縮刷版2009年3月中旬号


【3月20日】 違う見たいのはそこじゃなくって両儀式が渋谷あたりでチンピラを蹴り飛ばした後で、まくれあがった着物のすそをパッと直す場面なんだと言いたいけれどもそれは動いても一瞬のシーンで、官能的で扇情的ではあっても絵として凄まじいってものじゃないから、「原画集」ってアニメーターたちがキャラクターの動きなり、表情といったものをどう表現しているかを確かめるために見る冊子に収録されていなくっても仕方がないのだ。そっちはだから大画面のテレビでも買ってDVDを再生しながらピタリと止めて戻してスローで再生してから再び戻して通常スピードで流して瞬間の官能が醸し出す素晴らしさを堪能することにしよう。

 ってことで「東京国際アニメフェア2009」へと出向いて今日からユーフォーテーブルで販売が始まった「劇場版空の境界 原画集」の「第五章 矛盾螺旋」の上と下をまとめて購入。去年のアニメフェアで確か最初の「俯瞰風景」と「殺人考察(前)」の原画集を買ったんだっけか。その前年のアニメフェアで全7章を順次映画化だなんてビジネス的にあり得なさそうな企画の公表があって、大丈夫だろうか最後まで走り続けられるんだろうかと懸念してから1年経って、作品は好評で原画集まで発売されてまずは一息ついたけれどもこれからどうなる? って心配を引きずっていたもの、ここまで来れば残るは1章。ちょっと足踏みしてはいるけどもはや完走も間近なだけに、倒れず一気に突っ走って頂きたい。

 この調子だと夏コミあたりで「忘却録音」の原画集を買って冬コミで「殺人考察(下)」となってついでももう1冊くらいカラー原画集が出てって感じになるのかな。突っ込んだ金も相当になるけどこれもお布施だ仕方がない。せめてカラー原画集には式の回し蹴りシーンを入れて頂ければと願望。ちなみに「矛盾螺旋」の原画集は下が見物。だって見事にコルネリウス・アルバに荒耶宗蓮に蒼崎橙子に臙条巴っておっさんおばさん兄ちゃんばかりなんだもん。画面が小さくなっている薄い冊子には両儀式のエレベーターホールからの回転切りも入っているけど画面、小さいんだよねえ。それでもまあ、ラストシーンでベッドから顔のぞかせて黒桐幹也と鍵の話をしながら恥ずかしそうな表情をする両儀式が見られるから良いとするか。もっと大きな絵で見たかったなあ。式。

 「アニメフェア」では氷川きよしショー、ではなく氷川竜介さんが登場する「とっておきAニュース」の公開収録を見物。すでに細田守監督の会見を見ていた「サマーウォーズ」の紹介はプロデューサーの人が出てきてあれやこれやと説明してくれたけれども、それより凄かったのは新作カットの上映。もう目にも素晴らしいものが拝めそうな予感に映画館へと向かう脚も軽くなりそう。問題はちっこい方の性別か。どっちだ。んでもって続く紹介はさらに驚きの原恵一新作映画「カラフル」。森絵都さんの原作だそーで2009年の公開に向けていろいろと制作が始まっているらしい。萌えとは対照的なキャラ表に戸惑う人も出そうだけれど「河童のクゥと夏休み」だってあのキャラ絵で良い話を描いた訳で、作品としては間違いはなさそう。ヒットするしないってのはまた別な話なんだけど。勿体ないよなあ。その点で貞本絵を使い続ける細田さんは策略家なんだよなあ。

 さらにおそらくは映画として今夏最大となりそうな「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・破」の紹介。っても上映あれたメモは黒塗りばかりで何がどうなっているのかはまるで不明。まあそれがどうなっているのかを見に行く楽しみがあるんであんまり気にしない。むしろ知ってしまえる関係者の人たちの不幸をここは素直に嘆こう。アスカはスタイルも表情も引き締まったなあ。でもちゃんと活躍するのかな? そんなこんなで収録も終了。氷川さんの隣にいたアシスタントの人のスカートが短く目が向いたけれどお着座がスツールだった関係で奥とかが見えることもなく終了。我敗北す。終了後は会場に戻って「アフレコ!」の人気ぶりとか観察。「テイルズ」が人気だよなあ。大人は「ガンダム」が1番人気だと思いたがるんだけれども最先端はそうじゃないことを「ガンダム」にかまける大人はもっと知るべきだ。30周年記念プロジェクトの模型よりも「機動戦士ガンダム00」の刹那に携帯のカメラを向ける婦女子の圧倒的な多さも含めて。

 眼鏡を外したら美少女だなんて古典的なシチュエーションでも使い方によっては超強烈なインパクトでもって男心を撃つみたい。「ひまわりっ」とかが大人気な東村アキコさんが「Kiss」で連載している「海月姫」(講談社)の第1巻は渋谷の雑踏を歩くことすら抵抗感に潰されそうになる月海って女性が主人公。田舎からイラストレーターを目指し状況したのはいいものの、外に慣れず都会に溶け込めないまま天水館って古いアパートの部屋にこもって海月の絵ばかり描いている。幼い頃に母親に連れられていった水族館で見た海月にハマってからずっとそればかり。母親はすでに亡く仕事もやっぱり舞い込まず、父親からの仕送りを当てにしたちょっぴりニートな暮らしている。

 もっとも暮らすアパートでは似た境遇の女性ばかりで三国志マニアに鉄道マニアに同人女に人形マニア。あと部屋から1歩も出ないボーイズラブの漫画家がいたりといった腐女子専用アパートと化していて、そこで女性たちは男性はもとより綺麗で可愛い女性も半ば敵とみなしながら片寄せ合って生きていた、そんなある日。ショップでみかけたタコクラゲがミズクラゲと同じ水槽に入れられている様子にタコクラゲが死んでしまうと心配し、ショップに駆け込んだものの男性店員に向かって口ごもっていたところを、通りかかった綺麗な女の子が助けてくれた。そのまま部屋へといっしょに帰って女の子はお泊まり。朝になって見ると女の子が実は驚きの存在だったことが判明してしまった。

 かわいい子ですら苦手なのにって状況に戸惑う月海。けれども相手はそんな月海におかまいなしにアパートへとやって来ては育ちの良さから来るぞんざいさで腐女子たちの心をえぐる。そんな一方で育ちの良さを生かして家にある松阪牛をたんまりと運んだりもするからなかなか排除できず腐れ縁が育つ中、月海は女の子の実家へと連れて行かれて女の子の持つ衣装や化粧道具でもって綺麗に着飾らされる羽目になる。慣れない境遇に驚き慌てた月海が、部屋から飛び出したところを見たのは女の子の兄貴。そして芽生える恋心だけれどそんな一方的な恋心は脇において、月海とそしておしゃれでかわい女の子の関係に変化が生まれて新たな事件が起こりそうなところで1巻の終わり。果たして2人はどうなるのか。そして天水館の運命は。絵柄の可愛らしさに展開の愉快さが良い塩梅で重なったなかなかの傑作になってくれそう。爆裂の激しい「ひまわりっ」より好きだなあ。続刊はいつ出るのかなあ。


【3月19日】 温もりを求めて得られ、これからは幸せに生きようとしていた矢先、留守宅に帰ってきた養父母を出迎えにいって現れた闖入者にすべてをぶち壊される苦しみに涙を滲ませながら息絶え、消え去っていった存在もあれば裏で糸を引いて日本に未曾有の損害をもたらしたにも関わらず、逃げおおせ隠遁しつつも露見し連行されたとはいえ命にはおそらく支障なく、復帰を遂げるだろう存在もいたりするバランス配分の軽重がやっぱりどーしても気になってしまう「鉄腕バーディーDECODE02」。見かけは少女の悲惨をこちらも見かけは少女の戯画的描写で緩和する効果ってのは確かにあるんだけれども、ともにひとつの命として見た場合にどうして格差が生まれるんだろうといった疑念は尽きず浮かんで悩ませる。それがなるほど人生って奴なのかもしれないなあ。黙祷。

 生きて起きられたんでまわしして(名古屋弁で支度しての意)家を出て「東京ビッグサイト」へと出向いて2日目の「東京国際アニメフェア2009」。とりあえずざっと見るべきところは見てしまっていたんで落ち穂広い的にあれやこれやを観察。とりあえず森雪さんをまた眺め「うみものがたり」をじっくり眺め、ボンズのブースで「エウレカ」「ハガレン」「ザムド」あたりのPVを眺めサテライトで「マクロスF」のスタッフが作った同人誌めいた冊子を買ってからチェコアニメ「屋根裏のポムネンカ」の監督をしたイジー・バルタさんのトークセッションを聞いて、チェコでもやっぱりなかなか作品が作りづらくなっている実状を感じ取る。

 共産主義の体制にあって、国が制度として何とかしてくれた時代から代わってすべてが自由になってしまうと先行する自由な場所で生産された娯楽が入りこんで伝統は駆逐されるという、何処の場所でも起こった事態が起こりつつある模様なんだけれどもそんな中でトルンカにシュバイクマイエルらに続く名前を維持し続けているバルタさんの才能にはやっぱり見るべきものがあるってことなんだろう。まだ見てないけどそのうち見よう「ポムネンカ」。

 移動してからサテライトのブースを眺めると人だかり。見るとうにゃうにゃとしたバルキリーの絵があってどーやら生みの親の河森正治さんがやって来てはバルキリーをうにゃうにゃと描いていたみたい。そんな河森さんが登場するトークセッションがあったんで見物。サテライトがフランスからクリエーターを呼んで作ってる新作「バスカッシュ」と、それからサンライズの原作が遂にハリウッドで実写映画化されることになった「カウボーイビバップ」の2つを並べて、海外コラボレーションってどうよってことを河森さんとあと「バスカッシュ」のメカデザインやら美術やらをやってるフランス人のロマン・トマさん、サンライズの内田健二社長が登壇して、こうしたコラボ作品を作るにあたってどんな意識があったのか、どんな段取りなんかを重ねてきたのかを話してくれた。

