縮刷版2022年10月上旬号


【10月10日】 とある自称するところの全国紙がいわゆる為にする記事ばかりを書くのは知られた話だから愛知県にある前は名古屋空港だった愛知県立小牧飛行場が自衛隊から離着料をとっているのはケシカランという今さらな記事にも裏があると思っていたら、案の定愛知県の大村知事があれは本来だったら国が管理するべきものなのに、愛知県に押しつけておいてそれでいて自衛隊にはそのまま使わせるようにした関係で自衛隊から、というより国から整備費だとか運営にかかる費用を出してもらっているだけだといった反論が出ていた。

 愛知県が引き取らなかったら国が自衛隊の基地として運用したかもしれない可能性はあって、それでは周囲に悪影響があるから愛知県が名乗りを上げたとしたなら押しつけられたといった言い分は違ってくるけれど、当時の知事が自民党寄りだったことを考えるなら面倒を押しつける代わりに費用は少しは国も負担するよといった話だったことは類推できる。それを自衛隊から金をとるなんてナニゴトかと憤るのだとしたら、いやいや仮に国が管理したままだとしたらそれは国が管理費として支払う訳だから、自衛隊が愛知県に払うのと結果として同じになるだけだと言えば果たして通用するかとういと、世の中のライティな人は自衛隊様から金をむしり取るとはナニゴトかといった反応になってしまうのだった。やれやれ。

 今日も今日とて家にいたら寝てしまうので早くに出かけて茅場町のVELOCHEでしばらく原稿書き。適当な時間になったので秋葉原に出てパンチョにでも入ろうとしたけれど、行列ができていたのでしばらくぶりのモダン食堂に行って唐揚げ定食を食べて変わらない味に満足する。値段も変わってなかったなあ。頑張ってるのかもしれない。そして両国へと回って両国国技館に並ぶ行列を監察してから、ドトールでやっぱり原稿書き。そして時間になったので両国国技館に入って新日本プロレスの大会「超実力派宣言」を見る。

 前に新日本を見たのがまだ名古屋にいたころか、それとも東京に出て来て見たのか、はたまた今まで見たことがないのか覚えてないけれどもそんな新日本プロレスを立ち上げて引っ張って世の中を騒がせたアントニオ猪木さんが亡くなって、最初の国内での大会ということでこれは何かあると思って行ったらやっぱり冒頭に追悼の10カウントが行われ、坂口征二さんが遺影を持って立ちリングアナウンサーの田中ケロさんが耳に慣れたあの声で、猪木さんの名前をコールしてくれて気持ちが1980年代の新日本プロレス全盛へとタイムスリップする。

 リング上では追悼に関連して猪木さんが新日本プロレスの終身名誉会長に9月1日付けで就任していたことが発表され、本来だったらこの両国国技館で公表されるはずったのが亡くなられてしまったとのこと。ちょっと残念。そして2023年1月4日の東京ドーム大会が猪木さんの追悼大会になることも発表されたけれど、カードについては未定なので果たしてスタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンやハルク・ホーガンといった猪木縁の海外レスラーは参加するのか、藤波辰爾や長州力や蝶野や武藤や藤原組長といった猪木直径の弟子達の登壇はあるのか等々、今から興味が尽きない。試合はしなくても良いから立って欲しいなあ。

 さて久々に見た新日本プロレスは歓声をあげられない中で手拍子を浴びながらレスラーたちがパントマイム然として見せる動きに結構見入る。昔とった何とやらでプロレス的なムーブはだいたい分かってどこでどうなりそこでそうなり結果として何が起こるかあたりまでは想像できるんだけれど、そんな道筋をそれぞれが工夫をして戦い引っ張っていってくれるから見ていて飽きない。大技が得意だったり小技を小さく繰り出したりリングの外でのバトルで喜ばせたり。様々な展開を織り交ぜながら4時間近くを飽きさせないのはそれだけ根付いたものがあり、また今の観客を楽しませたいという意識があるのだろう。だから新日本プロレスは今も隆盛を保っているのかも。その勢いが猪木さん亡き後も続くことを願おう。


【10月9日】 日本ファクトチェックセンターが立ち上がってさあ、ネットでも高い影響力を持ちながらデマばかりを垂れ流すジャーナリスト氏だとか通信社の元政治部長だとか美容整形外科医だとかいったインフルエンサーを糾弾してくれるのかと思ったら、誰か得たいの知れない反ワクチン的なことをずっと言っていたらしい人が、世界的に銀行でカードが使えなくなるとかいった話をツイートしていたのを取り上げて、これはデマだと認定してファクトチェックで御座いとやっていたのに愕然とするというか呆然とすると言うか。

 どうやら対象となっているらしい話はイオン銀行のシステムの入れ替えに伴うものらしく、そのことについてイオン銀行に聞いてどういうことなのかを紹介したのは良いとして問題はチェックしたファクトが本当にイオン銀行のことなのか、それとももっと深淵なる陰謀があるのかをツイートの主に聞いて確認していないこと。ジャーナリズムだったらそこでどうしてそんなツイートをしたのかを聞いてエビデンスを探り、そして言っていることがイオン銀行のことなのかも含めて確かめた上で記事にする。それがファクトチェックだと勝手にこれかもしれないと決めつけて、それについては間違った話だと言ってしまっている。

