縮刷版2022年9月中旬号


【9月20日】 「科学忍者隊ガッチャマン」の放送開始50周年イベントで出た話で思い出したことを幾つか。南部博士を演じているのは「ハクション大魔王」と同じ大平透さんなんだけれどその大平さんに大鷲の健を演じている森功至さんはサインを作ってもらったとか。当時の声優さんにどれだけサインの需要があったかは分からないけれど、大平さんはいつか声優が表舞台に立ってサインを求められるような仕事になると確信していたらしい。

 自分の仕事への誇りがあり自信があったって現れ。実際にその「ガッチャマン」放送から2年後に「宇宙戦艦ヤマト」の放送が始まって、そして再放送で大ブレイクして声優への関心がグッと高まったのは歴史のとおり。大平さんも含めて誰もが大人気となっていった訳で、世界でも希な声優大国が今あるのもそんな自分の仕事への自信を持って取り組んでくれた大平さんのような大先輩がいたからなんだろう。そういえばやはり亡くなられた内海賢二さんのドキュメンタリーが上映されるみたい。どれだけの誇りをもって仕事していたかを確かめに行かないと。

 声優ではベルク・カッツェ役の寺島幹夫さんについて森功至さんがあのカッツェの声をどうやって出そうが寺島さんが悩んでいたことを話してくれた。ようやくマイクの前に立って腰に手をあて上から出すような声を作ったみたいで、その手は合図か何かだったのかと話したらささきいさおさんがそれはきっと背筋を伸ばそうとして添えたものじゃないかと解説。たしかにそうやって背中を伸ばし反らせると、声も抜けて甲高くなるような気がする。カッツェを見るときは腰に手をあて背筋を伸ばしている寺島さんを思い浮かべよう。

 今でこそ大御所がズラリと並ぶガッチャマンたちだけれども当時はまだ若手。ささきいさおさんも30歳ではあったけれど初声優ということで現場では新人でいつもすみっこにいたとか。真ん中は当時からすでに「スパイ大作戦」なんかで名を知られていた大平透さんたち。そんなアフレコの現場の話もどんどんと亡くなられていく大御所たちとともに消えていってしまう。勝田久さんのエッセイが綴られた本も出たりはしているけれど、富田耕生さんも肝付兼太さんもそうした本とか残ってないからなあ。お目にかかって話を聞いてオーラルヒストリーとして残すことを、文化を考えるならやって欲しいなあ。それも立派に素敵なアーカイブなんだから。

 ウィンザー城へと4キロばかり歩いてエリザベス二世のお棺が到着するのを見てBBCのネット中継を見るのをやめたけれどもその間の4時間くらいがまるで飽きなかったのは、見るほどに歴史と伝統の感じられる衣装であり式次第であり振る舞いにこれを逃せばそうした歴史に触れられる機会もなくなるという思いがあり、同時にそれらにリアルタイムで接していられる喜びがあり、これは何なんだと想像する楽しさがあったから。文字通りに「儀」の字をとってつけたような「国葬」ではそんな奥深さを感じることなんてないのに、どこかのテレビ局はBBCの向こうを張って5時間とか放送するそうで、これほど視聴者を蔑ろにしたプログラムもないんだけれど逆に視聴者がテレビ局を蔑ろにしている時代だから別に良いのか。滅びたければ勝手に滅びろという感じ。

 凄かったのはウェストミンスター寺院を出てウエリントン・アーチの下まで行ってからジャガーの霊柩車にお棺が治められ、ロンドンの街を走っている間に沿道からどんどんと花が投げ入れられ、それが霊柩車の上に乗っても警察が静止したり軍隊が銃殺したりするような場面がなかったこと。なるほど近寄ろうとする人の身体検査くらいはしていたかもしれないけれど、それでも投げれば衝撃を与えることできるものくらい持ちこめただろう状況で、誰もそれをしようとしなかったところにエリザベス二世への敬愛であり王室への畏敬が人々の中にしっかりと根付いていることがうかがえた。

 宗主国として抑えた植民地の人たちには言いたいこともあっただろうけれど、国葬でそれを主張したら非難を受けるのは自分たちだと分かっていた。それをさせない伝統と歴史と格式があの葬儀からは漂っていた。翻って……って言い出すときりがないけどやっぱり既に本葬も追えた後の形式に過ぎない儀式にどうやった敬意を抱けるか。逆に言うならそれだけの敬意を抱かせるような演出ができるのか。手掛ける電通、正念場だぞ。やっぱりここは棺桶の上にプロジェクションマッピングで本人を立たせて「Always Look on The Bright Side of Life」を歌い出すとかしないと受けないよああ。いや別に受けなくたって良いんだけれど。


【9月19日】 新宿バルト9へと向かい「夏へのトンネル、さよならの出口」を見る。4度目。今回はeillさんと田口智久監督と松尾亮一郎プロデューサーのトークイベントがあったからだけれど、見てやっぱりウラシマトンネルの奥でのやりとりの、「いってらっしゃい」に至る顔を背ける動きと背を向けて歩み去る動きの対比の巧みさにやっぱり感動する。ひとつの訣別から確かな選択をする場面として、永遠に語り継がれるべきだと思うのだ。