 昨今の「ドラゴンボール」の実写化に伴うあれやこれやで気になっているハリウッド版「カウボーイビバップ」なんだけど、内田さんによれば過去にもいろいろと実写化のオファーがあったけれども今ひとつなために断っていたところが、キアヌ・リーブスに関しては本気で作品を気に入っていて、是非に自分がやりたいと考え、内田さんがアメリカにいかない間に2度も日本にやって来てはミーティングをする熱意を見せてくれたってことがひとつと、あと主演がメジャーでプロデューサーもA級で、スタジオも20世紀FOXとビッグネームがそろっていることから実現性が高いと判断したってことがあって、実写化を任せると決断したらしい。「ハリウッドで映画化」なんて話が持ち上がっては消える日本の原作が多いのも、そうした判断の部分に甘さがあったからで、今回に関してはほぼ確実に実現するって算段のもと、許諾したらしいんで期待が持てそう。でも何時になるのかは分からないけど。

 渡したのはいいけれどもあれやこれやいじられ“らしさ”がなくなる懸念については、そうなる前に見極める権利を手元に持っておくコンサルテーション・ライツがちゃんととれているってことらしいから一安心。もっと厳密に監修をするアプルーバル・ライツってのも選択肢にはあったらしいけれども、三顧の礼で接してくれた相手への信用もあるし、自分たちだって漫画なんかの原作を預かりながらも自分たちなりにアニメとして見られるものを作ろうと手を加えている立場から、ぎゅううぎゅうには縛らない契約にしてお任せにしている部分も残したらしい。そんなこんなで動き始めた「カウボーイビバップ」の実写版。もはや立ち消えになることはないとは思うんで、あとは他の面子が誰になるのかってあたりを気にして続報を待とう。フェイは誰がやるんだろう。林原めぐみが生身で挑戦? ならスパイクは山ちゃんが(キアヌがやるって言ってんじゃん)。

 一方の河森さんはスポーツを題材にしたアニメを作るってことでバスケットボールをやりたいんだけれども普通じゃあなかなかできないんでロボットアニメでバスケさせてみたいってことになって生まれた「バスカッシュ」。そこにロマン・トマさんらフランスの”血”を入れたのには彼らに才能があったからってのも当然にあるけれども、それより気になったのは、どこか日本に失われているアニメ作りやクリエイティブワークに対する熱が、フランスにはまだまだたっぷり残っていたって河森さんが断じたこと。「30年くらいアニメ業界にいると、マンネリ化して来るんです。20代のころって、発注すると要求されていないことを書くのが当たり前だったんだけど、何年か前から、要求されないと描けない人がでてきた。設定がないと描けないとか、資料がないと描けないとか言われるようになった」。

 「フランスの人たちはアグレッシブに書いてくれるんです。一言言えば何十枚も絵があがってくる。こういう物作りのエネルギー、ダイナミックな感じが日本の現場にも欲しかった。成熟しすぎてしまった現場の感覚をぶちやぶりたかった」。アニメの現場になんて立ったことがないんで事情は分からないんだけれど、今なお最前線であれやこれやを生みだしている河森の言うことだから、現場の弱体化っていうか硬直化は相当な所にまで来ているのかも。そりゃあ河森さんたちの世代ってずっと見てきた前の世代への意見を自分たちなりに表現したいって意志から、あれやこれやとやり過ぎなくらいにやっていたんだろうけれど、そんな第一世代を見て育った次の世代がさらにやれば良いところを、逆に上の世代のやり過ぎをひとつのフォーマットとして金科玉条の如く受け入れ、模倣の再生産に留まっていたりする。これって何もアニメのクリエーターに限らず、オタク一般に言えそうなことで、どーして突き破って来ようとしないのかって疑問が河森さんたちの頭にはあるみたい。

 「絵が巧いし、細かいことを言わなくてもすごく考えてアイディアを入れてふくらませて描いてもらえるところが素晴らしい」とフランスのクリエーターを誉める言葉は、そのまま日本のクリエーターたちへの刺激につながりそう。「そんな感覚って日本のクリエーターも持っていたはずなのにどこかにいってしまった。持っているものを出してはいけないって教育を受けているのかなあ。自由に描いても良いって言っても自由に描くってことが何かすら分からなくなっている」。実に手厳しい。あるいは基本線から外れると持ち上がる崩壊だ何だっていった意見を気にして外れることを潔しとしない心理が世間に蔓延してしまっているのかもしれないけれども、そーしてうだうだしている間に河森さんやロマン・トマさんたちが「バスカッシュ」でかつてない映像を、デザインを見せてくれることになる訳で、見て果たしてだったら自分たちはと日本のクリエーターも立ち上がるか。そりゃあ違うとこもって模倣に明け暮れ続けるのか。試金石となりそーな作品なのかもしれないなあ、「バスカッシュ」って。放送開始がとても楽しみ。

  ちょっぴりうろついてから今度は池上永一さんの傑作「シャングリ・ラ」のアニメ化に関する発表会を見物しようと出向いたものの、開始30分前が通常な受付開始時間を過ぎても受付担当者が現れない。行列が出来たんでとりあえず会場スタッフが受付を始めたけれども、テーブルにはプレス資料も素材も受付名簿も何もなくっていったいこれからどんな会見が始まって、誰が登壇するのかが分からない。入った会場にもステージ上にマイクが並んでいたりしたけれども、張り紙とかなかったんでやっぱり誰がでてくるのかが分からなかった。あまりの何にもなさに、これはほんとうに「シャングリラ」の発表会なのかも分からなくなって来た。

 とりあえず司会の人が登場して監督さん声優さんが並んだものの、普通だったら冒頭にお見せするケースが多いプロモーション映像の上映の1秒もなく、番組のポスターパネルなんかも並べてなくって、ほんとうにもうすぐ放送スタートなのかって心配が浮かび上がる。もしかしたら監督と声優さんは並んでいるけど、本当はアニメなんて作られていなくって、一種の架空の作品を題材に架空の会見をやってのけるパフォーマンスなのかって可能性も浮かび上がってきたけれども、さすがにそれもなくって途中でオープニングをしっかり上映。動いている。それもしっかり動いている上に白いのも見せてくれちゃっていた様は、放送されたらついつい見てしまいそう。架空の会見ではなかったか。さらに主題歌を唄うシェリルさんなMay’nさんも登場。なかなか良さげな歌でヒットしそう。あとは本編がどーなるか、ってところだけれどさてはて。

 しかし会見が終わっても資料はもらえず、主役のキャラ型ミニチラシを1枚もらっただけでキャストやスタッフのプロフィルは分からず、画像なんかの素材もでなくってどーやって記事に書いたら良いのかと、出席した人たちはこれから迷いそう。それとも何だろう、登場するモモコとミーコのニューハーフ2人の声優が誰なのかを当てるクイズを、放送してから展開することにちなんで、前段階の製作発表会見では、他の声優さんも誰なのかをまとめて考えてもらおうって意図がそこにあったりしたんだろーか? サイトとか見れば司会の人がかけた名前を元に調べて、誰が誰の声を担当しているのかは確認できるけれども、出席している全員がアニメや業界に詳しい訳ではない。なのに耳と目からすべてを知れといったスタンスを見せるなんて、よほど作品の面白さに自信があって、調べてでも書かないといけないって気を起こさせるはずだと確信を抱いているんだろー。こりゃあ期待が出来そう。頑張ってくださいと作っている人たちにお声がけをしたいけれども、リリースがないんでどこに声をかけていいのかすら分からない。奥ゆかしいなあ。


【3月18日】 ほぼ同期のほぼ同年がお仕事をこなして深夜に帰宅し朝に事切れていたというシチュエーションに、そろそろあるいは自分もって気分がやんわりと浮かんで消えない春のあけぼの。とくに追いまくられることもなくやりたいこととかやれることだけをやって夜もしっかり寝ていて家族もいない身を、何行何段とかってプレッシャーを常にかけられまくっていただろう最前線と比べることは無理だけれどもいつそんな立場に叩き込まれるかも分からなんでちょっと心配。そうなったらそうなったで競争に潰される前にドロップして札を投げ出し、安い立場から適当に生きていくようにしたいなあ。勝ったって死んじゃったら意味ないし。殺される気なんてさらさらないし。

らくちんらくちん大変大変  あんまり早寝でもなかったけれどもちゃんと寝て起き出してから「東京ビッグサイト」へと向かってもう8回目くらいの「東京国際アニメフェア」を見物。まずは開会式へと向かったもののまだ予行演習が行われていて、歴代プリキュアみたいな衣装を着た女の子たちがずらりと横に並んでポーズをとっていた。そうかコスプレイヤーさんたちが登場するのかと思っていたら本番では全員がちゃんと顔にプリキュアキャラのマスクをつけて登場。ってことはつまりさっきのは中の人たちだったて訳で、顔が見えないんだったら別に性別関係ないじゃんってことになるんだろうけど、パッと見では全員が一応はちゃんと女の子で、見た目も別に普通だったような記憶があって、外と中との“一致性”の健全さに御礼を言って差し上げたくなった。いや記憶なんで1人2人は交じっていたかもしれないけれど。

