて、それを記者は見聞きしてオンラインで質問もしてそれで記事になったとか。ある意味で佐藤栄作総理が退任の時にテレビカメラに1人向かって喋った時くらいにインパクトのあるメディアと対象者の関係の革命的な変化とも言える状況なんだけれど、そうしたことへの激高がメディアの側に起こってないし、世間も不思議と思わないのはそれだけメディアの存在感は希薄になっているか、あるいはもはや不要とされている表れなのかもしれない。

 もちろん、ニュースとして報じられて読者なり視聴者がその情報を知る過程においてメディア企業が持つ情報の伝播力にまだまだ依存している感じではあって、過去から積み上げてきた媒体力であったり、情報を分かりやすい形にまとめるノウハウであったりする部分において既存のメディア企業が持つ優位性はまだしばらく存在していると言えるけれど、そうした力を権力めいたものなり独善といった意識に変えてしまったことで、取材対象からは一方的に何か書かれるんじゃないかといった不信感を抱かれ、そして情報を受ける側の人たちからはそこに何らかの恣意性があるんじゃないかと思われてしまった。

 そこに生まれた情報の出してと受け手をダイレクトに結ぶネットワークが、メディア企業の存在を希薄化させてしまったというのが昨今の情勢。ここをさらに推し進め、発信側がさらにコンパクトに要点をとりまとめるノウハウを積み上げようとして来た成果が「トヨタイズム」といったオウンドメディアであって、そこがさらにノウハウを持ち媒体力も持てばもはやメディア企業は介在すら許されなくなってしまうかもしれない。記者会見はメディア企業だけのものではなくなり、一般に伝える場として存在する。質問だって珍奇なメディア企業のものよりよほど鋭い質問が出てくる可能性だってあるからなあ。

 そして「トヨタイズム」が少しだけ拡張をして自動車産業全体を伝えるようになったら、あるいは地域の情報も拾い上げるようになったら、そこを通して広告も行うようになたらもはやメディア企業は不要となるのは必定。莫大な広告費とか宣伝費を投じてきた企業のそうした態度がさらにメディア企業を痩せさせていった先に来るさらなる大激変を見据えた時、そうしたメディア企業にぶら下がっているライターとしてどう身を処すべきかをちょっと考えてしまうなあ。「トヨタイズム」に雇われるしかないかなあ。

 三鷹で倉庫整理をしたあと、熊本ラーメンを食べてそして池袋へと回って山村浩二監督が制作したりプロデュースを手掛けた短編アニメーション3本と長編アニメーションを上映する「『幾多の北』と三つの短編」を観に行ったら満員だった。トークで山村監督が「ある意味どこに需要があるか分からない作品」と言っていた割にこの密度は、アニメーションといえば日本の商業アニメといった感覚が少し変わってきていることを表しているのかもしれない。「一般公開は嬉しく思う」とも話していたけどまさか満員とは山村監督も思っていなかったようだし。

 「少しだけ幾多の北について」と話した山村監督。「『文学界』という文藝春秋社から出ていた雑誌の表紙として2年半くらいイメージを描いていました。まだ見ぬ映画を妄想しながら絵を描いていました。絵に対するテキストも書いていました。物語がないような映画に見えるかもしれないですが、構造については表紙を描いていたことから考えていました」と教えてくれた。「この映画は色々な映画祭で昨年上映されて色々な評を戴きました。サルバドール・ダリだとかヒエロニムス・ボス、ブリューゲルの引用といった評も受けました。それらは確かに僕の中で影響はありますが、実はブリューゲルと同時代の画家で、ほとんど伝記も残っていないフランソワ・デプレの影響があります」とのこと。

 「人と物とが入り交じったような不思議なキャラクターを描いて、ボスにも影響を与えていたかもしれない画家です。ダリはでプレの絵を持っていてシュールレアリスムのイメージを導き出しています。『幾多の北』はそのデプレが不思議な国で見た光景を報告しているという物語の形式を最初妄想していますた」。そこでさらに付け加えたのが「ガリバー旅行記」で、架空の国について語ったスイフトの著作のガリバー部分をデプレに変えて、「作り物の世界をあたかも本当にあったかのように語るのがこの物語のベースにあります」と話してくれた。

