縮刷版2010年9月下旬号


【9月30日】 そうか染色体と遺伝子とは関係ないんだな。だから嘉和騎央くんがキャーティアの船へと乗り込んで、譲ってもらった船長権限を発動しようとしてもコンピュータから遺伝子が少しキャーティアと違うと拒絶され、だったらと鈴の力を借りて遺伝子をキャーティアに組み替えた時、エリスをはじめ他のキャーティアたちと同様に、猫耳と尻尾をつけた美少女に、なったりすることもなかったんだな。それはそれでちょっぴりガッカリだったけれども、人間とさほど違わない遺伝子の操作で猫耳が得られるんだったら、猫耳教団のお嬢さまのアントニアもそれを借りて念願の猫耳を頭に生やし、お着きのボディーガードで底抜けの猫好きのサラもやっぱり猫耳を生やしてみせるって展開も、考えられないこともないなあ。そうは簡単に鈴は借りられないってことか。嘉数くんも事が収まってすぐに耳を治してもらった訳でもないし。

 ということで楽しく終わった「遊びにいくヨ!」は、最初こそローカル色あふれたのんびりふんわりな宇宙人とのファーストコンタクト物かと見せかけて、宇宙人の力をめぐって暗躍する日本に米国にマニアに教団の動きを描き、犬という別の宇宙からの来訪者を描いてスケールを広げてそしてスペクタクルをクライマックスに持ってきては、感動と感涙の展開も絡めて鮮やかにフィナーレを飾って見せた。オープニングも軽やかだったしエンディングもビジュアル的にとっても美麗。人気が出ない要素のまるでない作品だったけれども、そこに群がる声の大きな人があんまり見えないのは、やっぱり1つに集まってしまう世の風潮って奴が影響しているのかも。このシーズンだったら「けいおん!!」っていう、知名度だけなら化け物ともいえそうな作品への集中の影響が。

 たぶん同じ事は「世紀末オカルト学院」とか「学園黙示録 ハイスクール・オブ・ザ・デッド」とかにも言えそうで、出来の良さではこのシーズンでもトップを争い横一線に並びそうな作品なんだけれども評判という意味では、一時期の「エンジェルビート」ほどにも騒がれていないような印象が。個人としても「オカルト学院」は見たけど「ハイスクール・オブ・ザ・デッド」は録画だけして未見の状況。かろうじて「生徒会役員共」を見切ったけれどもこれだって見ては消して残ってないし、パッケージを買うって意向も沸いてこない。

 だいたいが「オカルト学院」だって買ってないんだからどれだけ締まりが良いっていうか。見渡すと買っているのが「刀語」と「ブラックラグーン」の第3期くらいしかなくなってる。どっちもOVA的なもの。テレビシリーズを13話なり25話、買い支える体力気力が失せた今に果たしてどうやってアニメビジネスのサイクルを回すのか。そんな答えがAICのパチンコ・パチスロ業界傘下入りって状況を招いているのかもしれないなあ。「天地無用」やら「バトルアスリーテス大運動会」のパチンコパチスロが登場するのも近いかな。「アミテージ・ザ・サード」のパチンコで難波弘之さんのサウンドを浴びながら弾をはじく日とか来たらそれはそれでサイバーパンクかも。妙な時代になったなあ。

 ふと見たら「週刊SPA!」の文化堂本舗のトップコーナーに今敏監督の追悼記事がほとんど2ページにわたって大掲載。「チャンネルはいつもアニメ」っていう50本ものアニメコラムを集めた本を出したばかりの藤津亮太さんが冒頭からコメントを出してその死を悼み、「パプリカ」を見て直後に倒れて入院していたところにサイン入りの台本を贈ってもらった竹熊健太郎さんもその死を惜しんでいたりする記事は、たっぷりの分量とビジュアルでもって今敏監督って存在の大きさと、失ってしまった悲しみを現している。「週刊プレイボーイ」にも載ったけれどもその何倍ものスペースを割いての追悼に、「週刊SPA!」って雑誌のカルチャーに対する高い意識を感じたけれども世の不況はそうした文化の紹介を通じた称揚を、いつまでも許してはおかなさそう。来る冬の時代になったらきっと無理だっただろうこの追悼。間に合って良かったなあ。できればまた盛り返して欲しいなあ。

ロケットパーーーーーンツ、じゃない  秋葉原でロケットパンチを発射できると聞いて駆けつける。途中で「ガンダム・カフェ」に寄ってこの夏から加わったカレー味でソーセージ入りのスパイシーなガンプラ焼きと、これは定番の小倉あん入りガンプラ焼きを買って食らってそして会見。「魂ネイション」ってバンダイのコレクター事業部が展開しているハイセンスなフィギュアを集めたお祭りの会場に、あの「マジンガーZ」のロケットパンチを体験できるコーナーが出来たってことで、いろいろと話を聞いたあとで早速撃ってみた。「ロケットパァーンチッ!」。これで秋葉原を襲撃しようとしていた機械獣100体とあしゅら男爵ブロッケン伯爵暗黒大将軍を軽く殲滅。ついでに秋葉原も瓦礫の山に変えてしまったとさ。「ブレストファイアァー!」。はいキレイに焼け野原。

 そんな体験も可能な「タマシイネイション」は10月1日から3日まで秋葉原UDXで。それにしてもいろいろあったフィギュア製品。バンプレストとかメガハウスなんかに任せていた「ONE PIECE」にいよいよバンダイ本体も乗り出してきたみたいで、東京おもちゃショーなんかで見たアクションフィギュアに加えて、ポーズをとってリアルに立つルフィとかボア・ハンコックとかエースとかニコ・ロビンといった、コレクション系のフィギュアも登場させてファンのゲットを狙っていた。やっぱり流行っているんだなあ「ONE PIECE」。メガハウスほどデカくないんで買っても家に影響なさそうだし。あと見かけたものでは初音ミクの超合金なんかが出来も良くってボリューム感もあってなかなか。ロケットパンチみたいなギミックもあったけれどもこれは正式についたもの? ちょっと気になる。ロケットネギではなかったね。

 角川書店の中に生まれた角川映画ってのがだんだんと業容を拡大していった果てに、徳間康快さんの逝去で宙ぶらりんとなっていた大映をくっつけて、角川大映となっていよいよ映画のセレブな世界へと仲間入りして日本映画製作者連盟にも名を連ね、お歴々が並ぶ念頭の会見にも参加するようになっていた訳だけれども日本ヘラルドすら中に入れ、さらなる業容拡大へと乗り出していくのかと思いきや、ここに来て再び本体の角川書店へと、入れ込んでしまうというから驚いた。世間ではより機動的な作品の映像化が出来るようになるって期待があるけれど、逆に言うならシナジー効果が期待されない作品は、もはや映像化され得ないってことになるのか、分からないだけにやや不安。映像だけの企画だって、あって良いわけでそこから例えば「Shall we dance」って傑作や、平成ガメラシリーズ3部作が生まれて来た。書籍先行だったら出ない企画だよ、これは。

 書籍なりコミックなりから映画化って部分で、機動的にやった方がメリットの大きい作品ってのもあるけれど、そうした機動性が重視される映像化は、ある程度の需要が見込めるもからこそ動き出す。そうではない、優れた原作だけれども今はまだ映像化してもどこまでいくのか分からないけど、ディベロップメントには時間をかけて脚本を練り、キャスティングを揃えたらあるいは傑作映画が出来るかもしれない可能性が、機動性という名の下にスポイルされてしまうことだってあり得る。あるいは余所のパッケージメーカーなんかが手を挙げて、原作を頂き映像化してみせますと名乗りを上げた時、自分のところではしばらく手を付けはしないけれども、内製化って部分を意識して、いずれやるかもしれないって薄い可能性を引きずって、原作を渡すことをしないままタイミングを逃し、お蔵入りにしてしまうことだってやっぱりあり得る。

 そんな可能性をどうやりくりしていくのか。前向きな言説ばかりではない覚悟ってところを、新体制を担う人には見せて欲しいもの。あと映連への加盟ってどうなるんだろう。映画会社でない、ってことでやっぱり脱退? つか日活ですら入ってない狭い団体が名目は出版社となった会社を残すのってやっぱり妙過ぎるよなあ。それが日本映画界って言えば言えるんだけれど。


【9月29日】 4人のための物語。だったんだなあやっぱりと思った「けいおん!!」は、軽音楽部を復活させた4人がいなくなった後に、+1人の梓が被る悲しみや、直面する問題なんかをとりあえず見なかったことにして、メインの4人を卒業間際へと送り出して幕を閉じた。最終回となった番外編で、梓をサポートする2人の登場が示唆されてはいたものの、それは決して新しいメンバーではなく、どこかからの借り物でしかない。掛け持ちでプレーはしても、その心地よい場所にどっぷりとはまり、時にはまりこみすぎて肝心の練習をおろそかにしてしまったオリジナル4の結束には、とうてい及ばない。新しいドラマは紡がれず感動は引き継がれないまま雲散へ。そんな可能性すら予感される。

 そう思うと切なさや、あるいは憤りすら浮かんでしまうのに、そうした感情をまるで見ないようにして物語は4人だけの内へと向かって結実し、結晶化していった。その輝きだけを見れば楽しくて優しくて心地良いアニメーション。だからあれだけのファンもついたんだろうけれども、やや身を引いて前後を眺めてみたときに見えてくる、悲しみや問題に1度でも気づいてしまうと、なかなか平静には見られず愛しさも損なわれ、ましてやブルーレイディスクの購入といった行動にも出られない。

