縮刷版2022年11月上旬号


【11月10日】 「チェンソーマン」を観たらやっぱりなんとなく間延びした感じがあって映画的ではあっても漫画的ではなくって原作ファンがキレる理由もなんとなく分かった。8階をぐるぐると回る描写だけで半分使って終わっちゃっているしなあ。マキマさんとデンジのやりとりもバカっぽさより虚無っぽさが漂う感じ。そうしたズレがやっぱり今のところは続きそう。VS爆弾の悪魔あたりからバトルバトルバトルバトルとなってようやく雰囲気も整ってくるんだろう。待とうその時を。

 朝から起き出して春日井へと出向いて家具作りをしている会社に取材してから勝川駅へと向かいそこから名古屋駅へと出て新幹線で一路東京へ。矢場とんの味噌カツ弁当がなかったので違う店のにして購入しつつ新幹線では味噌カツおにぎりを食べつつジブリパークのチケット争奪戦の準備を始め、午後2時になってからサイトにアクセスしたら1万5000人待ちだった。

 もう少し早くからアクセスしてカウンターが落ちるのを待っていればよかったのかもしれないけれど、そこで止めると元の木阿弥なのでつないだまま高田馬場から西武新宿線で武蔵関まで行ってアニメスタジオのアセッションで本郷みつる監督が自ら販売していた同人誌を購入する。あの「クレヨンしんちゃん」だとか「IGPX」なんかの監督がなんでまたとか思うけれども、そういうことをできるくらいに時間もあって経験も溜まっているってことなんだろう。若手にシフトする中で経験豊富な監督の出番が減っている? それは残念だなあ。

 いっしょに「PUROJECT A」って文化庁による若手アニメーター育成プロジェクトの第1回目から生まれた4作品が入ったDVDも頂戴する。本郷いつる監督による「キズナ一撃」が入っていた関係でスタジオにいっぱいあったのをお裾分けしているらしい。自分は2011年の公開時に買ったものが家のどこかにあるんだけれど、相変わらずの事情で出てこないのでここで1本自分用とそれから布教用に勝っておく。「キズナ一撃」は何しろ安野希世乃さんの主役デビュー作なので価値があるのだ。藤原啓治さんも小山力也さんも出ているし。

 つまりはウルヴァリンとトニー・スタークがぶつかりあうような作品だけれど戦うのはカナメ・バッカニアなのだという、そういう意味でも観る価値のある作品だし、ほかにも「おぢいさんのランプ」に「万能野菜ニンニンマン」に「たんすわらし」という傑作がそろったDVDなのでアニメファンなら絶対的に手に入れるべきなのだった。それがたったの500円プラスで同人誌ともども2000円で手に入る絶好の機会を、どれだけの人がしっかりと捉えていったのかな。平日午後では大変そうだったけれど割と行ったみたいでとりあえず良かった。みんな観て驚こう「キズナ一撃」の面白さに。

 戻る途中でもジブリパークのチケットサイトに入れず2時間くらいたって家に戻ってようやくアクセスできたものの希望していた日付はすでに売り切れだったので、それに割と近い日付で「ジブリの大倉庫」のチケットを確保。3泊4日くらいで行って2カ所を回るのも良いかもしれないなあ。残る1カ所「どんどこの森」はとれず。いずれ行こう。大倉庫は割と遅くまで残っていたみたいだけれど、ほかの「青春の丘」「どんどこの森」は早くに売り切れ。大倉庫と違って入れる人数が限られるのかもしれない。しかし夕方に買おうとしてアクセスして売り切れだとガックリくる人も多そう。かといって抽選だと外れると後がない。うまい売り方はないかなあ。来月から大倉庫と青春の丘のセット券が出るからそれを買いつつどんどこの森に挑戦するのが良いのかなあ。


【11月9日】 明日が全国的に最終日になるということで、実家の近所にあるTOHOシネマズ赤池で「花の詩女 ゴティックメード」のリバイバル上映を観に行ったら平日の昼過ぎなのに結構な観客が集まっていた。愛知県だと東浦を含めて確か2カ所。ドルビーアトモスの音響でTCXの巨大なスクリーンで見られるのは愛知県だとここだけということで各地から猛者たちが集まってきていたのかもしれない。次に見られるのがまた10年後ってことはないだろうけれど、最高の条件で観られる機会はそうはなさそうだから。

 改めてやっぱり表情とかについて永野護さんの手がしっかり入っているんだろうなと思った。それくらい漫画に描かれるキャラクターの表情に近いものが出ていた。笑ったり怒ったり蔑んだりニヤついたりといった表情は目の形や口の曲げ方がそれぞれに独特。それらがしっかり出ていた。ベリンなんて最初はピュアな乙女かと思ったらトリハロンの威張りくさった態度を揶揄するあたりで視線を上目遣いにしたりして、実は結構やり手だって思わせた。それをしっかり感じさせる河村万莉亜さんの声もやっぱり素晴らしい。そんな技が集まって出来ているからこそ今観てもどこまでも深く観ていけるんだろう。