 んでもってあんまり集まってこない観客にどうなることやらと心配しつつ、待っていたらチェブラーシカが登場、それも専用の台車に乗って運ばれてのご登場にさすが外タレは違うなあ、「くまのがっこう」のくまちゃんは自分で歩いて来たもんなあと、そこにある格差社会を痛感する。そういうものか? 例年だったらそこにケロロ軍曹だの何だのといったキャラクターの着ぐるみが大集合していたんだけれど、去年は確かケロロ軍曹が1匹だけで今年は背後のプリキュアオールスターズを除けば手前には台車から降りて歩き始めたチェブラーシカにくまのがっこうに杉並区のキャラクターの「なみすけ」くらいといずれも寂しい限り。開会式自体も副知事の挨拶だけで長い来賓の挨拶とかはなく、いきなりテープカットといった具合にスピーディーだったのは、潔くって個人的には評価高いけど華やかさではちょっぴり停滞したって印象だったかも。

 っていうか会場全体が停滞しているっていうか、華がないっていうかこれが目玉ってものがあんまり伝わって来ない雰囲気で、どこに行ったら何があってどんなすごいものが見られるっていった空気圧がなくやや手持ちぶさた。それでもとりあえずフジテレビブースに行ってコンパニオンを眺め、ユニバーサルジェネオンに行ってコンパニオンを眺め、隣の「うみものがたり」だかを宣伝しているコンパニオンの露出が凄すぎると近寄ったら胴体部分は肌色タイツだったと分かってガッカリしつつもしっとりと眺め、ガイナックスでヨーコを眺めアニプレックスでホークアイだか何かを眺め久々に登場したアルも眺めたりして時間を使い、最大級といわれているブシロードの迷路を突破しクリエーターズワールドでバーナムをのぞき22歳の美少女眼鏡っ娘クリエーターな人を眺めたりしていたら、昼になったんでコンビニで弁当を買って貪り食ってそして「宮本武蔵」の記者発表へと駆けつける。

 登壇したのは原案を出して脚本も書いた押井守さんに監督する西久保瑞穂さんに、プロダクションIGの石川光久さんといつものメンバーに加えて、これは吃驚なフォークシンガーの泉谷しげるさん。何でも主題歌を唄っているとかで、どういう伝なんだろうか、そもそも泉谷さんは押井さんの作品なんて見ているんだろうかと思ったら、意外や「イノセンス」と「アヴァロン」が好きと具体的なタイトル名まで挙げて押井ファンであることを公言してた。「見たら忘れるのがエンタメだけど、押井作品には絶対に忘れられないシーンがある」って感じの誉め言葉を繰り出しながら「とんでもない人だと思っています」とまで言い切るんだから、よほどの惚れ込みようだって言っても良いんじゃなかろーか。

 もっとも「押井さんとIGがうまくいっているのかという方が気になっ」なんて突っ込みも入れたりするあたりが泉谷流。なるほど冒頭で石川さんが10時間話して決まらなかった儲かる次回作のアイデアを、おそらくは「スカイ・クロラ」の録音のために滞在していたスカイウォーカー・ランチへと向かう車の中で、たった10秒で決めたって感じに語った裏話を「そんなことは言ってない」なんて全否定した押井さん。まあいつもながらの光景だって言えるんだろうけど、端から見ていると喧嘩しているように見てとられたって不思議はないかもしれないなあ。そんな押井さんは「武藏は前から好きだったけれど、彼の書いた『五輪書』は読まれていなくて、吉川英治の書く武藏がほんとうなのかも気になり調べていた。言われている武藏といううのは嘘で、ほんとうの武藏をやってみたいと思った」といった具合に、今回の企画の発端なんかを披露してくれた。

 でもって「武藏はダヴィンチみたいな万能人」とも。「日本は万能人ってあまり尊敬されないんだよね。僕みたいにアニメを作って実写も撮って舞台演出もやるのは尊敬されない」と妙な理屈もこねてはいたけど、剣の求道者といった感じのイメージが強い宮本武蔵像をひっくり返す覚悟で挑んだアニメーション版「宮本武蔵」なだけに、果たしてどんな感じのアニメーションに仕上がっているのか今からちょっと楽しみ。とはいえ監督は西久保さんなんで、武藏が延々と砂浜で木刀を削りながら自問自答したまんま終わるよーなことにはなっていなさそう。西久保さんによると「もらった脚本の8割が蘊蓄だった」「第一稿に決定稿と書かれてあって直すならコンテで直せと言われた」そうで、ならばといろいろ手直しを入れた作品はしっかり剣戟もあって歌(浪曲だけど)も重なったエンターテインメントに仕上がっていそう。公開は6月辺り。楽しみつつ待とう。

 そこから再び放浪しながらラーメンマンの恰好をした巨乳な人がいたりするのを眺めたり、IGブースの鎧武者軍団を「バンブーブレード」軍団が表敬訪問している様を眺めたりしてそして再び押井さんが現れた「ノイタミナ」の「東のエデン」とそして7月からスタートの「東京マグニチュード8・0」の合同フォトセッションを見物。神山健治監督には面を通してあったけれども「マグニチュード」は監督が神山監督の下で「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の演出をやっていた橘正紀さんだと判明、ってことはともに押井さんの系列か。とはいえ「マグニチュード」はIGではなくボンズが制作でキャラクターの雰囲気も「東のエデン」とは違った感じの女の子。それが東京を襲った直下型地震で家に帰れなくなって、サバイバルしながら世田谷の自宅へと向かうってストーリーになっていて、見ているうちに生き残り方って奴を覚えられる作りになっている。もっとも最初の地震を生き延びなきゃあ意味がない。少女はどうやってお台場なんかで地震をくぐり抜けるのか。フジテレビはどうなっているのか。放送開始がちょっと楽しみ。

 日本にやって来ていたクランチロールの偉い人のスピーチとかを聴いてから、今後は細田守さんの新作映画「サマーウォーズ」の発表会へと向かって見物。いつかの「時をかける少女」の製作発表とは違ってブース内じゃなくってステージを使っての発表会に、この3年くらいの間で細田さんがそれだけのバリューを持ったアニメーション監督になったんだってことを改めて実感する。勢揃いした俳優さん女優さんの声優さんもあんまり知らない桜庭ななみさんって人は別にして、谷村美月さんに仲里依紗さんと前作「時をかける少女」に共にでていた人たちだけれど、こちらも共に名前を広く知られる女優さんになっていたりして経った時間の重さ大きさ深さってやつをこちらも改めて思い知る。それに比べて僕は……ってじっと手を見るのは禁止。詮無いから。

 でもってどうやら大家族の物語。集まった家族が田舎でわいわいがやがやとやっていた所にネット空間あたりから危険が迫ってくるのを神木隆之介さん演じる少年や桜庭さん演じる少女なんかが力を合わせて退けるとかいったストーリーになるみたい。それはそれで貞本義行さんの描く可愛らしいキャラクターたちの繰り広げる冒険ってことで目にも楽しいものを見せてくれそうだけれど、気になるのはネットの中での戦いの場面。直後に行われた聴講者にメディアがほとんどおらず関係者やら同業者でいっぱいだった第2部で、デジタルフロンティアってCGワークの得意な会社の面々も参加して繰り広げられたセッションでは、3DCGによってモデリングされたネット空間の中で、それこそ何十種類ものデザインがそれぞれ行われたアバターたちが動き回るって展開になっているらしく、見ればそこだけ他のアニメみたいな印象で、さわやかておおらかで愉快げな貞本×細田ワールドを期待していった人の驚きを誘いそう。

 電脳空間といってもどこかアート風なデザインを見て最初は前に細田さんと組んでた村上隆さんのデザインを使っているのかと思ったら違っていたみたい。ルイ・ヴィトン向けフルCGアニメの印象が感じられてはいるけれども、手がけたのは「ALWAYS 三丁目の夕日」の美術監督を務めた上篠安里さんて人だそうで、構築的でアート的な電脳世界というかネットワールドは「セカンドライフ」的なリアル模倣のメタバースとはまた違ったビジョンを与えてくれそう。違和感とも言えるかな。意外だったのはそうした3DCGへの親和性を細田さんが積極的に抱いていたっぽいことで、デジタルフロンティアって会社のことを信頼してたし「アップルシード」が成しえたアニメ調な3Dの世界づくりもとっても前向きに評価していた。まあ「デジモンアドベンチャー」のよーな話に関わって来た人だから不思議はないけど、前作が2Dの古典的なセル調アニメで大成功していてそれをそのまま追従せず、電脳空間なんてSFチックなものをぶっこみ且つ、異形のアバターどもを並べてみせるスタンスには、頑固さめいたものが感じられて興味深かった。そんなこんなで面白くなってくれそうな「サマーウォーズ」の発表会。ただひとつ残念なのは仲さんも谷村さんも浴衣での登場だったってことか。浴衣じゃあデカさが分からないんだよまるでまったく。


【3月17日】 潰れあんパンから電話がかかって来てもそれを獅子堂総帥だと思えるような態度の余裕はなかった先生。それはそれとしてそんなやりとりを横目で見つついったい何が起こっているんだと問いつめる生徒会の面子ってやっぱりただの背伸びくんだったのか。眼鏡っ娘が抜けたのにまるで気づいていなかったのは単純に馬場つつじの存在感が希薄だったからなのか、それとも記憶をいじくられていたからなのか。希薄だったんだろうなあ、だから不満を募らせネルヴァルへと遁走。そこでは誰かに必要とされている喜びを味わえるから。

 でもってミンちゃんブーちゃんは起死回生を狙って鏡泥棒をとっつかまえに宇宙へ。追いかけて神凪いつきも宇宙へと出たときおろにあらわれた弁慶とそしてレオパルド。いよいよ激突乞うご期待。ナミはつつじよりも深く激しく誰かに求められていることを望んでいたみたいで、中身はおそらく神楽なアレイダに誘いかけられくっついていってダークサイドが花開き、そのままおそらくはネルヴァル側の「宇宙をかける少女」に祭り上げられそうな予感。しかしあんな時代になって宇宙のコロニーに屋敷を持ってる獅子堂家にもちゃんと備え付けてあったんだなあ、バールのようなもの。何に使うんだろう。蜜柑箱が届くとも思えないし。うーん。

