萩尾望都作品集 なのはな

 失ってしまったものは取り戻せない。壊れてしまったものは元通りには治らない。それは真理。絶対の掟。神様にだって変えられない。

 失ってしまった人を思って泣くのはいい。泣いて心が安まるのだったら、いくらだって泣けばいい。壊れてしまった世界のために怒るのもいい。怒って気持ちを鎮めなければ、心が破裂してしまうんだったら、限界が来るまで怒り続けるしかない。

 けれども、心ゆくまで泣いたり、怒ったりしたあとは、どうやったら笑い顔でいっぱいの世の中にできるのかを考えよう。もう誰も失わず、何も壊さない世界を作れるのかを考えよう。

 萩尾望都の「なのはな」(小学館、1143円)という漫画の短編集なら、そんな活動にきっと役にたつ。読んで広め、伝えることで、もう絶対に過ちを繰り返さないで、これからを生きていく決意を、自分の胸と、そして大勢の人の胸に刻み込もう。

 ちょうどチェルノブイリのことを、学校で習っているナホの家は、兄も父母もいてじーちゃんもいるのに、ばーちゃんだけがいなかった。あの日、浜の方に出かけていて、それっきり戻ってこなかった。今、学校の校庭は放射線量が高くて遊べず、ナホたちもマスクを着けて学校に通っている。今日もひとり、友達が名古屋の方へと転校していった。

 大震災。原発事故。それによってナホのばーちゃんは波にさらわれた。空気や土が放射能によって浸された。あの日を境にナホの周りは大きく変わった。陽気に振る舞っているようで、ばーちゃんのことを誰もが心に思っていた。前のような日々が戻ってくることを願っていた。けれども人は戻らず、暮らしも元通りにはならない。心に開いた穴が広がろうとしていた。

 そんなある夜、ナホは夢に菜の花で埋まったチェルノブイリの光景を見て、そこに生きている少女から種まき器を受け取って、自分がいるフクシマを菜の花でいっぱいにしようと決意する。表題作の「なのはな」からは、変わってしまった日々を、大人たちが悔いて足を止めても、子どもたちは立ち上がって歩き、進んでいくのだというメッセージがにじみ出る。

 チェルノブイリの惨劇を経験しながら、どうして同じような過ちを繰り返してしまったのか。そんな人類の愚かさを、続く「プルート夫人」と「雨の夜−ウラノス伯爵」の2編が、寓意の中に強く訴える。美貌のプルート夫人を、奇跡のように生まれた理想のエネルギーと讃え、信奉する大人たちがいる。プルート夫人自身も、その力に誇りを持ち、科学の発展に寄与できると嘯く。

 けれども、美しい花には棘がある。2万4000年にわたって放たれ続ける毒がある。美しさにかしずけば、得られる快楽も確かに多い。一方で、未来にわたって受ける害悪も少なくない。伴侶に選ぶべきか否か。「プルート夫人」では、誰もいなくなった地表にひとり佇むプルート夫人の姿が、踏み誤った未来のビジョンを見せる。

 「雨の夜−ウラノス伯爵−」でも、彼がもたらすエネルギーという福音に、大人も子供も心を傾けようとする。なるほど、半世紀に3度の事故を起こして、近隣に大きな被害を与えた。しかし何百万人の死者が出る戦争よりましだと説き、繁栄が得られるのだと説くウラノス伯爵の言辞から、逃れようとして逃れられない人類の弱い姿が見えてくる。

 そういう側面は確かにある。今をしのぐため、ウラノス伯爵にすがろうとしている人たちが、少なからずいる。そこで今一度、周囲を見渡して起こっている事態を確認し、「なのはな」でばーちゃんと別れ、友達と離ればなれになっているナホの暮らしを思い出して、本当にウラノス伯爵に着いていって良いのか、降りしきる雨から逃れる術はないのかと、考えることはできないか。漫画の登場人物たちの姿を反面教師に、自分を客観視しよう。

 7枚のヴェールを脱ぎ去って、姿態をさらす妖艶な踊りで人心を惑わすサロメを地下牢に押し込め、封印しようとする人々の暴虐さに、最初は戸惑う「サロメ20XX」。彼女の正体を知ってなお、同情できるのかどうか。むしろそうした悲劇を生み出さないために、人間の身勝手で彼女を作り出すことを止めるべきではないのか。そんな思いが頭をよぎる。

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に題材をとった「なのはな−幻想『銀河鉄道の夜』」で、ナホは兄の学といっしょに銀河鉄道に乗って、ばーちゃんと出会い牛や馬や山羊や鶏と出会う。それからナホは学とともに銀河鉄道から降りて、ばーちゃんたちが「なあんにもこわいことはないぞう」という声とともに踏み出される、光の素足によって守られ、導かれて上っていく姿を夢に見る。

 それで心が癒されるわけではない。悲しみや寂しさが消えるわけでもない。それでも、少しずつ、起こったことを噛みしめ、空へと送り出していくことで、後ろをふり返る時間を減らし、前を向いて足を踏み出す力をナホに与える。それと共に、同じような力を、ナホの心の移り変わりを読む漫画の読者たちにも与える。

 世界はまだ終わってはいない。こうして今も存在して、そしてこれからも続いていく。漫画家としてそのことを伝え、届けようとして、あの日からの1年をかけて、何本もの漫画を描いてきた萩尾望都の思いを、どう感じてどうやって自分の力にしていけばいいのか。「プルート夫人」や「雨の夜−ウラノス伯爵−」で示唆した寓意を、どう受け止めてどんな行動をとっていけばいいのか。

 考えよう。顔を上げよう。踏みだそう。


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