縮刷版2022年8月下旬号


【8月31日】 ゴルバチョフ死去。チェルネンコもアンドロポフもたぶん世界史に名前は残らずブレジネフですらもしかしたらスターリンやフルシチョフに比べれば場つなぎ的な存在として語られないかもしれな中で、ゴルバチョフだけはやっぱりあのソビエト連邦を終わらせて世界を冷戦から解き放った人物として歴史に名を刻むことになりそう。その結果としてユーラシア大陸に独立国がいっぱいできて紛争なんかも起こる一方、世界の各地でも冷戦のタガを外れた国々が内戦やら紛争やらに関わり始めた訳で、その原因を語る時にゴルバチョフの名前は外せない。

 あるいはクーデターによって実権を削がれエリツィンへと権力が移り今のプーチンにつながっていたりする歴史を、変えられたかもしれない分水嶺に立ちながらもソ連をまとめCISなりロシアを中心としたゆるやかな連合体として維持できなかった訳でその意味ではレーニンやスターリンといった建国の英雄たちと逆の意味でのアンチヒーローですらないのかもしれない。それでも変化させたことは大きい。日本でそれだけの決断をした総理大臣が戦後にどれだけいただろうと考えると、政治家というものを安易に英雄視するのは間違っているような気がする。何もしなかったどころか腐らせた張本人を崇め国葬にすると言ってる人たちはまったく何を考えているんだろう。やれやれだ。

 仕事で群馬へ行こうとしたら津田沼で誰かが線路に立ち入ったとかで列車が船橋駅に来ず、これは出られないと駅を出て東武野田線というかアーバンパークラインに乗って柏経由で春日部まで行き、そこから東武動物後編と経て久喜で乗り換え館林で乗り換える、当初にJRで錦糸町まで出てそこから乗ろうとしていた路線を引き継いだ形で、なおかつずっと東武鉄道だから乗換時の料金も発生せずかえって良かったことが判明する。JRほど込んでないからその後に実家に帰るために持っていて、錦糸町で預けようかと思っていた荷物もずっと持って乗ることができた。次に行くことがあったらやっぱり同じ路線を使おう。行くことがあるかは分からないけれど。

 時間があったので前回と同じ食堂でやっぱりソースカツ丼を注文したら前回は柔らかく揚がっていたのが今回はカリカリな感じでちょっと歯ごたえが違ってた。まあでも食べられたしカリカリでも美味しかったので良しとしよう。ソースカツ丼が別に太田市の名産って訳ではなくむしろ太田は焼きそばが名物らしいけれど、そこの食堂に焼きそばはなさそうなので仕方が無い。食べ終わってからしばらく図書館で新聞の読み比べ。読売新聞は群馬版を見開きで作っていて東京新聞は群馬と栃木の共通版を載せていた。産経は群馬だけで1面を作っていたけどニュースがトップくらいであとは告知とベタが2本。そしてお悔やみ。地方版でお悔やみって今でも需要があるんだなあ。でも県版いつまで作るんだろう。

 取材を終えて帰りは特急で浅草まで出てそこから東京駅で新幹線に乗り継ぎ名古屋へ。到着したら名古屋うまいもの横町にあるチャオへと行ってあんかけスパを食べる。なるほどスパイシーではなく甘みのきいたマイルドな味はチャオならではといったところ。東京の上野で食べたあんかけスパもここん家に近い感じだった。ヨコイの強烈なスパイシーさになれているとすこし物足りないかもしれないけれど、一般の人が食べるならこっちの方がいいかもしれない。名古屋駅にあって夜なのに結構な繁盛ぶりも、名古屋人だけでなく旅行客が食べている現れだろうから。そんなこんなで実家に到着。しばらくいよう。


【8月30日】 とあるどこかのアニメデータベースがウィキペディアを丸パクリしていたって話が出ていてやれやれ。今や論文でウィキペディアを引用しただけでアウトとなる常識の中、参考にされるべきデータベースがそこから引っ張っていては信頼なんておけるものではない。あるいはそうやって引用されたことが分からないままアニメのデータベースに置かれた情報だからとオーソライズされてしまいかねない状況に、もっと慎重であって欲しいんだけれどそうしたことに気を配っている感じがしないのが何とも。

 とりあえず即座に引っ込めたみたいだけれど今度は情報がスカスカになって最初のあの充実ぶりは何だったんだって話になる。代わって同じだけの熱量で情報を入力してこと使えるデータベースなのにってことは、逆に言うならそうやって参照され引用される原典を目指してはいないのかもって可能性も浮かんでくる。ただ情報としてあってウィキペディア的に参照できて状況だけが把握できれば良いっていうか。ビジネスならその程度でも有用だけれどアカデミズムはそうはいかないとなると狙っているのはアカデミックな方面じゃないのかもしれないなあ。そうじゃなきゃ食えないってこともあるけれど。どこを向かってひた走る?