 そしてeilllさんの楽曲の話。冒頭でカオルがMDプレーヤーから流れる「片っぽ」は最初使われる予定ではなかったけれど、2005年の楽曲をはめようとして結局はeillさんの楽曲になったのは内容にマッチしていたから。「ひまわり」という作中に出てきたたモチーフも歌詞にあってこれしかないとなったらしい。2005年といったらORANGE RANGE全盛だったけど確かに合う曲なさそうだしなあ。

 そして挿入歌の「プレロマンス」は色のついてない絵とか見ながら想像してクリスマスイブに30分で作り上げたという。早く出来たということはイメージからわき出るものが多かったんだろう。作り上げて涙が出てきたというから相当に入り込んでいたんだろう。セリフを避け歌詞が響いてそれぞれが立つ作りになっている巧みさに言われて気づくくらいハマってた。映画館で再確認したい。5度目の鑑賞も確定だ。

 エンディングの「フィナーレ。」は歌詞の最後にある「味気ないね/でもそれがね/ふたりの幸せ」という言葉を田口智久監督がお気に入りでeillさんに尋ねたら、作中の言葉にあってカオルとあんずのあの雰囲気を言い表していると思い最初に付箋を張っておき、歌入れの時にその場で差し込んだとのこと。急に唄い始めておいおいなんだとなったとeillさん。原作にはないけど原作から感じた雰囲気を映画に描きそれを感じて取り入れたからこそのマッチング。共同作業のなせる広がりを感じさせるエピソード。

 あとeillさん、江の島まで行き波の音を録りトンネルも走って環境音を録ってそれを入れたとか。なおかつ劇場用に5.1chで楽曲も作ったからトンネルを走る音がちゃんと動くらしい。ステレオ環境では体感できないそんな音の動き、作品とのマッチングが感じられるのは今のところ映画館だけ。だからやはり「夏へのトンネル、さよならの出口」を見るなら劇場へと足を運ぶのだ。

 イギリスでエリザベス二世の国葬が行われてBBCでネット中継。まるで「ルパン三世 カリオストロの城」で見た結婚式のように荘厳な儀式が段取りよく繰り広げられてく様にどれだけの積み重ねがあったのだろうかと想像してしまう。誰がどこで何をするか。決まってなければできないよなあ。このあたりはマニュアルもあるだろうし研究もあるんだろう。日本だって大喪の礼となるとやることは決まっていてそのとおりに進んでいく。永津続く王室なり皇室のそうした儀式は見るからに敬意を表したくなるものなのだ。日本武道館で開かれる元総理の国葬儀はどんな風に作られ、そしてどんな印象を残すのか。見たくないけど見てみたい。

 ただやっぱりそこは英国、モンティ・パイソンノ「ライフ・オブ・ブライアン」のエンディングに流れた「Always Look On The Bright Side Of Life」が流れないのかといった声がツイッターにも上がってた。英国人が葬儀に流したい楽曲で3位に入るとか言う楽曲。ある意味で厳粛な英国への皮肉なんだけれどそうしたユーモアを介したエリザベス二世ならあるいは遺言でこの曲をかけろと言っていたらちょっと面白かったかも。さすがに本人が棺から問いだして唄うわけにはいかないからなあ。

 ネットでは女性がいない黒人がいないって声も流れていたけれど棺を引いていた海軍を扇動していた人は女性士官で声も出していたからとても偉い人なんだろう。それから棺を引いていた中に1人、黒人の水兵がいたし脇を歩いていた中にも黒人がいたから決して差別がある訳じゃない。そりゃあ割合としては少ないかもしれないけれどゼロではないってことだけは指摘しておこう。あと目に付いたのはビーフィーター・ジンに描かれているヨーマン・ウォーダーズがいたってことかな。武士はもういないけどこうした近衛兵は今もいる。そこがやっぱり英国の凄みなんだろう。


【9月18日】 大雨が降りしきる中をなかのホールZEROへと出向いて「科学忍者隊ガッチャマン」の放送50周年を記念するイベントを見る。ネットで情報が流れてきた時に、森功至さん、ささきいさおさん、杉山佳寿子さん、塩屋翼さんとG1号から4号までが勢揃いするという構成を見てこれは行かなくちゃと即座に申し込んだ。今も現役感のある方々だけれどその言葉をいつまでも聞けるとは限らないなら聞ける機会は逃したくない。そんな思いもあったし何より子どもとして熱中した番組のヒーローにヒロインに会えるなら、これはもう行くしかない。

 そんなイベントに4人が揃って登壇あれるのは森さんによれば「放送を終えてからたぶん初めて」くらいだとか。芝居があって揃って出たことはあったけれどイベントに出ることはなかっただけにどんな話が飛び出すかと思ったらもう楽しい話のオンパレードで、粘弾の3倍、いやいや5倍の価値はあったかも。森功至さんはお歳は召されても未だに綺麗な声が出るし杉山さんはハイジだし、ささきいさおさんは変わらずカッコ良さ全開! 塩屋さんは当時14歳だったとかで声は違ってしまってもブランクが途中にあっても演技は衰えず「科学忍法竜巻ファイター!」と叫んでくれた。それだけで十分過ぎる。