 およそファクトのチェックにすらなっておらず、ジャーナリズムとするならまったくもってなっていない記事をファクトチェックしましたといって掲げてしまって本当に日本ファクトチェックセンターなのか、グーグルとヤフーから大金を得て新聞記者出身の人を編集者に迎えて運営している組織なのか。デスクだったら確実に没にしそうな原稿を、元朝日新聞の記者らしい人が監修して通してしまっているのだから不思議というか奇妙と言うしかない。

 あるいは日本ファクトチェックセンターは外形的に合っているか間違っているかしか判断しないのか。だとするなら沖縄で座り込み3000日という看板も辞書的な意味合いでは座り込みを続けていないから不正確だと言うのだろうか。そっち方面について突っ込まずインフルエンサーにも触れず当たり障りのない話を掘り出し白黒付けて仕事をしたフリをする日本ファクトチェックセンターが果たしていつまで持つものか。そこでインターンをした人の将来も含めて心配になって来た。名前、出ちゃってるものなあ。

 家にいたら寝てしまうので起き出して電車にのって立川まで行ってそこで原稿を書きつつ映画を見る。その前にウインズのそばにあるスパゲティ屋でミートソースのベーコン乗せをお昼ご飯に所望。やっぱり美味しい。映画の方は前日の「僕が愛したすべての君へ」の裏表の関係になる「君を愛したひとりの僕へ」で、佐藤栞という少女といっしょに育った少年がそれぞれの母親と父親の結婚によって兄弟になってしまい結婚できなくなってしまうのは嫌だとパラレルシフトをしたら栞の方だけ肉体が滅んでしまって魂めいたものが交差点に釘付けになってしまったという展開。少年はそれを解放するため一生懸命勉強をして研究を続ける。

 そこに同級生だけれど交流のなかった女子が来て一緒に研究に取り組んだ結果がどうなるかというのは「僕愛」でも描かれていて、そこでくりりと輪になるというか凸凹が重なって全体の世界が見えてくる。なおそうやって生まれた栞の新たな運命はスピンオフとして描かれた「僕が君の名前を呼ぶから」に描かれているんだけれどそれは映画にはならないかなあ。とりあえず見どころはまだ幼い栞が暦をパラレルシフトさせようと装置を操作する際に、両手を挙げて指を伸ばして2本の指でかちゃかちゃとPCのキーボードを叩く場面。ちょっと可愛い。でもそんな無茶やってよくもまあ無事にパラレルシフトができたものだ。あるいは暦の体質によるものなのかも。栞が立ってた交差点は夏に大分に行った時に多分通ったけれど、よく覚えていなかった。もう1回くらい行ってみようか。


【10月8日】 「PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL」の放送と配信が始まって、すでに劇場では見られた第1話が明らかになってそのアバンギャルドな展開に、ドライビングスクール=自動車運転教習所ではなく交通刑務所だろって意見がわんさかと出て来た。劇場で見て感じたことをやっぱり誰もが感じたみたい。これで単純に自動車教習所でモルカーたちが運転の仕方を学んでいく狭い物語ではなく、それこそ「女囚さそり」や「網走番外地」や「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」みたいに牢名主がいていびられたり、脱獄を企てたりするような展開が期待できそうで楽しみ楽しみ。

 気になるエンドクレジットで気づいたのは製作プロデューサーとして上田陽子さんが立っていること。「PUI PUI モルカー」の1作目はシンエイ動画がスタジオとなって見里朝希監督が作った作品を展開したけれど、今回プロダクション・アイジーの人でIG作品なんかに名前も出ている人が関わっているってことは、現場もシンエイ動画ではなくIGの関連になっているのかもしれない。というか見里監督がWIT STUDIOで新作を作っていることもあるので、その絡みでIGグループが全面的にバックアップして、小野ハナ監督とかアニメーターの当真一茂さんが所属するUchuPeopleを支えて作っているってとになるのかな。なかなか複雑。

 いやあ参った。愛知県の元青少年後年で2005年の愛・地球博開催行こうは愛・地球博記念公園となっている場所にジブリパークが出来ることに関連して、園内にメイの帽子とトウモロコシだとか、お金が入った袋だとかが置かれたベンチが15台ほど設置されて良いフォトスポットになりそうだと話題になっていたら、愛知県立大学の准教授の人がこれは排除アートだと騒ぎ出して全方位的な突っ込みを受けている。

 排除アートというのは公共の場におかれたベンチなんかに仕切りが設けられたり、ホームレスの方が寝るのに良さそうな場所に凸凹としたオブジェが置かれて寝られないようにするといったアートを表す言葉だけれど、少なくとも愛・地球博公園は夜には閉まる場所であり、また名古屋の市街地から遥に遠い丘陵地帯に作られていて寝ようが走ろうが自由自在。そんな場所に敢えて排除アートなんて置く意味はなく、従ってベンチもオブジェでありフォトスポット以外の意味なんてもたない。