 そうやって筋が1本通ると格段に見やすくなるの印象。素のままだと奇妙なイメージが連続していく感じだけは分かるけれど、そこに繋がりをなかなか得られないから。かろうじて語られる言葉が場面は表しても、ストーリーにはならないところをデプレという軸がとりまとめてくれると分かれば次は寝ないで見通せるかもしれいなあ。あとは「蝸牛のイメージ」も拠り所になりそう。「全編に出てくる耳の形をした虫のようなキャラクター」のことで、そこには「迷宮のイメージがある」とのこと。いろいろと迷っているようで、実は出口まで1本道の迷宮に引き込まれ連れて行かれる映画と分かった以上はまた見て理解を深める必要があるかもしれないなあ。


【1月26日】 寒さの中を無理やり起き出して図書館へと行きタカタカと1本原稿を作る。3時間の使用時間でどうにか形は整えたので、あとは最終的なチェックを移動先のVELOCHEで行ってフィニッシュ。今週は月曜日から次号報告書の直しを行いそれを出してからマンガ大賞のノミネート作の原稿を書きふじみ野市まで取材に行ってそれから東所沢でPASH!文庫っていう新しいレーベルについての感想を書いて送ってやれやれと思っていたところに、目黒考二さんこと北上次郎さんの訃報が入って来てその関連原稿もどうにかこうにか書いて出したりと忙しかったので、これで休めるかというとそうでもないのがライター稼業。次から次へと締切は襲ってくるのだった。

 とはいえそれではインプットが足りないので電車に飛び乗りその中であれやこれやと読書。小宮久時さんの「不可逆怪異をあなたと 床辻奇譚」(電撃文庫)は不気味な言い伝えが蔓延していて禁忌に触れると命が危ないという住んでいる方が間違いだって感じの街が登場。そこで起こった人間の消滅事件に巻き込まれ、体だけ奪われた妹のために体を取り戻そうと戦っている少年がいて、その少年が謎めく少女と知り合いいっしょに戦ったりしていく中で様々な怪異に出会うといったストーリーになっている。

 赤いバスに乗っちゃいけないとかいった怪異なら分かりやすいけれど、知らなかったり気づかなかったりする怪異もあるようでそうしたものを覚えておかなくちゃいけない暮らしってどういうものなんだろうか、って考えるけど普通の生活でも畳のへりは踏まないとか、ミミズにおしっこはかけないといったタブーもあるからそうしたものが日々の生活の中で積み重なっていけばだんだんと覚えるものなのかもしれない。不幸になったりとかいった曖昧な話じゃなく、命だって奪われかねないと分かっていれば身につく深さもきっと鋭いものがあるだろう。でもそんな街には暮らしたくないよなあ。物語は知り合った少女の意外な正体も判明。妹かその少女かを選ぶ段になって迷う少年の苦悩を味わおう。どっちも選べないよなあ。

 千葉まで行ったので万葉軒でデラックスな方のトンカツ弁当を購入。どうやら前より高くなっているようで諸物価高騰がここまで及んでいるのかと慄然とする。これで給料も上がるのかというと逆に経営が逼迫してそっちは削られているような感じもあってこれでは遠からず誰の人生も破綻するんじゃなかろうか。71歳のお婆さんをつかまえて年金の5万円だけでくらしているのが素晴らしだなんて持ち上げ記事を書いているメディアもいるけれど、今の50歳は健康保険も年金も払わなくて良くなる年まであと20年は生きなきゃならないのに生きられないのが問題。若い人だともっと長いのにまるで参考にならない遠い未来を言われたところで共感なんでできやしない。

 70歳になっていよいよ毎月5万円で暮らせるようになったとしてもその時代、70歳以上が人口のそれこそ半分以上になっていたりするかもしれない。そういう人たちがお金を使わずに生活したら消費は落ち込み企業は倒れて雇用は維持できず税収は減って年金だとか福祉にお金が回らなくなって老人たちもバタバタと倒れていく。そして国民は全滅してあとには荒野だけが残るって寸法。そんな自殺行為を進めているのだとしたらそれこそナントカ勢力の陰謀に他ならない。質素倹約も行き過ぎればただのデフレ圧力。そうではない生き方を称揚し、お金が回るようにしないといけないのに蛇口の元が閉まっているから始まらないんだよなあ。企業は貯め込んだお金を吐き出すのだ。そして国民は貯金を……それはいやだ、だって未来があるか分からないんだから。って企業も考え溜め込んでいくスパイラル。やっぱりダメかも知れないね。