 だから買ってない、ってのは言い過ぎで、単にお金が足りていないだけなんだけれど、そこを乗り越えて買わせるだけのメッセージ性を、今ひとつ感じられなかったところがあったのも事実。極めて個人的で独善的な感覚だけれど、世が「けいおん!」一色に靡く中で、そういうひねくれた見方が少しくらいはあっても別に、悪いことではないんじゃないのと言って、半年に及んだ放送への感想を締めくくろう。って思ったら映画かよ。これを聞いて生きる望みが出来たって思ったファンもいそうだけれど、どんな映画になるのか不安に思った人もいるんじゃなかろーか。

 そもそもいったいどんな話をやるんだろう。最初っから卒業までを総集編的にまとめるのか、それとも視聴者が来場すると想定して番外編的枝編的エピソードを並べるのか。原作の漫画はたぶんやり尽くし、その上でエピソードも加えてあるんだろうから、こぼれたところを拾うってことはなさそう。目新しさって部分では楽しめそうだけれど、唯の唯我独尊ぶりに辟易とさせられたり、紬の天真爛漫な間抜けっぷりに笑うよりも呆れてしまったりするような作品にならないとも限らないからなあ。だから半分くらいは先生を出してそれも昔のヘビメタ娘だった先生を前面にフィーチャーして、「けいおん!」ならぬ「じゅうきんぞく!」なドラマを見せて唖然とさせて、ふわふわとした時間に引き戻して観客をホッとさせてはいかが。

 裸眼立体視などいらない。裸体立体視をくれ。って叫んだら白い目で見られそうだったんで言えなかったけれども、でもやっぱり裸眼立体視の有効性がどこまでなのかを確認できたとは、まだ言えなかった任天堂による「Nintendo3DS」のお披露目会。ゲームの面白さを増すアイデアとしては、たぶん21世紀に入っても最高に位置するテクノロジーだと思うけれども、それを活かしたタイトル、あるいはそれを面白がれる完成が、出そろったり醸成されているとは言い難い。そんな状況に打ち出されていったい、どこまでの実績を伸ばせるか。実績を伸ばせないでどれだけのタイトルを得られるか。そこを見極めないとこの先、救世主となるか破滅の主となるかを判断しづらい。

 2万5000円という値段も、ちょっと二の足を踏む材料になりそう。ほとんど家庭用ゲーム機と同等。そこで出来ることは家庭用ゲーム機とはまた違う。なるほど立体視が楽しめる。持ち出して通信も体験できる。ソフトを入れていなくても、過去のデータがのこっていればそれに関連したすれ違い通信が行われる。楽しい、といえば楽しいけれどもそんなに何本ものすれ違い通信を必要とするソフトを、ユーザーは遊ぶものなのか。せいぜいが1つ、あるいは2つ、よくて3つか4つでは、すれ違い通信を複数楽しめる機能を心底から楽しめない。そもそもすべてにおいてすれ違い通信を必要とするのか。そんなあたりの意識がどうなっているかを調べてみないと、はっきりしたことは言いづらい。

 ふんだんに盛り込まれた機能は、ただ3Dの立体視であるという機能を前面に、それも唯一的に押し出す自信のなさの現れと、言われてしまう可能性だってある。間に合わないソフトを単機能でカバーしようとしているだけと、思われてしまう可能性だってある。そうした多機能が高額さにつながっているんだと見なされた時、立体視であることの楽しさがスポイルされて、売り上げに影響を与えないとも限らない。多機能である喜びと、単機能であるインパクト。そのどちらかを選ぼうとして、任天堂は常に機能を狭めたところでの、ゲームとしての面白さを追求し、そして勝ってきた。そんな法則から外れたNintendo3DSが、いったいどんな受け入れられ方をするのかによって、ゲーム機の状況は変わりゲーム会社の立ち位置も変わり、ゲームそのものの認識も変わる。注目したい。

 裸体立体視はまあ無理でも、立体ならではの良さはあると信じたいけど果たしてどうなるのか、ってあたりを確かめてくれそうなのがコナミデジタルエンタテインメントの「ラブプラス3DS」か。彼女が立体に見えるって分かりやすさで、一気に行きそうだけれど、ただ立体に見えるだけでなく、立体ならではの仕掛けがあったらさらに行くだろう。たとえば下からのぞけるとか。何が? とはきかない。のぞこうとしたら傾きとか、上げ下げの動きをセンサーが察知し、のぞかれているとキャラクターが判断して、パッと押さえる動作を見せたらさらに凄いんだけれど、そうしたセンサーは積んでなさそうだからなあ、Nintendo3DSは。だからやっぱりのぞけば見られると信じて、発売される時をひたすらに待とう。風センサーを搭載していて、吹けばまくれあがるってんでも最高。それはさらに無理。

 宇宙人は魚が苦手。だと決めつけて良いかは分からないけど、どこかかから来たお姫様の宇宙人にとって、魚はやっぱり不気味に映った様子。yocaさんって人による「スターダストスコードロン 星空に一番近い場所1」(ファミ通文庫)に登場するお姫様は、米軍によって運ばれる途中で日本軍によって飛行機ごと撃墜され、北方を固める日本軍の飛行隊に確保されてしまったものの、そこは南方と違って血走っていない部隊だけあって、米軍の軍人の話す言葉に耳を傾け、実際に現れた当時の技術でも現代の技術でも実現不可能な機械を目の当たりにして、お姫様がどうやら本当に宇宙からの来訪者であると感じ、その世話を始めることになる。

 中に1人、ぺーぺーの飛行機乗りの青年がいて、妹がかつていたものの、死んで星になってしまた彼女の面影を宇宙から来たお姫様に見てしまう。そんなところから深まりかけていきそうな仲なんだけれども、目を転じた宇宙から何者かが迫っていて、日本だ米国だソ連だといった状況すら越えた戦乱を、地球に招き寄せそう。そんな展開の中で日本軍の青年は何を決断するか。基地にいる飛行小隊の隊長の妹で、先祖から伝えられた鬼との戦いを固く信じて実行しようとしている少女の言動は、事態に何をもたらすか。そんな辺りを気にしつつ、始まったばかりのファーストコンタクトの行く末なんて奴を、想像してみるのが面白そう。とりあえず宇宙人にもオムライスは好評な様子。さすがだオムライス。すごいぞオムライス。猫耳のエリスたちとはちょっぴり嗜好が違うなあ。生えているのが尻尾だけだからかなあ。


【9月28日】 名探偵でも名優でも名医でも、他からそう呼ばれるのではなく名なんとかと自称する者たちが、大概においてコメディリリーフとかいった脇役なり、主役級でもその存在自体がシニカルに捉えられる立場なりに置かれていることを考えるならば、名蹴会と自ら名乗るサッカーのレジェンドたちの立ち位置にもやはり、どこかこみ上げるおかしさといったものが漂って不思議はないんだけれども、やっている方は極めて真面目なだけにどうにも見ていて虚ろっぽい空気が漂う。

 自らをサッカー伝道のドン・キホーテとみなしてどんな場所にも突入し、あらゆる存在に向かってサッカーの素晴らしさを語る、それもレジェンドと呼ばれる人達がやってこそ浮かぶ偉大さってものがあるもの。それを偉大なのは偉大なんだから偉大であるんだとばかりに、高みから世間のサッカーを啓蒙するような雰囲気を醸し出しては誰もその扱いに困ってしまう。はいそうですかすばらしい人たちですねと啓しつつ、そんな偉い人に時々降臨してもらうよりは毎日やってきて見てくれるお兄さんお姉さんの方が、僕たち私たちにとってレジェンドなんですって思って不思議はない。

 業績は確かに偉大で成し遂げた人たちを敬するにやぶさかではないけれど、そうした人たちの活躍にもきっと誰か大勢の導きがあり、支えがあった。そんな人たちも含めてサッカーピープルと互いを認め合い、尊敬し合うことでサッカーは普遍の存在になり得てきた。学校から地域からセミプロからトップまで。男子に女子にそのた色々。カテゴリーも世代も地域もとわず、ただサッカーへの情熱こそが尊ばれていた。そんなフラットな構図のところに突然現れた雲の上。いったいどうしたら良いんだろう。尊敬したいけれども親しめない。愛したいけど好きとは言えない複雑さ。そんな立場に自らを押し込めて名なんとかと名乗る人たちは、いったい何を思っているんだろう。少し迷う。

 誰が入って誰が入らないって基準でその是非を見極めることだってもちろんできる。どうやら海外での実績も繰り込まれるようで、ブンデスリーガにその名を残す奥寺康彦さんの資格はあるようだけれど、Jリーグの黎明期に日本人ストライカーとして圧倒的な決定力を示した福田正博さんはどうやら入りそうもないし、移行期にあって守護神として日本とチームのゴールを守った松永成立さんははいらず、フランスワールドカップに出場して日韓大会にも参加した秋田豊さんもはいらない。ひんぱんに代表に呼ばれたものの出場機会は少なく、それでもバックアップとして常に全力を振り絞った第2第3ゴールキーパーに相当する人たち、例えば曽ヶ端選手もやっぱり入らない。

 そういうものだと言われればそうなのかもしれないけれど、出た出ないといった数字できっちり切り分けられてしまうのって、誰が活躍したんではなく皆の頑張りの上にあって活躍があるという、サッカーピープルの共同体意識ととっても相容れない。出場することが偉いなら、出場しなかったことは偉くないのか。そんな意識を漂わせてしまいかねない規約は、ワールドカップの南アフリカ大会で、出場機会がおそらく得られないと分かって参加を受諾した川口能活選手のようなスタンスを、スポイルしてしまうことに繋がりかねない。