 なのに県立大の准教授の人は退かず一種思想としてこれは排除後であるといった主張を曲げようとしない。県立大が愛・地球博記念公園のすぐそばにあって当地がどのような場所か分かってそう言っているあたりに何がそこまでこだわらせているのか、分からないけれども偉い人によくある言ったら引っ込みが付かなくなってしまった一例なのかもしれない。もちろんこれが公共の場所、人通りが多い街中の公園に置かれれば排除アートと誹られて当然だけれど、そうした可能性を想起させるから作っちゃダメというなら、ベンチは遍く平坦な座面を持ったものにしなくてはならないってことになる。それは表現の自由、アーティストの心の自由にもとる行為であるにも関わらず、言い続ける人の何が心を支えているのか。気になるなあ。

 舞台挨拶付きの上映を両方申し込んだものの当たったのが片方だけだったので必然的に「僕が愛したすべての君へ」から見ることに。原作は読んでいるけど忘れていた部分も多かったのでこれが栞という少女を交差点から救い出すというひとつの目的を持った誰かの行為のサブプロット的な位置づけにあることを思い出させてもらいつつ、パラレルシフトする生活において起こる可能性って奴を想像させられる。子供が死んでしまうか生きているか、祖父が死んでしまうか生きているか、そんな差が個々人には決して小さくない影響をもたらすことが分かってジンと来たけど、それよりやっぱりデコの広めなメガネの秀才がキンキンと突っ込んできてくれる展開が最高だった。説明の多い物語でもそれを聞かせる手腕が良かったのか見入って聞き入って寝なかったあたりもグッド。あとは「君を愛したすべての僕へ」を見て裏側で何が起こっていたのかを確かめよう。


【10月7日】 ホテルで夜中まで何か仕事になりそうな中国のアニメを見つつ寝つつ朝起きたら朝になっていたんで、買い込んであったパンを食べてそれから市電に乗って南富山へ。前に乗った時よりも時間が早かったためかやたらと込んでて普通に乗れず降り口から乗ってぎゅうぎゅう詰めのラッシュを久々に経験する。女子高生とかもいたけど女子高生しかいない感じ。富山駅のコンコースにもベンチがあって女子高生がよく座っているけれど、富山って男子高校生がいないんだろうか。それはそれで素晴らしいんだけれど。

 南富山から少し歩いて待ち合わせ場所まで行ってそこから立山町にある取材先へと一緒に行く途中、ホテルにICレコーダーを忘れてきたことに気づいたけれどもこれもiPadで代替できるから後で取りに寄ろうと安気に構える、最近はどうもイライラくよくよしなくなったなあ。あとiPad万能。iPhoneでも同じだけれどなるほど書き物さえしなければPCを持たずスマホだけダブレットだけで生活する人が多いわけがちょっと分かった。大きめのiPadに変えてキーボードもつければ十分だよな。でも書く量が違うのでやっぱりPCは大事。そろそろ次のに置き換えるか。

 とか思っていたら取材先についたけどどうやら取材するはずだった相手が急用とかでいなくなってて愕然とする。また来ますと気軽に言える場所でもないからちょっと困ったけれど、そこは残っていた人から話を聞いて記事を作り上げると決めていろいろと話を聞いて終わって南富山駅まで戻って市電にゆられてホテルのある場所まで行って、忘れていたICレコーダーを受け取って富山駅で今回はちとせのますの寿司を買って新幹線で家まで戻って、コロッケといっしょにますの寿司を食べたら美味しかったので万事快調、無事是名馬ってことで。書き物の仕事は明日明後日頑張ろう。

 3000幾日か座り込みを続けてますって日付を記した場所に行って写真を撮って誰もいないとツイートしたひろゆきに非難囂々。ちゃんと毎日それなりに人が行って座っているのにと行ったら座り込みというのはずっと座っているから座り込みなんだと辞書に書いてあるじゃんと反論されて喧嘩になってなかなかの修羅場感を醸し出していた。もちろん座り込みを続けている人たちのなぜそこまでしなきゃいけないのかといった思いを汲めば、冷笑を浴びせるような所業は人道にもとると言える。

 けれども抗議活動を3000幾日続けていると主張したって何ら減じることのないその理念を、座り込み3000幾日という表現にこだあって小馬鹿にされる必要もないと思えないことない。どこか外見にこだわり理念にすがりついて苦笑を買うことも多い“活動”をもっと実態に寄り添ったものにして共感を誘うものにするきかっけとすることも必要な気がしないでもない。米軍基地が沖縄の多くにいまも存在している問題は実際にある訳で、それを解決にもっていくために必要な賛同者を分断からの引きこもりで失うのは勿体ないから。それでひろゆきも退散して二度と出てこなければ更に良いのだけれど。

