縮刷版2022年8月中旬号


【8月20日】 2日目のひろしまアニメーションシーズン2022に行こうとホテルを出て、少し戻って商店街を歩いていたら大正呉服店に外観が似ている建物にサンマルクカフェが入っていたのでモーニングを食べ、そして近くに移築された大正呉服店も似て見比べる。そっくりだなあ。もしかしたら移築した後に似たビルを建て直したのかな。原爆ドームも近くに寄って見学。よくもまあ残っていてくれた。この遺構を突端にして川を挟むようにして始まり中州を貫く平和公園を設計した人はやっぱり巧いなあ。象徴性と実際性がしっかり保たれているからこそ、今も祈りの都市として広島が世界に屹立し続けているのだろう。

 到着した会場でダンサーの田中泯さんと山村浩二監督のトークを聞く。自然に体は動くものだし人それぞれに持っているリズムは違うものだという田中さんにとって、一生挙手体操のようなライブでのコール&レスポンスはどうにも奇異に映るみたいで、アーティストが左右に振る手に観客も全員が同じように手を左右に振る様を「素晴らしい歌を聞いているのにどうして一緒に動くのか?」と指摘していた。踊りは個々に内からわき出る動き。それが一緒になるのは「下品な忖度」とまで言い切った。ちょっと凄い。

 アーティストと観客との間である種の肉体的な言語が交わされ、衝動によって体が動くのなら良いんだけれど全体が一体感を出すためにそれを行い、そうせざるを得ない心理に追い込まれるのはやっぱり違うってことなのかも。あと、映画やドラマで演じる役者について「昔は雨の中を20秒立っている絵があったのに今はすぐに切り替わる。(その意味を)観る方が分からなくなっている」と言っていた。身体表現をする側も受ける側も理解できなくなっていんだろうなあ。

 「俳優が同じ顔で喋ってなんぼになっている」とも。「違う役をしても俳優のファンがついていく。お芝居でちゃんと役があるのに俳優の名前で呼ばれるのなら、演技って何という話になる」と田中泯さん。そして「アニメも顔だけでなく体のキャラクターがなければおかしいのでは」と山村浩二監督の話から繋げていく。なるほど確かに今は顔さえいしっかり作画されていればファンもついてくるけれど、絵を動かして表現するアニメーションで体が動かないなんてことがあり得るのか、というのは基本を振り返る意味で言い問いかけだった。その肉体の動きがキャラクターを表すような作画ができるアニメーターをもっと尊ぶ風潮が、生まれて欲しいなあ。

 ワールドコンペティションから「物語の冒険」を観る。アメリカのナタ・メルトーク監督「レギュラー」は連続しながら拡張していくイラストレーションといった感じで見ていて引き込まれた。ドイツのニキータ・ディアクル監督「バク転」は、シミュレーション空間においた3Dもでるのキャラクターに自分をテクスチャとして貼り付け自然学習でバク転を行わせるまでを追った内容。アニメーションならではの自在な身体表現をAI化で楽に仕様として引っかかるという批評性を持った内容だった。

 ポーランドのパウリナ・ジオウコウスカ監督「三世代物語」は夫が居る自分から観て母親の世代、そして娘の世代を眺め信教に勤しむ祖母、子育てに忙しい娘とそれぞれの世代の狭間にあって迷いと空虚さを感じている女性が観られた。大人になるって大変なんだ。ギリシャのジョルジュ・シフィアノスは「目の見えない作家」という作品で目隠しをしながら描いた情景や人物を動かしていく作品。でもやっぱり身体に刻み込まれているのか人物も背景も巧いし動くんだよなあ。見えない世界をどう見るかといった問いかけにある種の答えを出してくれる作品といったところ?

 そしてスロベニアのミロス・トミック監督「ボクのパパの憎っくきカメラ」はペイントの背景を線画の親子がカメラをめぐってやりとりする内容。親にもっと関心を向けてもらいたいのに親はカメラに夢中というよくある状況を描いてる。ベラルーシのジェナジ・ブトー監督「原初的なるもの」は3DCGのオブジェの戦い。立方体やピラミッドやなにやらかにやらが転がりおいかけ繋がり大きくなってぶっ壊れる。成長すると複雑になるのって大変なんだなあ、って感じ。

 そして日本から幸洋子監督「ミニミニポッケの大きな庭で」。変幻自在な子供の落書きのような極彩色の絵が移り変わっていく上に被さる大音声のセリフたち。サイケデリックに過剰な断片がつながって人生めいたものを感じさせる。作中に出てきた「ほかる」って名古屋弁じゃあ。これも存分に狂気に満ちていたけれどフランスのニエット監督「宇宙を呑みめ」が爆発的な狂気に溢れたマッド鳥獣戯画だった。

 モデリングされたグロテスクなカエルが喋るセリフが日本語だけれど機械語でなおかつ文脈がハチャメチャ。「パプリカ」で筒井康隆さんがひねり出した異常者のセリフめいていて何か言っているけど何を言いたいか掴みづらい。その上に絵が超グロテスク。顔の皮をはがれた人とかしつこく出まくる。何でフランスの監督で日本語だとか絵巻風だとかいったジャポニズムを伊藤潤二か丸尾末広か風忍かといった方面に極振りして延々と続ける映像と意味不明の機械音声を見せられて眠気が一気に吹き飛んだ。良し悪しに限らず見ておくべき作品といえそうなニエット監督「宇宙を呑みめ」。次に見る機会はあるか?