 見終わって春日井へと取材へ赴く途中に昼ご飯をと思い鶴舞にある「あん」とう名のあんかけスパの店をのぞいてみる。ヨコイとかチャオといったチェーン店とは違った独立系。ソースはオリジナルでスパイシーにコショウが強めてぢょっと黒みがかっていたけれど、パスタがわりとゆであげた感じでヨコイみたいな染みた味はしなかった。ヨコイのあれは油が違うのかなあ。ちょっと気になった。頼んだのはピカタで味は良くしっかりとパスタとからまってあんかけスパらしさが出ていた。ミラカン系があったかは気にしなかったので今度いったらそっちも頼んでみよう。

 中央線で鶴舞から神領まで出向いて水道工事を行う会社で取材。地下に埋まった水道管を探すのにやっぱりダウジングを使っていたと聞いてあれは迷信とかオカルトではない何かがあるに違いないと確信する。水流が生み出す地場の揺らぎを感知するとか。先人の培ってきた技術はおろそかにできないのだ。春日井は遠目に言える高蔵寺の山が削られていたけれどもあれは何の山だったんだろう。大昔に水晶なんかを掘りに行った記憶があるけれど、今も掘っている訳じゃないよなあ。砂岩か何かだろうか。

 神領から中央線で鶴舞まで出て地下鉄鶴舞線で平針まで行って40分。そこから実家まで歩けば10分だから1時間もあれば高蔵寺あたりまで行けると分かる。名古屋って案外やっぱり狭いんだなあ。でも車で行けばもっと早いのかもしれない。途中でからやまに入ってチキンカツのカツ丼を食べる。なるほどこういう味か。前は松屋が入っていた場所に入った感じで平針あたりだと松屋ですら厳しいのか。

 同じ場所にはその前はレコード屋があてそこで山下達郎のアルバムなんかを買った記憶。今はレコード屋もなくなり本屋もなくなった。あってブックオフくらい。名古屋といえども郊外になるとそうした文化から遠ざかる。というより東京だってそうか。阿佐ヶ谷にだって本屋さん、ないものなあ。そう考えると船橋はときわ書房船橋本店があって旭屋書店があってくまざわ書房もあってと本屋さんに不自由しない。その意味ではなかなか離れがたいところがある。たとえネットで買えるようになっても、本屋さんで知らない著者と出会うのが1番本読みにとって幸せな時間なのだから。


【11月8日】 愛知県美術館で開催中の「ジブリパークとジブリ展」を見る。午前10時の開場前から結構な行列で親子連れの多さにその層にもジブリというブランドが届いていることが伺える。とはいえジブリを見て育った子供たちが親になったから知っているだけで、肝心の子供たちがどこまで知っているかはちょっと不明。これでトトロや猫バスを見て泣き出す子供が出て来たら、時代も少しシフトチェンジが起こったと思えるのかもしれない。

 するすると入っていった中で最初はポスターと関連ビジュアルが展示。「もののけ姫」ポスターのセル画とかあってサンの口の周りの血は別セルを被せていることが分かった。あと「コクリコ坂から」であれは多分宮崎駿監督が寄せた籏を掲げる場面のイメージボードも展示してあった。セル画はセルだから実物だけれど絵の方はどうだろう。ほかには「オン・ユア・マーク」のポスターのセルもあったなあ。眼福。

 そんな展示の冒頭にジブリを支えたクリエイターとして宮崎駿監督と高畑勲監督があって、あとジブリパークの監督として宮崎吾朗監督の写真はあったけれど、近藤喜文監督の紹介はなくてちょっと寂しかった。米林宏昌監督もなかったなあ。なおかつ中の展示も『となりのトトロ』だったりジブリパークを仕切る宮崎吾朗監督の「ゲド戦記」「コクリコ坂から」「アーヤと魔女」がメインだったりでとやっぱりもはやジブリとは宮崎父子なんだなあと思った。

 もはやジブリとはイコール宮崎父子&鈴木敏夫プロデューサーってことなのかなあ。その方がメディアに通るし観客も集まるけれど、新作が途絶えて子供たちが触れなくなった10年後とかはどうなるか。そこはやっぱり気になる。そうはさせじと「ジブリパーク」で立体物から世界に誘う戦略なのかもしれない。

 「ゲド戦記」では宮崎吾朗監督のキービジュアルにもなった竜がうつむいて人を見るあの絵の下絵とかあって絵の巧さはやっぱりだなあと思った。山下明彦さんのキャラクタースケッチとか近藤勝也さんのキャラクタースケッチなんかもあってそうしたジブリを支えた作画の人たちもちゃんと遇しないと宮崎史観(市定とは関係ないよ)ばかりになってしまいそう。どうしたものか。

 「アーヤと魔女」は3DCG作品ってことでキャラクターの設定がは紙でも原画めいたものはなくコンピュータ上でどうやって描かれるかが紹介されていた。フェクトをどう作るのかってのもあって使われているのは「フーディニ」でそれでビーズの球で流れとかうねりとかつくってそれをポリゴン化して水だの泥だのマグマだのの感じを出していることが分かった。昔ならアニメーターが観察からの手描きでもって表現していたことをコンピュータのパラメータ操作によって作り出せると言えば言えるけれど、それにもやっぱり感性は必要。イメージしたとおりの絵を指先で描くのとイメージに近い動きをパラメータ操作によって引っ張り出すのとではどちらがより凄いのか、なかなか判断がつかないのだった。