 そんなモヤモヤがあってきっと、世間の受け止め方にもいろいろあったりするんだろう。それをいったいどうやって運営していくのか。関心は示したいけど注目はしない。日本の女子サッカー選手たちに与えた影響力では誰の比でもない沢穂希選手のようなレジェンドが、数字上の切り分けからすらはじかれているような名なんとか。やっぱりどうにも悩ましいなあ。

 キマグレンが歌っているんだからせめて拍手でもしようと最前列で拍子とかといっていたけ周囲は背広な人たちでいっぱいだった「コ・フェスタ2010」のオープニングレセプション。コンテンツをクリエイトするって人よりはコンテンツでビジネスをする人達のためのイベントの集合体って位置づけだから仕方がないことかもしれないけれど、そんな人たちのビジネススキームがやっぱり時代にマッチしづらくなっていることが、昨今のコンテンツビジネスの停滞を生んでいるんだとしたらやっぱりこんな場所で挨拶している場合でもないかなあ、なんて思ってみたり考えたり。

 遠く上海ではアニソンのイベントが中止に追い込まれていたりもして、なかなかに厳しさが増していることもあるだけに、上海でのコ・フェスタが成功裏に終わりましたって話もどこか脳天気。むしろ今、何をすべきかってところを業界の人にも、呼ばれて喋った経済産業大臣とか海江田万里大臣とかに示して欲しかった。示せるものならな。

 えっとつまりは自分で自分を慰めて自分の力を維持させておいてそれで力を解放して落ちてきたトライポッドを粉砕してゲートまで閉じたってことか大人文明。でもそこで自分を誉めておいてもやがて起こる衝撃が記憶を吹き飛ばしてしまってそれが未来において文明のダメさ加減につながって現代へと戻ってきている訳なんで、原因を排除した途端に結果も消えてしまうんじゃないのかなあ、なんてパラドックス問題はさておいて間際を逃げずに挑んだ大人文明の活躍によって未来は救われマヤは張れてショタ文明を引き連れ育ってそのまま手込めに。

 そして築いた家庭に東京へと逃げ延びそこで崩壊を聞きながら潜伏して未来を生き延びてきた父親を迎えて大団円へと至るという、それはそれでまとまった終わり方ではあるけれどもあっぱり大人文明のパワー発動が唐突だよなあ「世紀末オカルト学院」最終回は。小学生文明と高校生マヤでは年齢差ってどれkだけだ。4歳くらいなら2012年にマヤが28あたりで文明は24。それで結婚とはやっぱりちょっとやり手婆過ぎないか。肉体が同じなら中身は違っても良いのか。うーん。乙女心って複雑怪奇。


【9月27日】 冷房装置の夏が行くと暖房装置の冬が来て、寝るときに電気毛布を重ねないと寒くて寝られない状況に、ほんに秋は来やしないと弾けないギターに載せて歌ってみたりする雨の月曜。またぞろ外に出たくない病がぶり返し、貯金の額とか考えながら5年は引きこもっていられるかもなあと、だったら辞めちまおうかなあと心の虫が騒ぐもののそこで踏ん切りが付けられるんあら、きっととっくに付けていただろう弱腰の身。電気毛布から抜け出し着替えて街へと繰り出し四角い箱の中でぎゅうぎゅうに縛られるのであった。けどでも本当に1年くらいぼーっとしてないと精神が爆ぜ飛びそうだよまったく。

 1991年の11月くらいだったからもうかれこれ19年も昔になるんだと調べて知ってちょっと驚き。すなわち宮沢りえさんが篠山紀信さんの撮影によるヌードもいっぱいの写真集「サンタフェ」を発売するにあたって、全国紙に全面広告を出してそこにヘアは流石に見えなかったけれども宮沢りえの裸の写真が載った広告を掲載して、宮沢りえさんのファンを驚かし新聞を公器とあがめる人たちの神経を逆なでし、世間に驚愕と混乱をまきおこしたことがあった。雑誌にすらまだそんなにヘアヌードが百花繚乱ではなかった時代なだけに衝撃もデカく、写真集は売れに売れて今もってなお未成年のヌード写真の取り締まり時にあたって、それを持っていると危ないことになるかもって可能性がささやかれては、無量がバラまかれた写真集の所有者たちを恐々とさせている。

 その時の驚きと世間に与えたそのインパクトを思えば、たまたま同じ時期にアニメーション化が決まったライトノベル作品のヒロイン2人が並んで描かれた広告が、単価の面でも折り合ったんだろう日本経済新聞に全面広告に掲載されてそれにマッチしたコピーが付けられたからといって、何を驚くことがあろう。でもってどこが新聞の崩壊だなんて言えよう。そもそもがただの広告に過ぎない訳で、それもまっとうに近い出版広告の掲出。危ない先物取引の会社でもなければ胡乱な通信販売会社の広告でもないのに、それを掲載することが新聞にとってどれだけの権威を損ねるというのか、考えてもさっぱり分からない。むしろオタクと大食いという、共に消費につながる特質を持ったヒロインの屹立した姿な訳で、日本経済を憂い自分たちが頑張るというヒロインの言葉は経済を主として報道する新聞にふさわしいとも言える。ああ言える。

 つまるところは新聞が何かしでかすことを挙げて騒ぎたがるマインドを持ったアンテナの高い人に、何かひっかかるところがあったというだけのことで、なおかつ昨今、引っかければ広く電波していくオタク的なネタも絡んだこの一見。騒いでみたら案の定、騒ぎたがる人たちの増殖を招いて広がり大きい声になったってだけのことに過ぎないんじゃないのかなあ。オタクなネタならアクセスも多いとひっかけ記して煽りたがる人が増えているって状況も、そんな増殖に手を貸していたりするからなお話がデカくなる。事の本質を見極めず騒動だから騒ぐんだというトートロジー的反射行動が生んだ非実在問題。でもそれが妙な影響力を持ってしまっているところに、どうにも粘っこい空気を感じて心が重くなる。

 似たケースとして、オタクがオタク的な感性から騒ぎ立てるといったニュースの増殖ぶりもちょっと気になるところ。イチロー選手の記録達成時に流されたニュース速報がアニメに被ってアニメファン激怒とか、女の子ばかりのキャラクターに人気が出たゲームに男性キャラクターが出てきてゲームファン激怒といったネタが、ピックアップされ喧伝された果てにアニメファン、ゲームファンの狭量さばかりがピックアップされ、マスイメージ的に伝えられてしまう状況があちらこちらで起こっている。以前だったらそうした狭量さは一種のシンボル的振る舞いとして、どこか韜晦のコンテキストをもって打ち出され語られたものだったけれど、昨今ではそうするのが当たり前って風潮で反射的に嫌悪を示す。でもってそこにあった客観的視点から俺たち偏狭なオタクっす的諧謔スピリッツも雲散し、憤るのが当然といった直情的な心理が前面へと出て放たれて、狭量さを真のものとして認知させる。何とも悩ましい展開。だけれどもはや止めようがない以上、せめて憤りが直接行動へと向かい皆が不幸になるよな事態だけは、起こらないで欲しいと願いたい……けど……でも。参ったなあ。

 紀尾井町まで行って中田英寿(旅人)にどことなく似た人なんかと話しつつ、批判や意見を乗り越えていくためのメソッドって奴を示唆されたけれども果たして自分にそうした悟りが得られるのか、って考えるとむしろやっぱり見ないでふたをして逃げ出す方向へと走りそう。厚顔ともいえる所行だけれど情報の伝達のみがメインの立場ではあんまり影響はなくても、創作物として提供しそれで支持を得て次へのステップを目指すクリエイターはやっぱり簡単には逃げられない。だから批判でも何でも受け止め昇華していくためのメソッドって奴が求められるんだろう。それをどうにか得られたってことはつまり次から次へといった展開も近いのか。どうなのか。期待しつつ紡ぎ出される言葉を、繰り出される物語をまとう。きっと凄いものになっているはずだから。

 「生徒会役員共」が終わって淋しいテレビアニメーションの世界。何だかんだ言ってこれと「世紀末オカルト学院」くらいしか放送されてすぐに見ていた番組ってこの3ヶ月間ではなかったような気もしないでもない。あとは「遊びにいくヨ!」か、でもこれはいい加減話しが進んでからまとめて見て面白かったんでずっと見るようになったもの。「生徒会役員共」も状況は似ているけれども8月に入ってすぐに見返したんでやや速い。きっかけはやっぱり下ネタのオンパレードか。可愛い声をした女の子たちが平気な顔で卑わいな言葉を並べ立てる声の芸。でも隠微さがまるでなくカラリと爽やかな所が見ていて苦痛にならなかった。漫画ならサラリと行けても声がついて絵も動くアニメで実現できるとは。その意味では貴重な作品。DVDとか揃えてあげたいけれども実入りが減りそうな予感もする中、「世紀末オカルト学院」ですら無理っぽいんで諦める。世知辛いなあ。


【9月26日】 41歳ってことは今の僕よりも若かった訳だけれども、それでも立派に頭頂部まで続いたおでこの広さを見て、今の自分と比べてそんなに卑下したものでもないかもなあと安心しつつ、それなら今の今敏さんと自分とを比べてどうだってやるのが筋だと考えたところでもはや実行に移すことは叶わないのが淋しいやら悔しいやら。というか近況では坊主にしてしまったという話もあるからそれではどちらがより額の狭さを保っているかなんて比べようもない。ならばせめて自分くらいは広がりつつある額を眺めつつそれでも意地で髪を後ろに縛りつつ、ずっと剃っていた髭でも伸ばして来る49日を迎えることにしよう。

