ミネルヴァと智慧の樹 始原
Minerva and the Tree Wisdom

 踏み外してしまったら、はい上がれない怖さに誰もがおびえてる。冒険をしても勇気があるとは讃えられず、失敗なんてすればそれこそ一生を2度、3度と繰り返しても取り返せない敗北に、まみれ地面をはいずり回って終わるのだという恐怖に誰もがふるえている。だから羽ばたかない。踏み出さない。レールを見定め、最短の距離で人生を終わりまで導く列車に乗って、安楽に生きる道を選ぶ。

 彼もそうしようと思っていた。森本慧。房総半島の先にある高校で、先輩たちとUKロックのバンドを組んて鳴らしていた彼だったが、そのままプロになろうとはしなかった。ボーカルとギターで評判をとっていた先輩が、音楽の道をあっさりと捨て、それどろこか学校でトップクラスの成績を取っていたにも関わらず、国立大学など行かず、そこそこの有名私立大学を出て公務員になって、クビにならず定時に帰れてゆっくり眠れる暮らしが素晴らしいと吹聴。その先輩を人生の師匠と仰いだ森本も、先輩に諭されるように私大の文学部へと進み、つぶしのきかない文学や哲学ではなく、語学を学ぼうとしていた。

 学校ではやはり師匠の教えを守り、サークル活動はそこそこにして、ノートを借りられる知り合いを作る程度に止め、講義も英語や情報処理といった、就職に役立つスキルが学べる科目だけを選んで、大過なく過なくすごそうと考えていた。そんな折り。授業に必要な教科書を買うのがもったいないと、図書館で借りることにして赴いた先で出合った同級生の少女から、図書館でアルバイトをしないかと誘われる。さっそく師匠に相談したところ、図書館なら女子が多く人脈も作れて情報処理のスキルも学べると、そう言われて森本は図書館の資料整理のアルバイトを始めることになり、そこで運命を大きく変えられる出合いをする。

 担当者に連れて行かれた地下5階にある部屋にいたのは、なぜか大正袴姿をした日本人と西洋人のハーフに見える美少女。天乃理という名前だと担当者から紹介された彼女は、いきなり森本にキスをして、そして採用と言って招き入れた。何が起こったのか。驚く時間も与えず理は、自身を智慧の神であるミネルヴァだと名乗り、森本のことを梟と断じて、単なる図書館の資料整理に留まらない、不思議な仕事を押しつけ始める。まったく予期していなかった状況に戸惑いながらも森本は、現実にはあり得ない体験をしたこともあって、理ことミネルヴァの言うことを信じ、彼女の眼となって働き始める。

 やがて状況は、理が400年近くも生きている存在で、かつて彼女を生んだ錬金術師が殺害された事件の真相を暴くべく、時空を越える必要があると森本に告げ、錬金術師を殺害したと疑われている一族に連なるドイツ人の美少女、マルガレーテともども異世界へと赴く展開へと向かっていく。知識は豊富でも俗世には疎く、なぜか自己啓発書とライトノベルを好んで読み耽り、知識として得た人の感情を試してみようと、ツンとしてデレてみせ、拗ねてしなだれかかってくる美少女だけでも素晴らしいのに、そこに日本が大好きで、とりわけオタク文化を溺愛していて、セーラー服に木刀を背負った妙なコスプレ姿で街を闊歩し、当然のように「あんたバカァ?」と言ってのける長身のドイツ人美少女も加わって、そんな2人に挟み込まれる森本の日常。羨ましいとしか言い様がない。

 それ以上に、得られなかった出合いやもたらされる知識に喜ぶ森本は、そうした出合いも学問も無駄と切り捨ててきた師匠に改めてそう指摘されると、本当にそうなのかと逡巡し、師匠への反意を示す。そのことが招いたある事件を経由して、森本や理やマルガレーテたちはドイツへと赴き、ミネルヴァが生まれ現世に至る事実を生みだす円環を結び、ウロボロスという怪物から向けられる妨害を退ける仕事を成し遂げる。

 繰り返される歴史の因果を結ぶ物語は、大過なく生きることを是としたい人間がそう思わざるを得なくなる昨今の風潮に釘を差し、挑戦する気概を誘い出し、閉じた円環からの脱却を説く。森本が師匠と仰いだ先輩の気概が行き着いた果てを見るにつけ、そうなるくらいだったらもっと動くのだ、泥にまみれてもひたすら前を向いて突き進むのだと誘いかける。

 もっとも、しょせんはフィクションでしかない物語は、理髪で冷静だけれどどこかに抜けたところがある美少女がいて、日本が大好きというオタクの金髪美少女がいて、森本がかつて高校時代につき合っていた、演劇をこよなく愛し、積極的な未来を考えようとしない森本を振った魔女的雰囲気を持った美少女がいて、森本が大学で知り合ういつも溌剌とした美少女がいてと、次から次に現れる美少女たちとの出合いという、現実にはおよそあり得ない状況を描いて見せて、そんなうまい話は物語の中だけのこと、脱却の喜びを味わうのもその瞬間だけだと囁き、酸っぱい絶望へと誘う。

 物語が呼びかける解放の正しさと至らなさ。そのどちらも正しくて、どちらにも悩ましさがある事実を吟味しつつではいったいい、僕たちは何をすべきなのか? それを考えるのは自分自身。踏み外せば抜け出せない奈落の恐怖を感じつつ、それでも落ちないで突き進み、たとえ落ちたところで、死にものぐるいではい上がってみせると信じる気概を持って、フィクションも現実と受け止め前を向くも良し。しょせんはは口先だけだった師匠にはもう頼らず、踏み外さない道を一生かかって歩いてやると確信するも良し。言えることは、それは己の人生であって、誰のためのものでもないのだということ。そこに気を向ければ、自ずと道は見えてくるはずだ。

 キャラクター造形の素晴らしさがあり、展開の鮮やかさがあり、主題の現代性があって得られるカタルシスもあって、その上で今一度足下を見つめさせる物語。火のトカゲでありながら、妙に江戸が大好きなザラマンデルも実にいい味を出してる。そのトカゲが、ツンデレを落語でいうところの意気地と解釈してみせるところなど、なかなかの炯眼でトカゲの癖に物知りだと驚かされる。同時に、そうしたすべてを割り切ることはしない、曖昧さの中に機微を見る感性が実は日本には昔からあったのだということを思い出す。そうした、蘊蓄のように知識を味わいつつ、キャラクターたちの行動を楽しみつつ、本当の師とはただ教えるだけでなく、考えさせ自ら足を踏み出させる存在なのだという示唆を得つつ、描かれる物語から何かを感じ取るのが良さそうだ。

 落下など恐れるな。逸脱など気にするな。閉じこもった円環に呻く者は外への道を探り、物語の円環に溺れる者も目を上げ、現実を見回して得よう、未来を。


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