 「夏へのトンネル、さよならの出口」の映画公開が近い八目迷さんの新作「琥珀の秋、0秒の旅」(ガガガ文庫)は時間が進むのでもなく戻るのでも無く止まる話。北海道の函館に修学旅行に行った主人公が周囲からからわかれ居心地の悪い思いをしていた時に突然時間が止まってしまった。誰も動かず動かせない状況の中、ひとり動いている少女がいてその時は離れたもののやがていっしょに原因究明のヒントをさがして、主人公の叔父が言っていた言葉の謎を解こうと東京へ向かって歩き始める。

 函館から東京までどれだけ歩けば着くのか大変だと思わないところが若さだけれど自転車も慣性の法則が働かないからうまく走れなし、自動車もバイクももちろん動かないしそもそも運転できなさそう。だから歩いて行く途中で主人公が妙に正義感を発揮して盗んじゃいけないとか言い出すあたりのウザさが世間から疎外感を読んでそれが時間を止めたりしたのかもしれない。そのうちに過去にも時間が飛んでいたことを思いだし、停まっている間のことを覚えていない可能性も浮上してくる。果たして主人公の少年はいっしょに歩いた少女のことを覚えているのか。そんな可能性も感じさせて至る結末やいかに。結果として少年は何を学ぶかも含め、読んで考えさせられるジュブナイルだ。

 そのうち誰かに譲るかもしれないと2冊買ったいしいひさいちさん「ROCA 吉川ロカストーリーライブ」が届いたので読む。いしいひさいちさんらしく4コマ漫画でギャグめいた展開を挟みつつも吉川ロカという女性がポルトガルの民謡でシャンソンとかカンツェオーネみたいに親しまれているファドという歌曲を歌ってだんだんと人気が出て行くストーリー。気が弱い割に歌声だけは強靱で素人っぽさもありつつやっぱり巧いそおn謡かが評判になってだんだんと大きなホールでやるようになっていくサクセスストーリーがとても嬉しい。

 その一方で学生時代から励まし然りつけてロカを支えてきた女性がいるんだけれど土建業なのかあんまり表に立たずデビューさせたらあとは遠くから応援する程度。もしかしたらロカが自分で励ますために作り出した幻想かもと思われたりもするけれど、マネジャーは実際に喋ったこともあるから多分実在なんだろう。でもラストにどこか幻想の中にいたような感じもあって判然としない。解釈のしがいのある結末。これがもしも文化庁メディア芸術祭の漫画部門に応募されたら同人誌だろうと自費出版だろうと賞をとっただろうなあ。そう言う意味でフラットに面白さを吟味してくれた文化庁メディア芸術祭の公募終了は痛い。かといってマンガ大賞にノミネートできるのかというと……。可能性を探ってみたい。


【8月29日】 サイン入りを買った荒木あかねさんの江戸川乱歩賞受賞作「此の世の果ての殺人」(講談社)を夜中にかけて読んでみる。隕石が降ってくる目前の九州で起こる連続殺人を解き明かす特殊設定ミステリ。巻末に載っている最終候補作がみんな特殊設定ミステリだったらしい中で、頭抜けた面白さだったということdえなるほど確かに読んでいて何が起こるんだろうと気になって最後まで読み切ってしまった。

 直径7キロの隕石が九州あたりに落ちてくるということが分かっていて、日本あたりは壊滅しそうだけれどそれだけじゃなく舞い上がった土砂で日差しもさえぎられて地球は氷河期に入るんじゃないかと言われていて、つまりは全滅確実な中でもはやこれまでと自殺する人もいたりする九州で、なぜか自動車教習所に行った女性がなぜか残っていた教官といっしょに教習を行っていたりする。週末だからといってパニックにならない一方で、慌てる感覚すらマヒしているような感じなのかもしれない。

 そんな2人が自動車のトランクに入っていた死体を見つけたことで、これは誰でどうして殺されたのかを調べ始める。教習所の教官はもとは女性刑事として強い正義感を持って捜査に臨んでいたとか。それだけに行き過ぎなところもあって止めざるを得なかったみたいだけれど、隕石が落ちてくるような状況であっても殺人事件があれば謎は解決したいと挑んだ先、どうやら高校であった虐め事件が絡んでいるらしいことが分かってくる。それは教習所に通っていた女性とも深く関わる話だった。

 そこのあたりは偶然が過ぎる気がするけれど、あまり気にせず読み進んでいった先で連続殺人のその向こうにもっと凄絶な事態が絡んで来る。それが隕石が迫っていることから生まれた狂気なのか、それとも元からあった狂気が隕石によって社会のタガが外れたことで爆発しただけなのか。いろいろと考えたくなる事態の真相。そんな物語の果てに地球はやっぱり救われないんだけれど、ひとしごと追えて迎える最期は気持ち良いのかもしれない。もしも同じような事態に見舞われたら自分だったらどうするだろう。バイクの免許を取りに教習所に通うかな。

 そんなに縋りたいならご遺体をレーニンだとか毛沢東だとか金日成みたいに永久保存すれば良かったのにそこまでのご威光はなかったらしく荼毘に付されたものの、やっぱり縋りたい気持ちがあって保守政治家が作る団体が安倍晋三元総理大臣を永久顧問にしたとか。そうやって奉って敬ったところでなくなった方から何を得られる訳じゃない。存命ならば周囲への影響力も期待できるけれど、そうでない方を顧問として迎えたことから得られるのは自分たちの信心くらいだろう。そういう対象なんだってことを改めて、満天下に示してしまった事態をご遺族は快く思っているのかなあ。そうやって現世に留め置いて名前を使われ亡霊と化しはしないかと不安がっているような気もするなあ。