 今日は今日とてヨコイでオムウインナーのあんかけスパ。卵焼きとウインナソーセージとベーコンが乗っかっていてこれで美味しくないはずがないし実際に美味しいので何度でも頼んでしまうのだった。そりゃあミラカンとかの方が野菜とか入ってて味が重層的ではあるけれど、卵焼きとソーセージは幾つになっても憧れの食べ物なのだった。これにハンバーグがトッピングされればなお良かったかも。今度頼んでみよう。


【11月7日】 火曜日の朝から春日井あたりで取材があるってことで、前日に名古屋に入っていようと新幹線で一路名古屋へ。ジャンプ+で「チェンソーマン」が無料で全部ほとんど読めると分かったのでアニメになっているところから続きをぐんぐんぐんぐんと読んで行ったら公安編が終わってしまった。なるほどデンジもチェンソーマンも最高だけれど途中からシリアスな路線にも入っていくからアニメのダークな雰囲気もマッチしているんじゃないかと感じた。マキマさんの本領が発揮され初めてからの躍動が楽しみ。

 名古屋に到着したからにはやっぱりあんかけスパだと今回はサンロードにある「あんかけ太郎」まで歩いて行ってそこで卵焼きが乗ったのを食べてまあまあの味を確認。辛くもないけれど甘くもないから食べて強烈な印象は残らないもののそれでも普通に食べたって感覚は味わえる。そういうのが食べたい時もあるのだ。

 平針まで行ってミスタードーナツで仕事。取材のための企画書を作ったり書面インタビュー用の質問表を作ったりしていたら電話で明日の取材がキャンセルになったとかでそれじゃあ名古屋入りした意味ないじゃんか。でもまあホテルじゃなくって実家で寝泊まりなんでキャンセルとかは発生しないのだった。これでホテルを利用していたらどうするんだって全額あっちもちだから気にはならなかっただろう。取材に行ったら相手がいなかったことよりダメージは少ないし。そういうことがあったのだった。

 いろいろと確認するためにふくやまけいこさんの「タップ君の探偵室」について、新しく出た初期作品集に収録されているものと、マンガ図書館Zで公開されているものを比べてみたらやっぱりセリフが代わっていた。意味についてはほとんど同じだけれど言葉が人称について削られていたりして説明が減りシンプルになっていた。絵で見せてセリフで感じさせるといったところ。それが初期はできずに全部説明していたってことなのかもしれないけれど、あるいは今の子供たちが漫画を“読む”ことができないのでセリフを減らしてパッと“見る”ことで感じ取れるようにしたのかもしれない。ウエブトーンもセリフ、少ないし。ちょっと意図を聞いてみたいところではある。

 実家に入っていつものKindleStickFireでもって配信が始まった「天気の子」とか見る。2019年だから会社を放り出されて頭が路頭に迷っていた時に見た映画でいろいろと思いでがあったりなかったりする複雑な作品だけれど「僕に出来ることはまだあるかい」という主題歌の歌詞だけは強く印象に残っている。とりあえず僕に出来ることはまだあったみたいで3年経って次の新海誠作品が公開されるまで生き延びることができた。続く仕事があるかどうかは分からないけれども3年後に新たな新海誠作品が公開される時までは生き延びたいものだなあ。

 「天気の子」はやっぱりあの陽菜と先輩があのあとどうなったかが気にかかるところ。暮らしている場所は田端あたりで住居を追い出されるとか連れ出されるとかはしなかったみたいだけれど、でもだったら生活費とか学校とかどうしているのかがちょっと見えない。3年が経っているなら高校生ってことだろうけれど、雨で水没して経済機能も商業活動も麻痺した東京に暮らしていけるなんてことがあるのかどうか。社会システムの激変なんかを考えるとやっぱり無理な気がしてならないのだった。でもそういうのは気にしないのがアニメーション映画の空想力。あそこで2人が再会して陽が少し射すから良いのだ。たとえあの後も雨が降り続いても。


【11月6日】 イーロン・マスクがアラブってツイッターの社員の約半分を首にしたという報道が流れてきて、日本のツイッターがどうなってるか気になったけれどもツイッターは取材したことがないので誰がどうなろうともあんまり気の毒な気がしないのだった。情報収集に使っているからなくなっては困るけれどもフェイクだとかヘイトだとかいった言説が垂れ流されるようになってかあ、そうしたノイズがうっとうしかったこともあったのでここでリセットさせて初期の啓蒙が鼻につくところはあっても情報としては有益なツイートが並ぶ場になって欲しい気もしないでもない。どうなるか。

 せっかくだからと10周年で上映されてる永野護監督の「花の詩女 ゴティックメード」をTOHOシネマズ新宿のドルビーアトモスで見る。巨大なスクリーンと立体的な音響で見る実は12Kらしい映画はその内容も含めて圧巻。10年前は“ここから始まる物語”としてまるで意味が分からない展開からまるで知らない登場人物まで勢揃いして口ポカーンなところもあったけれど、10年が経った今はツバンツヒだとかマウザーだといかいったキャラのその後が見えたり、ゴティックメードなるモーターヘッドをリセットして新しく作り出したマシンの「ファイブスター物語」への挿入が果たされ馴染んだこともあって、振り返って“ここから始まった物語”だったんだとうことが分かってしっかりと見ることができた。