 不祥事が理由になった辞任会見となりゃあ集まってくる記者は鬼の首でも取ったかのごとく居丈高になって、上から目線で突っ慳貪に糾弾の言葉を吐きかけて来ては、冷静な受け答えなんてさせないような雰囲気を作り上げる。テレビカメラも5台10台と入りこんでは狭い会見場で場所をとろうと、押し合いへし合いしまくった挙げ句に、殺気だった空気を醸し出す。

 スチルカメラも同様で、少しでも前へといった気持ちが急いては頭が被るだの前を遮るなといった罵声を同業他社から浴びせかけられ、それでも撮ったもん勝ちといった雰囲気の中で対象者の表情のすべてを収めようとして巨大なレンズを向け続ける。これで真っ当な話なんて出きるはずがないって思うのが当然の流れ。なおかつ日常からそうしたメディアスクラムを組む側にあって、押しまくっていた対象者が事の激しさをごくごく身近に感じては、避けたいと願うのも流れとしては自然だろう。流れとしては。

 だからといってそれを避けるってことはつまり、自分たちがやっていることを真っ向から否定するってことだって0.2秒で思いつく。なのにどーして避けようってことになったのかがまるで全然分からない。頭の良い人たちがいっぱいいて、とっても高いお金をもらって仕事をしているエリートの巣窟みたいな場所でも、飛び抜けた立場にいる人たちなんだから、何が起こるかってことぐらいは完璧にシミュレーションしていたはず。当然のよーに突っ込まれるだろうことは承知の上で、それでも避けよとしたって辺りにはもしかしたらとんでもない意味が隠されているのかもしれない。世界的な謀略への暗黙のメッセージとか。

 あるいはもっと真っ当にそろそろメディアスクラムってのは止めなくちゃいけない、その先触れを自らの会見でもって満天下に指し示しては、自分たちは今後いっさいそんな真似はしない、容疑者ですらない段階でカメラを並べて許可無く撮影しては推定無罪な容疑者なうちから犯人の如くに報じるなんて愚劣な真似はしでかさないってゆー、覚悟を固めての率先垂範だったとか。でなきゃあちょっと理解ができない振る舞いだったんだけれどもまあ普通に考えれば、他人はのぞきみたいけれども手前は腹を探られるのがいやだったってだけのこと。だから突っ込まれても頑なになろうとし、事が重大と知るにつけて収拾に走ったんだろー。

 けどそれですべてが丸く収まったかっていうとむしろ事態は複雑になっているかも。1度でもそーゆー態度を見せた会社に、そしてそれを含んだメディアに世間はもはや前向きになってくれない。なる意味を感じない。事は1社への信頼ではなくメディア全体への身内から出た侮蔑的な振る舞いだったってことを、メディアはこれからひしひしと感じていくことになるんだろー。歴史に残るくらいの大変な事態だったんだ。でもやっぱり当事者はあんまり感じてないんだろうなあ。そんな雰囲気から作り出される番組は、さらなる失意を招き失望を呼んでは世間から乖離していき、そして滅亡へのカウントダウンは終末へとむかって時を刻み続ける。困ったなあ。

 関羽が青いロン毛のミニスカセーラー姿じゃなく、張飛がおかっぱ頭の元気な関西娘でもなく劉備が眼鏡の奥ゆかしげな少女ではなく孔明もやっぱり幼げな少女でもない「三国演義」のアニメーションが果たして面白いのかって言われると、目にも飛び込んでくる白白白のオン・パレードこそ楽しめないかもしれないけれど、代わりに英雄豪傑が跋扈しては義兄弟のちぎりを交わしたり、戦ったりする希有壮大なストーリーは楽しめそうな印象かも、っていうか本来はそっちなんだけれども日本じゃあどこか曲がってしまってた。いよいよもって本場の中国が小説「三国演義」に忠実なアニメを日本の会社とともに作るってことになったみたい。

 振り返ってみると映像じゃあ、かつて放送された川本喜八郎の人形によって描かれたNHKの「人形劇 三国志」あたりを最後にぷっつりと、正統なる「三国志」のストーリーってのがテレビじゃあ放送されていないみたいで、その人形劇を見て「三国志」の世界にハマった今は30代後半から40代の人たちが、インスパイアされて生みだした二次創作的な世界が今や主流となってしまって正統なる「三国志」を学ぶ機会を奪ってしまっている。映画もあるし漫画もあるけどやっぱり映像を順繰りに見ていくのが1番の勉強。その意味でアニメ版「三国演義」は放送されれば中国ならではの正確な考証も入った映像によって毎週しっかり「三国志」の世界を勉強して、新しいファンを下の世代に作ってくれそう。そんな世代が成長した暁には、美少女闘士のバトルとは違った「三国志」物が生まれて来るんだろー。関羽も張飛も本来の髭おっさんになってるんだろう。まあ仕方がない。でも呂布だけはでもやっぱり裸ブレザーが良いよなあ。強烈だもんなあ。

 よーやく解禁? なのか「スポーツニッポン」でオートレーサーの森且行選手の記事に「SMAP」とゆー固有名詞がちゃんと登場。そこのメンバーだったことが踏まえられた内容には1月の特番で木村拓哉さん香取慎吾さんがG1の優勝おめでとうと言ったエピソードも盛り込まれていたりと、森選手とSMAPが関連づけて書かれてある。これまでだったら隔靴掻痒な感じになってて不思議感を醸し出していたけれど、SMAPが自らそうだと認めちゃった以上は事務所が何を言おうとも気にしないで関連づけられるってことになったのか、事務所も認めてしまったのか。経緯が気になる。

 けど関連づけられようとされまいと森選手は実力で今の川口ナンバー1の地位にいる訳で、SMAPであったとかどーかってのはむしろ今は不必要。次のG1を勝ちSGもとればさらにレーサーとしての地位は確立される訳で、そんな彼がもといたグループってことでSMAPが話題に上る時代なんてのが来たりしたらちょっと愉快。香取慎吾さんが「座頭市」だなんて無茶企画も飛び出したりする昨今、案外に遠くない将来にそんな日も訪れる?


【3月16日】 才能があるとどーして人はこーも大胆になれるのか、ってのをまざまざと見せつけてくれる「天才魔法少女がいく」の第2巻「」。先生が空から落ちる難事件を解決した腕前を買われてか、将軍やってる姉貴のところで採用された妹のぷるすとあと同級生の2人の計3人。猪突猛進なぷるすに派手さで負けていないアイマがいて冷静なミヌスが絡む絶妙のトライアングルがそこでも発揮されては特殊任務を解決しまくり立場は安泰。その褒美もかねて与えられた休暇で3人は闘技場があってバトルが見られる街へとやって来る。

 ギャングが裏で仕切っていたりする治安のそれほど良くない街だけれども、自信たっぷりな3人は街を闊歩し、コロセウムの良い席を買う金が足りないと分かるとカジノに出向いてアイマの目の良さを生かしたサイコロ勝負に挑戦し稼ぎまくる。当然のように出てくるイカサマもあっさり見破った3人は、居合わせたコロセウムのオーナーに見初められVIP席で闘技を見る僥倖を得るんだけれど、そこでも物怖じしない3人娘。はしゃぎまくっておやじたちの目を細めさせる。が。事件発生。まずは1人の若い闘士が殺害され、さらには英雄と讃えられる闘士が闘技場の真ん中で爆散して死ぬ事件が起こる。

 挑む3人は条件を見定め偶然を廃し、必然より真犯人を見極める。前作と同様にミステリーとしての味わいもあり、魔法を使ったバトルの楽しみもありと幾重にも楽しめる要素の詰まったシリーズ。おそらくは姉貴に鉄砲玉として利用されているだけなんだろうけれども、それも妹たちの才能への信頼があったればこそ。そんな信頼に負けず潰れないで突き進んでは成果を出す3人娘も、いつも自信たっぷりで見ていてとっても羨ましい。羨ましいけれどもそれが赦されるのも才能って奴(もちろん裏での負けず嫌いな努力も含めて)なので、凡人としてはただただ見守りながら3人娘の次なる突破ぶりを楽しんでいこう。出来れば姉将軍にももっと出番を。

 ノーマルが大して才能もないのに張り切ってはしゃぎ回って持ち上げられ、突っ走った挙げ句に周囲を巻き込んで自爆する展開の阿呆らしさに前も憤ったばかりなのに、またしても同じ展開を見せては前よりさらにのっぴきならない事態へと登場人物たちを追い込んでいく様を、どーして歓迎できるかって気分がもわもわと浮かんで見るのが苦々しくなって来た「RIDEBACK」。何しろ人が死ぬ。死んでしまう。捕まり拷問されるだけでも見ていてそりゃあ自業自得だぜって鬱々となるのに、死んでしまうような展開にはもはや怒りの感情すら浮かばない。

 ライドバックの没収に反対するデモに参加したライドバック部のご一行。最初は普通に静かにデモしてただけなのに、途中ですずりがライトバック少女こと尾形琳じゃないかと言われたあたりから舞い上がってしまったのか、旗を振り煽りそれを見た官憲が迫って来たところで始まった投石に慌てる風もなく妙な自身を見せては旗を持ったまま逃走し、挙げ句に囲まれそれでも自分には飛べるんだと脇道に逸れたところで待ち伏せしていた白ライドの警棒一閃。取締が行き過ぎているって言えば言えるシチュエーションだけれど、前に琳の弟が暴走した挙げ句に白ライドに痛めつけられた話を聞いているだろう連中が、非常事態宣言なんかも出された中でデモやって、指名手配中の尾形琳かもしれないって思わせていたらどうなるかくらい考えつくだろうって言いたくもなる。