 そんなひろしまアニメーションシーズン2022のワールドコンペティション「物語の冒険」でカテゴリー賞をとったスイスのジョルジュ・シュヴィッツゲーベル「ダーウィンの手記」は原住民をさらい文明化して送り返して分明と宗教が浸透するなんて取らぬ狸の皮算用をして無理だったら逆ギレする西洋の無茶がよく出ていた。絵は絵本調にシックで見やすくそして文明を与えて喜ぶ原住民を想像する西洋人がある意味で愛らしかったけれどその押しつけがどれだけの文化を滅ぼしてきたかをスイスから問うような作品だった「ダーウィンの手記」。がそんなこんなで面白かったスロット。物語冒険し過ぎてた感じ。


【8月19日】 一路広島へ。最初はプライベートで行く予定だった「ひろしまアニメーションシーズン2022」の原稿を書いて欲しいという依頼があったので、宿代ぐらいは稼げそうだと取材へと切り替え現地に入る。通過したことはあっても降りてい滞在するのは初めての広島。会場までは広島駅から市電に乗って行こうとしたら、途中であの原爆ドームが見られてちょっと緊張した。当時の建物だから大きくはないんだけれど、77年が経って今も経ちつつだからといって完全ではないその形に、衝撃の大きさというものを思い知る。建物が残っているんだから家に居たら安心だなんてこれを見たら言えないよなあ。

 さても到着したひろしまアニメーションシーズン2022では山村浩二監督の「北の幾多」をまず鑑賞。東日本大震災のあとに誰の心にも浮かんだ不安めいたものをかきあつめては自分の中に呑み込んで、ビジュアル化していった断片を集めて64分という山村監督では始めての長編に挑んだ作品。「先が見えない不安と」「先が決定している憂鬱」といった言葉から浮かぶあの頃の、そして今も漂うある種の鬱屈が山村浩二監督ならではの細緻で幻想的なキャラやオブジェや背景によって表現される。

 宙づりになって回る男。吸い込まれる兎。コップの縁で過ごし続ける2人。燃える傘。不思議なビジョン。それらから感じる心、重ねられる言葉から浮かぶ思いといったものをジャジーな音楽とともに眺め過ごしていく。ダリの絵のように不条理でルドンの絵のように怪奇だけどそこに“幾多の北”の思いなのだというガイドがつくことで想像し連想して自分の中の不安や憂鬱に近づける。そんな映画だった「幾多の北」。東京でも見られるならまた見たいなあ。とりあえず文化庁メディア芸術祭関連の上映会狙いか。

 ひろしまアニメーションシーズン2022ではワールド・コンペティション「社会への眼差し(2)」でレイ・レイ監督「銀色の鳥と虹色の魚」も観た。父親が出稼ぎに行き残された子供たちがかごとの鳥になったのを女性がレインボーフィッシュに変身して救う、なんてあらすじ紹介にはあるけれど、要するに中国の大躍進政策時に地方に下放さられた銀行員一家のうち母親が病弱で父親の再度の転勤に耐えられそうもないからと田舎に残り子育て中に死去。そして文化大革命で父親も逮捕され、といった中国現代史の暗部と言われる時代の状況を、銀行員だった祖父と残された子供だった父に語らたドキュメンタリー映画とも言える。

 ただし、そうした中国現代史を直接的に描いては祖父や父の証言は得られないと考えたのか、地方での生活は粘土で造形したキャラクターを動かし少しマジカルにデフォルメして描きファンタジーっぽく見せていて、子供の思い出を描いたアニメーションですよといった体裁をとっている感じ。けれども下放や文革の模様は報道写真や資料写真や雑誌なんかの切り抜きから選んでコラージュして描いているし、ちゃんと編集するからといいつつまるまる残した逸話の数々から浮かぶのは大躍進だの文革だのの大変さだったりする。

 聞き手が監督だとしたら祖父や父に思い出話をしてもらいつつその時の様子を可愛いアニメーションにしましたよと話して喜んでもらいつつ、編集どころか全部喋らせ自然とあの頃の中国で行われた毛沢東による施策のしちゃかめっちゃかさ、それがもたらす民衆の大変さを映画にした作品って気がしてきた。つまりは逆プロパガンダをやってのけてる映画とも言えるレイ・レイ監督『銀色の鳥と虹色の魚』。アニメーションというにはぺたんこな粘土の顔とか技量に優れている訳では無いけど表情はしっかり見えるところが巧いし、そうやってデフォルメすることで子供からの目線で経験したあの時代が浮かんでくる。ちょっと長いけど中国現代史に興味があるなら、苛烈さとか非道さとか前面に出さない下放や文革時の庶民の日常に証言で触れられる映画として見よう。


【8月18日】 せっかくだからと「Gのレコンギスタ3 宇宙からの遺産」を見て4に繋げようと思って見始めたらバララ・ペオールというマスクのそばにいて5ではピラミッドを操縦していた女性パイロットのあの頭の横に立っているアンテナが、取り外すことができる上にペンペンと弾いて遊べるものだと分かってだったらいったい何で付けているんだと強く訝る。なにしろヘルメットにまでアンテナを入れる突起がついているんだから無ければ困るものだと思うのだけれど、ただの飾りだとしてもそれをトレードマークにしてヘルメットにも付けることを認めるマスクの度量が広いのか、そんな突飛なキャラを認める富野由悠季監督が素晴らしいのか。両方なんだろうなあ。