 そうした10年の展開を考え作っていたのなら、というか作っていたんだろうけれども普通はやらない映画を使ってのプロローグの紹介と世界観のリセットを、やってしまって誹られず(いやまあ当時は散々言われたけれど)しっかりと成果を上げてしまうところに永野護というクリエイターの遠くを見る能力の高さを感じざるを得ない。同じ事は画面と音響にも言える。解像度が低い劇場でしか公開できなかった10年前は漫画に色をつけただけの絵が動くだけにしか見えなかったものが、細部までくっきりと見えるようになった今は色の付け方がやら表情やらにしっかりと生々しさが感じられて、ただの色のついた漫画ではないことが分かった。

 立体的な音響の方も当時は再現すら難しかったしそこまでやる劇場も少なかったけれど、その後に音響に気を配った映画の上映が岩浪美和さんの尽力もあって一般的になり、むしろそれが普通になっていくなかで劇場の施設もグレードアップ。結果として「花の詩女 ゴティックメード」が意図した環境で音響を鳴らすことが多くの劇場で可能になった。そうした将来を見越して作り込んでいたとしたらそれは凄いし、見て他のクリエイターに負けじと音響や画質に凝った映像を作らせつつ、劇場にもそうした作品を上映できるようシステムの更新を促した作品だと言えるかもしれない。その意味でも“ここから始まった物語”ってことになる。

 映像で言うならベリンが種を蒔きながら踊る場面の踊る感じがどうにもなまめかしくて楽しげで、それを見るトリハロンの表情やリアクションも愉快で和んだ。あと雨が降りしきるシーンで雨の濃さが所々で変わって強く降るところもあればそうでもないところああるあの雰囲気を、どうやって撮ったかしっかりと表現していて凄かった。加えてその時は雨の音響も耳にしっかり。別の場面では川が映ってなくても川のせせらぎが響いてて、それがちゃんと映画館で耳に届くところにしっかりと作ってあったんだということが分かった。ゴティックメードの起動音にIHIでエンジンか何かの音を録音してくるくらいこだわったんだからそれも当然だけれど、それが観客に届く環境が整うことを予感していたのだたらやっぱり偉いし凄い。

 面白いのは品質の向上がリアリティの向上と重なって現実世界をそのまま写したような背景が蔓延っている今だけれど、「花の詩女 ゴティックメード」で小倉宏昌さんが描く背景は小林七郎さん譲りの絵画的でボヤッとしつつもちゃんと自然の雰囲気が感じられるもの。それは漫画で永野護さんがくっきりと描く背景とは違っているけれど、色使いと合わさって映画にとても馴染んでいた。何でも噛んでもしっかりくっきりじゃなく作品に合わせて背景を作る意味ってのを教えられた気分。そんな感じに情報量がたっぷり過ぎる映画は10年ぶりに1回見ただけではたりないので10日までの上映中、もう1回くらい見て来よう。赤池でやってるじゃないか。


【11月5日】 King & Princeからメンバーが抜けるといった話がどれほどジャニーズ事務所にとってヤバいはなしか類推くらいしかできないけれど、SMAPが解散して嵐が活動を休止している中でトップくらいに位置するグループでもやっぱりトップクラスに人気の平野紫曜さんが抜けてしまうのは結構痛いような気がしなくもない。それこそ全盛期のSMAPから木村拓哉さんが抜けるような。まあそれほどでもないかおしれないけれど、少なくとも「かぐや様は告らせたい」の実写版で会長を演じてあたふたするところを見せてくれた平野さんが、活躍できなくなるのは残念なので退所しても活動は続いて欲しいところ。

 それがどうしてジャニーズ事務所の中ではできないかといえば、じり貧にある日本の音楽業界の中で特定のファン層に向けてアピールし続けていてもいつか先輩のグループたちのように限界が来て解散なり活動休止なりに追い込まれる。そんな時に40歳を過ぎて知名度しかないようでどうやって自分自身を高めていけるのか、って考えた時にやっぱり海外でも人気を得ている必要があると思ったものの、今のジャニーズではストリーミングを行っておらず海外に自分たちを知ってもらう機会が得られないってことが大きかったような気がする。BTSなんかより何十年も先駆けて男性ユニットを盛り立ててきながら今や世界はBTS一色だからなあ。

 慌ててTravis Japanを作って送り出したけれどもどうしてお二番煎じに見られてしまう。国内だったら個々のメンバーに対する推しがいて人気は十分に保てるからそれで事務所的には良くても、格差も出るだろう人気の中で戸惑うメンバーもいるだろうしそもそもがユニットとして世界で暴れたいのにそれができないのは寂しいとなれば、やっぱり本気で世界で勝ちに行かなくちゃいけない。Travis Japanがそれをやるなら自分たちだってと思っても動いてくれない事務所に苛立ったということなのかもしれないなあ。ともあれこの一件と、そして滝沢くんの退所がジャニーズ帝国にどんな影響をもたらすか。見守ろう。