 調子に乗ったすずりにもそりゃあ責任はあるけれど、そんなはしゃぎ体質のすずりをライドバックに乗せてデモに参加させたメガネに小太りの先輩諸氏も責任は重大。すずりが尾形琳かもって言われ始めた時点で違うと否定させ、引きずり下ろしてでも連れて帰ればよかったのに、漫然と見ていてはしゃぎ回るに任せた挙げ句、暴走させて死へと至らしめる。声が届かないんだったらかけあがっても止めるべきだったんだ。頭が良いように見えてやっていることはガキ以下。高校生が夜の校舎窓ガラス壊して回った感じの弟君ならまだ許せても、こちらに弁明の余地はない。そんなどうしようもない奴らによって引き起こされた事態が激動を招き戦火となって燃え広がって、さらに大勢の人を命を奪う。余りに間抜け過ぎるシチュエーションを弾圧やら犠牲やら友情やらと結びつけて語られたって困るよなあ。まあ残る話数も少ないんでどうケリをつけてくれるかを気にして最後まで見守ろう。

 左サイドの前目に置いておけばさらに前に突っ走っても良く中に切れ込ませてもなかなかな動きを見せるだろう山岸智選手を右側のそれもバックにおいては前進後退だけの仕事をさせ、その上におそらくは中盤から前目の選手やセンターバックのフォローも少なく守備をしようと前に出たところを裏に放り込まれてはクロスをあげられ失点とかって、果たして状況なんだろうかと「エルゴラッソ」の4・5点って採点や寸評だけを拠り所に、試合の内容なんかを見ないで想像している川崎フロンターレの昨今の情勢。次に敵として当たるんだからそりゃあ僥倖と言えば言えるんだけれど、使える才能を使わないまま埋もれさせていくってのはやっぱり見ていて歯がゆいものがある。前に3人の助っ人を並べる布陣は去年も出だしで失敗しているのに、フッキ選手みたいな奔放な選手がいないからってまたやってみせたりして果たして大丈夫なんだろうか。まあどっちにしたって敵なんで次のフクアリでのフロンターレ戦ではジェフユナイテッド市原・千葉のサイドに裏を取りまくらさせて頂きたく、っても青木良太選手じゃなあ。五分五分か。4分6分か。

 谷間も才能だ。というとそれは違うと先天的に不足している方々よりのお叱りを受けるだろうことは重々承知しながらも、そこにある谷間をそこにあるだけになんかしないで、武器として磨き上げ衆目にさらして臆しない勇気を保ち続けるってのは立派に才能。なおかつアラウンドサーティーのアンダーではないオーバーな側に立ってなおそれを武器として活用し続けるために払っている努力を考慮するならば、存在自体をひとつの才能と認めてもはや良いんじゃなかろうかほしのあきさん。ってことでセガのインターネットサービスの発表会へと向かいひたすらにほしのあきさんを観察。細いのに深いのはもはや芸術。過去に2度ほど間近でご尊顔に廃する機会があったけれども大台に乗っての面会はこれが初。それでいて変わらぬ容色にもはやこれは神である、女神であると断じて誰にはばかれよう。今日の良き日を永遠に語り伝えよう。

 いやそれじゃあ何の会見だったか分からないから説明するとセガが新たに始めるメタバース、とはちょっと違った発想の3D空間サービスで、「セカンドライフ」みたく独自にネット空間を立ち上げるじゃなくってブラウザにプラグイン的に付け加えられる機能がブラウザで表示されているサイトと関連された3D空間をデスクトップ上に表示する、って仕組みらしいけどあんまりよく分からない。雰囲気だけで言うなら普通にブログをやっていたとしてそこへのかき込みなんかがテキストだけじゃなくって3DCGのアバターを使ったアクセスになって会話感覚であれやこれやと書き込める、ってことなのか? 専用の3D空間でありえる過疎化はすでに人の来るサイトを3D化する以上は発生せず、なおかつより奥深いサービスを楽しめるサイトとして大勢を呼び込めるようになる、ってことみたい。画期的ではあるけれど、使い勝手がどうなのかはちょっと不明なんで時間があったら試してみるか、ほしのあきさん島へと行って「ほしーの」ポーズをするアバターを囲みながら。


【3月15日】 今ひとつの体調を押しつつ「アリスクロス」とかゆー(腐)女子向けのトレーディングカードゲームを発売したブシロードがそんなものを好みそうな人たちが津波になって押し寄せるとゆーイベントでデモンストレーションをするってんで、後学のためにと「東京ビッグサイト」で開かれた「HARU COMIC CITY」へと脚を向けたものの乗っているりんかい線の中から漂い始めた場違い感に気圧されどうしたものかと逡巡しつつ、それでもせっかくだからと勇気を振り絞って国際展示場駅を降りてさらに色濃さを増す場違い感に向かう脚も重くなる。

 電車の中では9割8分くらいだった女子率が駅を降りると9割9分くらいまで跳ね上がり、そして「東京ビッグサイト」のエントランスへと向かう階段では9割9分9厘まで跳ね上がっては胡乱なおっさんの周囲の空気を圧迫。そしてデモをやっているらしー西館(にし・やかた)のアトリウムへと向かうための通路あたりになると、もはや9割9分9厘9毛が女性といった雰囲気で、池袋あたりの乙女ロードとやらでもあり得ないくらいの純度の高さに、平静だったらこりゃ幸いと若い空気をたっぷり吸い込み気分を若返らせたくなるところを、一息するだけで何あれ何の空気を嗅いでるのって見なされそうな気分も起こって、びくびくとして身も縮こまる。

 成人男子向けの場に紛れ込んでしまった女子が夏の暑さと漂う香りに一息で昏倒に追い込まれるのと比べれば優しいものだけれども、自意識過剰で被害妄想の強い人間ってのは、マイノリティってあるだけでもはや居ても立ってもいられなくなるものなのだ。これが夏場で薄着も増えて開襟度も上がっていたら、さらに赤面の度合いも上がって目もうつろになったことだろーなあ。女子高の男性教諭ってのはそんな環境に1年365日、さらされているんだよなあ。ちょっと尊敬。どんな心境で毎日を送っているんだろう? せっかくの教員免許なんで、止むに止まれぬ事情で職場環境の転換なんてのもあり得る可能性を考慮して、そっちの道を探ってみるってのも手か。いや無理だ。絶対に無理だ。

 んでとりあえずアトリウムで開かれていた「アリスクロス」ってトレカの講習会なんかを観察。当然ながら席についている全員が女性。でもってそれなりに遊んでいられるみたい。トレカの素養って男子だったら「遊戯王カード」とか「デュエルマスターズ」で覚えてから上に上がれるんだけれど女性だと何かで学んでたとはなかなか思えない。それだけ簡単ってことなのか。あとラブ度を上げるとか何とかって内容になってていかにも女性向けって仕込みのカードなんだけれど、それほどまでにあからさまにワタクシたち向けになっているカードゲームを、ノせられているなあって思って嫌いにならないものなんだろうか。それならノってやろうって気になるものなんだろうか。あからさまではあっても恋愛シミュレートな乙女ゲーがちゃんと売れているんだから、メタからネタを経てぐるりとリアルに戻って普通に楽しめるジャンルになっているって考えた方が良いのかな。要経過観察。

 早めに会場を後にしてせっかくだからと味の素スタジアムで開かれる「東京ヴェルディvsセレッソ大阪」の試合でも見ようかと思ったものの途中で気力も果てて恵比須の「東京都写真美術館」でやなぎみわさんの展覧会を見ることに。すっげえ昔に今は無き「アサヒグラフ」が特集なんかしてた、普通の女性に特殊メイクを施し婆さんにした上でその頃にやっていたいこと、やっているだろうことをさせてみせるとゆー未来予想写真の展覧会なんだけれどもその昔に「アサヒグラフ」で見た時は、版型が雑誌サイズだったこともあって結構精巧に見えた特殊メイクが引き延ばされた写真だと明らかにメイクって分かってちょいグロテスク。普通に重ねた年だたら浮かぶ年期ってのがどこか薄く当然に演じている芸者だのモデルだのキャリア女性だのって未来の自分像もどこか作り物めいて感じられる。

 そんな未来への取らぬ狸の皮算用的虚ろさってのも最初から考慮に入れてのプロジェクトだったら凄いんだけれどたぶんそーゆー意図はなくって純粋に、女性も将来像って奴を予想しかなえてあげようとしたプロジェクトだったって考えるのが真っ当。それが計らずも不安定な未来への不安感もない交ぜにして一夜の夢の如くに見せてしまったってことには、この未来に希望なんて抱きがたい昨今の風潮の中だけにどこか皮相的なものを感じてしまう。予想を超えたところに芸術ってのがあるっていうか。「アサヒグラフ」に掲載されていた1枚で未来の温暖化して水没しつつある都市を上層からテラスめいたところに座って見下げている写真は相変わらずビジョンとして実に未来的。モデルになった人の想像力がそうなるだろうと予想し話してやなぎみわさんが応えたものだとしたらなるほど、自意識が出まくった他の写真なんかとの対比も含めて、芸術の双方向制って奴もそこにあるんだってことになりそー。

 でもってようやくやっとニール・ゲイマン「アメリカン・ゴッズ」を読み終える。だから神様たちも顕現するなら美少女の姿で手にステッキの1本も持って出てこいと説教してやりたくなる気分に変化無し。嵐が来るだのと散々煽って置いてラグナレクが起こるでもなくハルマゲドンも起こらずどっちにしたって刹那的だよなあって感じになあなあで終わってしまってあとは風まかせ波まかせって肩すかしな終わりっぷり。もはや人間に信仰なんざあ求めるのが間違っているんだよね、とりわけアメリカって伝統もなければ信仰ったって形ばかりに国ではそれも仕方がないんだよねってことを諦観まじりに言おうとしたストーリーってとればこういう帰結もありなんだろうけれども、そんなアメリカがだったら何を中心にまとまっているのか、ってあたりを示唆して欲しかった。