 話ではささきいさおさんがなかなかにユニーク。大鷲の健でオーディションを受けたけど連絡が来ずもう終わったものと終わったある日、事務所に寄ったら急に来てといわれてスタジオにいったものの、てっきりオーディションで受けた大鷲の健の役だと思ってそのセリフを喋ったら森さんと重なって斯波重治さんのところにどういうことなのか聞きに行ったらしい。結局はコンドルのジョーだと分かって間違えたと思って当日は落ち込んだけれど、途中でアイキャッチのセリフ「ガッチャマン」をいってと言われ大平透さんがやるものだと思っておたら自分に白羽の矢が当たり、必要とされているンダと思い返して復活したとか。

 そんなガッチャマンでのオーディションでもらったお金が1000円で、対して塩屋さんは2000円で違っていたんだと驚いた。杉山さんはもらっておらず「テアトルエコーがもっていったんだ」と森さんあたりに突っ込まれていた、その杉山さんにもオーディションのあとの連絡がなく新婚旅行に出かけたら、その先で戻って来てと言われてかけつけ演じたという。「オムニバスのデスクが悪いんだ」と森さん。なかなかに口が滑る滑る。

 その森さんも吉田竜夫さんとの思い出になると真面目に話し出して「マッハGoGoGo」の打ち上げで吉田さんと2人で外に出て、そこで主人公の三船剛の声で何か言ってと言われて言ったという。普通は監督とかクリエイティブの人と役者とでは接触がないんだけれど吉田さんは森さんのことを気に懸けていて3本も主演を任せてくれた。今あるのも吉田さんのおかげと言い、そのスピリッツが出ていた「ガッチャマン」だと話してた。「ガッチャマン クラウズ」にJJ役で出たのもそうした恩義を感じていたからなのかもしれないなあ。一方で吉田竜夫さんが亡くなられて以降にスピリッツが衰えたとも。ちょっと厳しい話。

 戻ってささきいさおさんは「ガッチャマン」がらみのパーティーで子門真人さんが唄った主題歌を合唱してたら関係者に誘われ唄ってみないといわれて当時は子門真人さんと水木一郎と堀江美都子くらいしかアニメソングを唄う人がいないからと誘われ「新造人間キャシャーン」を歌ってアニメソングに入り今に至る。ロカビリーで和風プレスリーと言われながらもブームが終わって迷っていた30歳で得た声優の仕事から一気に変わったという意味で「ガッチャマン」は特別だとささきさおさん。だからこういうイベントにも御年80歳で来てくれるんだろうなあ。貴重な場にいられて感激だったけれど次もあったら嬉しいかも。ちなみに上映もあって最初の1話と最後の2話を久々に見た。1話から白鳥のジュンは白見せまくってたんだなあ。子供もそそられるよね、やっぱり。

 出ると雨が止んでいたのでそのまま中野まで歩いて電車を乗り継ぎ六本木へと行ってTOHOシネマズ六本木で「劇場版マクロスΔ絶対LIVE!!!!!」のMX4D版を見る。前の劇場版もMX4Dで見てなかなか楽しかったから今回もと期待したうちのバルキリー戦については左右に揺れて上下に動いていっしょに飛んでいるような気になれた。一方でライブシーンはビートに合わせて振動がある訳じゃなくってほとんどモーションがなくちょっと物足りない感じ。前回はエンディングに合わせて振動があってちょいズレ気味だったけど気分も盛り上がったから今回もそういう味付けが欲しかった。なんで止めちゃったのかなあ。再調整があれば行きたい。


【9月17日】 明け方の4時くらいまでかけてどうにかこうにか全体を整え細部を割り振り添え物の文章も書いてひとまとめにして送信。3日くらいででっちあげたけれどもそれがそのまま通るわけでもないから現場の人のこれからの苦労がしのばれる。果たしてどうなるのか。しっかり告知も出ているしなあ。ともあれ現時点でのお役は御免となったのであとは遠くから見守ろう。頑張れ施工業者。

 という訳で自主的缶詰しているスーパーホテル松本駅前で2時間くらい眠ってから起きてビュッフェで朝食を摂ってJR松本駅へ。せっかくなので小諸を見ておこうとまずは篠ノ井駅まで行ってそこからしなの鉄道に乗ってどこどこと小諸まで行く。途中駅での30分くらいの乗り換え時間を考慮に入れて2時間くらいだからかかるといえばかかるけれど、船橋から三鷹だってそれくらかかるから近いとえば近いのかも。同じ長野県内だし。昨日とはうってかわって涼しい風が吹いて遠くの北アルプスも割と見えた。長野はこれから秋になる。

 とはいえやや暑い感じの小諸に到着。早速懐古園へと出向いて久々に展望台へとたどり着く。あんな傘なんてあったっけ、っていうのは17歳だった高校2年生の時に修学旅行で来ていたからで、「すくらっぷ・ブック」という小山田いくさんの漫画で舞台となっている小諸に来られて出てくる場所に行けたことを内心でとてつもなく喜んでいた。今でいう聖地巡礼のこのあたりを嚆矢ととらえても言いような気がするけれど、アニメにならないとやっぱり広がらないんだよなあ、世間的には。