 福島で行われた日本SF大会で星雲賞が発表になって、牧野圭祐さんによる「月とライカと吸血姫」が藤井太洋さんの「マン・カインド」とともに受賞を果たしたとかでおめでたい。それほど票数もないのが星雲賞の特徴で、そこで同票を得たということは珍しい気もするけれど、SF界隈に知られた藤井さんとは違ってやっぱりライトノベルでそして前にライトノベルで受賞した笹本祐一さんの「AREAL」ほど知名度も高くない作品で、受賞を果たしたのはそれだけ優れていたって現れなんだろう。あの林原めぐみさんが読んで声優を引き受けると決めた作品。今回の栄誉も加わってさらに読まれて欲しいし、アニメの続きも作られて欲しいなあ。


【8月28日】 朝から荷物が車での間、パソコンを開いてカタカタと原稿打ち。400字のレビューを4本書いて400字くらいの総括原稿を着けてとりまとめて送信してとりあえず完了。これで良いのか分からないけれども悪ければ何か連絡があるだろう。気温もそれほど高くなさそうなので今日は家でも過ごせると思い、それなら夕食も家で食べて悪くないと思ったので亀戸のDIVEまでドカ弁当を買い出しに行く。

 痩せようといろいろ頑張って野菜中心の食事にしたりしたけれど、結局はよく歩いてそして午後6時くらいまでに夕食を終えてあとは半日以上何も食べないのが良さそうだと分かった感じがしたので最近はなるたけ夜は外にいたなら午後6時までに外食で済ませることにしている。家にいると午後6時でも暑かったので食べてから過ごすのが大変だったのがこれだけ涼しくなれば大丈夫だろう。できればこの涼しさのまま行って欲しいけれど、もう1度くらい暑さが戻ってくるのかな。

 亀戸まで行く電車の中で三浦晴海さんの「走る凶気が私を殺りにくる」(メディアワークス文庫)をぺらぺら。介護タクシーのドライバーをしている主人公がいつもだったら夫が行く老人ホームへと出かけて認知症の男性を墓参りに連れて行こうとしたら黒いワゴンにつけられ煽られて大変な目に。逃げてもワゴンが追いかけてくる上に横に乗っている老人は認知症だからなのか突然に暴れたり過去のことをしゃべり出したりして落ち着かない。

 そんな会話の中で明かされる恐ろしい老人の過去。一方で主人公の女性が前に働いていたキャバクラ時代の話も挟まれてだんだんと追いかけてくる黒いワゴンの持ち主が誰なのかが分かってくる。追いかけられる恐怖と隣に座っている恐怖。それでも止まれず逃げられない緊迫した状況の果て、さらに驚くような事実が浮かび上がってくる。老人は本当に認知症だったのか。告白した過去はあるいは懺悔だったのか。やっぱり真性なのか等々。恐怖は持ち越されながらも戻って来た平穏を喜びたい。

 亀戸で茶色い弁当を買ってから戻る電車で木崎ちあきさんの「DOPE 麻薬取締部特捜科」(KADOKAWA)を読む。月刊ニュータイプに連載されていたけれどニュータイプで読むのは「ファイブスターストーリーズ」くらいなのであまり気にしていなかった。内容は特殊な麻薬が出回ったことでそれで超人化して暴れる人が続出する一方、麻薬の影響が子供に伝わって先天的な異能力を持った人が現れるようになった日本で、そんな特殊な麻薬が関わる犯罪を捜査する特捜部に配属された若い捜査官の才木優人が、先輩たちと事件に挑むといったストーリー。近未来的異能捜査物って言えるのかな。

 主人公の才木には直感で悪いことを察知する能力があって、そしてバディとなる先輩の陣内徹平にはとてつもない視力が備わって、ほかに体力がものすごい女性がいたりして異能捜査官がズラリ。とはいえそんな能力が全面的にぶつかりあうような「文豪ストレイドッグ」のような迫力たっぷりの展開にはならず、ドラッグが関わる事件を地道に捜査し聞き込んだり張り込んだり乗り込んだりして犯人に迫る。そんなエピソードの底には神内の妻が惨殺された事件への怨みを晴らそうとする執念があり、その真犯人を追い詰めた果てに現れる悲しくも腹立たしい事実があって神内に同情もしたくなる。だからこその再出発。新たなポジションを得て始まる新たな物語に期待したい。


  【8月27日】 家にいたら干上がってしまうか眠ってしまうので家を出て、とりあえず池袋へと向かい映画「NOPE」をIMAXレーザーGTの巨大スクリーンで見ることにする。せっかくそれ用に作られた映画をそれで見ないのは勿体ないから。途中で富士そばへと行って味つき玉子が載った蕎麦とカレーのセットを食べて一服。そして激情に入ると「ブレット・トレイン」の登場人物をアニメで描いたポスターが飾ってあった。

 ブラッド・ピットが主演なのに日本で新幹線に乗る話って何だろうと思ったら伊坂幸太郎さんの「マリア・ビートル」が原作なのね。それをハリウッドで超スターを揃えて映画化するなんて他の作家が羨ましがるような経緯。仮に日本で撮ったらそれこそ「新幹線代爆破」のようなスペクタクルにすら今はならないでセットを使ってアクションシーンがあるようなショボい作りになったかもしれない。どうだろう。