 電通の元専務で東京2020オリンピック/パラリンピック組織委員会の元理事が贈収賄で逮捕されたのは前々から噂のあったことだから流れとしては不思議ではないけれど、あの世界的な広告代理店の電通でサッカーのビッグな大会からワールドカップからオリンピックまで世界的なスポーツイベントに幅広く関わって、日本のスポーツビジネスにはなくてはならない人間となって、それこそ世界的な企業を相手にしていたような人がどうしてこう言っては何だけれども安売り紳士服のチェーン店から賄賂を受け取り口利きをしたといった容疑をかけられるような商売に手を出していたのかというギャップの方が不思議。

 それこそアディダスのダスラーだとかナイキのフィル・ナイトあたりがスポーツ貴族然としているのと比べると、小さいお金をしょぼしょぼと集めてコンサルタントをしている電通の元専務の人のサラリーマンっぽさが際立つ。まあ実際に創業者でもなければ後継者でもないサラリーマンのなれの果てでしかない訳で、血筋でも資金力でもバックのない人間が成り上がれるほどスポーツビジネスの世界は容易いものではないんだろうなあ。それこそ竹田恒和氏のように皇室の血筋だとか、森喜朗元総理のように政治家といったバックがなければ。結局は日本はサラリーマン社会、金で盛り上がって金で落ちていくだけなのだった。

 やれやれというかあんぽんたんも極まれりというか。自民党の政調会長という要職についた萩生田光一議員が旧統一協会の拠点へ生稲晃子参議院議員を連れて行ったといった話が出て慌てて釈明会見をしたらしいけれど、そこで旧統一協会とは知らなかったともはや言えないと思ったのかそこは認めてああ統一協会とは付き合いがあったよと言いつつも、昔は霊感商法でいろいろやっていたものの最近はやっていないと聞いていたし、実際に報道だってあまり取り上げていなかったじゃんといった聞き捨てならない言い訳を持ってきた。いやいや報道だって霊感商法についてはちゃんと取り上げていたし、安倍元総理が祝辞を贈ったことについては弁護士のグループが国会議員に対して申し入れを行い、そこで今も被害が続いていることを訴えていた。

 そうでなくても国会議員なら付き合う相手が最近はあまり報道が聞こえてなかったということにしても、だからといって大丈夫になったかどうかを調べてみれば弁護士の申し入れも含めてわんさか問題が湧き上がっていることは分かったはず。そうする努力もしないで知らなかった気がつかなかったと言い訳する人を、国の未来を担う与党の政調会長だなんて要職に置いていていいのか、国会議員だなんて地位につけていて良いのかって話が当然起こってくる。メディアだってオマエラが報じないからオレは気付かなかったんだなんて責任を押しつけるようなことを言われて黙っていたら沽券に関わるだろう。萩生田氏が統一協会だと知りなおかつ今も問題を起こしていることを知っていた状況証拠を探して突きつけられたら次は何と答えるか。今からドキドキ。

 今日が関東ではラストになる映画「ハケンアニメ!」とTOEI渋谷で見る。割とそれなりに入っていて公開3か月といった状況でもちゃんと見られてそして見た人が口々に良い映画だったと言う作品になったことを今は素直に喜びたい。最初は本当にお客さん、入ってなかったものなあ。それを諦めずに口コミに持って行ったスタッフの人や宣伝の人の頑張りにも拍手。イベントだってやって繋いだし。それは「犬王」もいっしょか、なかなか伸びなかったのを「応援上映」という形態でもってイベントとして行かなくちゃいけない雰囲気にした。その集大成がひろしまアニメーションシーズン2022で繰り広げられるというからちょっとのぞいてみたいなあ。賑やかだろうなあ。


【8月17日】 三木貴弘監督による夏の3連続公開作品第2弾となる「TANG」を見た。二宮和也さんがが最後、部屋に飛び込んでは家を出ようとしている満島ひかりさんの足元にTANGといいっしょに土下座して許しを請うシーンがとても良かった。あと武田鉄矢が群がる敵をハンガーでもって撃退するシーンや、かまいたちの濱家隆一が「アーイエオーイエ俺濱家」と言ったり小手伸也が「SMでっかいの」と言ったりして脱力させるところがとても良かった。

 そんなシーンはない。ないけれども土下座については普通それやるだろうと思った。でなければ満島ひかりさんだって納得しないし気分だって持ち直さないはずだけれど、自分の知らないところで吐いていた本音にほだされ気を取り直すところはやっぱり本心では別れたくなかったってことだと思うのが良いのかも。だったら出て行こうとすら考えないよなあ。出て言ったら立ち直ると思ったんだろうか。そんな満島ひかりさんはパンツスーツ姿がとても良かった。パンツスーツ好きとしては120点を挙げたい映画だった。観に行ったのもそれが理由の大半だし。

 映画は庭に迷い込んだポンコツロボットは自分をTANGと名乗り拾った二宮和也演じるヒキニートの二妙に懐く。そしてなぜかぐんぐんと成長していきそのまま一緒に自分探しの旅に出る。行く先々でヒントを得て福岡から深センを経てたどり着いた場所で知ったTANGの正体は驚くべきものだった……。なんて話をしっかり描いて魅せてくれるところは三木孝浩監督。二宮和也のヒキニートぶりが苛立つくらいでなるほど満島ひかりも怒って時計を投げつけ家を出ようと決意するはずだと思った。