【1月25日】 朝からふじみ野市へと取材に行って、それから東所沢へと回ってさくらタウンでしばらく過ごす。向かう途中にあった餃子屋さんに入ったらあんまり東所沢っぽくない風体の人たちがいてお昼ご飯を食べていたのはあるいはご近所になったKADOKAWAから食べに来ている人たちなんだろうか。いつもいつも角川食堂だとやっぱり飽きるだろうから。ラーメンの店はまだあるのかな。やっぱり欲しいよねファストフードと中華料理屋。

 さくらタウンは高台にあって風が吹きさらしになるためやはり寒かったのか前に佐清がサカサマに突き立てられていた池に氷が張っていた。上に乗ったら歩けそうな気がしたけれどそれは無理だろうからやらなかった。やったら佐清になってしまっただろうし。とにかく寒かったけれどオフィスが入っている建物の階段横に絵が見えたので近づいたら「艦隊これくしょん〜艦これ〜」の艦娘たちだった。まだ続いているんだ「艦これ」。しばらくアクセスしてないなあ。

 そのまま上から富士山を眺める。KADOKAWAには富士がよく似合う、っていうか本社があるのは富士見台で昔はそこから富士山が見えただろうから、ある意味で会社にとっても一種のシンボルなんだろう。そんな眺めも5分まで。寒さが厳しくなって来たのでタリーズに入ってカチャカチャと原稿を打っていたら目黒考二さんこと北上次郎さんの訃報が飛び込んできて驚いた。前に野田知佑さんの訃報があって椎名誠さん回りも皆さん結構な年齢になっているとは知っていたけど、そんな中でもまだ若い方の目黒さんが体を悪くしているとは知らなかった。

 アガサ・クリスティ賞の贈賞式が開かれていた頃は、選考委員として出席していて壇上で挨拶する姿を見かけていたけれど、それもなくなってもう4年くらい。それ以外の場でお目にかかることもなかっただけに結局お話しする機会もないままで終わってしまった。個人的にはやっぱり書評界の偉い人。目黒考二として「本の雑誌」を椎名誠さんと立ち上げ書評というフィールドを新聞だとか週刊誌から“解放”した功績がまずあって、そして北上次郎さんとして面白い本の面白いところを面白いと言う書評の面白さを確立してくれた。

 評論だとかいったカタッ苦しいものじゃない、好きな本を好きだと言う姿勢はたとえば漫画だとかライトノベルといった新聞も週刊誌も取り上げないジャンルの書評を可能にしてくれて、だからこそ今の僕のような立場の者が存在していられるんだと思うと大恩人だと言える。とはえいそうしたライトノベルとか読んでくれていた感じもあまりないから縁遠かった。僕の書くものを読んでくれていたとも思えないからなあ。そういえば1度、本の雑誌社の人に頼まれて,ライト文芸の面白いところを幾つか紹介するメモを送ったっけ。そうした中に上げた美奈川護さんの新刊に来た北上次郎さんの帯がついていたから少しは届いたのかもしれない。自分なんかが何を言える身でもないけれど、遠くから大恩人としてご冥福をお祈りしたい。

 ところざわさくらタウンでは4階に初めて上がって例のYOASOBIが歌った図書館を見物する。なるほどたしかに広大で悠然。あんな上にある本をどうやって手に取って読むんだとか、どこに何があるか分からないとかそんな印象も浮かぶけれど、目的を決めずにぶらぶらとして気になった本を手に取って読むことで、いろいろな出会いができる場所と思えば楽しめる。前に丸の内の丸善にあった松岡正剛さんセレクトの書店もコンセプトが同じだっただけに楽しかったなあ。ネットだと決め打ちしかできないだけにこういう本屋、必要だよね。

