夏の約束
une promesse d’ete

 海燕賞を授賞した「午後の時間割」に表題作を含めた作品集「少年と少女のポルカ」(ベネッセ、1100円)で藤野千夜に初めて触れた。当時はプロフィルも一切知らず、トランスセクシャルにホモセクシャルが登場する内容の物珍しさとかも手伝って強い関心を覚えたけれど、それから4年近く経ち、ついに芥川賞授賞作家になってしまった著者の「夏の約束」(講談社、1200円)が、どんな内容になっているのかに興味を抱き読んでみたら、やっぱりトランスセクシャルにホモセクシャルが登場し、加えて作家本人もトランスな人だと明らかになって、そういったことを”ウリ”にしているのかと誤解されかねないと心配になった。

 なるほど著者のプロフィルに作品のキャラクターの重なり具合は、ホモセクシャルなカップルが手を繋いで歩いている場面を小学生がはやし立てたり、トランスの美容師を話している姿を見た同僚が「あれ女性?」としつこく聞いてくるような、社会を生きていく上で波風の立つ部分もしっかりと描写されているから、全てではないにしても、「私小説」めいた部分があるのかといった所感を読んだ人に抱かせる。けれども通読すれば、そういった生きる上での苦労めいた話以上に浮かび上がって来る、優しさを尊ぶ空気のようなものが感じられて、「社会派」とか「ジェンダー」とかいったカタめの単語を並べなくても、楽しめる小説だというとこが解る。

 会社勤めのマルオは175センチながらも95キロの体重がある傍目には肥満な青年で、昔から男性が好きで会社の人も今では全部知っていて、寮には自分の意識が指すような目を感じたため居づらくなったけれど、会社でとりたてて差別を受けず妥当な昇進もしつつ、今はヒカルという男性をつき合っている。彼には知り合いのたま代という美容師がいて、実は戸籍上は男性ながらも身なりは女性というトランスセクシャルで、アポロンという田邊一角のような髭を生やした小さな犬を愛情を込めて飼っている。

 登場人物はほかにヒカルの知り合いらしい漫画家の菊ちゃんと、その友人のOLで酒を飲むと前後不覚になるらしいのぞみ。物語はお互いに知り合いらしい彼らが、花見に行って騒いでいた時に「今度キャンプに行こう」という話になったのを、犬は飼っていてもどこか寂しい部分があるように見えるたま代が覚えていて、社交辞令ではなく本当に行こうと仲間を誘っていることを、背骨に1本通しながら進んでいく。

 マルオの家に押し掛けたヒカルが突然手紙を置いて帰ってしまい、マルオを慌てさせるものの最後はハッピーな結末を迎えて、男性同士の仲なのに妙にホッとさせられる場面とか、漫画家の菊ちゃんが、子供時代にキャンプに行った先で、知恵遅れを理由に虐められていた兄を助けられず抱いた悔恨の念が、たま代のキャンプに行こうという誘いに重なって悩む場面とか、人間が生きていく上で抱えるそれぞれの悩みや苦しみが描れて、読んでいてどこか思い当たる節があって心がギクリとさせられる。そしてラストの1行に至って、冒頭から続いていたキャンプへのこだわりが、大変な出来事の後で皆の気持ちを集中させるシンボルのように描かれて、生きていくのは大変だけど、誰もが大変なりに頑張ってるんだということが感じられ、「頑張れよ」という応援の気持ちを贈りたくなって来る。

 ホモセクシャルにトランスセクシャルといった登場人物たちの性癖にばかり注目が集まりがちなのは、本編でもそういった点がシチュエーションに絡んで来るし、作者自身のプロフィールがプロフィールだから仕方がない。しかし、そこを抜いても人間たちの慈しみ合う関係の気持ちよさ、のようなものが全編に空気のように漂っていて、弱肉強食やら勝ち組負け組なんて言葉がもてはやされる、このギスギスした世の中に光明を与えてくれているような気がする。作者の登場人物の関係がハマり過ぎたと言って投げたり見送ったりせず、虚心坦懐に読み、街に暮らす大人たちの優しさを欲しお互いに寄り添い生きていく様に、明日を楽しく生きる方法を見つけよう。


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