 なんて見ながら思った「トップランナー」の今敏監督出演回再放送。見れば見るほど緻密に物語を考え絵を作り上げ映像に仕立て上げていった職人だったってことが分かって、だからそこそのかけがえの無さも浮かんで寂しさが募る。個人的才能の相当数に入った作品だったんだなあ。とはいえ大勢と共同作業する楽しさってものにも言及していたところが救いであり光明。残されたあらゆる情報を長めその意を汲みつつ周辺のクリエーターが才能を重ね載せ混ぜて作り上げる最後の作品には、きっと楽しさを感じ敬意も覚えた共同作業の成果って奴が存分に詰まっているだろう。だから待つ。何年かかっても「夢みる機械」が完成するその時を。

 眠り起きて楽しみにしていたキュアムーンライトの変身シーンを見たらさっさと終わってしまった。どうしてだ。キュアサンシャインの変身シーンがあれほどの長さの中にムーンライトの強さと可愛らしさを混ぜ込んでしっかり描き抜いてあったからには、ムーンライトの変身シーンはそれこそBパートのすべてを使って総作画枚数15万枚を費やし、生まれ育ってから父と離別しそれから1人で戦い抜いた苦しみを描きつつ仲間を失い絶望に悲しむ表情を混ぜ、それでも見捨てない仲間の優しさに歓喜し爆発し強さを取り戻す物語を描いてこそって思う。もう誰だって思うのに時間は短く変身はあっさりで最後に前髪を横にさっとなでつけるくらい。それでファンが納得するとも思えないからこの変身シーンはあくまで前降りとして、次回のAパートを費やしたっぷりと見せてくれると信じたい。

 あるいはついつい間違えて「マーキュリープリズムパワー」をメイクアップさせてしまってブルーのセーラー服姿になって長身故に短すぎるスカートに焦りつつそれでも立派に格闘してくれても構わないんだけど。そんなメンバーの姿にこちらも感化された薫子さんが、昔取った杵柄とオレンジ色のレオタード姿になって杏里の歌がかかる中、月をバックに颯爽と現れ手にしたカードを投げて敵を倒してしまうってのもありか。それはなしだ。それにしても「キャッツ・アイ」復活か。もはやマスが生まれにくくなっている状況下では、マスに届いた時代の残滓で、認知度だけを頼って商売するしかなくなっているってことなのかなあ。

 佐藤マコトさんって「サトラレ」が始まった当時に割に熱心に読んでいてコミュニケーションの難しさとそれを乗り越える大切さってものが描かれた作品だって感動していたけれどもその後、あんまり消息を聞かないっていうか気にしていなかったら突然に「ラブプラス」なんて言葉を帯に描いて単行本が登場。それにひかれたって訳じゃない訳じゃない訳じゃない訳じゃない(どっちだ)けど購入して読んだ「轟け! 鉄骨くん」(メディアファクトリー)は、人間の心を植え付けられてしまったロボットの懊悩を通して人間に潜む悩みとか、それが人間だからこそのものなのかロボットも含めて不変のものなのかっていったことを考えさせてくれる、これも立派にコミュニケーションを主題にしたSF作品に仕上がっている。

 町の発明家の父親に協力した青年が目覚めると自分がロボットになっていた。やりやがったなと外に出たら自分がいる。何のことはない自分の心がロボットに移植されただけのこと。そんないきなりのアイデンティティ崩壊に直面しながら鉄骨くんは自分の頑健な体を駆使して梶のおばあさんを救い、本人じゃないという立場を利用して本人が好きだった彼女から悩みを引き出していく。間抜けなロボットのどたばた劇って一面もあるにはあるけど、自分が何者かに悩みながらもそれが自分だと貫き通すひとつの人格の物語、って読めば何だか自分に迷う心に光が差す。

 匂いを嗅げないから臭くたって大丈夫だから見せてって頼む辺りの抜けっぷりと、それを描く佐藤さんのエロっぷりには笑えるけれど、感触はあってもそこから息は出ない口では人工呼吸は出来ないと立ちすくむ鉄骨君が妙に切ない。それから自分の中にある萌え反応を最大限に表現するようプログラムされた美少女ロボットが、相手を萌えさせるために来ない誰かを待って電池が切れるまでたたずんでいたというエピソードは、それが己の欲望の最大化に過ぎないとしても、誰かのためになりたいという心根から生まれる情動って奴を感じさせてくれる。人間が好意の炎を燃やす瞬間って奴を見せられた思い。利用されると怖いけど、互いにそうし合うことで生まれる円滑なコミュニケーションの可能性って奴にも思い至らせられた。外交に生かせないかなあ。これ。

 アニソングランプリに引きこもり状態でのぞけなかった秋葉原に行って散策していたら人だかり。UDXで電撃文庫の2000冊だか何かのお祭りをやっていて人でいっぱいに溢れていた。人気だねえ。でもって上の東京アニメセンターでは、いとうのいぢさんや美樹本晴彦さんらが描いた手塚治虫キャラのトリビュートイラストの展示が。美樹本さんのサファイアもエロかったけれど、とりわけいとうのいぢさんの描くサファイアが可愛らしかったんで、グッズでもと思ったんだけれどDSとかPSPとかiPhoneのケースぐらいしか絵柄がそれなりのクオリティで見えるものがなくって、それでいて値段が3000円と4000円とかしてとてもじゃないけどグッズとして気軽に買える値段じゃなかったんで諦める。

 だいたいが形が形なんで原画の美麗さが大きく損なわれてしまって、キャラの部分だけが抜かれて張り付けられているような感じになっている。そんなのよりも全てが描かれたまんまのポスターを2000円で売れば即買ったんだけれどそういったものはなし。あったのは2000円弱のマウスパッドくらいだけれど、それだって長方形のイラストを無理矢理正方形にしてしまったものだしなあ。本絵に近いものではくりりと縁が丸まったステッカーが315円で売っていて、それがポストカード的な感じだったけれどもポストカードなら150円が妥当なところを、ステッカーにして倍取っているのも何だかなあ。

 ジークレーだか版画は税込みで26250円くらいだっけ。元絵の雰囲気は残しているけど元絵だって別に版画みたいに描かれたって訳じゃないから、それがオリジナルってことでもなさそう。ましてやキーボードなんてでこぼことした面にでこぼことプリントされているんだぜ。絵なんて真上から見たってブロック状に切れている。キャラクターへの愛があって描いてもらった作品を、あくまで版権みたいなイラストとしてバラして写してグッズにして、それで手塚治虫さんへの愛ある商品って言えるのか。描いてくれた人への敬意ある振る舞いって言えるのか。ちょっといろいろ考えさせられる企画でありました。せっかくだからと1番安いけど1番絵がしっかり見えるステッカーをいとうのいぢさんのがなかったんで美樹本さん垣之内成美さんあたりで購入。それが今の精一杯。トリビュートイラストだけで画集とか出してくれないかなあ。

 そしてフクダ電子アリーナで栃木戦。ここで破れて福岡が柏に勝つようなことになったら終戦もやむを得ないと覚悟もしていたけれども青木孝太選手の早い時間の2得点が効いて、1人少なくなった相手に1点返されてもどうにか逃げ切って勝利を収め、柏に負けた福岡にちょっとだけにじり寄った。それでも勝ち点差はまだ4と1試合以上。これからのホームは一切負けられずアウェーもほとんど負けられないプレッシャーの中でどこまで迫りいつ頃追い抜けるのか、ってあたりが今後の興味のポイントになりそう。とりあえず孝太頑張った。良太は相変わらずだなあ。久しぶりに深井正樹選手を見たけどこれまでどうかしてたのか。ミリガン選手を全然見ないけれども実家のオーストラリアに帰っているのか。うーん。見えない選手層。


【9月25日】 寒い寒い寒すぎる。数日前まで何も被らず扇風機すら回して寝ていたものがこの2日ほど、毛布がなくてはとてもじゃないけど眠れずそれどころか1枚ではもう寒くて仕方がない状況。9月って季節がすっ飛ばされていきなり10月が来た感じすらするんだけれどこれはいったいどういう天の差配なのか。9月って1年で1番くらいにすてきな季節を日本から奪って暑い夏寒い冬しか与えないその先に、来るのは曖昧さを美徳とした日本人の感性の滅殺、そしてすべてに白黒つけなくてはいけないという強迫観念にせかされた中華的アングロサクソン的感性の台頭。そこで勝負しようったって相手はそれで何千年も喰ってきた種族。叶うはずもない。

 すなわち曖昧さに紛れほほえみに来るんですべてを受け止め受け流し、知らぬ間に丸く収める日本人的感性でしか対抗できないにも関わらず、神はそんな曖昧さを日本人から奪おうとしている。妙な運気に乗せられ世界に打って出て、成功してしまったことでやりすぎてしまった日本人に愛想を尽かして、日本人らしさを奪い世界の荒波に紛れさせては亡びさせようとしている神のこれは天罰なのかもしれないなあ。それにしても寒い。なのに昼間は暑い。どうなっているんだまったく。これで冬が例年にない寒波で、そして4月には気温が30度を超える毎日が続いたら完全に日本は終わるなあ。まったくもう。

 スポーツ新聞はどこもかしこもイチロー選手の栄誉を称えつつ取材に応じたピート・ローズによる、イチローが達成した10年連続200本安打って記録は偉大だけれどもヒット数では日本とアメリカの記録を足しちゃ拙いいんじゃないか的コメントを載せている。ごもっとも。でも日本のメディアはイチローの安打数を書くときに日米通算を主に並べてローズまであと何本的な感じにしていたりするから内心では、足して抜いてくれることの方を尊んでいるんだろう。その方が早いうちにネタになって記事にできて盛り上がれて新聞だって売れるから。