 そんな図書館の手前で「らき☆すた」を中心とした埼玉のアニメが紹介されてて、例の「らき☆すた神輿」とか痛車とか痛カートとか巨大なかがみとつかさとかが置いてあった。10年以上が経っても親しまれて埼玉と結びつけられて存在し続けていられる幸せなコンテンツになったなあ。同じ事が「けものフレンズ」でも実現していたらとか思ったら負けなのでいつかの“復活”を願いたい。下のライトノベル図書館ものぞいたら吉岡平さんとかファンタジアやらファミ通文庫のが並んでた。あとは「ブラックロッド」とか。でも朝日ソノラマ系とか朝日ノベルズ系がなかったのが残念。小川一水さんの初期も吉岡平さんの晩期もそこが欠けると痛いんだよなあ。どこかまとめて寄贈しないかな。


 【1月24日】 ワシントン・ウィザーズに所属している全米プロバスケットボールリーグの八村累選手が名門も名門のロサンゼスル・レイカーズに移籍。あのアーヴィン”マジック”ジョンソンが所属しその前はカリーム・アブドゥル・ジャバーも所属しその後にシャキール・オニールも所属してコービー・ブライアントも所属していたチームは黄色いユニフォームが特徴的で、シカゴ・ブルズがマイケル・ジョーダンの活躍による2度の3連覇を成し遂げていた時でも、老舗の名門といった雰囲気を醸し出して人気の渦の中心にあった。

 しばらく勝てない時期もあったけれど、レブロン・ジェームズ選手も獲得したりして人気だけはやっぱり未だニューヨーク・ニックスあたりと2分するくらいの名門に、移籍したところで出番はしばらくない可能性もあったりするけれどもそこはまだ若いということと、高い身長なんかもあるからいずれスタメンに割って入ってくれると信じたい。今年は沖縄でバスケットボールのワールドカップもあって日本代表として活躍してくれそうな気もするので、そちらで調子を上げて来シーズンからスターターだ。いやその前に残るシーズンをちゃんと活躍して欲しいけれど。

 毎日映画コンクールが発表になっていてアニメーション映画賞を「高野交差点」というインディペンデントの短編アニメーションが受賞していた。伝統の大藤信郎賞は湯浅政明監督の「犬王」が受賞。あのテクニカルで挑戦的な内容は大藤信郎賞に相応しいと言えるけれど、前の「夜明け告げるルーのうた」もアニメーション映画賞ではなく大藤信郎賞だったあたりに湯浅監督の日本におけるアニメーション作家としての立ち位置も見えたりする感じ。一方で短編アニメーションがアニメーション映画賞を受賞するのは「こんぷれっくす×コンプレックス」に続く感じ。短くても映画であってアニメーションなら受賞できる。そんな道を拓いた後に続く作品があって良かった。アニメーション映画賞まで商業作品が締めると短編のアニメーション作家が栄誉を得る機会が減ってしまうから。

 日本アカデミー賞も優秀賞が発表になっていて作品賞に「ハケンアニメ」と「シン・ウルトラマン」が入ってこれはこれで面白い。アニメーション賞は「ONE PIECE FILM RED」があり「すずめの戸締まり」があり「THE FIRST SLAM DUNK」があってと興行収入のトップが並ぶ一方で、じわじわと観客を広げている「かがみの孤城」がありそしてここにも「犬王」があってどれがとっても不思議はない。割と興行収入にこだわらず優れた内容の作品を選ぶこともあるからここは「かがみの孤城」がとりそうな気がするなあ。でも「すずめの戸締まり」もベルリン行きが決まったこともあるし、栄冠を重ねて不思議はないか。発表が楽しみ。

 夜になったので六本木ヒルズのTOHOシネマズ六本木ヒルズで「ルパン三世VSキャッツ・アイ」のワールドプレミア上映を鑑賞。瀬下寛之監督と静野孔文監督にインタビューをした際に1度見ているのでどんなストーリーかは知っていたけれど、それでも見るととことんまでルパン三世のクールで鯔背な感じとそして、キャッツアイの三姉妹による跳んだり跳ねたりといった活躍ぶりがしっかりを描かれていて面白かった。泥棒の大先輩としてのルパン一家に比べて私情が交じる来生三姉妹はどこか危なっかしいけれど、それでも泥棒をする理由を知ってるルパン三世にとってあるいは娘替わりなのかもしれない。しっかり守ってしっかり導く。そんな良い関係を見られる作品であります。27日かPrimeVideoで配信スタート。また見よう。