 映画は公開がまだ先なんでそれまつ待つとしてとりあえず「NOPE」。うーん、これをIMAXで撮ろうとした心意気と、そしてIMAXで撮ったなりの迫力が出ていることは認めよう。とりわけ横だけではなく縦にも長いスクリーンは見上げるような描写に最適で、そんなスクリーンだからこその見上げる恐怖って奴を存分に与えてくれた。とはいえストーリーはB級スペクタクルに近い感じで昔ながらの合成でやってもそれなりにショッキングな映画にはなったんじゃなかろうか。

 ダニエル・カルーヤが演じるB.Jという映画やスタントに貸し出す馬を育てている男性は、ベテランだった父親を亡くして後をついだものの愛想に乏しく今ひとつ。かといってキキ・パーマーが演じるエムも落ち着かない正確すぎて遅刻は平気でそれでいて自分の宣伝に余念がなく仕事にはあまり熱心ではない感じ。集中力に乏しくすぐ騒ぎたがる性格が兄とコントラストになってこりゃあちょっと任せてられないわってなっても仕方がないだろう。そうして牧場は傾いていく。

 なので仕方なく馬を手放そうと赴いた先が西部劇風のアトラクションを展開するスティーブ・ユアン演じるリッキー・“ジュープ”・パークという男。彼が子役として出演していたファミリードラマで前に陰惨な出来事があったんだけれど、それと本筋とが絡むと言えば絡むものの絡まないといえば絡まず、そうしたよそ道も含めてIMAXで撮っているのもったいない感が強い。どうせだったらスペクタクルなアクションをもっと撮ればよかったのに。それは予算がかかりすぎるからやらなかったのかなあ、6800万ドルだものなあ制作費。アメリカにしちゃあ安い。

 そうやって作られたドラマはなかなかにスペクタクル。あれはどこから来たのか。あれは何者か。あれはどこに行くのか。どんな言葉が浮かんだけれどそうした説明に割くことはしないのも映画をともすればば高尚で、逆に言えばスカスカにしている。まあ見ている間は楽したんだからそれはそれで良いのかな。四角いIMAXのスクリーンで見る意味はあった映画。続編とか作られたら今度こそ軍隊がわんさか出てきて相手も大量に現れて一大バトルなんてものを撮って欲しい。そういう映画なんだ。

 谷口悟朗監督による「ONE PIECE FILM RED」が100億円にたどり着いたそうでまずはおめでとう御座います。東映の単独配給では初めての100億円でもちろんシリーズでも最多なら谷口悟朗監督作品でも超絶的な記録。「ONE PIECE」という素材の大きさはもちろんあるけれど、それを歌でまとめあげつつ人気のシャンクスも絡ませつつしっかりとした親子の関係を描き上げたからこその人気だと言えるだろう。しらない爺が昔取った杵柄とばかりに出てきて暴れ回るだけの作品より、本筋とも絡めつつ単独でも楽しめる作品にしたことが功を奏した。未だ「名探偵コナン」でもたどり着いてない壁を先に突破して「コナン」は次に何を描く、ってもう決まってるんだっけ。変えてきたりして、灰原哀がメインな上に唄いまくる内容に。


【8月26日】 一昨日に富山から帰ってきて1日おいて群馬県は太田市へ。こんなに動き回っていると脚に筋肉が戻って基礎代謝が増えて痩せるかと思いたいけれどもここまで膨らんでくるとそう簡単には落ちそうもないのが悲しい。でも頑張って歩いて起きて歩いて起きることにする。さて太田市にはさいしょは特急で行こうと思ったけれど、北千住まで行って出発までちょっと間があったので久喜まで行って館林まで行ってそして伊勢佐木行きに乗って太田まで行く。思ったより早くついた。

 群馬って遠い気がするけれど鷲宮神社までよく行っていたからそこからちょっと脚を伸ばした感じだって分かった。また行くかというと来週にまた行く用事があるから行くんだけれど、それだけじゃなく観光でちょっといろいろ行ってみたい気もしてきた。渡良瀬渓谷とか紅葉の季節になると風光明媚なんだろうか。赤城山って国定忠治がいるんだろうか。あんまり群馬県の観光って勉強してないのでちょっと掘ってみるか。でも基本は秘境だからなあ。何が出てくるか。それもまた楽しみってことで。

 太田市に着いたら時間があったので近所の食堂で昼食を摂る。やっぱりご当地ということでソースカツ丼を所望。新潟のタレカツだとか福井のソースカツ丼だとか卵とじではないカツ丼は各地にあってどれが本家か分からないけれど、前に福井で食べたのはわりと厚めのカツだったのに対して群馬のは薄切りのそれこそ生姜焼きより薄そうなカツを衣でくるんで揚げたカツレツといった感じ。それにタレがしみて柔らかかくて食べやすかった。東京で食べられるんだろうか。探してみよう。

 時間があったのでそばにあった綺麗な図書館でしばらく休憩。大きくないけど綺麗でラウンジとかずっといたかった。カフェもあってそこで原稿をこうかとも思ったけれどそれほど時間がないので休憩だけ。ショップを覗いたらすぐ駅前に工場が建っているスバル関連のグッズだとかが並んでいて、中にスバル羊羹とういのがあったので1本所望する。箱にスバル360が描いてあるだけで中身がスバルにちなんでいるってことでもないけれど、なかなかデザイン性の高い箱だったので気に入った。