 「令和のデ・ジ・キャラット」がスタートしてワンダフル版のノリが23年ぶりに戻って来た感じがして心が躍る。まだ14歳だった頃の沢城みゆきさんが演じて最高だったぷりこが当時とまったく同じ声と演技で蘇って流石とうか素晴らし過ぎる沢城さんの演技に感嘆する。あれで峰不二子のような悪女も演じてのけるんだからなあ。どうなっているんだろうその声帯。でじこはでじこで前のまんま。そして二代目のでじこになりながらフェードアウトした明坂聡美さんがブロッゴスとして復活してこれはなかなかの配慮で嬉しい。ならば二代目のぷちこを演じたみなかみ菜緒さんにもここは是非に復活を。


 【10月6日】 2000年に行った大道芸ワールドカップin静岡は、街路に人がぎっしりと集まってパフォーマーたちの芸を取り囲んで見ていたり、駿府城の中にあるステージめいた場所でパフォーマーたちが世界中から集まって芸を披露していたりしてまさしくワールドカップといった華やかさがあった。テレビ番組にも出ていた雪竹太郎さんが街中でアート作品に早変わりする芸を繰り広げていて流石に慣れたものだと思ったし、ストレンジフラワーとかいったユニットが空中をゆらゆらしていたりして、芸の広さと凄さって奴を間近で目の当たりにできた。

 世界の至芸を持ってきて見せてくれるイベントとしてこれは新しいと持ってから今年で22年。どうやらその間に大道芸ワールドカップは揺れに揺れていたようで、国内パフォーマーにはギャラを支払わないなんて無茶がまかり通りそうになってそれを懸命に差し止めたものの新型コロナウイルス感染症の影響もあって開催が見送られた果てに、ノーギャラに立ち上がって運営に携わった人たちが排除されてまったく新しい実行委員とそしてプロデューサーによって仕切られどうにか開催にこぎ着けたと思ったら、そのプロデューサーが外国を差別するようなことを言って大騒動になってプロデューサーは解任さて実行委員長は辞任と崩壊してしまっていた。

 開催すら危ぶまれてる状況ではあるものの残り1カ月の状況で中止はさすがに刻。幸いというかそれが目的だったというかすべて国内からのパフォーマーによって固められた出演陣をしっかりとケアして招きパフォーマンスを行ってもらえさえすれば形は付くものの、その後の運営をどうするかでやっぱり問題が浮上してきそう。静岡市は外に丸投げして外は情報を公開しない不思議な体制をガラガラポンして海外を遇し国内も敬いつつ観客にも楽しんでもらえるイベントに持って行けるのか。せっかく根付いたイベントを壊すもったいなさは文化庁メディア芸術祭でかんじているだけにここは慌てず焦らずじっくりと来年に向けて動いていってもらいたい。どこでだってやれるのが大道芸。それを許す環境を作るだけでもとりあえず良いから。

 6日か7日にあるらしいオンラインインタビューが6日になってもまるで決まらない中を、とりあえず7日に取材がある富山へと移動して早めにホテルに入れば、そこからオンライン取材も可能だと思って午後1時にチェックインできるよう手配をし、午前7時に家を出て東京駅から新幹線に乗ってさあ仕事でもと鞄をかえたらパソコンが入ってなかった。どうやら家に置き忘れてきたらしい。いつもそれでオンラインインタビューもしているからちょっと困ったけれど、接続だけならiPadで出来るからいいやと楽観して富山駅へと到着し、駅にある大喜でそこが元祖らしいブラックラーメンを食べたらやっぱり辛かった。とびきり塩辛いんだよなあここんちのブラックラーメンは。

 その後は創業者の思想は苦手だし社長のご尊顔もなかなかだったりするけどアメニティはそろってる駅前のアパホテルヴィラリゾートに入ってさてオンライン取材はあるのかと尋ねたら、どうやら6日も7日もなさそうだといった感触が来て午後にやることがなくなってしまった。かといって出歩こうにも外は曇りから小雨模様だったので、せっかくデカいベッドがあるのならと横になったらもう夕方。起き出して今度は一心というラーメン屋に行ってブラックラーメンを食べたけれども黒くなくって普通のラーメンっぽかったというか、大喜のが特別にやっぱり辛いってことが分かった。

 ホテルに戻ってラムちゃんのクリアファイルをもらうために買い込んだ菓子をかじりつつノーベル文学賞のニュースを見ていたら、早川書房から翻訳を出しているアニー・エルノーが受賞者に決まったようでいつかのカズオ・イシグロといいその他の物理学賞とかいろいろな受賞者の翻訳も出してその都度に儲ける早川書房の引きの良さに感心する。これならいっそ村上春樹さんも英語で本を書いて海外で出してから、その翻訳版を早川書房から出せば受賞するんじゃなかろうか。翻訳は村上春樹さんがやれば文体もそっくり村上春樹さんになるから完璧だし。だったら日本語で書け? それじゃあ早川から翻訳書を出せないじゃないか。それが重要。それこそが重要。