 理由がない訳じゃないけどそれで遊んでばかりで罪悪感に苛まれないのはちょっと不思議。あれで引きこもって身動きとれない状態ならまだ分かるけれど、そこは遺産があって遊んでいられる気楽さと、そうでもしていなければ自分を許せないプレッシャーがあったと理解しよう。日常の中にロボットのタングが溶けこんでいるCGIはさすが白組、違和感がない。ときおりバックと合成感が気になるところもあるけれど、それはマーベルにだってあるからまあ良いか。未来都市で近代的な自動運転車が走っている場所に並ぶ今時の車列ってあところに全部をCGIで作れない節約ぶりは感じられたけど。

 電通の元専務で東京2020オリンピックのスポンサー関連を仕切っていた人が東京地検特捜部に逮捕されたとかどうとか。紳士服のAOKIをラインセンス先に選んでそしていろいろと便宜を図った見返りを戴いたってことらしいけれど、そういうことがAOKIだけとは限らないとしたらいったいどういう交渉をしていたのかってところを、同じようにオフィシャルスポンサーとかオフィシャルサポーターになっていた日本の主要な新聞社は、こぞって経緯を調べて報道すべきなんじゃないのかなあ。当然知り合いみたいな人だった訳でそんな人がどういう人だったかをつまびらかにすることで、自分たちの潔白を表明すべきような気がする。まあやらないけど。新聞の広告と販売は闇だものなあ。

 某所で言われているほど揺れてなかったけれど左右には揺れていたようには見えた「劇場版 GのレコンギスタIV 激闘に叫ぶ愛」をまた見てやっぱりジット団のキア・ムベッキ隊長って自分でやっておいて自分で憤って自分で始末を付けて自分で逝ってしまう独り相撲の過ぎるおっさんだなあと思った。ビーナス・グロゥヴなんてはるか彼方で営々と安寧に浸ってきた場所で銃火器だのビームだの肉弾戦だのといった本格的でシリアスな戦闘に接しないで来たように思えるチームなんて技量はあっても緊急時には狼狽えるのかもしれないなあと思った。なのに偉い尊敬を受けているのが謎めく。研究者としては優れていたのかな。あとはやっぱりヘルメットに猫は似合うということか。


【8月16日】 総務政務官になった国会議員の人が旧統一協会と関係のある施設で講演を行っていたことを突っ込まれた会見で、「会場が旧統一教会と関係ある施設だとご指摘をいただいたが、どのような施設か当時は存じ上げず」って答えたとか。いやいやその当時にすでに統一協会関係の施設だという指摘があって、関係を疑われて自分は日本会議とは付き合っているけど、統一協会ではないからといった答え方でその施設が、統一協会と関係があるらしいということへの認識を示唆してた。

 なのに今になって「当時は存じ上げず」だなんて調べられればすぐにバレるコメントをして大丈夫なのかというと、以後は何があっても電話をしたふりをして通り過ぎるから答えなくて良いと思っているのかもしれない。そういう人には任命した政府からお灸が据えられるかというと政府は政府で自分たちが閣僚や政務官らと統一協会との関係を調べて報告することは無いって閣議決定をしてしまったから、公式なプレッシャーとはなり得なさそう。だったら週刊誌やネットニュースがかき立てれば本人が困るかというと、知らないといったん答えてあとは知らん顔をすれば大丈夫な世の中に、安倍晋三政権の中でなってしまったのを分かっているんだろう。逃げ切る気満々。厄介だ。

 前に月刊誌でLGBTを否定するような論文を発表して月刊誌を潰してしまった過去があっても「自分は多様性を否定したことは無い」と言い抜けるんだからもはや処置無し。過去のブログが掘り起こされてそこで「国連の会議室では小汚い格好に加え、チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」と民族衣装に品格が無いようなコメントをして貶めていて何が多様性を否定したことはないんだって言えるけど、それすらも知らぬ存ぜぬと言い抜けるんだろうなあ。選挙があれば審判も下せるかというと比例代表から出ているので政党への信頼だけで透ってしまうから面倒。とはいえ次の選挙は最大の後ろ盾をなくして名簿順位も下がるだろうから、これが最後と頼んで役をもらったのかもしれない。困った国になってしまったよ。

 安倍晋三元総理のことをずっと批判してきた「クライテリオン」という雑誌があって京都大学の藤井聡教授が責任編集をやっていて新型コロナウイルス感染症関係でちょっぴり妙なことを言うおっさんになってしまったけれど、こと経済に関しては流石に基礎がしっかりしているだけあって安倍晋三元総理の経済政策について振り返って、ちゃんと評価するところがあったことを認めている。森田実さんがインタビューに答えていて、財務省によって緊縮財政がずっと行われてなおかつ増税まで行われたことに安倍さんは反対したかったけれど、押し切られたのでせめて外部から批判して欲しいと頼んだとか。そういう話が現役時代に出て流れを変えれば良かったのに、肝心の総理が政府にいて何も動かないだから変わらない。やっぱりその時だけいい顔をしたい性格だったのかもしれないなあ。

