マイ・ハウス

 夫はリストラされて次の仕事が見つからないまま失業保険も切れて無収入。なのに仕事も探さず家で酒ばかり飲んでいる。娘は中学生の癖に携帯電話で月に何万円も使い請求書は全部親任せ。息子は引きこもって部屋から1歩も出て来ない。

 犬が好きで飼っているけど本当は団地だから飼ってはいけないことになっていて、散歩に連れ出す時もうるさいご近所に見つからないかと毎日びくびくしてる。健康だけが取り柄と思っていたのに、気が付くと下腹部からあやしい鈍痛が響いて肉体と精神をじくじくと蝕む。

 愛人と駆け落ちした夫は金の切れ目が縁の切れ目と旅先で愛人に捨てられ突然死。ひとり息子は都会へと就職したものの気が付くと失踪して行方触れず。冷蔵庫を開けると食べ物はなく、通帳を開くと残金は幾らも残っておらず、明日をどう食べていけば良いのにも困っている。

 そんな不安でいっぱい、不満に溢れた生活なのに、新居さえあれば、見栄えの良い家さえあれば悩みなんてすべてが解決すると信じ切っている人は、小倉銀時の「マイ・ハウス」(産業編集センター、1500円)を読んではダメだ。

 哀しくなる。笑いたくなる。切なくなる。逃げたくなる。叫びたくなる。黙りたくなる。とにかくありとあらゆる感情が湧いて頭を破裂させ、気持ちを揺さぶられ、慟哭のなかに身を沈めたくなってしまうから。絶望の果てへと追いやられ、見えない未来に身を投げ出したくなってしまうから。

 大崎和代はどこにでもいそうな主婦だった。夫がいて仕事に行き、息子がいて娘がいて学校に通い、公営団地に住んで幸せではなくても不幸ではない日々を流していた彼女の暮らしが、いつの間にか暗く厳しいものへと一変してしまっていた。

 夫の失業。息子の引きこもり。収入はヘルパーをしている和代の稼ぎがあったし、貯金もそれなりに残っていて、きょう明日にでも破綻してしまうというものではなかった。けれども仕事を見つけられず家に居続け酒を飲む夫の姿が家庭の空気を澱ませる。生活を支えようと働く代わりに和代が家を空けがちになったことも、家庭から明るさを奪い活力を奪っていった。

 「もう、いやや、こんな生活」。そう思うようになった和代の精神にさらなる重しがぶらさがる。ギスギスとした空気を和らげ和代の気持ちに張りを与えていた飼い犬のペコ。けれども団地はペット飼育は一応禁止で、それでも近所とはうまくやっていたものが、新しく越してきた住人から面と向かって苦情を言われ、管理人からもクレームが出て居心地の悪さに気持ちがささくれ立つ。

 「どんなに小さくてもいい、あたしは家を買ってやる」。家さえあればペコを飼える。家さえあれば娘も素直になる。家さえあれば息子も学校に行くようになる。家さえあれば夫も仕事を見つけて通うようになる。万事うまくいく。ふっとわいた思いつきが想像へとふくらみ妄想へとすり代わって、和代を家探しへと向かわせる。

 資金はわずか。それで手に入れられる物件と言えば競売物件しかない。慣れない手続きを必死の思いでこなし、怪しい誘いも跳ね返して和代は豪邸とも言える家を見事に落札する。あとは引っ越すばかり。ところが問題が起こった。落札した家には持ち主だった女性が今も住んでいた。

 彼女の名前は今井昭子。夫はやり手の証券マン。破格の稼ぎがあったバブルの時代に家を建て、素直な息子と3人で幸せな家庭を築いていた、ように見えた。ところがバブルの終わりとともに生活は一変する。整理統合された会社を追い出された夫は昭子を捨て、借金とともに家だけ押しつけ以前から付き合っていた愛人と逃げ、挙げ句に旅先で客死する。

 息子は元気、とはいうものの消息は不明。東京にあるコンピュータ関連の仕事に就いているというが、家には帰らず便りのひとつもよこさない。収入は途絶え、かといって仕事に出る考えなどまるでな昭子を支えていたのは夫だった男の簡易保険くらい。やがてそれも底を尽き、家のローンは滞って競売、そして和代による落札へと至る。

 昭子は日々食べるものにも困る暮らしにありながら、それでも幸せだったと信じていた日々を送った家での暮らしを捨てられなかった。絶対に戻っては来ないと思いながらも、戻って来て欲しいという願望にしがみついて、家から出ていくことを頑なに拒否していた。

 家さえあれば幸せになれると信じた和代。家にいさえすれば幸せが戻ってくると願った昭子。安らぎのある家庭を持ちたかったという2人の女のささやかな希望が、不幸にも真正面からぶつかりあって悲喜劇が巻き起こる。家なんて逃げ道でしかない。けれども家にしかしがみつけなかった2人のたどった運命に、気持ちを揺さぶられる人も多いだろう

 家庭のどこかにほころびの見えかけている虚ろな人。未来にそこはかとない不安をかかえている寂しい人。そんな人たちの気持ちに「マイ・ハウス」の物語はじくじくと染み、苦笑の中に絶望を、落涙のなかに懺悔の気持ちを巻き起こさせる。生きていていいのだろうとか、生きていてはいけないんだろうかと思わせる。読んではダメ、というのはそういうことだ。

 けれども読まなくちゃダメになる。逃げた挙げ句に和代のような、昭子のような悲劇へと身を投じさせることになる。不安を抱えている人は不安を自信に変えるために、迷っている人は怯懦を勇気へと変えるためにも意を決し、心を強くして「マイ・ハウス」のページを開こう。足をしっかりと地に下ろし、現実を見つめ直し、高いけれどもたどり着けないことのない未来へと向かう意志が、きっとわいてくるはずだから。


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