【1月23日】 明日が第2稿の提出締切という報告書の初稿が戻ってこない中、待っている時間も何だからと依頼があった「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか18」がAmazonの一般書籍ランキングでトップになったらしい話を受けた原稿をかたかたと書く。だいたい1時間くらい。新聞記者上がりは発生ものには強いのだ。掲載がすでにされているのでこっちには書かないけれども「風が吹きます。もはや絶体絶命ともいえる状況の中を、一陣の疾風が走ってとてつもない驚きと感動をもたらします。もはやクライマックス中のクライマックスとも言えそうな場面まで来て、ふとページ数を見るとようやく半分といったところです」といった具合に、大盛り上がりがあってもそれはまだまだ途中に過ぎないことを強調しておく。

 とにかくクライマックスがあってスーパークライマックスが来てウルトラクライマックスに心ゆさぶられたあとにギャラクティカクライマックスが32連打で襲ってくるくらい、とてつもない濃さを持った一冊ということで、同じような感想を持った人がネットにもあふれかえっていた。フレイヤという美の女神から言い寄られてもアイズ・ヴァレンシュタインに一途なベルは靡かないといった結末は分かっている話だから良いとして、こうなるとますますヘスティアのことが気になってしまう。
R  主神なのに存在が希薄。積極的になろうにも神様なので眷属のことを考えるとそうもいかない状況から脱出するなんてことはなさそうなだけに、アイズとの仲を見守るしかできないんだろうなあ。でもアイズ自身がなにやらやっぱり秘密がありそう。そうした部分とベル自身の謎が重なり進んで行った果てに、あるいはヘスティアが伴侶として屹立するなてこともあるのかな、ないよなあ、やっぱり。ちょっと可哀想。いずれにしてもクライマックスが連打されても話はまだまだ続くことは確か。対抗馬がいなくなってオラリオのトップに成り上がったロキ・ファミリアの狙いも気になるし、無職になったフレイヤ・ファミリアの冒険者たちの就職口も気に掛かる。全員がミアの下で働く訳にもいかないし。さてもどうなる。次はなるべく早くお願い。

 オンラインでの会議も終わったので近所のハンバーグ屋でお昼ご飯。生焼けなのを黒い鉄の塊で焼いて食べるタイプはお肉の味がしっかりと味わえて嬉しいものの、カリカリに焼かれた肉が好きな人だとちょっと生焼け度合いが気になるかもしれない。そこはよく焼いてとお願いすれば良いのかな。次にまた行ったら考えよう。VELOCHEにこもっていろいろと作業をするものの、やっぱり報告書の初稿は戻ってこないので何もやることがないので本を読んだりネットを漁ったり違う原稿を書いたりして時間を潰す。適当な時間が過ぎたので河岸を変える前に本屋によって書籍版「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか18」の特装版をゲット。付録にヘスティア・ファミリアの面々の所持金が書いてあって貧乏だった。ウォー・ゲームで勝って少しは潤ったんだろうか。

 ドトールへと河岸を変えてどにかこうにか戻って来た原稿に手を入れてほぼ完了。使い慣れていないワードの機能をどうやったら使いこなせるかをネット上の書き込みなんかも頼りに探っていくと大変だけれど勉強になる。これで随分とワードに関しては使えるようになったかも。でも丁合をとったり体裁を整えたりするのは無理かなあ、ヘッダーとかフッターって何なんだ。そうこうするうちに時間が来たので退散し、松屋で牛焼き定食を食べて帰る。これだけ寒いと部屋で弁当を食べるのがなかなかに厳しいのだった。東武百貨店でやっている大阪フェアで蓬莱551の肉まんとか買れば暖かそうだけれど、そっちは午前中で売り切れてしまうのだった。千葉でも人気の蓬莱。山アとかコンビニのじゃいかんのか。