 熱くて暑い玄関先でオンラインインタビューを終えたので少し涼みながら本でも読もうと電車にのって阿佐ヶ谷へ。行く途中で「わたしの幸せな結婚6」を読んで騒動が収まり次からいよいよタイトル通りの「幸せな結婚」生活が始まるのかと思うと期待もするけどこのイチャイチャめといった気分も浮かんでくるのかな。そして到着した阿佐谷で「男の晩ご飯」という店に入って「阿佐ヶ谷ライス」なるものを食べてお腹がいっぱいになったので、腹ごなしをしようと高円寺までガードしたを歩いたけれど阿佐ヶ谷アニメストリートは消えていた。短い人生だったなあ。駅から遠いのとそこだけアニメだったのが厳しさの理由か。
B  阿佐ヶ谷ライスはプレートにカレースパゲティが盛られご飯が添えられキャベツが置かれてハンバーグまで載っている大人でも大好きなメニューが並んだランチ。最初はスパゲティは添え物程度かと思ったら割にメインディッシュくらいあって驚いた。それこそ近所のぱすたやで食べる並盛りくらい。それに加えておかずがいろいろあるなら通ってしまうよなあ。とはいえ遠いので三鷹方面に行くときか、電車で涼みたい時に利用するくらいにしておこう。あとはやっぱり体重方面への影響も気になるし。食べる度に歩いているとさすがに足腰に来るんだ歳なだけに。


【8月15日】 レアル・ソシエダに移籍した久保健英選手がラ・リーガの初戦に先発するそうで、それはとDAZNで見ようとしたらログインをはじかれアクセスできない。そんな間に久保選手が先取点を奪ったそうでゴールシーンなどという貴重な場面を見られなくしたDAZNはKDDIが200円ならいったいどれくらい還付してくれるんだろうとちょっと思った。まあこれからどんどんとゴールを奪ってくれば1試合くらいどうってことはないんだけれど。

 それよりDAZNはプレミアリーグがなくなって見るものが減っても値段は上がる一方というのはどうしたものか。アーセナル好きとしては冨安武弘選手のサイドの上がりを見たいしマンチェスター・ユナイテッドだってチェルシーだって三笘薫選手が前線を切り裂くブライトンだって見たいのに見られない辛さがある。一方でリーグ・アンに力を入れてくれるみたいで目下たぶん欧州でバルセロナを上回って人気ナンバーワンのパリ・サンジェルマンとか南野拓実選手が入ったモナコとかを見られるのはありがたい。ただパリ・サンジェルマンの試合って早朝なんだよなあ。プレミアは割と夜も浅い時間にやってくれたから見られてた。足し引きいろいろあってもワールドカップまでは契約、し続けるんだろうなあ。

 8月15日だけど別に靖国神社にはいかないというか、みたままつりとか例大祭で屋台が並んでお祭り気分を味わえた時代なら参拝とか気にせず行っていたけど不良のたまり場になったからとか新型コロナウイルスが流行ったからとかいった理由で屋台が消えてしまった靖国神社にでかけるだけの意識がない。なおかつ8月15日ともなると軍人でも無いのに軍服を着てそれも礼装ではない戦闘服を平気で着てきてそれが追悼になっていると思っているあんぽんたんがわんさか集まってくるので見苦しくてみっともなくて行けたものではなかったのだった。

 右翼だ保守だと日頃いっている人がどうしてそんな不敬をできるんだろう。それを言うなら沖縄で遺骨が回収されずに眠っている土地を削って土砂にして、基地建設に使おうとしているアメリカに反対している人たちが、はるばる靖国まで来ていろいろ訴えているのを右翼が邪魔しているというから何をいわんや。なるほど反基地の活動をしている人たちを左翼だ何だと思う人がいるのは分かるけれど、それだってアメリカ軍が沖縄の土地を奪っているのに反対するのが愛国保守だというロジックが、まるで透らないところにその思想のねじれ具合がうかがえる。

 国が推奨しているアメリカ軍基地に反対するのが左翼っているロジック。それなら戦争で亡くなった人の骨が混じっている土砂をアメリカ軍のために使うのも愛国だというロジック。何を中心におくかで末端の立場がまるで変わって来る。自分の信念なんてないんだろうなあ。やれやれだ。そんな靖国神社にお参りする安全保障担当相とかいたりしてやっぱり大変な内閣。旧統一協会だなんて言ってることもやってることも反日ど真ん中な集団でも、共産主義を敵とするなら同じ味方と考えるこの揺れぶりが、可視化されてしまったこれからもちゃんとやっていけるのかなあ。いけるんだろうなあ。秋になればもうきっとみんな忘れてるんだよ絶対に。

 ところで発表になった「劇場版SYCHO−PASS サイコパス PROVIDENCE」ってポスタービジュアルだと常森朱をセンターにして宜野座に霜月に雛河に六合塚に唐之杜に須郷が公安部刑事課の格好でそこに狡噛と花城がいたりする状況は最初の劇場版の直後といったところ。第三部の慎導灼も炯イグナトフもおらず灼の父親の慎導篤志が大きくバックに描かれているということは、第3期の劇場版のラストで朱がぼそりと明かしたイグナトフの兄の行方とそして、朱が潜在犯の収容所送りにされた件がいよいよ語られるといった感じなんだろうなあ。それは興味津々だけれど、人気音出てきたイケメン刑事を出さずに果たして受けるのか。ちょっと関心。


【8月14日】 「ハイキュー!!」の劇場版2部作の制作が発表されたと思ったら、「PYSCHO−PASS サイコパス」の劇場版新作の制作も発表になってこれから忙しくなりそうなプロダクション・アイジー。関連会社のシグナル・エムディでは押井守監督の脚本で西村純二監督による「火狩りの王」の制作が発表となっているし、WIT STUDIOでは「王様ランキング」だとか「SPY×FAMILY」といった人気作が続々作られていてIGポートグループは何か順風満帆に見えてきた。「銀河英雄伝説」のシリーズ最新3部作も来るしなあ。あとは映画で何かオリジナルのドカンとぶち上げてくれたら言うことないんだけれど。「サイダーのように言葉が湧き上がる」のような。