 でもそれだったら200本安打が10回目でローズに並んだってのにも日本での200本安打1回を足して既に抜いているって書くのが公平だし、最多安打の数だって日本での何回かを足してこれもローズを抜いているって書くのが公平。でもそうしないところに妙なご都合主義が見えて嫌になる。イチローだって日米通算なんかじゃなく、米国の記録でローズを抜くのが納得の記録だろうから、あと10年は頑張って200本を連続して積み上げて、軽く凌駕する記録を打ち立てて頂きたいもの。その上に日本を載せて世界記録として誰も寄せ付けないってのが美しいんじゃなかろーか。期待してますイチローさん。三塁打の数と本塁打の数でも100を越えてローズを越えて行ってくれ。

 早売りが出ているかなあと神保町を廻っても見付からなかった「ユリイカ」の「2010年11月号安倍吉俊特集号」が家に届いていたんで見ていたら見慣れた名前が目次にあった、って僕だった。なんだそら。趣味至高から考えればまるで縁遠い高踏にして崇高な雑誌に拙文が載るというこの状況がいったいどういう理由から起こったのかがさっぱり分からない、もう全然分からない、って言って通じるとも思えないか、もう12年もカバーガール変えてなきゃ、好きだと思われて当然だよなあ。でも好きだからってそこに名前を連ねるほどの人間でもないんで、やっぱりどうしてなんだ感は否めない。本人でも否めないんだから他の人には否めなさ120%といったところか。長く生きているといろいろある。

 9月発売って意味だと「ミステリマガジン」の11月号で「浜村渚の計算ノート 2さつめ 不思議の国の期末テスト」の紹介をやっているし「SFマガジン」の11月号では毎号レギュラーのライトノベルSFの紹介なんかをやっている。文学文芸の世界でそれなりに名前の知られて歴史もある3つの雑誌の目次に名前が載るなんて、25年前の自分に言って聞かせればそれはもう小躍りして物書きの世界でそれなりに何やらやっていたりするんだ未来の自分はって思っただろうなあ、でもそんな期待に水を差すようで悪いけれども別に物書きでご飯を食べている訳じゃないからなあ。つまりは栄誉って奴は実利って奴とは関係ないってことで。でもそれでも栄誉って奴は実利を越えて心を満たしてくれるってことで。この勢いで今もっとも売れちゃっているっぽい書評系雑誌で、関わったことが一切ない「ダ・ヴィンチ」に何か書ければ25年前の自分に自慢できそう。そして言い換えされそう。「なに『ダ・ヴィンチ』で知らないよそんなの」。長く生きてると秩序も変わる。

 佐藤マコトさんの新刊とか買ってから浜松町まで行ってそして「第4回アニソングランプリ」の決勝大会を延々6時間。去年は途中で抜け出してネット中継を見ていたけれども今回くらいはゲストライブも見たいと居座り1万189組っていったいどこのアイドルオーディションだ的応募者数から抜け出た13組のパフォーマンスをまず聞いて、そして6組が残ったセカンドステージとそこから勝ち上がった3組による決戦を聞いて優勝者が誕生する瞬間をしっかとこの目に焼き付ける。この時歴史が動いた。って大げさか? いやでも過去の受賞者たちの頑張りを見ると歴史がひとつ、動く瞬間であることには違いがない。ましてや今回は1万組を超える応募者の頂点。歴史はだからここから絶対に作られる。

 そんな歴史を作ってくれそうな優勝者は大阪の予選で準優勝した河野万里奈さん20歳。大学生でチアリーダーの経験もあったっけ、今はバンド活動なんかもしてそしてダンスと歌の才能を見せて決戦まで来ただけあって、1stのパフォーマンスではしっかりとした踊りを見せてくれたけれども2ndからはしっとりとした歌を歌い上げる方向へと転換。水木一郎のアニキが諭したダンスに気を取られ過ぎるから、まずはダンスを100%完璧にしてそれから歌を完璧にしようってアドバイスに従ったことが功を奏して歌で認められて栄冠に輝いた。

 一緒に決戦を戦った1人は伊藤彩さんといって雑誌で読者モデルとして大活躍している人で、さらには「機動戦士ガンダムSEED」の大ファンでレイ・ザ・バレルのコスプレをして登場して歌い2曲目もSEEDで3曲目はWingといった感じにガンダムづくりで攻めたかれどもすでにある強い個性と圧倒的な歌唱力が、逆にのびしろという面での可能性なりアニソンというアニメの主題歌といった立ち位置を求められる歌をどう歌うのかといった辺りでの懐疑を審査員に招いてしまったようであえなく落選となってしまった。ちょっと残年。

 同様に1stをトップで抜けた富山出身の梶礼美菜さんも、歌唱力の素晴らしさパフォーマンスの確かさが仇となってしまった模様。ってことは完璧ならダメってこと? って言われそうだけれどもそうした完璧さを持ってしても、なおねじ伏せるだけのパワーがあればそれは構わないってことだろうし、優勝できなくってもデビューできたケースは過去にもある。今回はたまたま外れてしまったとしてもその確立された個性にマッチした楽曲が提供されるアニメだってあるはずで、そいうったところで起用していくことだってあって不思議はないんで気を落とさないで頑張って頑張り続けて欲しいと切に願う。それは他の参加者達も同様だろうけど。

 例えば名古屋から参加の伊藤千咲美さんは15歳にして完璧なパフォーマンスと高い歌唱力を見せてくれてたし、仙台のちょう・ちゅなさんも14歳にして物怖じしない喋りと高い歌唱力で他を圧倒していたけれども得点は延びなかった。それは今という場での完成度よりも将来まだまだ延びていく可能性があると審査員が感じたからで、そうした期待に背くことなく歩んでいけばきっといつかは道が開けるし、アニソンでなくてもあのパフォーマンスならいつかどこかで絶対にエンターテインメントの道に進みやがて極めることが出来るだろう。

 大阪の17歳の双子も今回は外れたけれども1万組みの13組に残れた実力はフロックじゃない訳で、そこを自信に持って頑張ればいつかは何かがやってくる、と思えば未来も開けてくる。諦めないで進むのだ。アフロな兄ちゃんは……巧いんだけれどこれから先は…だからそこで十分と思おう。審査員特別賞のハイトーン小林正典さんはガッツ見せただけあった。上滑りするハイトーンは正直趣味じゃないけれど、鍛えればちゃんとした声も出せるんじゃないのかなあ。とにかく1回目の喜多修平さん移行は男子でグランプリが出ていないんで頑張って欲しいところ。でも審査員特別賞をとると来年はもう出られない? っていうか来年もちゃんとやってくれる? この不景気なご時世だけに心配だけれど既にして1万人の夢を集めているアニソングランプリはもはや公器。ここで終わってはそれこそ世間に対する裏切りになるんで意地でも地にはいつくばってでも続けて欲しいと切にお願い。

 ゲストでは去年のグランプリの佐咲紗花さんの進歩ぶりがなかなかによかった。去年の段階ですでに陽気さを持って前向きな雰囲気を放っていたけれど、1年が経って表現力がぐっと増して歌う歌に安定感が出て聞いていて心地よさが耳に響いてきた。スタイルもよくなったし見目も麗しくなっていた。この実力があってもなおなかなかメーンストリームで活躍できないのが不思議で仕方がない。アニソンはキャラソンとは違うプロフェッショナルの仕事場って意識を作り手も、聞き手も持ってくれるともといろいろな場で巧い歌を聴けるんだけれど。HIMEKAさん。巧いなあ。巧すぎて語ることないs。逆に巧過ぎるが故に使いづらい? でも物語は持った人だからあとはメディアの関心次第か。一昨年にインタビューしようとして戸惑われた、あのマインドがひたすら外向きになっていれば怖い物は無し、なんだけど。喜多さん。巧い。ポップ。「ミラクルトレイン」のエンディングってあんなに良い曲だったんだと改めて思った。あれが聞けるなら「アニマックスミュージックスフォール2010」、行っても良いかなあ。


【9月24日】 「もやしもん」も「屍鬼」も見あたらない夜中を漫然と起きていたら始まった大リーグでシアトルマリナーズがトロントブルージェイズと対戦中。第1打席は見逃したけれども迎えた第2打席は相手投手の外側に逃げる球を見事にレフト方向に流し打ってこれで200安打まで残り1本となったイチロー選手は、続く第2打席で鮮やかにセンター方向へと跳ね返して見事に10年連続200本安打を成し遂げた。内野安打が多いだの試合数が多いだのといった意見が多々出回るけれどもそんなアドバンテージを受けたって、誰1人として成し遂げていなかったことをやってのけた事実は事実であり栄誉は栄誉。讃えるしかない。

 200本安打10回はこれでピート・ローズと並んでのタイ記録。最多安打7度目もローズと並んだそうだけれども大リーグにおいて最多安打というタイトルはないからこれは記録上のこと。もっとも、年間最多安打数を抜いて大騒ぎになったあの時も、それがタイトルではなかったけれども記録としては金字塔として輝いていることを考えれば、これもまた永遠に大リーグの歴史に刻まれる記録となってその経歴を飾り続けることだろう。素晴らしい。記録より記憶っていうけど記録だって立派に記憶となるのだから。さても来年の11年連続はあり得るか。そしてローズの7度を抜く8度目の最多安打はありえるか。優勝戦線に留まらなくたって興味を引き続ける力を持ったイチロー選手の活躍に期待。でもやっぱり1度はワールドシリーズの舞台に立って欲しいなあ。移籍はやっぱりないのかなあ。