 すでに開幕していたWEリーグがフクダ電子アリーナでジェフユナイテッド市原・千葉レディースのホームゲームとして行われるというので見物に行く。蘇我で降りて途中のびっくりドンキーでハンバーグプレートを食べたけれどあの木の皿は店でも帰ることが判明。鉄板ではなく木の皿にハンバーグを載せる意味ってどこにあるのか考えたけれど、暑苦しくない感じってところがもしかしたら受けているのかもしれない。ペッパーランチもさわやかも熱々な感じで人気なら、そうでないところがあっても良いってことで。

 さて試合は長野パルセイロレディースが相手で今回は声出しOKエリアも儲けられて双方から発せられる応援の声が響き渡る、新型コロナウイルス感染所うが流行する前のスタジアムの雰囲気ってのを久々に感じ取ることができた。試合はしっかり守ってボールを回す長野に対して千葉が責めたくても責められない格好。サイドバックの押し上げからの連続しての崩しなんかがないような気もするけれど、大きくパスを回せない女子サッカーだからそこは仕方がないのかもしれないなあ。センターバックからのフィードで前線のサイドまで届くようならいろいろと攻撃の手もあるんだけれど。

 そんな試合はオウンゴールで先制した千葉がそのまま逃げ切って勝利。前節で強豪のINAC神戸レオネッサに負けているだけにこれでひとつダルマに目が入ったっていえるかも。観客の2000人は多いのか少ないのか分からないけれど、大昔は300人も入れば十分だった試合に有料で2000人も入るなら立派にひとつの興業だ。あとはその波を絶やさず盛り上げていくことだけれど、そのためには兄貴分にも頑張って欲しいところ。せっかくユニフォームがKAPPAでなくなったのに勝てないってのはどういう訳だ。ここは妹分に合わせてXgirlで作るか、ってレディースのブランドじゃん。いやそれでもメンズが切れそうなTシャツとか作っているから男性用のユニだって作れるんじゃ。令和をずっとJ2ってのだけは勘弁して欲しいなあ。


【11月4日】 おすすめのライトノベルの文庫を選んでとりまとめる仕事をどうにかこなしてから、映画でも見ようかと家を出たものの長時間の情報を浴び続ける気力もなさそうなのでとりあえず、神保町へと出向いてチャーハンを食べてそれから竹橋にある国立近代美術館で大竹伸朗さんの展覧会を見る。前は東京都現代美術館で開かれた個展が今回は近代の美術館で開かれるということは、この20年くらいの間に現代美術も時代がひとつ上に上がってしまったみたい。ってことはもはやウォーホルとか古典の部類か。藤田嗣治や佐伯祐三なんて原始の美術か。

 そんなことはないけれど、少なくともゴッホなりピカソといった美術史に名前が残るアーティストの部類に入るアンディ・ウォーホルの作品を鳥取の美術館が購入したら、高すぎるとか知らないアーティストだとかいった声があがって大変なことになっている。そんなの東京都現代美術館がリキテンシュタインの「ヘアリボンの少女」を購入した時に起こったことじゃないかと30年前を振り返ったりして落胆する。

 そうした美術に対するリテラシーを持たせる情報発信が足りてないのか、あるいはそうしたリテラシーを受け入れるだけのゆとりがなくなっているのかもしれないけれど、これを機会にウォーホルが5億円くらいで購入できるならもう安いくらいだと思えるだけの知性と、あの宣材箱が5つあることの意義、すなわち消費社会における大量生産品が持つある種の美的なフォルムだったり工業力の凄さだったりを解くような作品を、間近に感じてだったら今はどういう時代なのかを考えるきっかけにしてもらえれば良いんだけれど、箱は箱だという人はずっと箱だと言い続けるんだろうなあ。リキテンシュタインを漫画だと言い続けているように。今いくらで売れるんだろう「ヘアリボンの少女」って。

 さて大竹伸朗さんは大量に作品があって最初の漫画的イラスト的な表現からどんどんとキュビスム的抽象方面へと向かっていって立体感も出て来たりして、1人で濃密に時代を駆け抜けている感じが漂っていた。赤瀬川源平さんとかのような社会に挑む感じはなく淡々と世の中を取り込んでは形に落とし込んでいる感じがあって、それだけに話題には上りにくいけれどそれだからこそ時代を超えて心をとらえるものがあるんだろう。村上隆さんのポップカルチャーを取り入れた作品よりも奈良美智さんの心象が感じられる作品が愛され続けているように。

 会場では大竹伸朗さんによる廃棄物が音楽を奏でる巨大な作品が大竹さん自身の捜査によって鳴りひびいていてなかなかの迫力。ビートボックスなりリズムマシーンといった大餅だけれどそれに合わせて踊るわけにはいかないのが美術館。せめて終わったあとに拍手をして大竹さんの実演に応えることができた。ジャン・ティンゲリー的だけれどショー的な部分は大竹さんっぽいかな。外では例の「ニューシャネル」と描かれたTシャツが売っててカッコ良さげだったけれど江口寿史さんの「彼女」展でもTシャツかったばかりなので遠慮する。これからの季節じゃ着る機会もなさそうなんで。