 それでも小諸を「あの夏で待ってる」ではなく「すくらっぷ・ブック」の舞台として捉えているファンもまだいるようで、駅前にある土産物店には専用のコーナーができてサイン色紙も飾ってあって見ていて涙が出そうになった。亡くなられて6年。思い出してくれている人はまだまだいるみたい。何より駅前の商店街にカナと雅一郎やイチノと理美、そしてマッキーや春ボンや一同が揃ったポップが飾ってあって今も商店街でちゃんと認知されていることが分かって嬉しくなった。時代性もあるけど普遍的中身も多い作品だけに読まれて欲しい。あわよくばアニメ化とか? それはあってもなくても僕は愛し続ける。

 とはいえ今は「あの夏で待ってる」の街でもある小諸。駅にはりのんを象った神輿があってあちらこちらにポスターもはってあった。水の口展望台の傘と策もこちらにはしっかりと登場している。あと四阿も。10年前にはそうだった光景が今もしっかりと残っていて見ていたファンには嬉しい限りだろう。そういう人が今も訪れるみたいで町では新しく登場人物たちの10年後を描いたポスターを作って張り出したり売り出したりしていた。みな10年経ったっぽい格好だったけど山乃檸檬はたいして変わらず。まあ中の人が永遠な人だからしゃあなしだ。

 1時間半ほど歩き回って駅で冷凍を湯で解凍したふつうの蕎麦を食べてから小諸を退散。しなの鉄道で軽井沢へと行ったら一気に涼しくなってきた。寒いってほどではないんだけれど冷やっとした感じがしてさすがは避暑地。今がベストな空気感だった。そりゃあ滞在したい人も多いだろうけどすぐにこちらは冬になりそう。それもそれで楽しいんだけれど。こちらはこちらで「軽井沢シンドローム」の舞台なんだけれど中軽井沢ではなく新幹線の駅がある軽井沢まで言ってしまったので雰囲気は味わえず。「ら・くか」のカレー、食べたいなあ。

 戻ると昨日の新幹線に置き忘れて金沢まで行ったiPadが郵送で着払いで送られてきた。何てスピーディーな処理。日本郵便の配達力とJR西日本の処理能力に感謝感激。そんな合間に日本SF作家クラブで理事会があったようで新しい会長に慶応大学理工学部准教授でAIだとかSFプロトタイピングで活躍している大澤博隆さんが会長に就任していた。博士の会長は瀬名秀明さん以来か。理事には堺三保さんの名前が。ジョージ・ルーカスの後輩で日本SF作家クラブ理事はおそらく史上初だろう。何かしでかしてくれるに違いない。大いに期待だ。


【9月16日】 深夜まで画像をながめて選んで割り振る作業をして数時間だけ寝て起きて松本へ。ちょっと早めに出たら船橋駅から松本へと向かう特急あずさが出る直前だった。乗ればこれ1本でいけたけれどそれから1時間くらい後の新幹線に乗って長野経由で入っても30分遅いだけだというから新幹線の凄さがここにも出ている感じ。これで富山とかほとんど首都圏になったものなあ。長野も群馬県で前橋を抜いて一気に首都圏に躍り出た高崎と同様、松本を抜いて長野の東京と呼ばれるようになっているんだろうか。降りたことないから何があるか知らないけれど。善光寺?

 長野からは特急しなので松本へ。途中でiPadを忘れたことに気づいて問い合わせたらどうやら金沢駅まで行っていたらしいので送り返してもらうことにする。見つかって良かったけれど買い換えるチャンスでもあっただけにいろいろ思う。でも今のiPadって滅茶高いからやっぱり買い換えずに済んだことを喜び、その分を何かに回そう。そろそろスマートフォンを買い換えるかなあ。性能の割に安いから今のも好きだけどちょっとだけ新しいモデルの方がカメラが良いんだよなあ。

 松本に到着したのでてくてくと松本城見物。ずっと残っているお城のひとつで中に入ると急勾配の階段を上って上まであがっていけた。天辺がお殿様の居城かというと天守閣って軍事拠点みたいなものだから御座所はあってもそこに常駐している訳ではないのだった。あの階段を行ったり来たりしてたらお殿様もお付きの人も大変だから。なのできっと御殿が下にあってそこに寝起きしていたんだろう。名古屋城でも本丸御殿が再建されてその豪奢さを見せてくれている。松本城はどんなんだったんだろう。江戸城の御殿はどうなったんだろう。ちょっと気になった。

 信州だから蕎麦でもと思ったもののパッとした店が見つからずココイチでカレーを食べてお腹を満たす。どこでも同じ味と値段ってのはありがたい。これがアメリカならきっと3000円以上はするだろうなあ。沖縄の米軍基地に来る人は日本の値段でココイチが食べられるとあってきっと引きも切らない人気なんだろう。そういう国に日本はなってしまったのかと思うと寂しいけれど、そういう状況で残る人生をつましく生きれば生き延びれるなら生きるしかないのだった。なのでインフレだけは勘弁。ちょっとずつ値段が上がっている気がするんだよなあ、何もかも。

 廃棄物コンサルティングとか調査分析をしている会社の取材をしに行った松本だったけれど、東京あたりの気温から背広を上下着てネクタイも締めていったら暑いのなんの。名古屋の8月もかくやと思わせる暑さにいったいどうなっていうんだろうかと訝る。台風が近づいているといってもまだ遠いし、そこからの風が吹き込む地形でもない。盆地は盆地でも太陽が真上からズレた今の時期に日差しだけで暑くなるとも思えないけど実際に暑いんだから仕方が無い。地元の人もこの暑さは異常といっていたからやっぱり何かが作用しているんだろう。山の中に怪獣とか?