 もしかしたら早売りが出回っているかもと「ユリイカ」の安倍吉俊さん特集を探したけれども流石に3日前ではまだないみたい。代わりって別にジャンルは全然違うけれども面白そうだったんで坂田哲彦さんの「昭和レトロスタヂアム」(ミリオン出版)って本を買って読んだら懐かしい球場の写真いっぱいでとっても楽しかった。個人的には後楽園も東京スタジアムも川崎球場も、藤井寺も日生も大阪も広島市民球場も西宮も甲子園ですら行ったことがないけれど、そうした球場がプロ野球こそが唯一の国民的な娯楽だった時代に大勢の人を集めて賑わっている写真を見ると、とっても幸せな空間だったんだなあと思えてきて行ってみたくなる。無理だけど。

 それは今では絶対にあり得ない、煙草の煙がもくもくとあがりながらも大勢が扇子をぱたぱたさせながらスクリーンにかぶりついてた昭和20年代30年代の映画館にも似た喧噪と熱情の集積地。誰もが思い思いの格好をしながらも目線は映画館ならスクリーン、野球場なら選手のプレーの一挙手一投足に向けて見入って凡プレーをすればやじり、良いプレーには賞賛と喝采を送っていたに違いない。翻って今の球場に多分にあるのは、誰もがそれに同調しなければいけなさそうな応援に一体化され、塗りつぶされた空気。それもそれで楽しいのかもしれないけれど、耳を澄ませて打球を聞き選手が芝を蹴って走る音を聞き、投げられたボールがミットに収まりあげる音を聞いて感嘆を漏らす楽しさは絶対に味わえない。どちらが良いかは分からないけど、でもちょっぴり昔の球場って奴を体験してみたい気もするなあ。

 紹介されている球場ではやっぱり東京スタジアムに興味津々。葛飾だか荒川だかそんな東京の東にあった球場は「光の球場」と呼ばれカクテル光線に照らされ夜に輝きを放っていたらしい。コンクリート造りのスタンドは構造物としても美しそう。その中で繰り広げられる熱い戦いを見たならもう、野球のファンにならざるを得なかったに違いない。けれども今はその球場はない。アメリカの球場を真似て作られた西宮球場も今はないし正面の構造がどことなくアメリカの球場っぽさを感じさせる藤井寺球場もやっぱりない。あるのは円形のドームに覆われた球場ばかり。それはそれで劇的な空間ではあるんだけれども空と一体化した空間にそびえる構造物の偉容はそこにはあまり感じられない。その中に集う人たちの歓声が選手たちのプレート重なり合って醸し出す、その場限りのエンターテインメントといった趣もちょっぴり下がる。効率と統一が失わせてしまったものを考えた時、人気停滞に悩むプロ野球がすべきことって奴も見えて来るんじゃないのかな。まずは空を。そして芝生を。さらに球音の響きを。選手の息づかいを。取り戻そうよ、球場に。

 映画はとにかく最高で、謎また謎の向こう側に見えてくる真相のそのまたどんでん返しの連続に茫然としつつやがてわき出す感涙に、涙を抑えつつラストシーンのダンスを楽しんだ映画「キサラギ」の感動から幾年か。すでに世田谷パブリックシアターで1度目の公演が成された舞台版の「キサラギ」が、その好評さを受けて再び上演されるってんで今度こそは見逃しちゃいけないってことでシアタークリエに駆けつける。何だこの女性率の高さは。見た目で9割9分が女性。それはちょっと前に開かれた「四畳半神話体系」のDVD&ブルーレイディスク発売イベントに勝るとも劣らない助成率。とはいえあっちはもとより女性向けに作ったアニメ枠「ノイタミナ」の作品で、こちらはアイドルオタクが死んでしまったD級アイドルの追悼に集まりオタ話に興じるという内容でとても女性ファンがつくとは思えないけれどもこの混雑ぶり。もしかしたら日本の女性アイドルオタクの女性の大半が、ここに結集したのかもしれない。そんな訳あるかい。

 つまりは映画では小栗旬さんが演じた家元をSOPHIAのボーカルの松岡充さんが演じているってことでそちらのファンがおよそ9割、あとD−BOYSから参加の碓井将大さんのファンが9分ってところで残りは今村ねずみさん浅利陽介さんのファンでぐっと下がって中山祐一朗さんのファンか。純粋ムクにD級アイドルオタクってのは全体の1万人に一人ぐらいしかいかなかったかも。ちなみに定員は600人。1人としていなかったって可能性は……自分は少しは当てはまるかな。そうでも思わないと可愛そうだよミキちゃんが。

 んでもって話はもう完璧なまでに劇場版と同じで、配役も展開もセリフもほとんど変わってないから次に何が起こるか分かる。誰が何を隠しているかも分かっている。それなのに面白い。それなのに泣けてしまう。脚本の勝利、なんだろうなあこういうのって。良い物は何度見ても良い。謎解きの結果が分かっていてもそのプロセスがやっぱりエンターテインメントになって、そして浮かび上がるテーマそのものが感動の源になっている。だから何度見ても面白い。メディアが違っても面白いのだ「キサラギ」は。ラストシーンはやっぱりダンス。オタ芸まではいかないけれども昔のアイドル映画っぽさは出ていた。初日ってことで踊る観客はいなかったけれども千秋楽を経て全国を回り戻ってきたメルパルクでの公演は、きっととっても賑やかな物になってくれると信じてチケット確保。踊るぞ叫ぶぞLOVELOVEミキちゃん。


【9月23日】 途中まで読んで積み上げてあった須賀しのぶさんによるハードカバー上下2冊組の「神の棘」(早川書房)を、後編の結末まで一気に読み切る秋の夜長、ってあんまり秋って感じもしない季節だけれど、それでも雨が降ったら少しは涼しさも出てくるみたい。このまま一気に冷え込んでいくのかな、それとも永遠のインディアンサマーが訪れるのかな。それはそれとして「神の棘」、いやあ凄い、何が凄いってアルベルトって奴が凄い、これほどまでに自立して自律した男ってそうはいない、あの喧噪と狂熱に溢れた時代をしっかり生き抜ける覚悟って奴の凄みに、何よりも感嘆させられる。いやあ凄い。

 時はナチスドイツが政権を取ってヒトラーが首相となった頃、ドイツ第三帝国に反旗を翻そうとする共産主義者の一味があって、そこに接触して見方と見せかけ、見事に摘発を成功させた男こそがアルベルト。SSつまりは親衛隊にあるSDってスパイみたいな組織に属していた彼は、続いて宗教を弾圧する部署へと移って、そこから人生をかけた大仕事が始まる。テオという名の兄がいて、修道士になったものの山奥にある修道院から出た場所で事故死。弟というこれは名目ではなく実質を伴った立場で修道院を尋ねて、兄の死の真相を探り始めるんだけれど、実はアルベルトの狙いは、そうした死の裏側に宗教者にあるまじき不徳があったことを証明し、修道院の偉い人たちを摘発することにあった。

 そんな任務の途中で出会ったのが、郷里で幼なじみだったマティアスという人物。長じて修道士になっていた彼との再開から以後、物語はナチスドイツの手先として宗教弾圧からパルチザンの抑圧さらには虐殺へと走っていくアルベルトと、その熱情そのまっすぐさで宗教者を救い弾圧されるユダヤ人を救い子供たちを救い世界を救おうと奔走するマティアスを、陰と光のようにして絡め合わせつつ交互に描いていって、正義とは何かってことを見せようとする。ドイツが舞台で片やナチス、こなた抵抗組織と2つに引き裂かれた男たちの対立を描いた話としては、手塚治虫さん晩年の傑作「アドルフに告ぐ」があるけれど、ああしたドラマ性も持ちつつなおかつ人の救いであるはずの宗教が、人を救いきれない限界ってものも浮かび上がらせ問いかけてくるのが、「神の棘」の凄まじいところ。普通だったら絶望するのにマティアスは、それもまたひとつの姿を受け止め、けれども自分は自分とひたすらに突っ走っていく。

 その高潔さその実直さがとてつもなくまぶしい。彼より優れていると見なされている宗教者でも迷い戸惑い臆するものなのに、一切の逡巡を見せないマティアスのまぶしさに先輩修道士は罪を告白して去っていく。あの教皇ですらひるみ、ひかれてしまうんだから凄まじいばかりの善人力(ぜんにん・ちから)。一方のアルベルトはSSとしての職務をひたすらに果たし続ける。女優に憧れた妻が娘の死の後でいっそうそっちにのめり込んではてはいずこかに消えてしまっても、やけにならず左遷気味の扱いを受けても粛々と従い続ける。マティアスが国家の悪行を暴こうとすれば捕まえ尋問して締め上げる。その冷徹さに時に憤りもするけれど、最後になって明らかにされるそんなアルベルトの態度の裏側にあった志めいたものを知って、人はそこまで自分を律し続けられるのかとひたすらに驚く。

 とにかく凄まじい時代、狂気にとらわれ狂熱に浮かれて突っ走った10年の所行の凄惨さを見るに着け、どうしてそうなってしまったのかという疑問が浮かぶ。一人一人は善人でも、そう思わされるとそうなってしまい、そうなってからではもうどうしようもなくなってしまうというこの世の仕組みを見せられ、暗澹とした思いにさせられる。今はそうなのか。今まさにそうなっていないのかと考えさせれる。そうなってしまうといかな宗教でも止められず、ましてや1人の思いなんてものはまるで無力だってことも見えてくる。困ったなあ。