 どうやら宮城リョータの物語になりそうな12月公開の新しい「SLUM DANK」のアニメーション。3DCGのモデリングとその動きにこだわったなんてプロデューサーの人がインタビューに答えていて、それだけにしっかり動くといっちゃあ動くんだけれどそれだけといった感じがないでもない。撮影によっていろいろとエフェクトを足して光と影のメリハリだとか躍動感だとかをつけていけば生々しさも出てくるんだろうけれど、今のままだと感じられるパッションがないよなあ。リョータの口パクと声が合ってないし。その声が先のアニメーションとは全取っ替えになって異論も出ているけれど、終わって26年も経つアニメの若い選手たちの声がそのまま使える訳もないからこれは当然。桜木花道が木村昴さんなのはもうバッチリ過ぎて異論もない。ジャイアン? もはやそんな枠に収まる人じゃないんだよ。


【11月3日】 原稿を書こうと電車に乗って千葉まで行って、モノレール駅の改札前にあるミスタードーナツでドーナツをかじりながらミステリマガジン向けの原稿をあれやこれや。宮田眞砂さんという人の「ビブリオフィリアの乙女たち」(星海社FICTIONS)というミステリが出ていて森鴎外の「舞姫」を入り口にして新美南吉の「ごんぎつね」とか宮澤賢治「春と修羅」「小岩井農場」といった作品を取り上げていく展開から、それぞれの作品が出来上がった過程やそこに込められた思いなんかが分かっていろいろと勉強になった。

 ビブリオミステリということでもちろん事件も。ヒロインのひとりはサイコメトラーで本に残された思念を読むことができる。もうひとりはディスクレシアで本は読めないけれども語られた本の内容とそして解説から推理を積み重ねることができる。そんな2人が挑むのは森鴎外の「舞姫」を気にしていたイケメンの先輩と学校でも人気の女性教師との関係であったり、「ごんぎつね」や「かわいそうなぞう」に残されていた黒いコートの男が3人の子供を撃ち殺す思念の解釈など。そうやって明らかにされた幾つかの事件が結構血みどろで、学園ものならではのふわっとした解決に向かわないところに逆にリアルさがあった。

 ほかにはてにをはさんによる「また死んでしまったのですね、探偵様4」(MF文庫J)なんかを読了。死んでも生き返る体質の高校生探偵が挑むのは屈斜路湖にある刑務所で起こった女性型のロボット看守と人間の受刑者が無理心中をしたという事件。男はともかくロボット看守が人間を殺害できるはずがない状況の謎を解き、密室事件の謎も解き明かした先に見えてくるロボットが人間になる瞬間。その到来を受けつつ犯罪者として捕まった超AIの再登場がもたらす変化の先を見ていきたい。しかしどうして死んでも生き返る? それを突き詰めたらおしまいか。

 せっかくだからとモノレールで千葉みなとまで向かい、千葉県立美術館で開催中の江口寿史さんによる「彼女」展を見ようとしたら文化の日ちうことで無料だった。なんという大盤振る舞い。展示自体もホールを幾つも使ってびっしりと並んでいてそれも作品を伸ばしたパネルもあれば紙に描かれた肉筆画もあって江口寿史の描く女性のスタイルから顔立ちから背景から何もかもを目の当たりにすることができた。これはなかなか良い展覧会。おまけに無料ということで得した気分だけれど、その分足早に過ぎてしまったところもあったのでまた行くか。パイレーツTシャツもLサイズが売り切れていて変えなかったので、補充されるタイミングとか見計らって。

 ゴジラだゴジラだ、あのゴジラが「STAND BY ME ドラえもん」で全世界の子供たちを泣かせつつ、「SPACE BATTLE SHIP ヤマト」で全ヤマトファンを騒然とさせた山崎貴監督によって作られると聞いて起こる期待と阿鼻叫喚。「ジュブナイル」のようなこぢんまりとして感動を呼ぶ作品だとか、「三丁目の夕日」のようにハートウォーミングな物語がある作品なら間違いがない人なんだけれど、世界的なビッグIPを預けられた時にいろいろと困ることも凄いことも起こすので、今はどうなるかを誰もが固唾をのんで見守っているのだった。どっちに転ぶかなあ。どう転んでも観に行くつもりではあるけれど。とりあえずドン・フライは出るのか。そこは気になる。


【11月2日】 アニメの「チェンソーマン」がいろいろと騒然。中山竜監督が日経エンタテインメントか何かでアニメは映画のようなテイストにするとかアキバ的な描写は入れないとか行ったとかでそうした方向性は藤本タツキさんが描く原作漫画の「チェンソーマン」が持っている軽さをとっぱらうものだといった非難がネットでわき起こっている。確かに見るとアニメは描写が日常は淡々としてそしてアクションシーンがど派手で映画を見ているかのよう。デンジのおバカぶりとかあんまり前面に押し出されてない。

 でもそこが良い。「チェンソーマン」はマンガ大賞の候補にもなったから最初の方は目を通しているけれど、そこまでのめり込んではいないのでほぼほぼアニメが初見だったりする。そこで淡々として低血圧っぽい雰囲気が一変して血みどろの展開になってさらに大爆発したあと、すっと収まるあの感じが見ていてとても心地良いのだ。これが漫画のように徹頭徹尾バカやっているような展開だと、見ていて楽しいしまるで漫画のようだと思うかもしれないけれど、だったら漫画を脳内で動かせば済む話。メディアが変われば表現も変わってそこにあたらしいビジュアルを通して語られる「チェンソーマン」の物語があると思えば悪い気はしない。自分の場合。