 日帰りするつもりだったけれど画像を見て選んで並べる仕事が佳境に入っていたので自主的に缶詰をするつもりでホテルを取って午後の5時から引きこもる。駅弁を食べてお茶を飲んで絵を見たり選んだり紹介分を書いたりしてどうにかこうにか形にしたら午前4時。果たしてそれで良いのかって思うけれどそれ以上に成果が10月にもお披露目されかねないというのが恐ろしい。印刷より早く作らないとけないなんてありえるのか。いやそれは今日取材したところもパンフレットをオンデマンドで印刷してるって言ってた。印刷所も潰れる訳だ。どうにか仕上がったので寝て明日は小諸。いちおう見ておかないと。


【9月15日】 敬老の日、ではないのだった。朝から三鷹の業務委託先で健康診断。すっと通って目も良くなったし体重も少し減ったけれどもそれでもやっぱり3年前からずいぶんと太り気味。ちょっと問題なのでこのあたりでもうひとふんばしりて年末までのあと5キロは落としたい。どうすれば落ちるかは知らない。夜食べないのが良いのか野菜ばかりにするのがいいのか。食べられるだけ幸せってこともあるしなあ。

 血圧がやや高めに出ていてやっぱり中性脂肪が影響しているのかと少し心配。あるいは飲んでいる薬のせいかも。血液検査の結果がどうなるか次第でちゃんとした検査も考えるか。そうこうしているうちにレントゲンまで終わって終了。フリーでも業務委託契約ならちゃんと受けさせてくれるところが大企業なのかもしれない。しばらく言ってなかった本社のエレベーターホールに胡蝶蘭がぎっしり。ナニゴトかと思ったらそうだ社長が替わったのだった。前の社長は代表取締役会長に。CEOはどっちなんだろう。

 電車を乗り継ぎりんかい線に入って東京テレポートセンターで降りて東京科学未来館へ。遠目に見える観覧車の輪の片方が外されていてゴンドラもなかった。これではパンジャンドラムごっこができないじゃないか。いやしないけど。とこところ歩いて到着した日本科学未来館で第25回文化庁メディア芸術祭を見物。この回の選考でアニメーション部門の選考委員を務めたので胸に大きな飾りをつける。でも今回限りでこれも終了。去年の今頃はアニメーションを頑張って見たなあ。

 そんな成果としてイランの女性クリエイターが大賞を受賞。てっきりミニチュアを使っているかと思ったら、本当の部屋を使って本当の洗濯機なんかを使って撮ってそれに手書きのアニメーションを重ねたりしていたらしい。受賞式で洗濯機はお母さんが大好きでそれを使ってアニメーションなんか作っちゃってごめんなさい、でもおかげで大賞をとれましたと話して家族に感謝をしていた。聞けばどうやらそれが初のアニメーション作品。それで大賞。あの世界の山村浩二も「漁港の肉子ちゃん」の渡辺歩監督も差し置いて。こういうところが面白い賞だった。

 それも今回まで。永岡桂子文部科学大臣は受賞式の挨拶で「令和4年度に向けた作品募集を行わないことに多くの皆様からご意見を頂戴しました。文科省としては戴いたご意見、25年の成果と実績を踏まえ育成やアーカイブの取り組みを深めると共に発信の為の新たな国際的な祭典の準備を進める」と話して何か代わりになるものを用意するようなことは話していたけれど、それは想像するなら日本博のようにポップカルチャーに限らず文化芸術から工芸に食あたりも含んで日本っぽいものを盛り上げるイベントのようなもの。そこでは田宮模型の会長や音響のプロが功労賞を受賞することも、イランの新進クリエイターが受賞して日本に行く機会を得ることもないだろう。

 過去を讃え未来を育て日本への印象を良くするとてもとても貴重な場だった文化庁メディア芸術祭のいったんの終焉はそういった意味を持って今後の日本にいろいろな影響を及ぼしそう。漫画もそれはそれで発展し讃えられてはいくだろうけれど、人気や売上げが先走りがちな既存の賞からは漏れてしまう描き手であったり同人作家であったり海外クリエイターの道は閉ざされてしまう。どうにかできないかなあと思うけどどうにもならないならせめて今回、会場にかけつけてその必要性を国に感じさせるしかないかなあ。

 行けば本当にいろいろな表現に出会える場。メディアアートで植物を利用したものや人のインタラクションを活用したものや意味不明だけれど意味深なものがあったり、漫画で大賞の持田あきさんによる「ゴールデンラズベリー」の原画に真珠が張ってあったりキラキラとしたものが散りばめられていたりして、インスタレーションのような美しさを放っていることも確認できる。手描きのペンの細かな走りも目の当たりにできるのなら行かない手はない。そういう場が失われてしまう寂しさを、どこかの漫画美術館が受け継ぎ発展させてくれれば良いんだけれど。京都に期待かな。


【9月14日】 図書館であれやこれや原稿書き。しばらく連絡がとれなかった編集の人がもしかしたら倒れたんじゃないかと心配していたら本当に倒れていて復活はしたものの立ち上がれるところまではたどり着いていなかったので、代わりの人が受けてくれるということで明後日から始まる第25回文化庁メディア芸術祭受賞作品展での贈賞作品を持って贈賞を終わることが漫画にどんな影響を与えるかをあれやれれやしたためる。とりあえずやっぱりいしいひさいちさんの「ROCA 吉川ロカストーリーライブ」に賞を与えそうな場がなくなってしまったとは言えるかなあ。マンガ大賞にノミネートして良いんだろうか?