 しばらく前に通りがかって看板を見ていた上野のあんかけパスタの店が気になって、せっかくだからと出かけていって入って食べたら美味しかった。麺は本場の名古屋とは違って太麺ではなかったけれど細いなりにフライパンで炒めてあってそれに作り置きではないタマネギとピーマンとウインナーが混ざってしゃきしゃきとした良い味を出していた。とりわけタマネギの味が最高。新鮮じゃないとこの味はでない。肝心のソースはヨコイのようなスパイシーさはなかったけれど、近所のぱすたやが出していた水っぽいのとは違ってちゃんととろみがあってそして甘さも残った本格派。チャオかパスタ・デ・ココに近いマイルド系だった。目玉焼きも乗ってお得感もあるあんかけパスタ。これはまた食べに行こう。鉄板ナポリタンや味噌カツもあるけどそっちは味、どうなんだろう。気になります。

 もはや最後の悪あがきにすらなっていない月刊Hanadaの花田紀凱編集長による週刊誌ウォッチング。旧統一協会による大学における細胞めいたUNITEって組織があって環境だとかいろいろな活動を表立ってしつつ信者の獲得に邁進していたことが最近の一連の流れの中から改めて浮き彫りになっているけれど、ネットの中では以前から、主張する勝共活動をもって関係性が取りざたされていた。それを紹介する週刊文春の記事に対して花田さん、「が、ぼくの周辺の編集者やメディアの人間に聞いても、『UNITE』ののことは誰も知らなかった。』なんて書いて、そんな知られていない組織に影響力なんてないってことを訴えようとしている。

 それを言うなら統一協会だってこの30年ばかりのメディアにおける“不在”から、20代や30代には危険性すら知られていなかったりして、今回の事件でそんな組織があったんだと驚かれている。だからといって影響力がなかったかというと、むしろピンポイントで政治家を送り込み取り込んで主張を政策に乗っけることに成功していたりする。つまりは影響力大なんだけれど、それでもきっと知られてないから影響力はなかったなんて言うんだろうなあ。自分や周囲が知らないことは知られていないと思い込むのも歳をくった所作。そんなスタンスを見せる人を未だに尊び取り上げている新聞も新聞でやれやれだなあ。明日はどっちだ。

 平田広明さんがIMAXで見ろと行っていたのでイオンシネマ市川妙典にできたIMAXのGTレーザーで「ONE PIECE FILM RED」を見る。3回目。最前列の寝そべってみられるシートで見たけど床まで広がるIMAXの巨大なスクリーンに覆われるような感じでウタの巨大な顔とかを全身に浴びられて楽しかった。シャンクスに包まれるような気分も味わえたかな。もう10日となるのでネタバレを承知でいろいろ考えるならウタは自分がエレジアをトットムジカで滅ぼしたことを知っていて、そんな自分が許せずシャンクスに倒してもらおうと思ったけれど、自分の罪を被ったシャンクスがそんなことを聞き入れてくれるはずもないから嫌でもシャンクスが出てこざるを得ない状況を作り出そうと、ライブを行い「ウタウタの実」の力に巻き込み騒動を起こしてシャンクスを呼び寄せたんだと想像してる。

 ただやっぱり父親のシャンクスにはウタのとどめをさすことができなかったけれど、トットムジカが目覚めて暴れたことで自分の寿命が尽きて結果としてシャンクスに看取ってもらうことができた、といった感じ。決して大勢を巻き込んで自殺をしようとはしていなかったとだけは断じたい。あといったいどの時期なのかがやっぱり謎だけれど、百の介とかがもういないあたりはワの国の騒動を終えて最後の航海に出たあとのこと。だからトットムジカとの戦いでルフィがギア5のニカになる姿が一瞬とはいえ登場したと観るべきか、あれは夢の中だから潜在的なニカの力がその瞬間だけ溢れてしまっただけでまだワの国にはたどりついてないと見るべきか。それだとメンバーが違うからなあ。まあパラレルと思いつつ尾田栄一郎さんが総合プロデューサーを務めているならやっぱり“正史”だと思うことにしよう。いずれまたウタの存在も本編で仄めかされると信じて待とう。


【8月13日】 萩本欽一さんが新型コロナウイルス感染症に感染したとかで、年齢が年齢だけにいろいろと心配になってしまうけれども入院したといった話もないからとりあえずは状態は悪くないと思いたい。出始めのころに志村けんさんの命を奪って日本の喜劇界に衝撃が走ったけれど、これで欽ちゃんもとなったら日本の喜劇のものすごい柱が2本も奪われてしまうことになるから。有名な方に被害が出ると世間で緊張感が走るということはあるし、志村さんの衝撃が当時の安倍晋三総理に厳重な対応を決断させたのかもしれないけれど、今回は欽ちゃんとの引き替えでなく純粋に今の惨状を見て政府に何かしらの決断を求めたい。

 台風だから果たしてあるかと心配していたけれど、まだ来てないということで欠航された映画「ONE PIECE FILM RED」の舞台挨拶を見に新宿バルト9へと出かける。到着して外に出たら強風と豪雨で、これでお台場のコミックマーケット会場に並んでいる人は吹き飛ばされはしないかと心配になったけれど、それすらも耐えて並ぶのがコミケの参加者という奴だからきっと大丈夫だっただろう。台風すら祭りにしてしまうだけのバイタリティと砲丸力を持っっているのが日本のサブカル人間たちだから。