 それは合衆国大統領のような権威なのかもしれないし、ケネディ家みたいな欧米の王室に比べりゃ薄過ぎるんだけれどもアメリカにとっては伝統のカタマリとして憧れあられる存在なのかもしれないし、ベースボールやロックといったスポーツに文化のような娯楽の中にあったりすのかもしれない。あるいはそんないずれでもなく、抽象的で象徴的に崇め奉ろうとしている無根拠の集合無意識的な何かの総称としての「ゴッド」なのかもしれない。主体がないからこそ動き出したら誰にも止められないまま突き進んでいってしまう恐ろしさって奴をそこに垣間見せ、流されやすい風潮を揶揄しつつこれなら電脳でも何でも神がいた方が便利だよねってことを指し示す、警句に満ちた物語にして欲しかったって気もするなあ。

 けどまあ、そこまで懇切丁寧に描くよりは仄めかしの中に神無き国の直面している惑いって奴を、感じ取らせたかったって見るのが親切か。いずれにしたって神様側の努力不足には変わりがないよなあ。ここはやっぱり自由の女神をよりしろに顕現した女神さまが、ソーホーあたりに暮らす画学生ん家に居候しながらニューヨークで自分への信仰を増やそうって活動を始めたものの、世間知らずな上に感覚が古いものだからあちらこちらで大騒動。さらにはラスベガスに立つ自由の女神像がニューヨークに負けていられないと大陸を横断してやってきては、独自に信者集めに乗りだしたものだからたまらない。市を二分しての大魔法合戦が始まる中で画学生はどっちつかずだった気持ちを改め、幼いころから見上げ憧れていたニューヨーク側に見方をするって話だったら……見ないか、誰も。


【3月14日】 白い日。かといってもらってないので返す謂われもない。何と気楽な。って自慢できる話でもないのではあるのだが。悲哀。気がついたら「黒執事」が撮れていなくて保存への気力がぐっと落ちる。どんな話だったんだろう。女王はやっぱりイケズなのか。「黒鉄のラインバレル」も撮れていなかったけれどこっちは1度も真っ当に見てないんでどうでも良い。まとめて消すか考えよう。2クールはやっぱり長いよなあ。かといって1クールじゃ短すぎる。4カ月くらいで回すってことも考えられないんだろうか。15話とか16話。DVDで5巻とかに入れて。1ボックスで収まるくらいに。お財布的にも物語的にもその方が都合が良いような気がして来た。地上波的クールなんて地上波が潰えれば無関係になるんだし。一考の余地、あり? なし?

 体調は今ひとつ。目が痒い程度で収まっているのは田舎で掃除をせず布団を干さない不衛生な場所で雑菌にまみれて生活していた名残か。とりあえず家を出て近所のラーメン屋ですき焼きラーメンとやらをすする。豚肉がいっぱい入ったラーメン。これなら豚コマを買ってきて家でインスタントにぶち込んだ方がたっぷりだったかなあ。そして東武野田線で柏へ。車内では渡瀬草一郎さん「輪環の魔導師」の第5巻をつらりつらり。四天王めいた天将のうちの西との激突はまずもってセロとフィノがとっつかまってフィノを魔族化するとか脅してセロを跪かせて爪先にキスさせる西天将のルナスティア。幼児体型かまでは分からないものの幼げな少女姿で黒猫のぬいぐるみを抱えたかわいこぶりっこ。それでいて傀儡の使いに長けていて、人間とか魔族を人形化しては隷属させて迫り来るアルカインたちを迎え撃つ。

 けどアルカインもさるもの。猫だけど。陽動に陽動を重ねてルナスティアを追いつめ胸にケーキナイフを一閃。これで終わり、かと思いきやルナスティアには効き目がない。いったいどうして。それより以前にセロの魔法を消去する魔道具が発動してもルナスティアを人間に戻せなかったあたりから彼女の技の凄さが浮かび上がり、さらにそんな彼女をすら利用する輩の存在が浮かび上がる。それ以上に驚くばかりだったセロの正体にフェロの記憶に隠された謎。いったい何が起こったのか。正義は天将たちにあるのかそれとも賢人たちの側なのか、ってあたりを引っ張りながら進む物語はいよいよ本格的な魔族と賢人たちの激突へ。間にあって人間離れ度を強めるセロの運命やいかに。確保されたルナスティアはどうなるのか。本物のアルカインをだっこできるようになれてハッピーなのか。

 でもって雨の中を歩いて「日立柏サッカー場」へ。SS席立ったけど屋根は届かず。雨合羽をかぶり降ったり止んだりの中を「柏レイソルvsジェフユナイテッド市原・千葉」の試合を観戦。前半はだめだめ。攻められず逆にサイドを突破されてはシュートを撃たれる危険がいっぱい。こちらは団子状態になってはパスしようとして奪われる連続な一方で相手はオープンスペースに必ず1人が立ってはボールを呼び込みそこからサイドチェンジをしっかり重ねてジェフ千葉ゴールへと攻め上がる。得点シーンもフランサ選手がおおきく自分たちの右サイドへ振るとフリーでまってた選手から折り返しが入りゴール前に飛び込んでいた李忠成選手がヘディング。クロスに弱い体質がここでも出てしまって先取されてヤバげな雰囲気が漂う。

 けどそこはアレック・ミラー監督。夜に古巣のリバプールがマンチェスター・ユナイテッドを大逆転したようにはいかなかったけれども、守備を整えつつボールを変に失うようなことはせず、前半はからっきしだった青木良太選手のサイドでの駆け上がりもしっかりと行わせたことが、怒濤の攻めを生んでクロスも入るよーになっていく。そして坂本隊長の坂本隊長らしからぬリフティングからのシュートで同点に。その後も惜しい場面があったものの得点にまではいたらず。それでも相手に後半はあんまり仕事を差せないままドロー。得点が奪えたことと失点を減らせた収穫もあって、次の川崎フロンターレ戦への期待を抱かせる。中盤じゃあ持ち過ぎな感もあったアレックス選手がサイドで起点になっていたのと、ボランチにはいった中後選手がいい感じにコンダクターとなって散らし上がり受け取ったりしていて、攻めに厚さが生まれてた。次こそはトップとの連携をもっと密にして得点機会のさらなる演出を期待。工藤浩平選手の出番がないよう。

 去年あたりは「マクロスF」の「射手座午後九時Don’t be late」とか「What ’bout my star?」あたりで気分にもってビート感を出していたけど、今年はとりあえずポップに行こうと「iPod」でもって「可憐Girl’s」のアルバムから「絶対love×love宣言!!」と「MY WINGS」を試合中にヘビーローテーション。前者は「絶対なんです!」ってあたりのメロディの落としが好きで意識をぐっと惹かれて目が選手のプレーへと不思議と向かう。逆に「MY WINGS」はノリでもって選手の動きが素早く激しくなったよーに見えるんだけれど「世界を救う翼 今私が選んだ道」ってところだけは、テレビのCMとかアルバムにはいっていたプロモーションビデオで向かって右側に合っている子の下から上へと挙げる手が、スカートのすそをひっかけてしまう場面を思い出して、ちょっぴりピッチから集中力が外される。悩ましい。ちなみにプロモみたく編集がされていないバージョンではしっかり見えています、って他でも見せまくっているんだけど。何のことだ。ともあれそれで得点シーンも生まれたんで今年はこれでしばらく行こう。


【3月13日】 全国民滝沢朗化計画に必須のアイテム「M−65フィールドジャケット」のアルファでもなくロスコでもない米軍放出品でおまけに中古ではなくデッドストックの新品がまたしても入庫したみたいで、1枚を前に同じ店で買って170センチで中肉な僕でジャストだった「スモール/レギュラー(丈のこと)」のサイズが並んでいるのを見てこいつは1枚追加で買って倉庫に詰め込んでおこうかって気分もわいて出たけど、コレクションするより着てこその衣料にそういう扱いは似合わないし、そもそもが全国民を滝沢朗にするのに買いだめは良くないってことでここは自分も滝沢朗になって「東のエデン」の中で世界を救うために大活躍する彼に倣ってみたいと思う男たち少年たちに譲ることしよー。今が買い。

 「はやぶさ」には2回ほどというか往復だとしたら4回で、うち1回は帰りには新幹線を使ったかもしれないから3回だとしても、まあ一生のうちに乗らずにおわった人も多い中で結構な数乗ったことがあったわけで夜の名古屋駅を出てしばらくは景色なんて夜なんで見えず、すぐさま深夜から日付も変わる中でやることっていったら寝ることくらい。でもって最初は昭和も43年とか4年とかいった辺りだったんで、寝台は3段で狭っくるしかった記憶もあって動くホテルってな感じはまったくまるで受けなかった。その後にブルトレブームだなんてものがあるおを知っても、それほどのものかなあと思っていたっけか。

 2度目の時はそれから10年は経ってて寝台は2段で広さもそこそこあってこれならずっと寝ていられるから楽チンかと思ったけれども九州あたりにはいるとすっかり夜も明けて、すると車窓も気になって来て下の座席に降りては窓の外を見たり、通路側の壁から引っ張り出せる補助椅子(あるよねこれ)なんかに座ってそっちの景色を身ながら熊本を経て西鹿児島へと向かう旅路をまあそれなりにゆったりとした気分で過ごしたっけ。食事はどうしたんだろう? その辺になると記憶が曖昧。でもまあ旅としては悪くなかった。時間がかかり過ぎることを除けば。