【10月5日】 津原泰水さんが亡くなられたとの報。文化庁メディア芸術祭で近藤ようこさんが漫画を描いた「五色の船」がマンガ部門の大賞を受賞した際に、原作者としていっしょに受賞されて発表会見とか、受賞作品展に来られていたのを見かけたことがあった。まだ8年とかそれくらいしか経っていないんだけれど、その間に「日本国紀」をめぐって幻冬舎の編集者を縁を切って文庫化を早川書房で行ったというなかなかの傑物。ネットでの“活躍”も目にしていただけに急な訃報には驚いた。とはいえどうやら体を壊されていたとのこと。歳も近いだけに思うところも大きく我が身とは比べものにはならない損失と嘆きつつ、我が身の大事も考えよう。合掌。

 本を読もうと電車に乗って中野まで行ったあたりで、頼んでいたポケットWi−Fiの新しいのが配達されそうだったので、とって返す途中で1冊読み切ってなるほどMRが一般化した世界を描くとこうなるのかと納得する。「PSYCHO−PASS サイコパス」もある意味でMRが発達した世界だけれどあそこまでユートピアでディストピアとなる前の世界といった感じ。あれに個人の性格分析が入るとシビュラシステムになるんだろう。もっともシビュラシステムはAIでは(以下略)。そんな世界観だけに「PSYCHO−PASS サイコパス」の脚本を書いた人がノベライズしたのは正解ってことで。「レベルロボチカ0」。面白いです。

 買えるとちょど届いていたポケットWi−Fiを受け取ってSIMを差し込んでセッティングして換装を完了。最初のeモバイルの頃から使い初めて3台目だけれどその間に小さくなるどころか逆にデカくなっているのはそれだけ電波の威力が増して電池の減りが早くなっているからなんだろうか。最初の機種だって2台目だって1日近く保っていた気がするけれど、だんだんと使えなくなっていった。というか2台目を使っている途中でフリーになって家の外で電源に差さないで使うことが多くなったから減るのも当然か。最初のは電池を倍にして使っていたけど2台目はそういう反則が使えなかったし。

 それにしてもデカいというかほとんどスマートフォンくらいのサイズがあってなおかつ電池がデカいので重量感もなかなか。250グラムくらいあるんだっけ、食べればステーキならお腹いっぱいになるしハンバーグならビッグサイズだ。まあポケットに入れて使うなんてことはないから重くても良いんだけれど。前は最高で4Gだったけれどこれは5Gでも使えるからありがたい。とはいえ普段は無制限のアドバンスモードで使うから速さはあまり関係ないか。ただ電波の放ちが良くなった感じはあって遠くに置いていても途切れることはなさそう。明日から出張。そこえも使えるかを試したい。

 ようやくやっと「輝度運戦士ガンダム 水星の魔女」のテレビ放送での第1話にあたる第2話を見る。なるほど「少女革命ウテナ」と騒がれた理由も分からないでもないけれど、その凸凹としたスレッタとミオリネの関係は、どちらかというと「けものフレンズ」のキタキツネとギンギツネ的というかアライさんとフェネックみたいな関係なんじゃないかと思ったよ。今は概念として「百合」という言葉が取りざたされていて、そのタームのレッテルが貼られると女の子2人組の関係はその概念によって一色に染められてしまう。でも女性2人の関係はそんなに1色に塗りつぶせるものではない訳で、その視点だけで見るのも寂しい話。決めつけずに見ていきたい。

 それにしてもポンコツに見えてスレッタは、あれで過去に父親を殺害されて母親ともども逃げ出した過去がある訳で、その怨みめいたものを晴らすような意図だってきっと心のどこかに持っているだろう。単純にお上りさん的にモビルスーツ学院じゃなかったアスティカシア高等専門学園に入ってきた訳ではなさそうで、誰も見たことがなガンダムを引っさげていながらすんなりと通ってしまうあたりにいろいろと事情も隠れていそう。それが暴かれ本性が露わになっても百合と言えるかどうかってところ。ミオリネは単純明快なお嬢様。それがどう変わっていくかも楽しんでいこう。


【10月4日】 そして気がついたら角川歴彦さんが起訴されてそしてKADOKAWAの会長職を降りていた。ご本人は容疑を否認しているけれども起訴となったらその白黒は裁判所で着けることになるため宙ぶらりんの状態でトップにいるのはやはりガバナンス的に宜しくないという判断なんだろう。角川春樹事務所の角川春樹さんのように自分で作った会社だったら職責は保ちつつ裁判を戦い負けたら収監もありだけれど上場企業でトップが刑事事件の被告ではやっぱり差し障りがあるってことなのかも。

 なんだかんだいっても会社をここまで大きくした立役者の退任でKADOKAWAというグループのある意味で“象徴”がいなくなってしまう訳で、文化人にも顔が利き財界人ともやりとりができる人が残った中にいるかというと、現在の社長の夏野剛さんではちょっと文化に足りなさそう。そこをカバーできる誰か長老を連れてきて代表権はないけれども会長職に就けて引き締めを量るなんてことがあるのかどうかが目下の関心事。佐藤辰男さんとか戻って来て欲しいけれど歴彦さんに近すぎるからそれはないかなあ。明日にも会見するそうなんでその結果に注目。