 さて舞台挨拶はジンベエ役の宝亀克寿さん、フランキー役の矢尾一樹さん、トニートニーチョッパー役の大谷育江さん、ウソップ役の山口勝平さん、ロロノア・ゾロ役の中井和哉さん、ウタ役の名塚佳織さん、モンキー・D・ルフィ役の田中真弓さん、ゴードン役の津田健次郎さん、ナミ役の岡村明美さん、サンジ役の平田広明さん、ニコ・ロビン役の山口由里子さん、そしてブルック役のチョーさんと麦わらの一味&映画ゲストの大集合でなかなに壮観。これだけの面々が集まる機会なんてそうはないから、一生の記念になった。おまけに写真撮影可。これは嬉しい。

 全員にいちいち聞いていたら時間がいくらあっても足りない中で山口勝平さんが麦わらの一味のお調子者らしく音頭を取ってしゃべり大谷育江さんが横で突っ込むいつもの感じを再現。大谷さんは56歳なのにナイスなバディを披露していて可愛い声も含めて目に結構なものがあった。そしてロビン役の山口由里子さんは変わらぬ声を聞かせてくれて冷静な上に愛らしいロビンといった雰囲気を感じさせてくた。田中真弓さんは船長で座長といった感じで喋り動いてみせてくれた。良い結束だなあ。

 そんな中に入った形の津田健次郎さん。周囲からはあのゴードンという顔立ちでツダケンが果たして合うのかといった不安もあった中で当人もいろいろ考えながらもっとおさえたトーンでいこうとして周囲にひっぱられ、芸術家としてでありウタの育ての親めいた立場としての激情を乗せた声になったって話をしてくれた。麦わらの一味がそれぞれに海賊っぽいコスチュームで登板していたのと比べると、ひとりスーツ姿だったけれどそれがまたゴードンらしいといえば言えるかな。いやいつものツダケンか。名塚佳織さんは「コードギアス 反逆のルルーシュ」でナナリーを演じて谷口悟朗作品にはおなじみだけれど、ウタという役はナナリーとは違うだけにどんな演技が求められたのか気になった。

 聞くと歌を担当したAdoさんと役を分け合っう中、名塚さんがセリフを言う時は語尾で音程をしっかりと整えて発するように言われたとか。田中真弓さんはいっしょに収録していて大変そうだったって話していたけど、それは確かに自分でなりきって自分で整え声を出すのが仕事の声優が、箸の上げ下ろしまでを決められるのは結構な苦痛。それでも受けたのはAdoさんの歌い出しにつなげる上で2人の間に違和感があってはいけないから。語尾から歌へとスムースに繋げるために必要なことだったそうで、それならばともう1回くらい映画を見て見たくなって来た。台風が過ぎたら明日にもまた行ってこよう。今度はIMAXで見たいなあ。

 寄託して市立船橋と敦賀気比との試合をネットで観戦。先制して2点リードしたものの追いつかれ引き離された市立船橋が、それでも最終回に得点を奪って追い上げを見せる中で鳴りひびく「市船soul」というシチュエーションを作り出し、全国的にその校名と楽曲名をとどろかせる試合になった感じ。残念ながら負けてしまってこの後に甲子園に「市船soul」が流れることはないけれど、音楽に死はないから次に甲子園に出れば、あるいは高校サッカー選手権大会の試合が行われればそこにブラスバンドがついていって、奏でる「市船soul」を耳にできることだろう。どうせだったら映画もリバイバル興行すれば入るのになあ。やってはいても一部では勿体ないなあ。


【8月12日】 気がつくと台風が発生して第100回目となる記念のコミックマーケットを直撃するみたい。これは大変だねえと他人事のように思っていたら、明日丸の内TOEIで「ONE PIECE FILM RED」の舞台挨拶を見ることになっていて、台風が直撃する中を出かけなくてはいけなかったことに気がついた。これは大変。というより本当に実施されるのか。観客はいけても声優さんは危なくて出歩けないんじゃないか、って考えると中止もあり得るかもしれないああ。とはいえ全国への中継も決まっているだけに中止にはできないか。ちょっと様子見。

 船橋市立船橋高等学校が夏の全国高校野球大会に出場して1回戦を劇的な逆転によって突破したこともあって、大きく注目された応援曲の「市船soul」。それが再び甲子園で奏でられる2回戦を前に市船で応援Tシャツの頒布があるというので朝から起きてとことことを歩いて出かけていく。東船橋から歩くのが近いみたいだったけれど、地図で見ると1駅分もないところにあったのでせっかくだからと徒歩でいく。たどりつくと結構な人数が並んでいて関心の高さを改めて感じ入る。

 とはえいコミケの壁サークルほどの行列もなかったので、販売開始から20分ほどで順番が来て2枚ほど確保。1枚1500円は格安で、それで市船の文字と地区予選優勝の印がプリントされたTシャツがもらえるならこんなに嬉しいことはない。本当だったら甲子園まで行ってアルプススタンドで応援したかったけれど、そんなお金はないのでここは船橋に引きこもって……いらなかった舞台挨拶があるんだった。あればあったでそこにTシャツを着て帰りがけにどこかでネット中継を見ながら応援しよう。中止なら家でTシャツを着てやっぱりネットで応援だ。敦賀気比が相手だけれど勝てるかなあ、ってそれは沖縄興南にも言えること。春夏連覇を果たした強豪に勝ったんだから次だって。期待大。