 目下話題になっているアニメに「うる星やつら」があってラムちゃんの圧倒的な可愛らしさでグッと迫ってくるものがあるけれど、ことアニメとして見た場合に押井守監督がチーフディレクターを務めた最初の映画が持っていた混沌としてパワフルで見ていて飽きないギャグ描写が足りてなく、だからといって漫画が持っているテンポがそのまま再現されている訳でもない、カタログのような作品になってしまっているような気がしないでもない。そこをラムちゃんの立体感があって肉感もある腰回りで押し切っているというか。それで良いのかもしれないけれど、アニメの作り手としてそれで良いのかって思わないでもない。

 「チェンソーマン」も今はイントロダクションでパワーちゃんが混じってバカやりはじめて雰囲気を重ねつつアクションのど派手さでもって圧倒しては気分を盛り上げていってくれるんじゃないかなあ。最新話でデンジがパワーの胸を揉んだかどうかを描かなくたって、そこに想像力を働かしていろいろと考えるのが思考する動物たる人間の特権って奴なのだから。とかいいつつ見ていて徹底してバカさ加減がぶっとんでる「アキバ冥土戦争」の凄まじさを目の当たり威すると、「チェンソーマン」にも「うる星やつら」にもバカやって欲しいと思うのだった。アニメ化って難しいなあ。

 原稿を書くために本を読みつつ阿佐ヶ谷まで行ってぱすた屋でご当地パスタを食べようと思ったら「広島タンタン麺」のパスタ版でこれは相当に辛そうなので後の原稿書きに支障がでるかもと弱腰になってボロネーズに切り替える。これはこれで美味しいから良いんだけれどひろしまアニメーションシーズンの会場前で食べた広島タンタン麺もなかかなに美味しかっただけに、あれをパスタで再現されるとどんな味かやっぱり気になるのだった。舌が燃えていても構わないような時に食べに行くかな、っていうか広島で食べた時みたいに冷やし麺で出てくるのかそれともラーメン風にあつあつなのか。気になります。

 「エヴァンゲリオン」が今度は舞台化ということで、いったいどうなるのか使徒戦とかどう描くのかって声が早速あがっているけれど、すでに日本は「機動戦士ガンダム00」で動き回る椅子をコックピットに見立てたモビルスーツ戦の舞台を成立させているし、押井守監督の舞台では巨大な鉄人28号を出さないことで背景にある物語をクローズアップする方法を成り立たせている。それらがどちらも成功だったかには口ごもるけれども「00」に関しては見ていてまさにモビルスーツを操縦するガンダムマイスターたちの戦いだということがくっきりと見えた。とうことはプラグスーツを動かしながらそこに座る少年少女の会話劇でもって成立させることも可能なんじゃないかなあ。踊るエヴァンゲリオン初号機と弐号機は見られないけれど、まあエヴァ派じゃなくキャラ派なんでプラグスーツ姿がエロければそれでOK。観に行こう。


  【11月1日】 読み切った上で10本まで所感を書いたので残りの10本を埋めるべくVELOCHEにこもって作業。残り3本となったところで時間も経ったので久々にサイゼリアへと回ってハンバーグを食べつつドリンクバーのコーヒーを飲みつつ作業をしてどうにかこうにか終了へと追い込む。1本について600字くらい書いているから20本だと1万2000字ってことは原稿用紙で30枚か。まあでもそれくらいをかけてこそジャッジする責任を果たせるってことで。いずれ結果が出たときに治部のジャッジの是非を問おう。

 そんな合間にFIFAワールドカップ2022カタール大会に出場する日本代表のメンバーが発表になっていて、やっぱり通っていた柴崎岳選手にいったいどのような期待を森保一監督が寄せているのかを問い正しくなって来た。一方で大迫勇也選手は原口元気選手は落選。いざというときの得点源だったり戻っての献身的な守備だったりを捨ててふわふわとしながら来たボールだけはどうにか処理する柴崎選手を置く意味とは? きっと誰か解説してくれるだろう、って言うほど今、森保監督への翼賛的な評論って少ないんだよなあ。結果もこれでは明らかか。

 セルティックにわんさかといる日本人選手からはフォワードの前田大然選手が入ったけれども同じセルティックで古橋亨梧や旗手怜央がいてこそ光るところもあるだけに単独で入れても果たして意味があるのか不明。三笘薫選手と久保建英選手をウイング気味に置いてセンターを誰が固めるかってあたりが気になるところだけれど、後ろが長友佑人選手に酒井宏樹選手で果たして前としっかりとした連係がとれるのか、ってあたりも気になって来る。2人とも年齢が……。なのでここは冨安健洋選手をちゃんと使いセンターに南野拓実選手も置いてスピードで攪乱して欲しいもの。とはいえそんな前を後ろから見て危険地帯を埋めるのが柴崎選手にできるかというと……。いろいろ不安。だけどグダグダしつつ勝っちゃいそうでもあるんだよなあ。どうなるものか。