 あと子供の頃に家でスバル360を乗っていたってこともあるかなあ。狭いはずの車だったけど一家四人が乗ってあちこち移動してた。それくらい機動力のある車だったんだよ。それくらいのミニカーが今、電気自動車として売り出されれば売れると思うんだよなあ。普通の乗用車をEVに置き換えるのはたくさんでているけれど、そんなに大勢が乗って遠距離を移動することなんてこれからなくなると思うのだ。それこそシェアカーの時代になって誰でもどこでも使える車が必要になった時、スバル360的なコンパクトでそれでいて収容力も高い車に需要がある気がする。トヨタとか作らないのかな。

 トヨタもそんな状況ではないか。トヨタイズムだなんて内輪で立ち上げたメディアの編集長として迎えた香川照之さんがセクハラ問題を認めて謝罪。つまりは事実だったってことでそんな人を看板に据えてトヨタの顔としてあれやこれや語らせてはイメージダウンになるんじゃないかって話になっている。ただのタレントだったら変えれば済むけれど、編集長だなんって肩書きを与えて一般のメディアからの取材を断りつつ内輪のメディアとして活用しているメディアの顔にしている訳だから、ここで引っ込めてはメディアじゃなくPR媒体だったってことを認めてしまうに等しい。どんな処断が下るか。そのために報道ステーションの元アナウンサーを企業ジャーナリストとして抱えたのかも。そこはリスクヘッジが効いているな。

 太田市での取材を終えて帰りは特急で東京まで戻って取材。まぶしい2人にまぶしい話を伺って目が潰れる。来月中には出る予定。って原稿書かないと。そかし新聞とかで自分で撮影していたのと比べると、仕事をした媒体は巨大なスクリーンを持ち込みライトも持ち込み光を当てて動きもとってもらってプロ級のスタジオ風写真を撮っていた。新聞社のカメラマンでもそんな大仰な撮影はしなかったらやっぱり雑誌的な媒体は大変だ。それだけにプロの仕事も必要だってことでいくらスマホが発達してもカメラマンの存在は必要なのかも。そんな仕事に耐えるカメラを作ってくれよペンタックス。それは無理か。


【8月25日】 ほら言わんこっちゃないといった感じに文化庁メディア芸術祭の実質的な終了を告知する発表文が素っ気なさ過ぎて、いらぬ憶測を呼んでいたりする。どうして今中止するのか、それが顕彰の広がりだったらその旨も明記しつつ今後もしっかりと文化庁はポップカルチャーを応援しているよと言う姿勢を見せた方が良いとしておいたのに、そういったところに触れず聞かれてもあまり答えてなくて予算が尽きたポップカルチャーを見捨てた等々の意見が出ては攻める声やら悔しがる声が湧き上がっている。

 実際にメディアアートなんかは外に代替の場もなくてまだ見ぬクリエイターがプロジェクトの中で生み出した一風変わった作品が受賞を果たして世に認められ、クリエイターの今後に大きく影響を与えるなんてこともあった。新しいクリエイターを支援する制度から作品が生まれたり、日本のみならず世界を回る展示によって活動の場を世界に広げたりってこともあったりした。そういった可能性が今のところ何の代替措置も講じられないまま道が閉ざされようとしている訳で、不安も大きいだろう。

 アニメーションはまだ新しいアニメーションのフェスティバルも出来て世界各地のアニメーションがやってきて、見られる機会もあるから良いんだけれどそうした作品がお墨付きを得てさらに広がる機会が減じられてしまったことはやっぱり残念。やっぱり国がアニメーションにお墨付きを与えるというのは、アニメマニアからすれば余計なことに見えても当事者からすればやっぱり栄誉だし将来につながることだった。あとはそこで記録されることで存在が長く残るということも。

 賞というのはそうやってアーカイブを作る意味も持っていた。四半世紀作られたアーカイブは今後は作られず、クラウドのようにあちこちに点在するイベントから文字通りに雲を掴んで揃えていかなくてはいけないのは後世にとってよいことではない。なので今回、賞としての顕彰は途絶えても年鑑として作品をピックアップして記録していくことだけは続けて欲しい気がする。メディア芸術データベースの構築はそうした活動のひとつなんだけれど、そこへのエントリーとしてメディアアートなんかの場合文化庁メディア芸術祭があったのだから、代替として委員会なりが作品を調査して並べ入力していくことを続けて欲しい。1年の成果としてウエブだけでお披露目してくれればさらに良いのだけれど。どうだろう。

 原稿を書こうと家を出てとりあえず日本橋で降りてローマ亭とかいったロメスパの魅せてフランクフルトを添えてジャポネーゼを頼んだら出てくるまでに結構な時間がかかった。早く出せるのがロメスパなのにどうしたんだろう。開店直後だからまだパスタがそろってなかったのかな。次また行って同じようなら考えよう。そこから新宿へと回っていつものマルイの下にあるVELOCHEですこし原稿書き。どうにか書き上がったので新宿ピカデリーへと回って「凪の島」を見る。

 ひろしまアニメーションシーズン2022で「平家物語」の美術監督を務めた久保友孝さんが瀬戸内海の海は緑色をしているのに、外の作品ではそうではなくって残念に思っていたことを話していたけれど、なるほど映画に映し出される瀬戸内海の海は緑色をしてて、これを毎日見て育った人からすればやっぱり不思議に見えて当然だと納得する。そんな海で溺れているんじゃなく潜っている少女から始まって、母親と祖母と暮らしていて友達もいて先生も優しくて心地よい環境で暮らしてすくすくと成長している姿が綴られていて安心して見ていられた。

