美しき屍


 昭和の掉尾を飾ったバブルの時代を「黄金色」に例えるならば、大正デモクラシーの余韻を残しつつも、ひたひたと忍び寄る戦争の足音が聞こえ始めた昭和初期は、さしずめ「黄昏色」とでも表現できるのではないだろうか。来るべき滅亡への道を歩みつつ、しばしの繁栄に酔いしれている雰囲気が、暮色残る黄昏時の時間帯にどこか似ている。

 そんな時代の東京の街を、アメリカ帰りの秘密探偵、的矢健太郎がシトロエンに乗って駆け抜ける、藤田宜永のモダン東京シリーズ第2卷、「美しき屍」(朝日新聞社、2400円)が発売された。第1卷の「蒼ざめた街」こそ書き下ろしだったが、第2卷以降は88年から角川文庫で刊行されたものを加筆・訂正して再刊していく形となる。「美しき屍」はだから、「モダン東京シリーズ」の実質的なオープニング作品といえるだろう。

 アメリカから帰国して探偵事務所を開いた的矢のところに、1人の青年が、妹が失踪したから探して欲しいという依頼を持って尋ねてくる。失踪した妹が、タクシーの座席に乗って男を誘う「円タクガール」をしている姿を、新宿で見かけた人がいるという話を手がかりに、的矢は小間使いだった妹を探しに出る。確実な情報を得られないまま、自宅に戻った的矢のもとに、翌朝、依頼主の男が殺されたというニュースを載せた新聞が配達される。

 殺された青年が、ある男爵家の書生だったと知った的矢は、手がかりを探しに男爵家へと向かい、そこで対照的な2人の美しい姉妹に出会う。活動的な姉の悦子と引っ込み思案な妹の信代の2人から話を聞いたあと、書生の部屋で的矢が見つけたものは、ハリウッドの人気女優、メアリー・ランバートの写真と、その裏に書かれた映画会社の電話番号だった。

 書生の妹の探索に、失踪したハリウッド女優の探索が加わって、話は太平洋にまたがった頽廃的な愛の物語へと発展していく。経済の主導権が庶民の側へと完全に移ってもなお、プライドだけを支えに華やかな暮らしを続ける華族の1家にあって、国粋主義的な考えを次第に強めていく兄と、左翼的な考えにとりつかれた書生に惹かていく末の妹。そんな兄と妹の間で、ひたすら享楽を追求する悦子の奔放さに、的矢の心は囚われていく。

 「実業家も探偵も左翼もモガもモボも・・・皆、誰かに動かされている人形にすぎん、ということさ」と笑い、漫然として運命を受け入れようとする父に、息子や娘たちはそれぞれの考え方で反発する。物語のラストで示された、変化よりも逃避を望んだ結末が、美しいシーンのなかに、現実の残酷さを浮き彫りにする。

 昭和7年を描いた第3卷の「哀しき偶然」、昭和9年を舞台にした第4卷の「墜ちたイカロス」。戦争への坂道を転がり落ちていくなかで、的矢は何者にも縛られないまま、運命を己が手で切り開いていくことができるのだろうか。再刊である以上、結論は出ているのだが、今はただ月1冊のタイムトリップを楽しみつつ、暮れなずむ東京の街を、的矢といっしょに走り回ることにしよう。


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