波の手紙が響くとき

 浮かんだのはライトノベルとは言いながら、1冊1冊がレンガのように分厚くて重たい川上稔の「境界線上のホライゾン」シリーズに登場する、ベルさんこと向井・鈴という少女。盲目でありながらも、日常の暮らしを不自由だとあまり感じさない理由は、その聴覚を含めた視覚以外の感覚の鋭敏さにあるようで、響く音を聞き分け、流れる風を感じ、相手の身じろぎまで察知しては、物から人からあらゆる存在を目で見る以上に認識し、理解してしまう。

 その能力を船の運航に利用すると、艦橋にいながらにして高性能のセンサーによって集められた情報を元に、流体をこねて周辺で運用されている艦船の配置を、誤差なしに立体化して可視化してしまうからすさまじい。時にはレーダーなり霊感なりですら感知できない気配もいち早く察知して、何者かが結界をくぐり抜けて侵入して来たことを警告してみせる。

 そんな向井・鈴のような能力を持った女性が登場するというだけで、立派にSFとして用件を満たしていると思えるオキシタケヒコの「波の手紙が響くとき」(ハヤカワSFシリーズJコレクション、2100円)。中心になるのは、音響に関する相談を受けて、施工をしたり問題を解決する武佐音響研究所というところに所属している3人だ。

 ひとりは音を分析するプロフェッショナルの武藤富士伸という男。もうひとりは武藤とは学生時代からの友人で、出資者となって武佐音響研究所を立ち上げ、所長に収まった佐敷裕一郎。身長は180センチを越えて体重も3ケタに届くという巨体ならがも、幼いころに事故で睾丸を失ってしまったころから声変わりせず、天使のようなボーイソプラノで話すから、対面で話していると現実が揺らぐように感じることもあるという。

 そして助手として雇い入れた鏑島カリンという女性も入れた3人が、武佐音響研究所に持ち込まれる音にまつわる事件を解決していく。専門の私立探偵ではないものの、職人技なり知識なりを生かして日常に起こるちょっとした事件を解決していくという体裁は、最近はやりの“お仕事ミステリ”の範疇に入るものだとも言える。

 実際にエピソードも、派手な殺人事件とかはなく、国の転覆を企むような陰謀もなく日常に絡んだトラブルめいたものを解決していくという展開が中心。最初の案件は、音声による連絡を残してどこかに雲隠れしてしまった天才的な女性ミュージシャン、日々木塚響の居場所を、残された音声から探るという話で、ここに盲目ながらも音に敏感なで、向井・鈴に負けない聞き分けの能力をもった花倉加世子という女性が協力する。

 その能力はすさまじく、日々木塚響がどこにいるかということも、どういうシチュエーションにあるかも音から特定してしまう。それこそ向井・鈴がやってのけたように。現実にはあり得るかどうかとなると分からないけれど、世界が無音ではない以上、そして音は反響によって変化するものである以上、技術の進化とサポートがあれば、そこに残された音から世界を構築することは可能なのかもしれない。

 もうひとつ、消えた日々木塚響が不自由になりかけていた耳を治療するため、人工の耳小骨へと交換した際に、そこに振動を検知する装置を仕込んで自分が聞く音として抽出し、自分の首から下げた機器に録音していたことも、解明に大きく役立った。テープレコーダーなどに録音されるものとは違って、音を立体的にとらえてあることが効果を発揮した模様。このあたりは、現実よりちょっと進んだテクノロジーを想像して、可能性を示してそこへと至る道筋を提示してみせる、SFとしてのエッセンスを持ったエピソードだと言える。

 とはいえ、トーンは未だ日常が舞台のお仕事ミステリ。ヴァイオリンならぬフィドルを弾いていた祖母が亡くなり、その部屋を使うようになった少年の周辺に、耳には聞こえるものの録音はできない怪音が鳴り響くという謎。聞けば激しい乾きを生む音楽がどこで誰によってどのように作られたかという謎。前者は武藤に続いて鏑木が乗り出し、武藤と佐敷の能力も借りて真相を究明し、そこにあった心の叫びまでをも明かして収集する。

 後者ではまだ若く、そしてまだ痩せていた佐敷がコンピュータの才能も駆使して発端へと迫る探索ストーリーになっている。そんな具合に音響が絡んだ事件を、3人がそれぞれの能力なり、行動力を生かして解決していくミステリとして積み重ねていくことも出来ただろう。けれどもこの作品は、SFとして世に問われた。冒頭のエピソードだけでもその雰囲気は出せているけれど、物語は最後のエピソードでとてつもなく大きな設定が乗って、気分を悠久の時間、無限の空間の中へと誘い読む人を驚嘆させる。

 まさしく文字通りに“波の手紙が届く”という話。その手紙がもたらしたちょっとした事件があって、結果としてもたらされた場所からその先にあるだろう可能性、あるいは過去に起こっただろう出来事への想像が浮かんで、とてつもないスケール感の中に読む人たちを放り出す。

 それはありか。SFだからもちろんありだし、そうでなくてもあって欲しい展開だ。なぜなら僕たちは絶対にひとりじゃないのだからから。

 ミステリとして楽しんでいた物が、突拍子もない展開へと向かって、ついて行けないと投げてしまう人もいそうだけれど、それはもったいないと言っておく。宇宙を、そして時間を相手にしたミステリと考え、謎解きに挑む作品だと思えば十分に向き合える。それでも厳しいという人がいるのなら、音響探偵としてのシリーズを別に立ち上げ、連作ミステリとして刊行していくとう手もある。

 そして本編としてSF的なアイデアをぶち込んで、スケール感のある物語を描いていくとう手もありだ。まだまだ読み足りないことが多い。佐敷が長身で巨体なのに去勢されている人物だという意味が、もう少し感じられるようなエピソードも読んでみたい。日々木塚響というとてつもない才能が、次になにをしでかすかも。そして武藤。偏屈だけれど才能のある彼の本気をもっと読みたい。

 どうなるか。耳をそばだてて、続きが紡がれる音を聞こう。


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