 3時間ほどで仕上げて市川優人さんの本を6冊ばかり借りてから図書館を出て、ソースラーメンが名物の見せてチャーハンと半ラーメンのセットを頼む。いかにも街中華といったセットだけれどこれがなかなに美味しいのでさすがは街中華のムックに名前が出るだけのことはある。値段もまあそこそこするけど今時のアメリカなら3000円は超えるだろうから日本で良かったと思うしかない。いや本当にアメリカンの人ってどうやって暮らしているんだろう。10万ドルもらっていたって家賃が月々20万円だと食費も含めて大変な暮らしを強いられるよなあ。社会福祉が働いているんだろうか。見えないだけで死屍累々だったりするんだろうか。

 食べ終わってVELOCHEにこもって降って湧いたようなアニメの版権を見て面白そうなのを選ぶ仕事をしていたら、KADOKAWAの角川歴彦会長が逮捕されたというニュースが飛び込んでくる。そこまで捜査が届いたか。元専務とそれから元編集長あたりが上の意向を忖度してやったことで上は知らなかったといった話でまとめるかと思ったし、以前だったら確実にそうなっていたとも思えるけれども安倍晋三元総理の死去によって何かそうした忖度社会の潮目が変わったような気がする。それが何も角川歴彦さんで出なくてもとは思うけれど。

 だって公的なお金が使われているオリンピックという場に対してスポンサーという半ば公的な立場で参加するのにほかに道がないならそうするしかないじゃん。問題はだからそうした公的な場のお金の出し入れを担当する人にそんな賄賂めいたものを求める人を置いていた組織委員会のガバナンスで、止められなかった責任を誰かがとるべきでそれが森元総理になるのか竹田元会長になるのか分からないけれど、参考人に留まらない踏み込みをに至るかを見守るしかない。あるいは窓口がそうせざるを得ない事情、入ったお金の出口がどこかにあったならそれはそれで暴かなくっちゃ。統一協会の問題も大変だけれどこちらもこちらで疑獄ルートの口が開いた。噛みつけ検察、闇の王に。

 しかしまあ、過去に社長がコカインで逮捕された会社だけに会長が逮捕されても現場は動じないで欲しいものの30年、上に立っていた人がいなくなってはやっぱり戸惑うことも多いだろうなあ。どうするか。ここはやっぱり社史を書いた佐藤辰男さんを呼び戻して上に置いて引き締めを量るのが良いと思うんだけれど、ある意味で歴彦さんと二人三脚でやって来た人だけに色が濃いからと跳ねられるかもしれない。逆に会長として長く勤めず引いてもう5年が経つなら問題には関わっていないと任せられるかもしれない。どうなるか。バンダイが山科誠社長を外した時にバンダイビジュアルの茂木さんを挟んで高須さんを社長に据えたようなことが起こるかな。夏野剛さんではうーん、KADOKAWAは面倒見切れないだろうしなあ。


【9月13日】 53号を打った時点で国籍だったら野村克也さんも落合博満さんも抜いて日本人として最多になったはずなのに、王貞治さんをどう扱ったら良いのか迷っていたのかあまり大騒ぎとはならなかった村上宗隆選手が、55号の本塁打を放ってカブレラ選手やローズ選手や王貞治選手と並び、60本を売ったバレンティン選手に次ぐ成績を記録した。これを持って日本出身の日本選手として最高の王貞治さんに並んだと騒ぐメディアがあっても正解だから別に良いし心情的にも納得だけれど、日本人選手と書くのは王貞治さんが未だに中華民国の国籍を持ち続けているだろうことを蔑ろにしているようでちょっと引っかかるのだった。TBS大丈夫か? フジテレビもか。ナイーブさが欠けているからバズるネタにひっかかって右顧左眄するんだろうなあ、ワイドショーもバラエティも。

 ヴィスコンティは絢爛さと退廃ぶりに惹きつけられて何作か見たけれど、ゴダールは評判を聞き及ぶ一方で映画となると実は見たことがなかったので、どれだけ凄いか今ひとつピンと来ないけれども黒澤明級に凄いということくらいは当然知ってるだけに、亡くなったと聞いてひとつの時代の終わりを感じた。エリザベス二世女王の逝去とも相まって昭和の御代がどんどんと彼方に去って行くような感じ。そんな昭和生まれの自分もあと30年もすればいなくなって残るのは平成生まれと令和生まれとさらにその先の元号生まれだったりするんだろう。その時に訃報が流れて騒がれている日本人監督なんているんだろうか。今だいたい50歳から60歳くらい。細田守監督とか新海誠監督になるのかなあ。