 ジブリパークがオープンしたそうで早速宮崎駿監督が出向いたと思ったらコスプレの人だった。前にニコニコ超会議で鈴木敏夫プロデューサーが大きな書を書いた時にも来ていた人かな。そうした人なら行って微笑ましいところなのに、ネットだと本人かと思ったらニセモノだったと分かってガッカリする人がいるから来ないで欲しかったなんて声もある。何かと気ぜわしい時代。まあコスプレして来るのを遠慮してもらっている場所でもあるので、その意味ではやっぱり拙かったかもしれない。なので次ぎ来る時はモリゾーかキッコロのコスプレで。あの2人を今咎める声はちょっと上げづらいだろうから。

 「チェンソーマン」でマキマを演じて注目急上昇の声優、楠ともりさんがエーラス・ダンロス症候群という難病でダンスとかが必要な「ラブライブ !虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会:の優木せつ菜(中川菜々)役を降板することになったとか。遺伝的な疾患で関節なんかをつなぐコラーゲンを生成できず節々が痛んだりする病気だそうでなるほど激しいダンスは無理だし悪くなれば動くことにも支障がでるからこれは大変。なので「ラブライブ!」関係からの撤退はやむなしとしつつ声優としての仕事は続けられるなら当たり役のマキマは演じきって欲しいし、そうあることを願っている。あの声を奪う権利は病気にだってないのだから。


【10月31日】 読まなくてはいけない原稿があって、家では寝てしまうので電車に乗って秋葉原へと向かう途中で黙黙と読み進める。秋葉原では様子を見ながら散策したけどメイドが二丁拳銃を振り回してはいなかった。まだ安全な街らしい。昼食はどこでと思ったけれどだいたいの店は他にもあるのでカレーの市民アルパに行ってカツカレーにソーセージをトッピングして食べる。ゴーゴーカレーのスパイシーさと比べるとマイルド感があって食べやすい感じ。カツもちょっとお上品。こうなるとチャンピオンカレーも久々に確かめてみたくなってきた。靖国神社側の店ってまだあるのかな。

 外国人の観光客が戻ってきたみたいで、アトレの前に集まっていたりあちらこちらを歩いていたり。マスクをしていない人もいるけどしている人もいてそこらへんはバラバラ。まあ屋外だし気にすることもないけれど、店の中だとどうなっているかはちょっと分からない。外国人が秋葉原でどの店に入るかは知らないけれど、普段よってるカレー屋とか定食屋にはいないなあ。円安なんだからきっとゴージャスなホテルでランチとかとっていたりするのかな。ちょっと羨ましい。

 時間も過ごしたし戻るかとやっぱり電車に乗って途中で黙黙と読み進めて家の側まで到着。VELOCHEにこもってさらに続きを読み進めてだいたい読み終えたのであとは感想を書くだけだけれどこれが大変。まあ夜から明け方にかけてやろうとういことで、ネットを見るとほうぼうの支局を締めてもはや全国紙を名乗れるほどの取材網を持っていない新聞の社会部長ともあろう職責にある人が、黙秘を薦める弁護士はケシカランといった論調の文章を記名で書いていて弁護士から袋だたきにあっていた。そりゃそうだ。

 憲法刑法なんかが定めてそれを重要視しているのには理由もあって、強要された自白によって山ほどの冤罪が生まれてそして死刑判決にも至ったような人がいる状況で、何かを喋ることが圧倒的に不利だったことが背景にあったりしていてその状況が改善はされたとはいえ、いまだ録音録画が完璧に行われている訳ではなく、席巻すら自由にできない状況下で何かを言えば唇どころか首が危なくなる状況下で、ペラペラと喋ったらヤバいという感覚が今もあったりする。

 そういった方面の改善が進んでないのを責めもせず、黙秘は悪だと言わんばかりの論調を新聞に掲げて果たして世間はどう思うか、っていうところを考える余裕もなくなっているんだろうなあ。権力者を否定する存在を否定することで喝采を浴びようとしているという意味で、批判する態度の裏返しでしかないのだから。こういうスタンスはやがて政治家の汚職もそれが国益のためになるのだったら認められるべきで、にも関わらず法律を盾にして悪は悪だといて断罪する検察はけしからんといった論調にスベっていきかねないというか、実際にモリカケサクラ等々の一件ではそういう論調をどこまでも主張してたっけ。滅びるはずだよなあ。

 フワちゃんの女子プロレスデビューが伝えられる一方で、女子プロレスの一時代を築いたダンプ松本をモデルにしたドラマの撮影で出演していたゆりやんが100回くらい技を繰り返したことで頭に衝撃を受けて入院をしたという話。幸い脳挫傷のような重篤な怪我は負ってなかったようだけれど、体が壊れるくらいの状況だったらやっぱり再開しても同じようにはできないし、そもそもやってはいけない撮影だったんじゃなかろうか。フワちゃんは発表する前から何ヶ月も現役のプロについて練習を行っていたそうで、それでしっかりと魅せる試合が出来たけれどゆりやんさんの場合はトレーニングしたところで100回も連続して技を繰り出すなんて本番でもないことを、やらせて周囲はどうして止めなかったのか。そこが分からない。そういう隠れた部分がやっぱり日本映画の世界にいろいろとあるのかもしれない。解明を。そして是正を。


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