波間の国のファウスト :EINSATZ
天空のスリーピングビューティ

 原作はいわゆるエロゲーというもので、少年たちなり少女たちなりが出てきては、あれやこれやとくんずほぐれつする中で、いろいろなストーリーが展開していくことになっているらしいけれど、そんなゲームを原作にして、ゲームのシナリオライターを務めた佐藤心が自ら書いた小説版「波間の国のファウスト :EINSATZ 天空のスリーピングビューティ」(講談社BOX、1600円)を読むと、原作にそんなきゃぴきゃぴとして、ぬちゃぬちゃとした描写があるなんてまるで信じられないくらいに、硬派でストレートな金融経済小説になっている。

 例えるなら「ハゲタカ」の真山仁なり「オレたちバブル入行組」の池井戸潤なり「トップ・レフト」の黒木亮が書いていても不思議ではないくらい、経済や産業や金融といった部分のディテールもしっかりした小説で、企業買収をめぐるやりとりもスリリングなゲームのように書いてあって興味を引きつける。それでいてライトノベル的な要素もあって、特徴のあるキャラクターたちへと読む人の目を向けさせる。

 本当に金融を知っている人が読めば、手順なり影響なりでいろいろ引っかかる部分もあるかもしれないけれど、普通の人が何とはなしに本から学び、新聞から教わった金融の知識を基にするなら、それほど違和感はなくむしろあり得るかもしれないと思って読んでいける。だから安心して手にとって良いだろう、金融経済小説ファンもライトノベル的な小説のファンも。エロゲーのファンだけはそうした描写が皆無なのが残念か。

 もっとも、直裁的な描写は無くても登場するキャラクターの雰囲気や属性、添えられたイラストなどからいろいろと妄想してみるのもひとつの方法。そうやって楽しんで楽しめそうな要素は満載だから、エロゲーのファンも大きく心配しなくても良いと言っておこう。女子にも世界屈指のファンドを育て上げた、奇行の目立つ男の振る舞いが仲間たちに向くと思った時に、男と男の間に成り立つ汗と油にまみれたシチュエーションが浮かぶかも知れない。やはり初めては痛いのだろうか。

 さて物語。舞台はゲームと同じく経済が破綻した日本に作られた直島経済特区というところで、時代はゲームよりは少し前。ソフトウエア事業から始めて世に出て買収を繰り返し、最近は買収した炭素繊維事業が好調なユーライアスという会社があるけれど、大元のソフトウエア事業が儲からないことから、バックアップに乗りだしたクロノスという巨大ファンドから、炭素繊維部門を強化して不採算のソフトウェア事業を売り払うべきだと提案されている。

 とはいえ創業者の林康臣にとってはソフト事業への思い入れがあり、またにかつて一緒にソフト事業を切り盛りした韓国人実業家の高容夏が、それで大成功して韓国に財閥を築き、なおかつ大統領の地位にまで上り詰めたのを見て、ソフト事業を斬り捨てることが彼に負けたと認めることだと思い、売却を決断できないままクロノスからは見切りを付けられそうになっていた。

 そんな彼には実は切り札めいたものがあった。名字は違うものの実は康臣の娘という乾朱光(いぬい・すぴか)によって運営されている投資部門が、自身も含めて優れたファンドマネジャーを擁してとてつもない利益を上げていた。そんな朱光に誘いがかかる。クロノスの投資戦略事業部門を強化するための人材募集への。

 クロノスの方はこれも渚坂白亜という若い女性が、ハゲタカと呼ばれるトップとなっていて、なおいっそうの地位固めを計ろうとしていた。パートナーの募集もその一環で、他に大手のファンドを首になったあと、独力で始めた投資会社が軌道にのってそこそこの成果を上げていたケビン・ポールソンという青年や、彼が務めていた会社の元取締役というボブ・ダイヤモンドらも集められていた。そしていよいよ採用の面接かと思ったら、クロノスのハゲタカからは違う条件を突きつけられた。

 1年で1億ドルに30%のリターンを乗っけるテストを受けろ、それができれば自分の後継者に選ばれるという。プロでも難しいその運用を受けて立とうとしたケビンやボブ、朱光たちだったけれど、その中にはクロノスの美しいハゲタカを追い落とそうとする身内の策謀を受けた者もいて、誰が味方で誰が敵なのか分からないような戦いが始まる。一方では、朱光の父親の康臣が経営する企業を買収しようとする動きもあって、それを邪魔する勢力の乱入もあったりと、異能ならぬマネーをぶつけ合うような激しいバトルが繰り広げられる。

 金融用語は頻発するし、レバレッジをきかせるとか裁定取引が美しいとかいった話は、そうした金融経済に馴染んでない人にはなかなか理解しづらいかもしれない。けれども、気にせず一種の異能の技なんだと思いつつ読めば、そこに能力を駆使した男たち女たちの戦いとして読んで読めないことはないし、読んでいるうちに何と無く見えてくるから不思議なもの。金融経済に関する勉強の一環として読むのも手かもしれない。

 ヘタレなケビンが兄へのコンプレックスに沈み、再会した兄にして屈指の運用能力を持つ世界的な大富豪、ピーター・エリクソンから追いつめられながら、一念発起して爆発していくシーンもあれば、クロノスとエリクソンの買収攻勢によって、瀬戸際に追いつめられた康臣が、最後の手段を使って大逆転へと持っていくシーンもあってとスリリングな金融経済バトルを楽しめる。それは本当に真山仁や池井戸潤の小説を読んでいるよう。それを元々は美少女ゲーム評論家で、趣味が高じてエロゲーのシナリオライターになった佐藤心がよく書いた。凄いと言いたい。

 諦めないのが康臣で、そこで自分の娘の朱光がずっと抱いて取り組んでいた事業を、親だからといって突き崩すような残酷もあったりして、ケビンとピーターの間に繰り広げられる確執めいたものの含めて人間のドラマとしても読める部分が多々ある。そうやって得られたひとつの結果は、なるほど落ち着くところに落ち着いたものと言えるけれど、失われた朱光の尊厳と野望に対して、何もフォローがないまま進んでいるのが気になるところか。

 いずれ逆転へと乗り出すことになるのだろうけれど、それは今出ている2年後を描いたちうゲームには出てこない。となれば別に小説としての続編が出たりするのだろうか。もしも書かれるのだったら読むしかない。ケビンの発起の影に隠れて存在が薄くなってしまったツカサの活躍も見たいもの。期待して待ちたい。


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