 そんな世代に続けとばかりに新作アニメーション映画「夏へのトンネル、さよならの出口」を送り出した田口智久監督が、色彩設計の合田沙織さん、そしてスタジオCLAPの松尾亮一郎プロデューサーとトークイベントを行う上映があったので新宿バルト9まで行く。本当だったらクラリスとカリオストロ公爵との結婚記念日ということで「ルパン三世 カリオストロの城」を見たかったけれどトークイベントがあるなら仕方が無い。せめてものお祝いとばかりにパンチョでナポリタンにミートボールならぬハンバーグを載せて食べる。やっぱりナポリタンはここん家が抜群だなあ、パスタが違うのかケチャップが違っているのか。

 さて映画は3度目となってじっくりと観察。やっぱりあのクライマックスでカレンがカオルから顔を背けて反対側を向き、そして玄関に立って出かけようとするカオルに声だけて「いってらっしゃい」と告げて姿は描かれないシーンの巧みさに感じ入って涙がにじんで来る。このシーンだけを見るために僕はこの映画にあと何度も通うことになるんだろう。それは例えば「虹色ほたる〜永遠の夏休み〜」でサヨコの手を引っ張り参道を登るシーンを見るために通うのに似ている。羽川翼のまくれあがったスカートの下が見たくて「傷物語」に通うのとは果たして同じかはちょっと迷うところだけれど。

 さてトークではひとつにカラースクリプトのことを話していた田口監督と合田さん。色彩設定というよりはシーン毎にどんな色合いにするかということをコンテに色を塗る形で決めて伝えていったとか。レイアウトをコンテで決めちゃう感じの今敏監督とはまた違った制作手法。ひとつとして同じ色がない作品ならではか。新海誠監督のビデオコンテは実写を織り交ぜセリフを入れてタイミングを計るものだったりして、人それぞれにいろいろな技法があるって分かる。

 もうひとつの特徴がリムライト。いわゆる輪郭部分が陰ではなくて光ってるような感じになる奴。冒頭でカオルがMDプレーヤーを操作した際のディスプレイの光が手に照り返す感じで入っているらしい。当初は影のままだったのを合田さんが色を入れてそれでゴー。他の部分も少ない影以外にも入れていった。見ると落ち着いた色の中にアクセントのようになっている気もする。新海誠監督「言の葉の庭」だと影が緑でつけられていて春から夏にかけての新宿御苑の感じがしたし、「おそ松さん」は輪郭が青くて不思議な印象だった。色の工夫によって見て目新しさを出す。そんなチャレンジをまた確認に行くのだ。
 ただしリムライト、どういう法則で入るのか分からないため総作画監督は困ったらしい。描く側の意識の統一も必要だし、背景との調和なんかも考えながら色を入れてかなくてはいけないからセンスも問われる。チャレンジした「夏へのトンネル、さよならの出口」を経て次はどんな作品で何を見せてくれるか。そんな楽しみを抱きつつ画面への効果をあらためて感じ取りに観に行くのもありかもしれないなあ。キャラクターは割とシンプルにしつつ美術に凝って見せるあたりのバランスも、クライマックスに全振りした作画もそれぞれを際立たせる意味はあったということも


【9月12日】 「リコリス・リコイル」のノベライズがあちらこちらで売り切れになっているらしいアサウラさんが同時に電撃文庫から出した「小説が書けないアイツに書かせる方法」(電撃文庫)はいわゆる作家物。勃起しないという自分の体験を繊細な文体で綴った小説が新人賞の優秀賞となって脚光を浴びたものの次の作品が出せず悩んでいたところに尋ねた出版社で突然女子大生から話しかけられる。少年の正体を知っていてバラされたくなければ自分が考えた小説を書けというもの。そして書き始めたその話はエロの混じったシンデレラストーリーめいたものだった。

 エロティックな描写もあるけれども女子大生が繰り出すプロットが淫靡で起たない少年でも起ってしまいそうになるというところがひとつのポイント。それを自分の文体に直すと途端に面白くなくなってしまう状況を鑑みて少年は女子大生自身に小説を書かせようとする。やがて明らかになるその正体。自分より上の大賞を受賞しながら自体をしたという話とそして普段は大会社の令嬢としてメディアにも取り上げられていることなんかから、自分の嗜好を外に向けて発散できず物語にして書いたけれども厳格な家族には黙っていたいタイプなのかと思ったら、家族とは仲が良いと言うから肩すかし。そういうところもアサウラさんらしい。

 作中で主人公たちがプレイしているゲームが「デスニードラウンド」とうのに笑うけれども大型ファストフードチェーンとか警察とかのマスコットが暴れ回るような内容なのかは不明。でもこうして言葉にしている以上は作品への思いはちゃんと残っているってことあろう。絶版になっているなら復刊を希望し流通しているならアニメ化を希望したいけれど、まあ無理だろうなあ。「リコリス・リコイル」のノベライズは全編がほとんどスイーツ話。ときおりまじる銃撃戦もあるけれど本編では描かれなかった女子2人の日々といった楽しみ方をするのが適切かな。

 エリザベス女王が亡くなって翌朝の1面コラムで各紙がエリザベス女王の微笑ましいエピソードを紹介して悼んでいた一方で、一応は全国紙の看板を掲げていても100万部を実質切ってる新聞のコラムはエリザベス女王の話を枕に民主党を批判し中国を批判し安倍元総理への反対勢力を批判する内容へと持って行ってどこに追悼の気持ちがあるのかを目を皿のようにして見たけれど見つからなかった。あまりの非道さから翌日も同じコラムでおそらくは別の筆者がしっかりとエピソードを紹介して追悼をしていた。