 大手町界隈で記者発表かいがあるんで家を出てさて昼食でもと東京駅の北口にあるビルの地下のゴーゴーカレーに逝こうとしたら隣の東海銀行と朝日生命が大昔に入っていたビルもろとも囲いに覆われ建て直しが始まっていた。それ以前は洋食屋なんかもあって時々のぞいていたビルだけに思うところも結構あったり。そうやって建て変わったビルはシン・ゴジラに粉砕されることになるんだけれど、そうなるためにも建て替えられなければならないんだろう。歴史は変えられないから、ってシン・ゴジラは歴史なのか。本当にやって来るのか。そのためにも建て替え実行。

 仕方が無いのでJRの高架下にあるロメスパの店「ボーノボーノ」に入って塩味のパスタを大盛りでかきこむ。ぷるぷるとした食感はなるほどロメスパ、茹でたのを取り置いて油で揚げた感じがしてB級に巧い。大手町ビルには元祖的な「リトル小岩」があっていつも行列ができているけれど、「ボーノボーノ」はそんなことはなくひっそりと、それでも僕が大手町に通っていた頃からあるからもう6年くらいは軽く営業をしている感じでよく頑張っているといったところ。コロナで大手町界隈から人が消えても耐えたんだなあ。オムライスもメニューにあるけどまだ頼んだことがないので次はそっちを食べてみよう。

 大手町にあるスターバックスはどこも賑やかだったので、地下にあるタリーズに入って少しばかり仕事をしてから「ゲーム障害に関する全国調査報告書」の発表会を見物する。ゲームメディアがわんさか来ている感じではなく、なぜかスポーツ新聞が来ていたのはPRの方面がそっちに限られていたからなんだろうか。ITメディアとかねとらぼとか4Gamersとか電撃オンラインとかファミ通オンラインなんかいたっけか。記事も出てないし。ちょっと不思議。

 調査内容は極めてアカデミックでなおかつサイエンティフィックというかWHOの規準なんかを参考にしつつ設問を作って当てはまればゲーム障害の疑いがあるといった感じに規定していくやり方で、障害があるとはいわず疑いがあるといった可能性に留めつつこれからも調査する必要があるといった感じで結論めいたものを断定していないあたり、CESAあたりが支援する形で行った調査らしさが感じ取れる。もちろん業界の意向を受けて障害なんてないとも言わず、子供にとって2%の疑い率でもやっぱりそれなりに大きいから気をつけましょうというあたり、ゲームと生活とのよりよい関係を模索するものと言えそう。

 相関関係はあっても因果関係があるとは言えないといったところも重要で、そこを調査する必要を改めて指摘することでゲームを批判したがる勢力にのるということはない、科学者であり研究者らしい冷静な判断が行われていた感じ。面白いのは疑いがある大人は疑いのない大人よりもゲーム時間が3倍くらいになっていたことで、まあそりゃそうなんだけれどそれが何か問題かというと1週間に28時間くらいで1日4時間なら行き帰りの電車と朝夜でこなせそう。とはいえ起きていて16時間しかない1日のうちの4時間はちょっと長いかなあ。やっぱりゲームは1日1時間ってことで。


【10月3日】 ICAF2022の会場で買って来たパンフレットをめくってアニメーション制作会社の広告がいっぱい入っているのに驚く。短編アニメーションを作っているファンワークスやCGアニメーションを作っているポリゴンピクチュアズなんかは以前からこうしたインディペンデントな学生アニメーションを支援していたけれど、カタログにはカラーがいたりシンエイ動画がいたりボンズがいたりWIT SUTUDIOがいたりスタジオコロリドがいたり日本アニメーションがいたりと大御所から新鋭までズラリと並んでいたりするのはそれだけ学生アニメーションの世界に目を向けているからなんだろう。

 去年のアニメーションシーンで話題をさらった「PUI PUI モルカー」の見里朝希監督も学生アニメーションから出て来た人だし、WIT STUDIOで「とつくにの少女」のアニメーションを作った久保雄太郎さんと米谷聡美さんもやっぱり学生アニメーションの出身。商業にそのまま使うとうより持ち味を生かして短編だとかPVだとかCMだとかいった作品を作ってもらう戦力として、学生アニメーション出身のアニメーション作家を発見する場としてICAFを意識し始めているのかもしれない。スカウトされてスゴイ作品を作る人よ出よ。それこそ石田祐康監督とか吉浦康裕監督のように映画で注目を集めるくらいに。

 「サマータイムマシン・ブルース」の登場人物がよくもまあぴったりと「四畳半神話体系」にハマったものだと思わざるを得ないと、後から調べて思った「四畳半タイムマシンブルース」だけれど、その「サマータイムマシン・ブルース」の方を演劇として観ておらず映画としても観ておらず小説としても読んだか覚えてない身で映画となった「四畳半タイムマシンブルース」を観れば、これは最初から森見登美彦によって書かれた小説こそが原作なのかもしれないと思えてしまうくらい、あの空間あの人物に馴染んで「四畳半神話体系」のテレビシリーズのアニメの雰囲気を思い出させてくれた。

