電脳祈祷師 美帆
邪雷顕現

 本を読みながら眠りにつく習慣が、もうかれこれ10年以上は続いているため、朝起きるといつも、ベッドサイドの蛍光灯が差し込む朝日をものともせずに、煌々と輝いているのが目に入る。冬は暖房、夏は冷房が、タイマーによって目覚める1時間ほど前には始動して、部屋を適温に暖め(冷やし)ているし、時々はタイマーで、テレビの朝のワイドショーが、目覚まし代わりの大きな音をが鳴りたてることもある。

 ベッドから抜け出してパソコンのスイッチをいれ、テレホーダイタイムを利用してインターネットをチェックする。それからシャワーを浴びてドライヤーで頭を乾かし、アイロンでシャツのしわを伸ばして、身繕いをしてから電車で会社へと向かう。起きてから出かけるまでの約2時間で、いったいどれだけの電気が自分のために消費されたのか。電気がなかったらいったい、どんな朝を迎えることになるのだろうか。わずか50年前、いや30年前ですら考え及びもつかないほどに、今の自分は電気に囲まれて暮らし、電気によって様々な恩恵を受けている。

 だが、これだけ電気に囲まれて暮らしながら、私たちは電気について意外なほど知らない。複雑な処理を軽々とこなすパソコンでなくても、例えばドライヤーを使うと熱風が出る時や、スイッチを押すと蛍光灯が輝き出す時など、これらの中で電気がいったいどのように動き、どのように働いているのかを、理解している人は決して多くはない。

 いつも身近にある電気、生活に欠かすことのできない電気が敵に回ったら。そんな世界を描いた小説が、東野司の最新作「電脳祈祷師 美帆(邪雷顕現)」(学研、780円)だ。かねてから東野は、パソコンの世界に没入(ジャック・イン)する人々を描いた「ミルキーピアシリーズ」や、パソコン関連の実用書を数多く手がけ、電気なくしては一寸たりとも動かない電子機器に囲まれた生活を送り、そんな生活のありがたみを、自著のなかで表している。

 そしてある日、パソコンを前にして東野司は、「ふと、この中には電気の妖精がいるんじゃないかと思った。もしそれが邪悪な存在だったら、そして、攻撃してきたら、どうなるのか」(あとがきより)。もしかしたら電気は、何か得体のしれないエネルギー生命体なのではないか。とまあ、そこまで発想を飛躍させる人は少ないだろうが、作家である東野司は、「電脳祈祷師 美帆」の中で、その飛躍を「邪雷」という存在にして現出させた。

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 ピラミッドの時代から、世界では電気が使われていたが、やがて電気を使って人間を襲い、操り、破滅へと追い込む存在が明らかとなり、人間は電気を捨てた。しかし20世紀、世界にふたたび電気があふれた時代、邪悪な電気が再び隆盛を取り戻そうとしていた。電気製品を使った事故が新聞紙面を賑わし、電気の霊がまことしやかにささやかれるようになったある日、出版社に務める金谷翔子のところに1枚のフロッピーディスクが送られて来た。

 黒地のフロッピーディスクに描かれていたのは、白く染め抜いたようなに晴明文。そして添えられた文章には、電気のもたらす危機を告発し、このフロッピーディスクをある人物へと届けるように書かれてあった。告発を受けて調査に乗りだし、やがて1つの結論に達した翔子は、明日、フロッピーディスクに添えられた手紙にあった人物を訪ねることになり、深夜まで会社に残って、資料の整理を行っていた。だが、電気の驚異はすでに翔子をターゲットとしてとらえていた。そして翌朝、翔子はオフィスのフロアで焼死体となって発見された。

 翔子からフロッピーディスクを預かっていた翔子の後輩、山下貴子は、翔子の意志を継いでその人物をたずねることにした。いっしょについていったのは、貴子の学生時代の家庭教師で、今はフリーライターの坂巻俊也。教えられた住所を訪ねた2人は、「電脳祈祷師」として邪(よこしま)な電気と戦い続ける一族の末裔(まつえい)に会い、今また電気が邪悪な意志を顕在化させようとしている事実を告げられた。

 先輩の敵を討ちたい一心で、電脳祈祷師の話を信じる貴子と、科学万能の時代に信じられないことと、一笑にふす俊也。だが、信じると信じないとに関わらず、二人も着実に邪電の魔の手は伸びていた。

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 邪悪な電気と闘い続ける一族の末裔(まつえい)として登場する電脳祈祷師「鵜飼美帆」は、かつて「邪雷」を前に妹を見捨てて逃げ出した、忘れがたい過去を引きずりながら生きていた。そのキャラクターは、自身のコンプレックスを払拭(ふっしょく)しようと賢明になりながらも、過去に脅かされ、未来に不安を抱き、今また2人の人間を戦いに巻き込んでしまったことに苦悩し続ける。戦いが進み、その相手が見えてくると、美帆の苦悩はいちだんと深まる。

 だが、貴子からセンセと呼ばれる俊也は、美帆の苦悩に満ちた告白をてんで信じようとせず、さいしょは美帆を信じていた貴子も、やがて闇の力に引きずり込まれて美帆を苦しめることになる。ヒーローもの、ヒロインものにありがちな、苦悩する主人公に理解を示す、好感の持てるサブキャラクターという設定が、この話ではまったく用いられていないところが、主人公に感情移入して読んでいる読者のイライラ感を募らせる。どうしてわかってあげないのか。どうして助けてあでないのかと、そんな気持ちでいっぱいになる。

 だが、SFもファンタジーもホラーも読まずに育った常識的な人間が、SFやファンタジーやホラーな現実に直面した時にとる行動は、柔軟な思考ではなく、常識に引っ張られた否定であろう。痛快感、爽快感なき小説ではあるが、だからといって否定する訳にはいかないところが読み手を苦悩させる。それでも終わり近くになって、イライラさせられた物わかりの悪すぎるキャラクターも、どうにか美帆の仕事に理解を示すようになって来た。あとは美帆が、自身の苦悩とどう折り合いをつけていくのかが、物語を進める上での要素の1つとなるだろう。

 それにしても、敵に選んだものが、電気というなくてはならない文明の利器に巣くう、邪悪な存在ということは、これからもおよそ困難な戦いが続くことが予想される。ピラミッド文明が終わってのち、数1000年続いた電気なき世界を再び現出させることはかなわない。あまりにも巨大化した電気文明を維持しながらも、電磁の場を整流・統括する「神」を呼び戻すために、1人苦悩に満ちた戦いを続ける美帆の物語は、いきおい壮大希有なものとならざるを得ない。そんな物語を、果たして東野司は描ききることができるのか。今は期待と不安でいっぱいだ。


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