 そんな同じネタを2日連続でやらなくちゃいけない状況を、放っておくところに100万部割れの秘訣なんてのもあるのかも。同じ会社で出している一応は日本新聞協会に加盟の題字を持ってる夕刊紙なんかでも、安倍元総理の銃撃に陰謀が隠されていると平気で書いていたからなあ。映画評論家を使って書かせるなら映画ではそういう場面があるけどそれが現実にもあったら面白いねくらいにしておけばいいのに、堂々の論陣を張らせてしまうあたりに元々あったヤバさがどんどんと極まっているような感じ。変わると期待してもまるで変わらずさらに大変になるのってどこに原因があるんだろう。本当に訳が分からないよ。

 逮捕されたKADOKAWAの元専務の人がメディアファクトリーの社長だったって話しから例の社史を掘り返したらメディアファクトリーをリクルートからKADOKAWAが買収した際も社長を務めていたようで、KADOKAWA側の熱烈なラブコールにあるいはMBOなんかも考えていたのを翻してグループ入りを決めたにもかかわらず、10年後には東京地検の取り調べを受けているというのはどうにも切ない話でどんな心境にあるのかを聞きたくなった。あれもこれもと言って成さそうなのはあるいは今でもラブコールを胸に留めて燃やしているからなのかもしれないけれど、その熱が冷めた時にどうなるか。まだまだ目が離せない。


【9月11日】 原稿を書きに街に出る。とりあえず東京駅のOAZO丸の内にあるスターバックスで2時間ほどカチャカチャとテープ起こし。どうにか仕上がったので丸善へと入って村上隆さんが「めめめのくらげ」に関して作った記録全集を探したけれども流石に売ってなかった。というかいったいどこに売っているんだろう。カイカイキキのギャラリーに行けばあるんだろうか。っていうか広尾のギャラリーってまだあるんだろうか。最近あんまり活動を聞かないんだよなあ。六本木アートナイトでキュレーターをやるから関連で売ったりするかな。六本木ヒルズのナディフを覗いてくるか。

 適当な時間になったので新宿を出てたつ屋で牛丼。550円で大盛りを書き込んでからVELOCHEで仕事をしようとマルイの下にある店にいったら人がいっぱいだったので、花園神社の向こうにあるVELOCHEへと行ったら新宿タイガーさんがお茶をしていた。最近あんまり見かけなかったけれども健在で良かった。ここん家でどうにかこうにか原稿を仕上げてフィニッシュ。最近のVELOCHEはどこも電源を置いてくれるようになったのでスターバックスよりも実はノマドに向いているのだった。コーヒーの味はまあ、慣れだね。

 時間になったので新宿バルト9へと行って八目迷さんのライトノベルを原作にしたアニメーション映画「夏へのトンネル、さよならの出口」を観る。試写に続いて2度目。そしてやっぱり僕はこの映画が好きだと分かる。もうクライマックスに近い部分、届かなかった時間を取り戻したかのような場所にいつまでも留まっていたいと思いながらも、そんな停滞を乗り越えて新しく得られた出会いのかけがえの無さを改めて思い知って、前へと進み始める場面からあふれ出る未来に生きる大切さが、否応なしに進んでいく時間の中を進まざるを得ない身に力を与えてくれるのだ。そんな映画だ。

 確かに11月11日に公開されるような超大作アニメーション映画ほどの精緻な絵ではないかもしれない。それでも紡がれる物語でありそれを描き挙げる雰囲気に大きく劣るところはない気がする。何よりクライマックスに近い場面での再会とそして再出発を描く絵が、温かくて懐かしくて柔らかくて嬉しい感じに溢れていてそこだけでもずっと観ていたいと思わせた。あとは例えばケンカを売ってきた女子に対して女子が放つ容赦の無いストレートの率直さであったり、自信はないけれど自尊はある自分の漫画を褒められたことに対してじたばたと足を動かす愛らしさであったりと所々にハッとさせられる描写も多い。

 少年と父親との関係が親子の愛憎すら超えて他人行儀であったり、少女と家族との関係がまるで見えなかったりする部分はあるものの、誰かを失ったり何かを嫌がっていたりする場合にないともいえないからそこは了解。そんな家族関係からの逃避もまた行動への力なのだから外せない。いわゆる劇伴を抑えて環境音とか息づかいとかをしっかりと取り込みつつその世界に没入させる音響面での工夫は試写室よりも大きな劇場でこそ意味を感じた。ここぞという場面でかかる挿入歌なり主題曲なりエンディングが緊張を解放し衝動を煽って感情を沸き立たせるところも良かった。

 だからこそやっぱり絵が究極ではなかったところに残念さも募る。それがあればなお特別な作品になれたのに。企画としての成り立ちは分からない。ライトノベルとして単巻で優れた作品ではあってもベストセラーとは言えず誰もが知っている作品でも無い。それを実写でアイドルの主演によって惹きつけるタイプでもない映画にどれだけの動員が期待できるかも分からない。それでも作られたことに僕としては意味があった。過去よりも今であり未来なんだと感じさせられた。だから良かった。とても良かった。誰がどう思おうとも僕にとって2022年の夏に必要な映画だ。


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