 でもやっぱりこの時間って奴がやっぱりネックになったんだろうなあ、その後に使った飛行機だったら名古屋空港から鹿児島空港まで1時間とかでそっから鹿児島の中心部までバスで1時間。祖母がいた川内市まではさらに1時間だけれども都合半日もあれば到着できる旅路を同じくらいの料金をかけて倍近い時間を、たとえ夜はどうせ寝ているだけからといって使おうって気はあんまり起こらない。誰とも知らない人たちが鍵もかからない場所で区切ってあるとはいえ雑魚寝して平気だったかつての心理状態も、今ではなかなかに受け入れがたいってものがあるんだろう。

 利用者も減りかくして「はやぶさ」は「富士」とともに長い運命を追えて終了と相成った次第。感傷的ではあるけれども他に代替手段の山ほどある現状において、ローカル線の廃止とはちょっと訳が違うんでここは黙して見送るのが礼儀かも。寝台列車に乗りたければほかにもいろいろ走ってるし。出雲行きとか北海道行きとか。問題はだから大垣行きの深夜鈍行の方か。貧乏が板について蒲鉾になりそうな将来においてこうした安価な移動手段はやっぱり残しておいて欲しいよなあ。日本はまだまだそんなに贅沢な国にはなっていないんだから。

 ニール・ゲイマンの「アメリカン・ゴッズ」(角川書店)なんかをつらつらと読んではいるけど上巻を読み終えて下巻にはいってもあんまり盛り上がらないって感じ。よーするに移民して来た人たちが連れてきた太古の神様たちってのがいた訳だけれど世界的にキリスト教がわんさかとなってイスラム教がうわっとなってどちらも詰まるところは聖典の民だったりしてオーディンだのアフラアズダだのカーリーだのネイティブなアメリカンたちの精霊たちも信仰から外れ崇められなくなった果てに、インターネットの神だの携帯電話の神だのってのまで出てきて脇にますます追いやられそうだってんでこりゃあヤバいとオーディンあたりが立ち上がり、シュプレヒコールを上げようとしたらメンインブラックなおそらくは新しい神々の集合無意識めいたものによって追いつめられていくって話。

 なんだけどもうーん、こういう話だとそれこそ出雲を追いやり大和が立った国譲りの神話なんかを持っていたりして、そんな国津神とされてしまった出雲が天津神に犯意を翻すとかいった話なんかもライトノベルから伝奇から日本にはいっぱいあったりして珍しくもないしあんまり面白くもないよなあ。信仰が薄くなって来て存在が危ぶまれるようになったからといって顕現してみせてはよりしろを得て人間たちにもっとわれを崇めよって話もいっぱいあるし、あんまり有り難がられなくなった神様たちを少女が助けてあげるって古戸マチコさんの「やおろず」って話もあったっけ。世界神様バトルだったら「Fate」もあるし「カンピオーネ」ってのもある。神様扱いにかけちゃあ日本って世界の最先端だったりするみたい。

 オーディンたちもだからおっさんな恰好をして強盗なんかしてないで、美少女になって少年の家とかに居候しては学校に通ってアイドルと讃えられメイド喫茶でバイトしてはちょべりとか言われるなり、ざんげちゃんと名乗って看板を掲げて100円で人生相談をしながらファンを増やす努力をすれば良いのに。あるいはそれぞれが少年少女をひとりづつ選んでは1箇所に集まりバトルロイヤルの果てに次のミレニアムの覇権を争うとかいった。ああそれじゃあ日本のライトノベルにアニメにゲームの二番煎じで終わってしまう。まあでもまだ途中なんでこれからどんなバトルがあるのか分からないし、ニール・ゲイマンのことなんできっとダークな要素なんかを盛り込んでこれから盛り上げて行くんだろうと信じたい。んでそれを読み終えてからまた判断。


【3月12日】 とはいえしかし、誰かにばっかり求めがちなところが消費に慣れきってしまった今時のオタクの悪い癖。誰も何もしてくれなかったところを自分たちで情報を回して盛り上がり、時には情報を作り出しては新たな世界への扉を開こうとして奮闘した結果が、再放送後の人気沸騰を呼びガンプラのブームを生み、続編なんかへとつながっていった訳で、30周年だからといって送り手側が、何かをやる義務なんて別にないんだと認めてしまったところから始めて、それならば自分たちが30周年を寿ぎながら、次につながるムーブメントを生み出せば良いんだと、ここは理解するべきなのかもしれない。

 そういえば20周年の時は「G20」って、今までの「機動戦士ガンダム」関連本とは違うテイストでの切り口をもった雑誌が作られて、そこからライターにクリエーターも育っていったっけ。あそこまでの規模はできないし、そもそも自分には才能もないんだけれどもそれに少しでも倣い、自分から何かを発信していくことで30周年が40周年を越えて50周年につながるような流れのほんの水滴ほど、分子ほどの貢献でも出来たらこれ幸い。ってもやれることなんてないんだよなあ。放送開始の4月7日から放送終了の時までの期間に限定して、「1日1ガンダム」を課して日記に何か書いていくか。

 とりあえず言っておく。少佐はどーしていつも高いところから飛び降りるのだろうかと。もう随分と前に買ってあった「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」絡みの3本を収納した、ブルーレイディスクのトリロジーボックスをよーやくにしてやっとこさ鑑賞。映画クオリティの「SOLID STATE SOCIETY」から見てやっぱり冒頭から宙を飛んで途中で消え、さらにラストに「ネットは広大だわ」を言ってみせる押井版「GHOST IN THE SHELL」へのオマージュにちょい吹きつつも、落ちていく少佐のボディは押井劇場版よりこっちの「S.A.C」版の方が好みと認識。続けて第1シリーズの再編集版なんかを見て背丈も質感も衣装も振る舞いもやっぱりこっちが好みと知って、オリジナルなTVシリーズも買い集めてみたくなったけれども今はちょっとフトコロ的に無理なんで、ここは雌伏し虎視眈々とブルーレイディスクの発売を待とう。その前に頑張ってtoto当てなきゃ。

 というか神山健治監督、政治に社会に警察に外交といった部分の練り込みが完璧的で見ていておいおいそりゃあ違うだろうって部分がない。事務次官ごときが悪の総帥とかいった。政治のどこが腐ればどこがどう淀み、政治家なりマスコミなりのどこをどう押せば何がどうなるかってあたりにしっかり合理性があって荒唐無稽さを覚えさせない。第1シリーズ「S.A.C」だと薬の認可が政治家の権勢確保に使われようとしたことを発端に、そこに切り込んでいった人間の振るまいが利用され事件をでっち上げられていく構図なんて、ひとりの人間の正義が組織的な謀略に叩きつぶされる様がよく出ていて身もだえさせる。

 何しろ少佐が居て強者揃いの公安9課までもが解体の憂き目に遭うんだから敵は強固。そこにほころびを見つけて切り崩していく策略も見事だし、たとえ悪は滅びたところで正義が絶対の正義とはならずどこかに妥協がが差し込まれる落着もリアル。でもってそんな曖昧な空気が漂い溢れた社会の如何ともし難さって奴が迫ってきて気持ちを苛む。「SOLID STATE SOCIETY」も同様、とはちょっといかず1人の政治家の暴走が過ぎる嫌いもないでもないけど、世がそれを望む方向へと傾きかけた時って案外に、そんな暴走も知られつつ認められては蔓延ったりするもの。やがて暴走すら日常となって誰の反発も喰らわないようになってそして、社会は右向け右の大行進へと向かうのであった。何ともはや。

 そんなどこかに矛盾を感じさせながらも、だからといってどうしようもなさそうな社会の空気って奴を捉え、浮かび上がらせては物語に乗せて描くことに巧みな神山健治さんがいよいよもって挑むオリジナル作品「東のエデン」の放送開始が4月9日に決定してもう楽しみ。杉浦日向子さんの同名の漫画とは無関係に個人が正義を成すための財力や権力を割り当てられた時に、個人はいったいどんな振る舞いをすべきなのかといった疑問への答えを示し、個人ではたとえ100億円があったって社会に対しては何もできないかもしれない可能性をたぶん示し、それでも個人が前を向き続ければ何かが起こり、世界は変わるんだってことをおそらくは示してくれるんじゃなかろーか。ハードっぽい話を羽海野チカさんのほんわかしたキャラ絵で見せた時に起こるポップなのにシリアスな空間の現出がちょっと楽しみ。「ハチミツとクローバー」って強烈なビジュアルを受けながらも、そのイメージを塗り替えるだけのドラマを作り出せるのかにも興味。

 「女男」と1文字で書いて「おとこ」と読ませるらしい西炯子さん「女男の一生」(小学館)の第1巻が出てたんで見たら、ボーイズがラブラブしてたりするよーな話とはまるで違って三十路も半ばな割には見栄えの麗しい大手電機メーカーのキャリア女性をやっていた堂薗つぐみが、仕事に疲れたか男に振られたかして長期休暇をもらって、数年前に鍵を預かっていたのを思い出して転がり込んでいた祖母の家の主が死去。そのまま居着いてしばらくのんびりしようかと思っていたところに、祖母が大昔に大学で講師をしていた頃に学生だったという、今は51歳ってそれなりな年寄りになってしまった海江田醇という大学教授が、やっぱり祖母からしばらく前に離れの鍵を預けられていたとかで、葬儀の日にやって来てはそのまま離れで暮らし出す。