 とはいえそんな少女に父親が見当たらない理由があり、友達のひとりにも母親が家にいない状況があってそれぞれに苦労した家族がいて心に傷として残っていたり、逆に知らされず不安だけが募っていたりする姿に、多感な子供にどこまで教えるべきなのかといった問題をつきつけられる。説明して分かってもらえるならそうするし、分からないなら分かる時まで黙っているべきなのかもしれない。そうやって繰り広げられていった物語の果てに、島での結婚というハッピーなイベントが来て未来へと足を踏み出す動きもあって嬉しい気持ちで見終えられた。良い映画。新津ちせさんはどんどんと役者になっていくなあ。


【8月24日】 富山市内で取材をしてから富山駅へと戻って駅弁と鱒の寿司を買って新幹線に飛び乗り一路東京へ。途中で頼まれていたレビューの候補作を幾つか上げたり雑誌のレイアウトに沿って文字を埋めたりして過ごすあたり、売れっ子のような感じだけれども単に仕事が遅くて移動の時間にまで持ち込んでしまっただけなので喜べない。それでも本くらいは読もうと碧野圭さんによる弓道小説「凜として弓を引く」を読んでこちらは「ツルネ」とは違った高校でもなく男子でもない女子の神社にある弓道場が舞台のストーリーを楽しむ。

 高校で弓道部があるところなんてそうはなく、普通の人がどこで楽しむかと言えばやっぱり弓道場があるスポーツセンターか神社のような神事としての弓道が必要な場所に設えられた弓道場。そういうところでどういう人が弓道をしているのかが分かって面白かった。あとはどれくらいお金がかかるのかも。やっぱり弓とかは高いんだろうなあ。それから実際に弓で矢を射るまでにはしばらく鍛錬が必要なことも。「ツルネ」とは違って連続講座の6日目には引かせてもらえたから早いかもしれないけれど、引けたからといって当たるものではないからそこからが本番。続けていける環境があれあやらざるを得ないだろう。その意味での講座ってことなのかも。近所でやってないかなあ。試してみたいなあ。

 大事大事。ひろしまアニメーションシーズン2022が成功裏に終わった一方で長くインディペンデントのアニメーションにも目を配りつつ商業アニメーションも取り上げつつ良いバランスで表彰してきた文化庁メディア芸術祭が、次回の作品募集を行わないことを決めたという。来月に第25回の受賞作品展示会が行われるんだけれど今年募集が行われず選考結果も出ないとなると、来年の第26回にあたる受賞作品展は開かれず文化庁メディア芸術祭における作品のセレクトと展示の巡回という最大のイベントが途絶えてしまうことになる。これは困った。大いに困った。

 なるほど新千歳空港映画祭があったり新潟国際アニメーション映画祭が始まったり東京アニメアワードフェスティバルが続いていたりひろしまアニメーションシーズンが始まったりといった具合にアニメーションを評価する映画祭は結構あって、これに毎日映画コンクールのような大きな賞もあってそれなりに作品を日本で観る機会はあったりするから困らないような気がする。そういった民間への拡張を受けてメディア芸術祭が一定の役割を追えたというのは分かるけれど、これはアニメについての話であって外の分野だとそこまでフラットでイーブンな漫画賞はあまりない。

 漫画だと小学館や講談社が半ば宣伝含みで行っているものや、朝日新聞が行っている手塚治虫文化賞マンガ大賞、そしてずっと続けてようやく価値が定着してきたマンガ大賞があってそれぞれに素晴らしい漫画を送り出しては居るけれど、そこに海外の優れた漫画を紹介する機能はない。公募で門戸が世界に開かれていた文化庁メディア芸術祭では海外の優れた漫画を日本に紹介する窓口になっていた。そしてゲーム。日本ゲーム大賞があるけど業界団体が出す賞でヒット作がメインになってソーシャルだとかオンラインといったものへの目配りが薄い気がする。

 メディアアートも国内で美術展の文脈意外で評価して展示して紹介するような賞はたぶん皆無。海外だとアルスエレクトロニカだとかサウスバイサウス・ウエストといったメディア系の展示があってそこに向かってクリエイターが仕事をしているけれど、日本から気軽に見に行けるようなものではないし、企業が取り組んだメディアアート的なイベントもその場にいなければ体験できない。そうした一回性のイベントでもちゃんと広い、再現なり採録をして見せてくれたことでライゾマティクスの凄さが一般にも広まったような気がする。その代替が存在しないにもかかわらず「役割が終わった」というのはちょっと早いけど、決まってしまったならどうするかを今は考えるしかないんだろう。どうしよう。


【8月23日】 朝から外苑前にいって新作アニメーション映画「バッドガイズ」の試写を見る。公開前なんで詳細は避けるけれども印象はとても面白い。例えば「ルパン三世」が好きだったり「BEASTARS」が気になっていたり「PUI PUI モルカー」でモルモットに目覚めた人は見に行くととても楽しい気持ちになれるだろう。あとはキツネの美女がパンツスーツをまとった姿の見目の良さにピンとくる人とか。とってもなまめかしくてそれでいてカッコ良いんだ。公開されたら絶対観に行く。