 けれどもそこで果たして諦めるべきなのか、己が信念のままに突っ走るべきなのか、突っ走ったところでつぶされ消されるのがオチなのに、それでもなお突っ走るべきか否かっていった問いに、出せる答えはなかなかない。あるとしたらアルベルトのような己を殺しつつそれでも捨てない信念を持ち、その信念の殉じる覚悟を持つことくらいか。それが1番難しいんだろうけれど。意外なところに繋がる人脈、そして浮かび上がるすべての真相への驚きも多々あって読み始めれば一気に行ける傑作長編。秋の夜長が短くなること請負。さあ読もう。

 スポーツニッポンに掲載の金子達仁によるコラムがアレすぎる。ブンデスリーガの対シャルケ戦で2得点を奪ったドルトムントの香川真司選手が、ドイツ人による日本人観を変えたって書いてある。それは日本のメディアだけが日本人の活躍で騒ぐのとは訳が違ったものだという。確かに香川選手は凄かった。2得点を奪って鮮烈さを見せつけた。でもそれがドイツにおける日本人サッカー選手の活躍として、至高にして唯一にして絶対って訳じゃない。

 ちょっと前、フランクフルトを残留させた高原直泰選手は今でもたぶんフランクフルトの人たちに記憶として残っているだろう。聞けばきっと誰だって名前くらいは知っている。凄かったって言ってくれる人もいるかもしれない。長谷部誠選手だってヴォルフスブルグにマイスターシャーレを引き寄せた一人として、地元の人に強く記憶されているはずだ。奥寺選手に尾崎選手。古くに活躍した選手だってチームの地元では日本にもそんなサッカー選手がいたんだと、記憶されているだろう。

 なるほど香川選手は鮮烈だったけれども、まだ長いシーズンの序盤に見せたひとつの活躍。目を向けさせたけれども変えたとまでは言い切れるかっていうとちょっと曖昧。少なくともその日の地元ドルトムントにおける日本人サッカー選手への関心をちょっと高めたかもしれないけれど、全ドイツ人がすごい選手がいたと思いこむ方がやっぱり早計。それを言ってしまうのは、コラムが批判気味に論っている、日本人のただ出場していただけの試合をさも重要な役割を果たしたかのように伝える日本メディアと変わらない。むしろ香川選手を讃えるなら、先人の活躍も認めるのが筋なのに、香川選手だけを引き合いに他の日本人たちの積み重ねを日本メディアの、騒ぎすぎ批判のダシにして貶めるているからなおのこと質が悪い。

 おまけにコラムにはさらに別の狙いがある。香川選手の活躍を日本人選手への注目につなげ、春夏制でシーズン中に選手が海外へと引き抜かれる可能性があるJリーグの危機を書き、そしてロシアリーグが秋春制への移行を決めたと言ってこう結ぶ。「日本の冬は、ロシアより寒いだろうか」。そういうこと。日本が海外とズレているシーズンの問題を言いたかっただけなんだってこと。そんなことのために論われ、貶められた日本人選手が哀れでならない。

 だいたいが日本における秋春制導入の問題は寒さじゃない。確かに日本の冬はロシアよりも寒くはないけれど、日本の冬にはロシアよりも雪が降るところがある。その積雪をどうするのか。あと日本のスタジアムは町中にない。ちょいと出かけて見られる環境にはない。客が来られなければ興行は打てない。そうした国情の違いを知ってか知らずか、秋春制の課題が寒さだけにあるように書くスタンスはとてもいただけない。牽強付会も甚だしいけど、考えてみれば昔っから言いたいことだけ言うために、材料を引っ張り並べあるいは知らぬふりをして来た訳で今更感はあるかなあ。問題はそうしたスタンスを今なお金科玉条の如く受け入れ飾っているメディアの意識か。それもまた海外で出場もしていない日本人選手をスターのように扱い、つないだパスが決定機を演出したと書く日本のメディアならではの、日本のメディアだからこそのスタンスってことで。一蓮托生。落ちていくのも。

 突き詰めれば個人の迷い個人の功名心から行われた所行なのかもしれない書き換えだけれど、組織の中にあって職務として行っている途中に起こった個人の振る舞いの背景には、やっぱり組織というものの意識ってものがある。流れの中に身を置けば逆らえなくなってしまうのと同様。だから問題はそうした迷いを生ませた組織の空気であり、功名心を抱かせた組織の雰囲気であってそうしたものを抽出し、検討して改めなければたとえ末端を削ったとしても同じことはまたおおる。空気雰囲気は何も組織に留まらずそれを見て時に褒めそやし、時に徹底して糾弾するメディアなり、そのメディアを受け手として支える世間ってものにも漂っている。個人を非難し組織を非難しメディアを非難するその言説を、我にも向けて改めるべきは改めることがまずは肝要、それなくしては流れは留まらずやがて至るは「神の棘」の悲劇。なんだけど止まりそうもないなあこの不穏な空気の流れは。


【9月22日】 そうか「WIRED」にいたんだったか山下卓さんが書いた分厚い「神歌」(徳間書店)って本を読み始めたら、面白くって面白くって一気読み。新聞記者だった父親が昔の立松和博記者による売春汚職事件に絡んだ検察官による引っかけと同じような目に遭って、誤報記者呼ばわりをされて新聞記者を辞職に追い込まれ、さらには自殺へと向かってしまったことをきっかけにして日本を飛び出た主人公が、外人部隊に入り傭兵として活躍し保険会社という名目で戦闘員を派遣している会社で傭兵となって最前線に立ち続けていたものの、42歳になってもう引退してオフィスに入ったらどうかと言われ逡巡しつつ、休暇がてら日本へと向かっていた飛行機の中で、コロンビア人の少女達の集団と出会う。

 その中の1人がたまたま男の隣に座って、不安そうな表情で手を握ってそのまま日本へ。名目ではコロンビアの内戦で負傷した少女達を集め、ダンサーにして関心を誘い悲惨さを訴えようとする集団なんだけれども、そこは麻薬がはびこる国情だけあって一筋縄ではいかなさそうだと感じた主人公。もっともその場でどうすることもなかったけれども、休暇に入った日本の家でかつて同じ高校でラグビー部のマネジャーをしていた女性で、新聞記者の父親を尊敬してそのままジャーナリストになった女性が、数日前にコカイン中毒で死んでいたと公安に入ったラグビー部の同級生から聞かされたから驚いた。さらにその女性が日本にやってきたダンサーとも関わりをもっていたことが判明。点だった人間たちが線上に並んでつながり始め、そして面へと広がって日本のみならず世界を巻き込んだ陰謀の陰を浮かび上がらせる。

 プロフェッショナルの傭兵として情には流されず時には冷酷に人を見捨てることもしていた主人公だった筈だけれど、それでも徹底的な鬼にはなれなかったようで戦場で子供を助けようとして負傷しそしられ、今またコロンビアのダンサーを排除されて路頭に迷いかけた少女を助け、かつて戦場で一緒に戦った男が愛した女性を今は自分が愛していたものが、とある事情でそうもいかなくなった時に怒りを爆発させて敵へと向かう。そんな戦いの物語があり、日本を背後から操っている組織の存在があり、主人公以上に冷徹な気構えで時には仇敵の暗殺を依頼し、時には少女たちも含んだ面々を犠牲にもする主人公が愛した女性の娘の登場もあったりと、キャラクターも立っててぐいぐいっと引きつけられる。

 最後の戦いがどうなったのかは、その後のエピローグから想像するしかないけれど、それが世界にどんな影響を与えたのかまでは不明。いよいよ立ち上がろうとしていところを見ると、本気でこれから叩きつぶしにかかろうとしているってことなのか。ちょっと考えよう。それにしても42歳にしてこのもてっぷりはいったい何なんだ。かつての戦友の愛人に今は好かれ、その娘にも好かれ、12歳のコロンビア人の少女にも好かれかつて恋人だった女性の娘にも感心をもたれたりと年齢も種類もよりどりみどりのハーレム状態。そういえば「フルメタル・パニック」の相良宗介もかなめに好かれテッサに好かれマオさんには恋愛は抜きだけれども関心を抱かれとやっぱりモテモテ。そんなに傭兵ってもてる稼業なら是非にやってみたいけれども、腕立て伏せ10回がやっとじゃあちょっと無理かもしれないなあ。せめて20回はやれるようになってから応募しよう。

 っていうかいくら唯たちが素晴らしい演奏をしたってアピールしたところで、卒業をしてしまえば残るのは梓ひとりでそれではバンドなんてまるで組めない状況に加え。紬がいなくなってはお茶もケーキも出ないし、別荘のスタジオを使った合宿だって行えなくなるような軽音楽部に、あたかもそうした利得があるように宣伝して新入生を誘うのは公共広告機構的に間違っているんじゃないかと思った「けいおん!!」の番外編。それともこの回はまだ唯たちが2年生で、次に3年生となる時の宣伝として作ろうとしていたんだっけどうなんだっけ。そもとも亀のとんちゃんっていつからあの部室にいたんだっけ。うーん。ちょっと分からない。