 台風前の温風が吹き込んで熱いのでそのまま戻らず大手町へと出て早い時間で空いていたリトル小岩井でジャポネのスパゲティを食べてから隣のスターバックスで原稿書き。お盆ということで人出も少ないかと思ったらまだ平日ということもあって結構な人数のサラリーマンが行き来していた。仕事熱心だなあ、とかいいつつフリーにお盆休みもないのでひたすら原稿を打つ自分もそれなりに仕事熱心なのかもしれない。2時間ほどで原型を整えてとりあえず退散。そのまま半蔵門線で錦糸町へと出てせっかくだからと1駅歩いて亀戸まで行きキッチンDIVEでベーコンエッグ弁当を買う。茶色くないのってこれくらいなんだよ。

 経済安保担当大臣に就任して中国相手に強権をふりかざせる立場となった高市早苗さんだったけれど、引き継ぎ式を行わず表舞台に出てこないことになったとか。就任会見では統一教会系の雑誌に出たことにそういうバックグラウンドがあるとは知らなかったなんて言ってたらしいけれど、知らないこと自体が安全保障から遠い所業であってそんな見極めもできない人に経済安保相が務まるのか、なんて突っ込みを受けるのがもしかしたらいやだったのかも知れない。それで逃れられる類のものでもないんだけれど、とことんまで追求しようとお知らぬ存ぜぬで逃げ切れる前例を安倍晋三元総理の時代に政権も議員も官僚も作ってしまった。なのできっとこのまま有耶無耶で進んでいくんだろう。やれやれ。


【8月11日】 何かを成し遂げたいけれども手元資金に乏しいとき、その成し遂げた何かで喜ばせるなり成し遂げる過程で生まれた何かを還元することを約束して、出資を募るのがクラウドファンディングというもので、それがインターネットの力によって広く募れるようになった。とはいえサイトを運営するにはコストもかかるからそうした運営費用や告知の費用をサイトの運営会社が抜くことは道義的に認められている。発起人が助かり支援者が喜び運営者が成り立つ仕組みこそがクラウドファンディングのあるべき姿と言えるだろう。

 そうした仕組みの上で安倍晋三元総理大臣への弔意を示す意見広告めいたものを新聞に掲載したいとするならば、発起人となる第三者のチームがあって新聞社にそういった広告を掲載したいと交渉し、OKをもらった上で費用の提示も受けてそれをまかなうためにクラウドファンディングのサイトを通して告知しつつ支援者を募るというのが真っ当な形。世にある意見広告というものはそういった形で作られ掲載されている。新聞社としては広告の掲載料をもらうだけだから媒体力に対する正当な対価といえる。

 ところがとある新聞がクラウドファンディングと称して始めた安倍晋三元総理大臣の国葬に会わせた弔意広告は、クラウドファンディングのサイトも自社で運営するものなら掲載する媒体も自分のところ。結果的には単なるお悔やみ広告を、企業などから集める代わりに個人から集めるものでつまりは純粋にビジネスに過ぎないんだけれど、そこにクラウドファンディングという言葉を介在させることで個々の弔意を束ねて世の中に示すボランティア的な活動ととられてしまう。だからこそ大勢が参加しているんだけれどこれって道義的にはどうなんだろうなあ。

 商売を商売といわない口幅ったさ。クラウドファンディングといっても実質は自前で手数料も懐にいえる奇妙さ。安倍晋三元総理が心を傾けていたらしい拉致問題への寄付も行うそうだけれど、その比率も明らかにになっていないにも関わらず、大勢の人が良いことのようにそこに名前を連ねて“広告費”を提供している。これが普通にお悔やみ広告を募る活動だったらここまで集まったかというと、たぶん集まったと思うけれどそれをクラウドファンディングと言った事でクラウドファンディングという仕組みが持つべきフラットで民主的な印象を収奪の装置と思わせてしまった。今後もクラウドファンディングを運営していく上でこれは是か非か、って言えるほど余裕がないのかもしれない。メディアって大変だ。

 一昨日におとついに来た依頼を茅場町まで出ていつものVELOCHEでしこしこと下書き。どうにか書き上がったのでそのまま地下鉄で六本木まで出て、CoCo壱番屋でカレーを食べてから国立新美術館で李禹煥展を見る。石が置いてあるだけだったり木ぎれが転がっているだけだったりする「もの派」の究極みたいな作品があったり、カンバスにハケでさっとなでたような線がいくつか描かれているだけの作品があったりしてシンプルだけれど寺社の枯山水のような奥深さを感じさせるのか、割と大勢の人が見に来ていた。自分にも出来そうだと思わせるけど、そのバランスをどうとるかということと、その行為をどれだけ極めるかといったことが必要なだけに一朝一夕にはいかない表現。それを50年にわたって続けてきた成果があの静謐さであり深遠さなんだろう。

 帰りは虎の門から千代田線で大手町へと戻り東西線で船橋へと戻ってやっぱりVELOCHEでフィニッシュ。時間があったのでいろいろと考えてひろしまアニメーションズに行こうと思ってとりあえず宿を予約し、それから行きと帰りの新幹線を予約する。まだキャンセルはきくけれど1回目ということでのぞいておくことで今後の生涯の話の種にはなるかもしれない。そう思える身心にようやくなってきたのでここはやっぱり行くのが正解かなあ。広島はまだ入ったことがないので原爆ドームとか観て来よう。時間があった呉までまで足を伸ばしたいところだけれど、それが無理ならすずさんが化物とすれ違った橋くらいは渡ってこよう。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る