 東京駅へとそのまま向かって新幹線で一挙に富山へ。一昨日まで広島にいたのにまた遠征だなんてこの20年くらいついぞなかったので忙しいのかというと逆に勤め人でなくなって暇ができたんで長距離の移動を含む仕事がこなせるようになったってことかもしれない。仕事なら当然、プライベートでも仕事に絡めば交通費も宿泊費も経費になるからなあ。そこは気が楽。使わなければ税金で持って行かれるなら使っちゃえって、こういうことだったのか。

 到着した富山でまずは駅構内にあるラーメン屋に入りブラックラーメン。前はちょっと知らなかったのえライスを付けなかったけれど、今回はちゃんと着けて濃い汁が染みた麺をすすったらご飯で口中をリフレッシュする繰り返しを楽しめた。ラーメンライスよりも必然性がありそうなブラックラーメンライス。外の店にも行きたかったけれど遠征とかしている余裕もないのですぐさま宿に入って原稿を打つ。

 アパ ヴィラ&リゾートホテルは前回来た時も止まったホテルでアパホテルだけに特徴的な会長だか社長の顔が入ったペットボトルが置かれていたり、藤誠志さんって国士な方の著作物とか置いてあったりするけれど、それを気にしなければ比較的広めで調度も綺麗で駅から近くて値段もそこそこと申し分がないのだった。机も高さがしっかりしていて仕事に最適。そこで頼まれていたインタビュー原稿をカチャカチャと打ってとりまとめて送ってから、セブン・イレブンへと降りて夕飯を買い込み戻って仕事になりそうなアニメを視聴。そこまで進んでいたのか。でもまだ先は長そう。ラストまで突っ走って欲しいなあ。

 せっかくだからと「ツルネ3」を読んだら愁にストーカー気味の後輩が出来てなかなか大変だった。いやそれ犯罪だからってことを平気でやらかして逮捕されたりしないのが不思議だけれど、そこはまあ青少年の更正に期待を込めたということで。十分にお灸も据えられただろうからきっと次からは騒がれないだろう。2年生になった湊たちには後輩も出来てそこからどんな新人が出てくるか、ってところが気になる。
 一方、それで5人組に亀裂が入るのもちょっとファン的には大変。チーム推ししている人も迷うだろう。「けいおん!」はそこをまくやって後輩が最後まであずにゃん1人だけだった。アニメの2期も決まって続くなら3期がそこで描かれるとするなら、どのキャラに誰の声が入るかが気になって来るなあ。ともあれ京都アニメーションが小説を出しアニメーションも手掛けて作品をしっかりと育てようとしてくれている心意気は感じられた。「Free」であり「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であり「ツルネ」といったオリジナルを小説からアニメから全展開して成功させているビジネスモデルを、どこがちゃんと追えるか。見ていきたい。

 アホなのはリモート会見に登場した岸田総理ではなくそのモニターを官邸のロビーで取り囲むようにして見ていた記者たちだろう。それこそ記者クラブのPCからアクセスして対話もできるようにすればわざわざ1台のモニターを密になって取り囲む必要もないのに、それをやってしまう“絵作り”を意識するあたりにリモートワークだのといった新しい働き方に記者たちが対応できていないことが顕れてしまった感じ。全世界的になんて間抜けな奴らなんだと思われただろうなあ。デジタル担当大臣は何をしてたんだ。自分の会見をどうするかにちょっと関心。


【8月22日】 出ていたはずの「ツルネ 風舞高校弓道部 3」を買おうと西船橋の駅の中にあってKAエスマ文庫を扱っている本屋さんにいったら完売売り切れだったそうでこれは困ったと思い地下鉄と電車を乗り継いで三鷹まで行って、三鷹駅の上にあるこちらもKAエスマ文庫を扱っている本屋さんをのぞいたらまだ残っていたので内容を忘れていた2巻も含めて購入する。

 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」とか人気になったけれどなかなか販路を広げず電子書籍でも確か出していないのは本屋さんを大切にしようという表れか、リソースを限定して注ぎ込んで長く付き合ってもらえるところを手厚くする考えか。ライトノベルの扱いがノベルズに負けつつある今、文庫ラノベをちゃんと置いてくれる本屋さんって貴重だからなあ。まあ仕方が無い。

 とって返してお昼ご飯にしょうと阿佐ヶ谷で降りて男の晩ご飯で生姜焼きと唐揚げが載ったランチをもりもり食べる。食べきれるくらいだからまだ胃腸は大丈夫だと思いたい。そこから近所の商店街の中にあるサンマルクカフェに入ってカタカタと原稿書き。ひろしまアニメーションシーズン2022で見た「平家物語」のトークイベントの様子をとりまとめてチェックに送る。山田尚子さんが登壇するイベントってそうはないから貴重なものなので是非記事にしたいので通ってくれと西にお願い。

 お腹を減らそうとアーケード街の中をとことこと歩いて南阿佐ヶ谷へ。店が立ち上がったりなくなったりはしてもちゃんと商店街として賑やかなのは近所に住んでいる人が多いからなのか、近所に大型スーパーがないからなのか。近場で食べられて買えて飲めるなら商店街の方が便利だよなあ。阿佐ヶ谷といい高円寺といい雰囲気を保っているのはそのためだろう。これが下北沢のように大々的に駅改良工事で駅前がこぎれいにされてしまうと、だんだんとお洒落が増えて雑多が住みづらくなっていく。今はその過渡期。持ちこたえてくれるかなあ。トリウッドとか最近行ってないから今度行こう。