 いやいや、唯の髪型がおかっぱになっているから、あれは卒業アルバムを撮った後だから確実に3年生になってからのエピソードってことになるのかな。うーん。そんな辺りを確認しようにも録画は消してしまっているしブルーレイだって買ってない。気になるけれどもどっちにしたって動きは最高、でも内容はミニマルなアニメだった「けいおん!!」は、良い作品だったと記憶の中に止め置いて「楽しかったなあ」と時々思い出してあげるのが1番なのかも。そういえば後に来る番組って「クロヒョウ 龍が如く」のドラマなのな。まるで正反対。今週もと思ってつけたら出てくるどハードなビジュアルにおびえてひきこもる草食系男子大量発生。水曜日の教室はきっと人が少ないぞ。

 駅に「七瀬ふたたび」の劇場映画のポスターが貼ってあってそろそろ公開なのかと思いながらいろいろと考える。題してこんな映画があったなら。まずは「七瀬たびたび」。「ごめんください」「あらどなた」「家政婦として協会から派遣された火田七瀬と申します」「まあ、またあなたなの、これで4度目になるのかしら」「ええ奥様」「たびたびねえ」。ちょっとほのぼの。あるいは「七瀬またたび」。「ごめんくだせえ、ごめんくだせえ」「家政婦さん来たのかしら」「おひけえなすっておひけえなすって、手前生国を発しまするは関西であります。関西は大和の筒井城下で生を受け、大仏殿で産湯をつかり…」「口上はいいから掃除と洗濯とお買い物お願いね」。そして七瀬は賭場へと乗り込み稼いで家計を助けるのでありました。

 「七瀬くたらぎ」。「もうだめだよ七瀬、敵の攻撃から逃げられないよ」「我慢するのよ、高性能MPUのCELLチップが量産できるようになってぐっと値段が下がってくれば、私たちにも搭載して凄い速度で心が読めるようになったり、予知やテレポートができるよになるのよ。そうすれば敵を撃退できるのよ」「でもそれっていつの話なの」「5年先ね」「やっぱりもうだめだよ七瀬」。それはそれとしてしっかりプレイステーション3は3D時代ブルーレイ時代のコアプラットフォームになっているなあ。最後に「七瀬うさぎとび」。「ドキッ! 七瀬だらけの体育大会!! 歴代の火田七瀬を演じた女優が大結集、ブルマ姿でうさぎとびをしまーす。エントリーは多岐川裕美さん堀ちえみさん水野真紀さん蓮佛美沙子さん奥森皐月さん高瀬岬さん芦名星でーす。もちろん今の年齢でーす」「すげえなそれ」。ちなみに足りない1人は誰でしょう。答えはウィキペディアまで。

 凄いぞ横山久美選手。やったぞなでしこジャパンU−17。はるかトリニダードトバゴで開催されているサッカーのU−17女子ワールドカップで日本代表が北朝鮮を敗って決勝へと進出。その試合で6人くらいに囲まれながらも横山選手がついついっと抜けだし相手ゴールへと見事なゴールを叩き込む。その前にも別の選手が見事なセンタリングをファーサイドからゴールにヘッドで叩き込んでいありと、攻撃の型が見事にできているところが素晴らしいなあ女子代表。攻めても攻められず得点に結びつかない男子代表を見慣れた目にはもう最高に素晴らしい攻撃的なチームに見える。相手に与えた先取点がキーパーのキャッチミスを叩き込まれたことを考えると、そのあたりを狙われて来る可能性もあるけれど、1度のミスを2度しないのがプロフェッショナルを目指す人たちだからきっとちゃんと守ってFIFAの大会で初の優勝という栄冠を、もたらしてくれることと信じよう。頑張れなでしこ。


【9月21日】 何を血迷ったか「週刊ダイヤモンド」が秋葉原を特集していたんで買って読んだら岡田斗司夫さんがとっても興味深いことを書いていた。昨今のアイドルブーム、すなわちAKB48への注目が日に日に高まっているような状況をふまえて「第3期のアイドルブームは、僕が好きなものはみんなが好きになってもらわなければ、僕が保証されない、という心の弱い層に支えられている」と指摘。売れているもの、売れることが分かっているものにみんなで乗っかりそれを素材にして集い群れあって楽しみ合うという構図がそこにあるみたい。

 もちろんAKB48は最初っからそうした“勝てる”素材だった訳ではあんまりなくって、5年くらい前に秋葉原のドン・キホーテの上に劇場を作ってステージを始めたあたりは、いったい何考えているんだ秋本康さん、いよいよ末期に来たんじゃないの的空気も漂っていて、このまま雲散化消滅化してしまうって見方もないでもなかった。1年が経って2年が経ってもメディアでは大きくブレイクする気配がなかったけれど、劇場の方はそれでもだんだんと行列が出来るようになって連日の満杯に。そこにいるんだから自分たちが応援する的雰囲気を持った“心の強い層”が支えて、今へと人気をつなげてきた。

 その辺りは戦略というよりむしろ我慢。AKB48商法っていわれて今の滅茶売りがいろいろいわれているけど、初期のそうした我慢は1年どころか3ヶ月で売れなきゃポイの世間にあって、とても評価できることだと思っている。一方、紅白歌合戦出場を境目にしてメディアへの露出を一気に高めて来たあたりから、商法はど派手になって手練手管も多用しどれだけメディアに引っかかるのかって辺りが重要な戦略になってきたように見える。そうした戦略の厚みを見て、これなら確実に売れるし現に売れていると思って集まり群がって来たのがたぶん、岡田さんの指摘する“心の弱い層”ってことになるのかな。

 まあ多分にアイドル人気というのは売れているものに目線が集まり、売れているものだけが売れる状況があるんだけれど、以前だったらそこに対抗馬が出るなりして1部を吸収したり、そういうのが出なくても自分だけはひたすらにこちらを応援し続けるんだといった強固なマインドを持った人がいて頑張っていた。今はだからそうした頑固一徹な人すら見えなくなって、風が吹けばそちらに従い流れ漂い盛り上がっていくという、受け身の人ばかりになってしまったってことなのかもしれない。

 「芽が出ない可能性が高いものに、彼らは投資しない」と岡田さん。それはアイドルに限らずライトノベルでもアニメでも一般小説でも言えること。可能性にかけるなり可能性なんて無関係に“俺推し”と言い切る強さが虚勢にしか見えない時代。そんな時代にはもうきっと「serial experiments lain」とか「灰羽連盟」みたいな好事家たちに好まれつつ世間には知られず、けれども一部に根強いファンがいて10年の時間を支え続けるような作品は、なかなか生まれて来られないんだろうなあ。ってことで9月27日発売の「ユリイカ」にて、安倍吉俊特集、やってます。

 華麗ではなくても人は、あるいは生物は成長して流転していくんだってことを言いたい話なんだろうか、恒川光太郎「竜が最後に帰る場所」(講談社)は、アルバイトをしていた学生が社員に虐げられていたのをカバーしてくれた人と親しくなったら、その彼女から電話がかかってきてあれやこれや罵倒し合っているうちに会おうかって話になったけれども、学生はすっぽかしてマドリードに逃げて戻って、そんなこともあったなあとふと気づいて昔を振り返る話なんかがまず出てくる。短いけれども文学的だなあと思ったら、文芸誌に発表されたものだった。こういうものも書ける人だったんだ。

 母の愛人がいい人そうに見えたらただの見栄っ張りで、思い通りにならないと子供にも愛人の母にも暴力を振るって最後は母親を刺して刑務所に入るんだけれど、残された息子はそんな男に対していろいろ画策し、大人になってからついにやりとげそして母親の愛人だった男がやらかしてしまう話なんかが入って、それから真夜中にふと外に出たら、赤いコートを着た女性の先導で人がいっぱい歩いていて、それについていったらよく似た異なる世界に来て、前にはいなかった妻がいたりして、そこで過ごしたものの釈然とせずまた行列について歩いているうちに、歩いて違う町に行くこと自体が目的化してしまった男の話が来る。これはホラーっぽくてサスペンスっぽくて怪談っぽい。恒川さんらしいかも。
 蟻やらコガネムシやら何かが物に擬態しているのを見破ることが出来る男に話しかけられた青年が、いろいろあってさまよったあげくに再び安寧の場所を見つける話が来て、やっぱりあんまり共通性はないけれどもそこにやどことなく停滞よりは進歩といった趣が見て取れる。あるいは停滞することによって浮かぶ進歩の素晴らしさとか。表題作に近い内容をもった短編は海で生まれ生き延び成長した竜が旅立ちさまよい再開してそしてふたたび旅に出るという展開。大昔に読んだ「GON」って恐竜漫画の世界観がふと浮かぶくらいにダイナミックでプリミティブなビジョンが漂ったけれども、これもやっぱり進歩と成長の果てにたどり着く場所ってものを示してる作品。書きっぷりは異形で異常かもしれないけれどもそこから滲む主題は割に真っ当。読みやすくって考えさせられそして次に書く物を読みたくさせる作品集でした。

 何というか年甲斐もなく白魔女っ娘に変身とはやるなあと思った途端に退場とは情けないやら悲しいやら、画伯演じる教頭先生、あえなく雲散そして退場。そんな「世紀末オカルト学院」は正体を現し股間もさらけ出して媚態で迫る黒魔女の攻撃にもはや絶体絶命かと思われたマヤだったけれども、たどり着いたオカルト学院でもって敵を迎え撃ち、そして文明の強力もあって見事に撃退、したはずなんだけれども世界の未来には未だ暗雲が立ちこめる。いったい何が特異点、ってもうきっとそれはおそらくアレなんだろうけれど、それが判明した時にいったい誰がどんな行動に出るのか。そこにドラマを持って来て番組は終幕を迎えるんだろう。あっそう、とあっさり排除、これで未来も安心だあ、なんってことになったらそれはそれで世紀末。さて。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る