 とはいえ湯浅政明監督の手になるテレビシリーズ「四畳半神話体系」と比べると映画は「SonyBoy」や「ACCA 13九監察課」の夏目慎吾監督だけに、キャラクターは歪まず空間は伸びた縮んだりせず時間も行ったり来たりはしても融けたりはしないでロジックの上で繰り広げられた。タイムパラドックスというロジックこそが重要なSF的アイデアを持ち込んだ作品だからそこで歪みや交錯が起こったら話が繋がらずオチに感嘆もできなくなるから、その意味で湯浅監督作品ではなかった意義もあるような気がする。

 テレビシリーズ「四畳半神話体系」では小津がだんだんと歪み知人で得体の知れない存在になっていったけれど、「四畳半タイムマシンブルーズ」ではお騒がせな隣人といった感じで最後まで物理的な意味での常識の範疇で動いていた感じ。明石さんはポンコツ映画を撮っているという設定になって愛らしさと生真面目さの中にポンコツな感じが混じってよりいっそうの魅力的な存在になっていた。声の坂本真綾さんも愛くるしかった。あのポンコツぶりを味わいに何度も映画館に通いたくなった。

 浅沼晋太郎さんの神谷浩史さんっぽさは「四畳半神話体系」の頃と変わらず生き生きとしていて楽しかった。「ツルネ−風舞高校弓道部−」の滝川雅貴はもうちょっとやさぐれた感じの大人っぽい感じになっているからいろいろと汎用性の効く人なんだなあ。樋口氏は「四畳半神話体系」の頃の藤原啓治さんが「夜は短し歩けよ乙女」で中井和哉さんになってそのまま引き続き樋口氏を演じて役にしていた感じ。羽貫さんの甲斐田裕子さんははっちゃけてた。インボイス反対の活動で頑張りつつこうやって姉御っぷりを魅せてくれる声優さんは偉大だ。

 名古屋観光ホテルといったらホテルナゴヤキャッスルと並んで名古屋では老舗のホテルで格式も最上。それなのに宴会場のダブルブッキングをして演歌歌手のディナーショーが前日に中止になるような不始末をしでかしたのはいったいどこに問題があったんだろう。予約をしたつもりがされていなかったという話だけれど、主催者がポスターを作り募集をかけていた以上、当然に宴会場での接遇についてもホテルと事前に打ち合わせはしていただろう。そこで宴会場の予約がされていないことに気づかないなんてことはあり得ない。あったらそれこそホテルの経営が成り立たない。

 だからやっぱり担当者が他に予約を入れてしまったことを知ってて黙って引っ張って、他の宴会場を紹介しますと言ってごまかそうとしたかといういと、それをやってもやっぱり信用を損なう訳だから報告しないはずがない。だからやっぱり分からない。それともブッキングされたもうひとつの披露宴が何かどうしてもそこでやらなくてはいけにないプレッシャーの強い案件だったんだろうか。それも含めて今後明かされていくとして、名古屋観光ホテルとしても今後の営業に関わるんだろうなあ。だからといってホテルナゴヤキャッスルに行くかというともはや運営が同じだったりするんだようなあ、興和系。どう取り繕うんだろう。


【10月2日】 原稿を読む仕事をどうにかこうにか切り抜けたので国立新美術館で今日まで開催のICAF2022へ。学生選抜も観たかったけれど時間もないので多摩美術大学と東京工芸大学のプログラムだけを見て何か面白い作品なり興味深いクリエイターを探す。まずは多摩美大。逢編いさむさんという人の「object」という作品はラフな線で造形をしつつエフェクトの効いた動きを描いてスタイリッシュな作品に仕立て上げていた。ボカロに添えるPVとかで観る絵柄。というか実際に活動をしているみたい。

 大塔愛結実さんの「5点のわたし」はテストで5点しか取れないから自殺した少女が女神によっていろいろなものに転生させられる話でタイミングよく展開していく流れに味があった。鈴木紗英子さんの「Friend Ship」は丸顔の絵本みたいなキャラクターが交流する様が描かれて完成度が高かった。片山風花さん「よもやま短編集」はファミレスめいたところに集う人たちが力士がいたり同物がいたりして賑やかで可愛かった。

 完成度の高さだと福地秋津さんの「街灯と猫」で捨てられて街灯の下で育った子猫が切れてしまった街灯を心配して街の灯りを付け替えていた人のところに走って訴えるストーリー。絵柄も良ければ動きもしっかりしていて完成度が高い。東京アニメアワードフェスティバルのYoung Powerに出て来たって不思議はない気がしたけれど、それは別の人の作品だったからあるいは完成度が高すぎて尖った方へと道を譲ったのかもしれない。今は何をしているんだろう。アニメーション会社に入ったのかそれとも上に進んだのか。

 塚本莉菜さんの「loveome」はある意味でLGBT的な日常を切り取ったものに見えたけれども東京工芸大学のヨウ・マゼンさんによる「さくらはわたし」もそうなのか、キャラクター的には違うのか分からなかったかものの盲目の人とヤンキーとの交流が美しい歌に乗せて描かれ惹きつけられた。九々穂さん「白昼夢をみていた」は愛らしいフォルムのキャラクターが人を刺したり小舟で食らい海に出たりと内奥を感じさせるものになっていた。

