出撃っ!猫耳戦車隊<新装版>

 アニメーション「ガールズ&パンツァー最終章」の第1話が2017年12月9日に劇場で上映開始され、美少女たちが駆った戦車による戦いのドラマが、今度こそはのフィナーレへと向けて動き始めた。乙女が嗜む戦車道という架空の武道を設定し、それをどのように運営すればスポーツとして成り立つかを思案して作り上げた世界観の上、高校生のチームがどのように戦うかを物語に乗せて描いて、現実にはないビジョンを見せてくれた。

 学校がそれぞれに、学園艦という街がまるまるひとつ乗ってしまうような巨大な空母の上にあるといった設定も、現実とはかけ離れた世界観の上に描かれている物語なんだという意識を心に叩き込む上で効果を発揮した。フィクションにありがちな、超能力とか超科学といったものは持ち込まず、現実の延長の上で人も物も動き回るようにした。それが仮構の上でありながらも確かなリアリティを観る人に感じさせ、次にどうなってしまうのかといったハラハラとした気持ちを抱かせた。

 もっとも、戦車道がどうして乙女の嗜みになったのか、といった歴史的な経緯となるとテレビシリーズにおいても、OVA「ガールズ&パンツァー これが本当のアンツィオ戦です!」でも映画「ガールズ&パンツァー劇場版」でも語られないまま最終章まで来てしまった印象。そういうものだからそういうものだという了解をまずは得てもらった上で、そこを起点にして物語を始めることで、前置きに時間をとられることなく話を進めようとしたのかもしれない。

 ただやはり、どうして乙女が戦車なのか、といったところは興味の向かうところ。そこに仮に理屈をつけるなら、戦車などという狭隘な居住スペースの兵器で戦うのは、体型の小さな女子の方が相応しかったといった歴史があったのかもしれない。もちろん戦車道の戦車がかつては戦場で人殺しの兵器として使われていた、という事実があっての話だけれど、そこも「ガールズ&パンツァー」では積極的には触れられていない。それもまた目の前の不思議でそそられるビジョンに気持ちを集中させるためのタクラミなのかもしれない。

 そんな「ガールズ&パンツァー」に先立つこと10余年、すでにして少女たちが戦車を操り戦うというビジョンを示してくれていた物語があった。伊吹秀明による「出撃っ!猫耳戦車隊」(ファミ通文庫)だ。さらに遡れば、あびゅうきょによる短編漫画「彼女たちのカンプグルッペ」で少女たちが戦場にいて、戦車に乗り戦闘機を操るようなビジョンが繰り出されていたけれど、断片ではなく世界観としてそういった設定が成り立つことを、「出撃っ! 猫耳戦車隊」は示してくれた。

 その作品が版元を変えボーナストラックも加えて「出撃っ!猫耳戦車隊<新装版>」(イカロス出版、1296円)として再刊された。遠い未来、大異変と呼ばれる人類存亡の危機をどうにか乗り越えた世界では、ヴォータンと呼ばれる謎の敵が現れ人類を襲っていた。人類側は統合機構軍なる組織で対向。その組織でエリート軍人とされている女子の遊月栞里少尉が新たに配属されたのが、第六〇八戦車中隊だった。

 そのことを周囲に告げると、なぜか不思議がられた。行って理由が分かった。第六〇八戦車中隊にいたのは猫耳を持った女子たち、すなわち猫の遺伝子を持った亜人種で、それが戦車乗りとして戦っていた。

 どうして女性なのか。それは搭乗している戦車が強化のために装甲を厚くされ、比例するように重くなった車体を動かすためにエンジン出力も上げられた結果、車内が狭くなって屈強な男性の戦車兵では中に入ることすらできなくなったから。だったらどうして猫耳なのか。亜人種が最前線という危険な場所に放り込まれてしかるべき扱いだったから。ビジョンとしてそそられる“猫耳美少女×戦車”を、世界観の上にリアリティを持って成り立たせるための理屈がしっかりつけられているところが面白い。

 あとはどうして戦車なのか、といったところ。新しい技術がどんどんと生まれている状況にはなく、むしろ滅びへの道を歩んでいる人類が、大異変以前に作られたさまざまな技術を発掘して再生して使っているという状況の中で、兵器としては戦車の技術が発掘されて広まったからといった理屈が感じ取れる。

 そうやって構築されたリアリティを持った世界観の上、繰り広げられる戦闘の物語も、楽しげでエロティックさも漂う表面の雰囲気を1枚剥ぐと、リアルでシリアスな空気がむおっと立ち上る。

 ひとつには、戦車戦そのもののリアルさがある。敵より先に発見して撃ち破壊しなければ、撃たれ破壊されて死ぬのは自分たちだという苛烈な戦場の中、操縦して偵察して移動して旋回して発射して撃破する丁々発止を読ませてくれる。そして生きるに容易くない社会のリアルさもある。第六〇八中隊の亜人種たちが最前線に送り込まれて苛烈な戦いを強いられる以上に、見捨てられた戦場で亜人種たちが苦境にあえいでいる。忌避され見下されながらもそこが居場所と戦場に立ち、戦う猫耳女子たちのシリアスさに心がひりつく。

 その一方で、近藤敏信・Minat’sが描くイラストで、低身長ながらも巨大な胸を誇る第六〇八戦車中隊の女子隊員たちのビジュアルにはやはり心をそそられるし、そうした環境に放り込まれた栞里が猫耳カチューシャをつけるくらいにのめりこみ、さらには隊員(もちろん女子)と良いカンケイになってしまう展開もキュンとした感情を起こさせられる。ストーリー展開にシリアスで、シチュエーション描写にキュートというこのギャップは、「ガールズ&パンツァー」の人気にもつながるところがある。

 そこに繰り出される、まさにSFといった設定にリアルでシリアスでキュートな物語への驚きと怖れを感じさせられる。ずっと戦い続けているヴォータンとはいったい何者か。その正体めいたものが繰り出された時、世界が置かれた危機的な状況が浮かび上がってくる。勝利できるのか。その過程でどれだけの犠牲が生まれるのか。安里アサトによる電撃小説大賞受賞作の「86−エイティシックス−」にも共通する、世界が置かれた苦境や最前線で戦う者たちの苦渋を感じて身もだえすることだろう。

 クローンの姉がいて、統合機構の総裁をしていたりする遊月栞里がそもそも危険な最前線へと送り込まれ、猫耳戦車隊のメンバーとなり戦う羽目になったのかといった謎への、もしかしたら巡らされているかもしれない謀略を想定してみたくなるし、ボーナストラックの番外編「プライベート・ニャンニャン」で繰り広げられる軍部内のいざこざや支配者層への反発といったものが、ヴォータンとの戦いにどういった影響を与えるのかも気にかかる。

 ならばと続編「猫耳戦車隊、西へ」を紐解きたくても、かつてファミ通文庫で刊行されて以後、店頭から消えて読むことはなかなかに容易ではない。だからこその第1巻にあたる「出撃っ!猫耳戦車隊」の復刊でもあった訳で、ここは是が非でも続編「猫耳戦車隊、西へ」を復刊して「ガールズ&パンツァー」の源流であり、あびゅうきょの「彼女たちのカンプグルッペ」も含む少女とミリタリーのそそられるビジョンの金字塔として、強く世の中に存在感を示して欲しい。戦車SFといったら、戦車ライトノベルといったら絶対に、確実に筆頭として取り上げられ、語られる存在として。

 そう強く願う。


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