 都落ちめいた気分をゆっくり癒そうと思っていたつぐみにとって晴天の霹靂。けど壮年な割に見てくれはわるくなく哲学の教師だけあって言葉も巧みで何より強引。関西なまりの強引さを見せてつぐみが何を言っても言い訳を被せて出ていこうとはしない。それどころか集まった親戚を前に結婚したいまで言い出す始末。だったらつぐみの方はといえば、最初は驚いたものの納得させるような言葉で居座り続ける上に、困ったことがあったら率先して行動してくれるところもあった海江田醇のことを完全には拒否し切れない。

 そうしてだんだんと向かい合っていく三十路女性と50歳おやじのラブロマンスはいったいどこへと向かうのか。少女マンガ誌とかにはあり得ない年齢設定だけれど漫画を読む世代が上へと上がっている昨今、働きながらもどこかに虚ろさを抱えているハイエイジの女性なんかが、自分にもこんな出会いがあったらなんて感じて呼んでハマりそー。30過ぎなのにつぐみが美人過ぎてスタイルがナイス過ぎ。仕事はキレるんだけれど高飛車ではないあたりには男性諸子も惹かれそう。風呂のかわりにタオルで体を拭き布団をしくのが面倒とそのまま椅子で寝たりするズボラさも含めて。こんな人いないかなあ。って言ってる男をよそ目に向こうは海江田醇みたいなオヤジがいたら良いのにって思ってる。そして永遠にベクトルはすれ違いを続けるのであった。悲哀。


【3月11日】 仕事用にと呼んだかきふらいさん「けいおん!」(芳文社)は女子高生になった平沢唯がとりあえず入ったのが軽音楽部。軽い音楽でもやる部活かと思っていたらエレキギターやドラムを使ってロックのような音楽をするところと知って驚いた。楽譜が読めずコードも知らないところから始めて、ギターを弾けるようになり、先に入部していた3人と一緒にバンドを組んで学園祭でライブをするまでに成長していくって感じの女の子たちの青春音楽ストーリーではあるんだけれど、音楽な場面よりも合間の日常の方が割と多かったりして学校生活に想い出があったり現役だったりする人の共感を誘いそう。似た顔をした妹の方がギターが上手いってのはどーなんだ。でもって第2巻ではそんな妹も進級し来てあれやこれや起こりそう。「ライブ・アライブ」が音楽アニメとして最高だった「涼宮ハルヒの憂鬱」を手がけた京都アニメーションの作るアニメはどんな出来? 楽しみだけどさてはて。

 そうかもう30周年なのか。見たのはどちらかといえば再放送からだから知ってからまだ30年には1年ばかり及んでいないけれども、確実に人生を変えた作品が誕生から30年を迎えようとしていることにはやっぱり感慨深いものがあるなあ「機動戦士ガンダム」。どう人生を変えたかは今現在においてもなお、深夜アニメを見まくっていたりする状況から分かってもらえそうだけれども、そんな作品が30周年なんて記念の年を迎えたからには、さぞや凄まじいばかりのドリームが繰り出されるんじゃないかって期待もあって、いよいよ始まる30周年行事の発表をワクワクしながら待っていたらこれはどうした。デカいことはデカいんだけれども気持ちをドキドキさせてくれるよーな要素がどこか足りていないよーな気がして調子抜け。

 なるほど1分の1のガンダムを作ってお台場のちょい外れにぶったてるってプロジェクトのスケールはなかなかのもの。横に寝転がった状態だって作るのに相当な物量が必要そうな上に、これが立像ともなればビルの4階とか5階といった高さに匹敵する構築物。台風の季節なんかには風に吹きさらされる場所に立てても大丈夫なくらいの頑丈さを持たせる必要があって、どんな技術と材料でもって実現するのか興味をそそられる。実際に立った姿も東京湾に沈む夕日なんかをバックに屹立するガンダムの偉容なんか、きっと凄まじく素晴らしいに違いないんだけれども一方で、牛久沼にある大仏にくらべれは5分の1程度で高碕の観音様の半分以下しかない高さでは、巨大さから来る驚きって奴はそんなに感じなさそう。

 それ以上にどうしてお台場なのか、ってところに納得性が見いだせない。そこにデカいガンダムがあるなら見てみたい、ってのもなるほど動機にはなるけれど、是非に行ってみなくちゃいけないってゆー衝動を惹起するには何かが足りない。たぶん昔だったらそれでも観光スポットとして人を集められたんだろうけれども、作品と真摯に向き合いその世界に共感を得たことによって生まれた感情が、作品を長く支えるような空気が生まれて来ている中で、デカいガンダムを立てましたってだけのプロジェクトを、支え盛り上げようとする空気がどこまで醸成されるのだろうか、って懐疑が浮かんで頭をぐるぐると迷わせる。

 鷲宮神社とかを筆頭に、ここんところ続いている聖地巡礼ブームってのは、そこに何かしらの地縁が感じられたからこそ行ってみたいと思わせ、人を引きつけた結果生まれたもので、まったく無関係の場所に何かを作ったからといって、生まれる類のものではない。加えて聖地とされた側でも、それを尊び来る人をもてなす空気を醸し出しているからこそ、作品への共感が土地への好感となってよりいっそうの聖地化を促す。それが証拠にただガンダムの銅像が立ったってだけで、上井草の駅前にひっきりなしに人が訪れている訳ではない。だから18メートルの実物大を聖地の最たる上井草に立てたところで、どこまで共感を生み好感を育むかが分からない。

 にも関わらずお台場。観光地ではあっても聖地になり得なないプロジェクトが生むのは、一過性の騒然だけであって来年になればみんな忘れてしまっている。恐いのはそんな忘却が、「ガンダム」ってコンテンツそのものの陳腐化も誘って共に倒壊への道を歩ませかねないって点で、そうはならないためにも何か永続性のあるプロジェクトって奴をここで指し示して、未来への期待って奴を抱かせて欲しかったんだけれど今回の30周年記念事業の発表会では、東京ビッグサイトでの展示会とかコンサートとかが発表されたくらいで、お祭り気分は味わえても夢は与えてもらえなかった。

 振り返って10年前はどうだったかということで、すでに付け始めていた日記から1998年8月1日に開かれた「ガンダム ビッグバン宣言」についての記述を読み返して見てすっげえワクワクしていたことを思い出す。何しろ「1つの時代が生まれる瞬間に立ち会っているんだという気持ちを持てる瞬間を、1生のうちに一体何度持てるだろうかと考えると、今日のこの日は人生の閻魔帳に1つエポックメイキングな日だったとして刻み込まれたことだろー」とまで言っている。ターンエー・ガンダムってプロジェクトが発表され、そのデザインを世界のシド・ミードが担当するって明らかにされ、なおかつシド・ミード本人が来日していて壇上に現れ、富野悠由季監督もいっしょになってプレゼンテーションを行った。

 そこにわき上がったのは何かが変わる可能性への期待。訪れるだろう新しい未来への喜び。当時は今ほど知られていなかった安田朗さんの起用といったサプライズもあった。結果は阿鼻叫喚をもたらし、揺り戻しを招き、安田朗さんの台頭を呼んでは「ガンダム」を今も最先端のコンテンツに位置づけさせることに成功した。等身大ガンダムに果たしてそんな可能性を抱けるのか。展示会から何か新しいものが生まれるのが。コンサートが次なる「ガンダム」に、そしてアニメ界につながる音楽を作り出すのか。分からないけれども少なくとも20周年の時に感じたワクワクとしてドキドキとした感覚を現時点では抱けない。

 いったいどうしたいのか。「ガンダム」をどうしていきたいのか。過去への感謝はあっても未来への投資が見られない30周年記念事業を考え、仕切っている人たちはいったい誰なのか。「ガンダム」が大好きで「ガンダム」のためには何だってやってみせるぜってエネルギーがどこか薄く、より商売へとシフトした中でこの程度でファンはよろこぶんじゃないのかなって感じで並べられた企画って雰囲気をどうしても拭えない。会見の中で、「ガンダム」の伝えるメッセージを味わって欲しいと流された最終回の終盤が、希望を抱かせる余韻を静謐な音楽とともに感じさせたテレビ版ではなく、感動をいや増すように歌われる井上大輔さんの歌が重なる劇場版だったことにも、本当に「がンダム」が好きなのかなあって懐疑が浮かぶ。まあこれは劇場版が初見でスタンダードな人も多い状況を考えれば仕方のないことなんだろうけれども、30年というからにはオリジナルをこそ尊ぶ姿勢を見せて欲しかった。ともあれ動き出してしまったプロジェクトが、どう動きどう人を呼びどんな結果をもたらすのか。10年後に良い意味で裏切られたと感想を書けるように関係する人たちには頑張って頂きたい。

 何というかしつこいというか犬飼基昭日本サッカー協会会長。Jリーグ側が開催の秋春制移行は冬場にとっても試合も練習も困難な上に観客動員だって大変だってことを理由に見送りを決定したそのすぐ直後に、検討が足りてないって口を突っ込み検討委員会なんぞを立ち上げたりしてそれに、リーグも巻き込み再度の検討をさせようってんだから訳が分からない。いやまあ当人的には是が非でもって考えがあるのかもしれないんだけれど、3月の時点で練習すら苦しい球団があったりするこの現実を踏まえれば、1月2月がどんなかだって容易に想像は可能。にも関わらず敢えて委員会を再結成して無理矢理にでも移行させようって動きには、欧州とのカレンダーの統一って大義とは別の何かタクラミがあるんじゃないかと勘ぐられたって不思議はない。これがイビチャ・オシム監督のよーに、掲げる大義に伴う人格があれば誰からも勘ぐられないんだろうけれども過去に無体な発現をしては謝罪の欠片も見せない人間なだけに素直な受け止めは絶対に無理。どこかそんな裏側って奴を暴いて陰謀を潰して欲しいものだけれども今のメディアにそれを期待するのは無理だよなあ。社会はこうして劣化し未来はどんどんと奪われていく。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る