 クールな絵柄とアクションで魅せたのか河野友紀さん「アカイクツ」で屋上で見つけた赤いハイヒールに履き替えた少女が踊ると覆面の男に襲われ足を切られても血で生やして戦うという戦闘美少女物。枚数をおさえつつタイミングで動きを表しエフェクトと見せ方で迫力を出していた。巧いなあ。やっぱり商業のアニメーターになったんだろうか。逆に國正生吹さんはやっぱり絵本のように完成度の高い絵柄で子供が烏に導かれ不思議な世界に行くストーリーを描き出していた。そのまま「みんなのうた」になりそうな完成度。今は何をしているんだろう。

 宗雪由佳さん「めざめ」も降り散るさくらの花びらの下にいる女性を描いてしっかりと魅せてくれた。5美大に入らない学校なのに東京工芸大、アニメーションだと優れた人材を送り出していたりするからいつも見逃せないのだった。卒業制作展に行けば観られたんだろうけれどコロナで一部にしか公開してなかったみたいで今回は観られていなかっただけにありがたい。今年度はちゃんと開催して欲しいもの。ほかの学校も観たいけれどもせめて選抜に入った作品と作者くらいは追っていこう。

 そうした学生アニメーションの世界から割といっぱい人を起用していた「ポプテピピック」の第2期が始まったので観たけれど、冒頭の蒼井翔太を使った日アサ的な特撮もどき映像は完成度が高かったものの本編は声優の切り替えこそあったもののスペースネコカンパニーが大半とあとAC部が手掛ける同じような映像が続いてカオス感があまり出てなかった。松田K子さんくらい? 山下諒さんが今回は出ないと泣いてるツイートをしていたけれど黙っていてひょろりと出てくるかもしれないので続けて見よう。きっとUchuPeopleも何かやっているに違いない。


【10月1日】 遅すぎるということはない10月1日。とある新聞の会社案内サイトを見て東北総局が仙台支局になって住所も電話番号も消えてメールアドレスだけになり、宇都宮支局も前橋支局も同じようにメールアドレスだけになってこれで東北から北関東から甲信越は水戸支局が残るだけになってしまった。どうしてここだけは残っているのかは元より攘夷のお国柄だけにライティーな主張を持ったとある新聞にとってはおろそかに出来ない場所ってことなのかもしれない。

 その一方で結構な販売網を持っていたという静岡も支局が消えてメールアドレスだけになってしまってあの広い県をどうやってメールアドレスだけでカバーするのか、想像すると夜寝られなくなってしまった。人がまるっきりいなくなる訳ではなく、誰かがおそらくは自宅でパソコンに張り付いて入ってくるメールを見ながら何か書いたりするんだろうけれど、それを駐在員と言わず支局長にもしないあたりに職制をきちんと整えられない財政的な事情めいたものを感じて、何をやってももう遅すぎるのかもしれないと思った次第。次は水戸が消え九州が消えるかな。

 ネットを散策してたらプロレスラーのアントニオ猪木さんの訃報が飛び込んできて、前日の三遊亭円楽さんというか元楽太郎さんに続く昭和的な存在の死没に時代の移り変わりを感じ取る。まあ楽太郎さんの場合は平成になって円楽を襲名したから昭和って感じはあまりしないけれど、猪木さんは日本プロレスから新日本プロレスを作りモハメド・アリ戦なんかをやって1970年代に存在を全国的なものにした昭和の格闘技の象徴的存在。なおかつ1980年代に闘魂路線でプロレス界に一大旋風を巻き起こしてブームを起こした立役者。その頑健さは誰もが認めるところだったけれど、病魔には勝てなかった。

 それをいうならモハメド・アリもパーキンソン病を患い震える手で聖火を掲げる姿を見せつつ既に世を去った。猪木さんと共に日本のプロレス界を引っ張ったジャイアント馬場さんもずいぶんと前に世を去って力道山の直弟子はもはやグレート子鹿さんしかいないというだけに、これでプロレス界もいよいよ新時代へと突入していくことになるんだろう。とりあえず10月10日に新日本プロレスの両国国技館興業があるので見物に行こうかな。木谷高明オーナーが新日本プロレスのレジェンドでありつつ負の遺産も象徴する猪木さんをどのように遇するか。注目したい。

 何かIMAXで新海誠監督の過去作品が楽しめるということで、とりあえずやっぱり大きなスクリーンで観ておきたいと池袋のグランドシネマサンシャインに行って「君の名は。」を観てくる。やっぱり面白い。とてつもなく面白くって最初から最後まですべてを知っていても見入ってしまう。タイミングの切り替えの巧みさは編集の巧さとも重なって全体を飽きさせないところはやっぱり魔術師。その冴えが最新作の「すずめの戸締まり」でもどれくら発揮されているが気になる。今回は隠さず予告編で動く椅子の“正体”まで見せてたりしてストーリーへの見当がついてはいるけど、それでも驚くような展開があってハッとするような映像もあって見入ってしまうんだろうなあ。


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