【1月22日】 原恵一監督が喋るというので、新宿ピカデリーまで行って「かがみの孤城」を見てその後に行われた原恵一監督と音楽の富貴晴海さんによるトークを聞く。「今日も相変わらずチェックのシャツで決めてきました」という原監督は「さっき中村屋のコールマンカリーを食いました。いつ食っても美味いですよね。小津安二郎監督も好きだった新宿中村屋のカリーです」と満足げ。ご飯を食べずに映画を見ていた僕たちのお腹をぐうぐうと鳴らす。そんな原監督と富貴さんとのコンビはこれが4度目。「初めて仕事をしたのは、僕が初めて実写の監督を務めた『はじまりのみち』という映画です。その時に作曲家を誰にするかということで、プロデューサーのひとりが富貴さんを推薦してくれたんです」と振り返った。  

「富貴さんが音楽を付けた原田眞人監督の『わが母の記』という映画のプロデューサーで、試写を見て凄く重厚な、バッハみたいな音楽を作る人なんだなと思いました。それで初めて会うと、若い女の子がいるからアシスタントか誰かだと思ったら作曲だと聞いて、貴女がそうなんだと驚きました。普通の女の子だったんですが、作る曲は凄くて、『はじまりのみち』の伴奏も僕は大好きなんです。木下恵介監督の映像で好きなところを編集したもので1曲作って欲しいと言って作ってもらった曲が好きですね。寝る前にずっと聞くくらいになりました。この先に俺が一生作る作品の音楽は富貴晴海で決まり、それが決定事項となりました」。ここまで入れ込むのはなかなかないかもしれない。

 そんな言葉に富貴さん。「『はじまりの道』のメインテーマを作るのは凄く苦労したんです。何を出しても監督はううんと言うばかり。仲は良いんですが音楽や作品に対しては厳しいんです。OKが出たのは結局大晦日の夜で、自分は正月を越せないのかもしれないと思いながら作っていました。今回もメインテーマは10曲以上書きましたが、全然OKが出ないんです。どうしたら良いんだろうと思って聞かせても、『人の子供たちの魂をあなたはまだ救えていない』と言うんです。救っているはずなんですけどね、そう思って作り直してもダメで、結局12曲くらい作って、それこそ監督に渡しの魂を救って欲しいと歌いながら作っていました」。作曲家も大変だ。

 結果、できた楽曲について「良いものができました」と原監督。「ズドンという音から入るじゃないですか。あれでハッとするんですよね。あのインパクトがやっぱり素敵です。それまではゆったりした曲が多かったんですよ。あそこで女性ボーカルが入って、あのテンポの曲が入ったことですごく気持ちが良い、カタルシスを得られるシーンになったと思います」。受けて富貴さんは「魂を救うというので悲しい曲や優しい曲を書いていたんです。迷走していましたね。どうやって魂を救うのかと考え、力強くガンと救うんだという気持ちを前面に出したものにしました」と解説。原監督はかさねて「あそこで女性ボーカルを入れるのは富貴さんのアイデアです。絶対正解でしたね」と話してた。

 「かがみの孤城」ではとても長い楽曲があって、「こころが他の皆の真実を知る長い曲で、こころが他の人たちの回想に触れていく長い長いシーンを1曲で作ってくれとお願いしたんです。なんどかやりとりして、最終的にオッケーを出しました。時間は7分29秒117コマ。これより長いのって『2001年宇宙の旅』でボーマン船長がスターゲートに入っていくところくらいしか知りません」とのこと。実はあんまり覚えてないので、次ぎに見に行った時にどういう作り込みがされた音楽か確かめて見よう。映画は2回目をみてもやっぱりオオカミさまの元気ぶりが楽しい。その正体が正体だけに活発な体でやりたい放題をやったのかも。こころの足を持ってびったんびったんしてくれたら良かったなあ。それだとギャグになっちゃうけれど。

 王将戦の第2局が行われて挑戦者の羽生善治九段がタイトル保持者の藤井聡太五冠を破って対戦成績を1勝1敗にしたとか。先手番を持つとやっぱりそこはやっぱり羽生九段だけあって希代の天才が相手も勝てる将棋を指せるんだろう。そういう意味で先手か後手かが重要になって来た今、囲碁のように6目半だかのコミのようなものを儲ける必要もあるのかもしれない。とはいえそれがどのような方法だったらイーブンになるか分からないんだよなあ。先手が歩を1枚渡しておくのも違うし、1手飛ばしたら先手後手が逆転してしまうし。おやつ抜きにするとか持ち時間をさっ引くとかするしかないのかなあ。