 せっかくだからと映画の「ツルネ はじまりの一射」」を新宿ピカデリーで見る。テレビアニメにもなっていたけれどその総集編というだけでなく新作カットも混ぜて第1巻のストーリーを総括する形になっていた。原作を読んでいるかテレビシリーズを見ていないとちょっとキャラクターの関係とかついていけないところもあるかもしれないけれど、弓を引いて矢を放つ所作の美しさと難しさを、しっかりと踏まえて描いているから見ていると自分も弓道をやってみたくなってくる。

 見終わってラストシーンのその後に付けられていたのは原作だと「ツルネ2」にあたるところ。県代表を決めたあとの地方大会に行って桐先高校弓道部と再戦したり中学で湊や愁の先輩だった二階堂永亮が登場する辻峰高校弓道部が出てきたりしてさらにピリピリとした雰囲気の中、弓にかける青春が描かれていくことになる。女子が風舞高校は3人しかいなくてモブになっているのが寂しいけれど、5人の男子の結束を途中のいさかいも含めて見て成長を楽しむ作品だからそこもまあ、仕方が無いということで。

 「新世紀エヴァンゲリオン」の冬月コウゾウというか僕らの世代だと「機動戦士ガンダム」のテム・レイを演じていた声優の清川元夢さんが死去。先だって小林清志さんが亡くなり大竹宏さんも亡くなって昭和の黎明期からアニメを引っ張ってきた偉大な声優さんたちがどんどんといなくなってしまうのは寂しいけれど、世代が変わるというのはこういうことなので悲しみを呑み込みつつご冥福を祈ろう。ありがとうございました。


【8月21日】 ひろしまアニメーションシーズン2022では「犬王」の狂騒応援上映が行われてだいたい500人くらいは入ったような印象。これってもしかしたら新宿バルト9のシアター9より多い数字で過去に行われた応援上映では観客数で最大級だったかもしてない。場所も音楽のコンサートなんかが開かれるホールだけあって最後列で聞いてても、劇場より声がクリアでセリフも歌詞もくっきり聞こえた。統率がとれていてそれでもめいめいが自分を表現をしいた楽しいイベントだった。田中aさんが見たら何と言ったかなあ。

 今日も今日ととて会場へと出かけてコンペティション参加アニメーション作家のトークだとか、「平家物語」の山田尚子監督と吉田玲子さんと美術監督の久保友孝さんのトークなんかを聞く。その後に久保さんは別の山村浩二監督とのトークにも出席。どうして美術の道を目指したのかと、かつて椋尾スタジオにいて「聖闘士星矢」の劇場版の背景なんかを手掛けていた山村さんも興味があったのか尋ねたら、高校生の時にジブリ作品を見て背景に興味を覚え、独学で背景美術の画集を写したものをジブリに送って美術の人から返事をもらい、これで進む道を決まったという。

 高校卒業と同時に小林プロダクションに入って「ルパン三世カリオストロの城」や「少女革命ウテナ」の背景美術を手掛けた重鎮、小林七郎さんの下で仕事を兼ねつつ修行の日々を重ねたという。生きたい道をまっすぐ歩んで来られた方ってことなんだなあ。そうやって入った美術の世界で監督を務めても、どちらかといえばキャラクターのアニメーターとか演出家の下請けに回るところが大なのが背景美術。でも「平家物語」では割とイニシアティブをとって、全体の色調やトーンを決めていったとか。

 美術が陰影のバランスについてこうしたいと言って外の部署が合わせてくれたというからちょっと珍しいかも。薄暮な場面とかよほどの決めカットを演出の支持で行う時は指定されたけどほかは美術発と久保友孝美術監督。全編が1枚の絵巻のような「平家物語」の統一感はここから来ているのかも。あと建物が燃えている場面なんかで作画や撮影が処理せず美術で炎が動く処理をしたという。そこもまた「平家物語」の妙に効果が前に出てきたりするのがない、統一感のあるトーンの秘密かなのかもしれない。

 あと「平家物語」では寺社とか当時のカラフルな色彩にするか今知る褪せた色彩にするかを迷い間を取ったらしい、そうした”嘘”をたとえば屏風だとか襖絵などでもついていて当時には無いアバンギャルドな絵が描かれていたりする。住まいがだいたい一緒になるからそうした建具で違いを出した。何を考えているか分からない以仁王は幾何学模様だったり、後白河法皇のところには洒落で鳳凰がいたりとか。それは歴史考証から外れるけれど考証の人の確認を得て行った演出という。なるほどもう1度見ていこう。

 ちなみに「平家物語」の美術はデジタルが多く使われているとのこと。手前に花とか置きつつ奥に焦点を合わせるような画面で1枚の背景美術に奥も手前も一緒に描くと手前だけ切り取り撮影処理しないといけない。その手間を考えるとレイヤーで分けて描いて合成した方が早いとなってデジタルが多くなったと久保友孝監督。新版画を意識したフラットな塗りもデジタル向きだし。ただし葉っぱだとか自然のものはディテールが足りなく鳴るときがあるのでアナログで描きデジタルに取り込んで色調を補正したというからハイブリッドなところもあるかも。そういう意味でも革新的で画期的なアニメだったんだなあ。パッケージ買おうかなあ。


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