水は海に向かって流れる 第1巻、第2巻

 田島列島と言えば、マンガ大賞2015で2位となった「子供はわかってあげない」という作品があって、そこには学校の屋上でアニメのヒロインを描いているようなオタク少年がいて、オタク少年の兄が前は兄であったのに、姉となって戻ってきて家を勘当され、飛び出してひとり、商店街の古本屋の2階に居候をするようにして探偵の仕事を始めていたりする。

 父親が母親の再婚相手で、いなくなった本当の父親が新興宗教の教祖だったりもしたけれど、旧態依然とした価値観の中ではどこか異なる状況と見なされてきた、そうした登場人物たちのプロフィルやシチュエーションが、特段に気にするものではない、単なる特徴として感じられるような物語になっていた。

 ともすれば大げさな問題として描かれがちなそうした“一般”からの差異を、ほんわかとした絵による平穏で優しげな日常描写の連続に紛れ込ませて、たいしたことだと感じさせないようにしていた。田島列島という描き手ならではのテクニックであり、表現手法だと感じた。

 辛いことや嫌なこと、寂しいことや哀しいことでも、その絵の中、その物語の中に取り込んでは、ゆるゆるとした日常の中に落とし込み、ほんわかと支えてくれる。そんな田島列島の腕前が、より一般的な日常に近い状況で起こる事態で発揮されたのが、「水は海に向かって流れる」(第1巻、第2巻とも600円)だ。

 高校に進学したのを機会に、漫画家をしているおじさんが暮らす家に居候するようになった直達は、出迎えに来てくれていた出会った榊さんという女性と出会う。高級な肉を買っては牛丼のようなものを作って食べさせる、少し変わった行動をすることもあるけれど、普段は普通にOLとして働いている。

 その榊さんと直達との間には、実はちょっとした因縁があった。直達は最初はそれを知らず、おじさんも知らなかったけれど、榊さんはおじさんから出迎えの参考にと渡された直達の子供の頃の写真を見て気付いてしまった。浮かんだ感情を想像するとなかなかに呻吟するものがある。

 そして、直達も榊さんの家族と自分の家族との間にあった因縁を知ってしまう。そこで湧き上がる、申し訳なさめいた榊さんへの感情。とはいえ、榊さんが直達に憤りを向けることもなく、ぎくしゃくとした関係が同じ屋根の下に生まれてしまう。修羅場や愁嘆場になりそうなシチュエーション。それがほんわかとした絵によって棘を抑えられ、どうすれば良いのかを考えられる余裕を与えられる。

 無垢に見えて内心に抱えた感情は激しく、行動もそれなりにアクティブな榊さんというキャラクターはユニークだけれど、背負った家庭に対する感情には複雑なものがあって、少しピリッとした感情を抱く。関係者である直達にとっては、より強い懊悩の感情をかきたてる存在かもしれない。

 それでも直達は、榊さんのことが気になって仕方がない。申し訳なさから始まった感情は、いったいどこに向かって流れていくのだろう。一方、直達とは高校の同級生で、美少女ながらも占い師の兄に似てストリートファイター気質もある泉谷さんというキャラクターも、存在感を持って直達の回りで動き回る。

 2人とも、悩みつつ考え迷いつつ進もうとする直達にとって良い導き手になっている。直達は果たしてその2人のどちからを選ぶことになるのか。それとも新たな波が起こるのか。想像は浮かぶけれど、結局はなるようになるのだろう。水は必ず海に向かって流れる。当たり前のように進んでいくその展開の、途中にある急流や水門や合流地点や緩流を味わいながら、行き着く果てを確かめるために読み続けたい


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