【1月21日】 日付が変わって配信が始まった大森藤ノさんのシリーズ最新刊「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか18」が面白くて面白くて明け方までかけて一気に読み終える。もはやここがクライマックス中のクライマックスだろうと思ったところでページを見たらまだ半分。そのあとにいったいどんなクライマックスが来るのかと思ったらもうとてつもなくスーパーでウルトラでスペシャルでギャラクティックなクライマックスが連射されて打ちのめされた。

 こんなにも凄い話を書いていったいこのあとどうなるの。ってところだけれど、主人公のベル・クラネルの出自は未だによく分からないし彼が憧れるアイズ・ヴァレンシュタインもやっぱり謎が多くあってそれらと世界そのものの謎とが絡み合った物語だけで相当な興味を喚起させられそう。だからもう読んで行くしかないんだろう。でもこれだけのカロリーを消費した後で作者の方がどこまで書き続けられるかがちょっと心配。「アストレア・レコード」だとか「ソード・オラトリア」といった関連シリーズもバンバンと出しているから本編はまた1年後とかになってしまうんだろうなあ。それでも読むけど。読み続けるけれど。

 ずっとやってる事業の報告書で差分となる部分をタカタカと書いたり、会議録を起こして整えたりするのを続けたりして過ごした1日。フレッシュネスバーガーからVELOCHEを回って過ごしていたらだいたい1日が過ぎてしまった。部屋にいたら同じ時間でも半分以上は寝てしまっただろうからこれはこれで正解。あるいは近所に仕事場を持つって手もありそうだけれど、だんだんとオーディオを持ち込み本を持ち込みベッドを持ち込んでしまうだろうから部屋に居るのと変わりが無い。その意味でノマド環境はフリーに強制的に仕事をさせる上で必要な環境って言えるかも。新聞記者あがりで記者クラブなんかで原稿を打つのになれているので、大勢が回りで喋っていても書けるのだ。

 朝日ジャーナルはとっくの昔に休刊になっているけれど、その後もアサヒグラフやらアサヒカメラやらを休刊してきた朝日新聞が100年にも及ぶ歴史を持った週刊誌の「週刊朝日」を休刊すると発表。リクルート事件とかが華やかだった時期は朝日ジャーナルと競って政治家の不正を暴き自民党の55年体制を終わらせる原動力になったけれど、その後の週刊誌ジャーナリズムが政治家の開き直り上等とも言える空気の中で力を失い、どちらかといえばスキャンダリズムに重きを置いた週刊文春の後塵を拝し続けてた感じがある。加えてネットで情報が行き交う時代に日々の更新すらままならない週刊誌では情報が遅すぎるといった気分もあったんだろう。

 それでも何かの特集に加えて書評とかさまざまなコラムなんかは読んで面白いものもあった。山藤章二さんによる「ブラックアングル」は似顔絵を使ったジャーナリズムとしてとてつもない影響力を持っていたけれど、それすらも読まれないようになってしまった現状で週刊誌を出し続ける意義もだんだんと薄れてしまったのだろう。とかいいつつも「AERA」が残るのはカラーで見やすくグラフィカルで分かりやすくコラムも若向けな感じがまだあって、読者が見込めるからなんだろう。それまでもが休刊となった時にいよいよ次は新聞そのものの存在価値が問われることになりそう。そうなる頃にはとある自称全国紙なんて存在すらしてないのかもしれないけれど。

 名古屋のホームレスが若い人にイジられている話題がJ−CASTに取り上げられたり朝日新聞で記事になったりしてちょっと広がる気配。こうなってくると突撃系の配信者が当事者と言われている人の家に押しかけ騒いだりする事態も起こりそうだし、自分は親切にしますといって近づいてそれでアクセスを稼ぐ配信者なんかも出て来そう。親切ならそれはそれでいいのかもしれないけれど、一過性の支援ではやっぱり波が収まればまた困窮と貧困に喘ぐ日々がやってくる。そういう人があるいは自分の意思でそうした生活を選んでいるのかもしれないけれど、個人への憐憫に留まらず社会のひずみの問題として認識し、どうにかする気持ちを育まないと同じ事が繰り返されだけだろう。家で女子を支援する運動が粗を掘られて潰されるなんて事態が起こりかねないように。厄介な時代。


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