メタルダム
機械どもの荒野

 機械は暮らしを便利にしてくれるが、あまり奉仕されているという印象はない。あるとすればビデオのタイマー予約くらいかな。それでもいちいちGコードを使って入力するといった作業が必要だから、人間がはらう労力が減り、ものすごく便利になったという感じはあまりしない。

 本当に奉仕してくれてるなあという印象を機械に持てるとしたら、それは機械が意思をもって傅(かしづ)いてくれる時なんだろう。でもそんな時っていつ来るの? ロボットの概念が導入されてこのかた、意思をもった自動機械が小説、とくにSFなんかに頻繁に登場するようになったが、今に至るまで意思をもった自動機械が出たという話を聞かない。

 もっとも、あまりに実直な「奉仕したい」というロボットの意思が、ゆがんだ形で人間に向けられるのだとしたら、正直ごめん被りたい。森岡浩之の小説「メタルダム 機械どもの荒野」(朝日ソノラマ、530円)で描かれている、歪んだ機械の異常な愛情が人間を死に導く世界には、絶対に住みたいとは思わない。

 舞台はそのももズバリ「機械どもの荒野(メタルダム)」。発達して意志を持った機械が叛乱を起こして後、人々は機械文明とは無縁の生活を余儀なくされていた。それでも機械への憧憬は強く、自律して荒野を動き回る機械をとらえてその意志を破壊し、都合のよい機械に変えてしまう商売が成り立っていた。主人公のタケルも、「メタルダム」で機械を狩る仕事をする、そんな「ハンター」の1人だった。

 その日もタケルはいつものように、「メタルダム」で網を張って機械が通るのを待っていた。3日目にみつけた獲物はスナークと呼ばれるありふれた自走式の機械が1体。それでも狩れば3カ月は遊んで暮らせる代物だけあって、タケルはさっそくスナーク狩りに乗りだした。しかし普通だったら逃げ出すはずのスナークが、妙に馴れ馴れしく近寄って来てはタケルの前で立ち止まる。それだけならまだしも「待って下さい」と声を放ち、あまつさえタケルに対して「助けて欲しい」と言い出した。

 「叛乱」を起こして人を砂漠の小さな街に封じ込めた機械どもを、一朝一夕に信じる訳にはいかなかったタケルだが、しゃべるスナークを追って街に戦闘機械が大挙して到来。挙げ句に機械とつるんでいるとの疑いをかけられて、幼なじみでスクラップ屋のカーシャと、おなじく子供の頃からの知り合いというハッカーの鴉と連れだって、機械を守るために作られたヴァルナ・システムのくびきから、機械の女王と呼ばれるアディティを救い出すために、「メタルダム」の中心へと向かうのだった。

 「スナーク」に空を飛ぶ能力を持った「ワイバーン」、そして巨大な大砲をその身に負った「ユニコーン」と、西洋の神話や伝承に出てくる名前を持った機械どものヴァラエティに飛んだその姿に、恐ろしさを感じつつも惹かれてしまうのは、「星海の紋章」で新しい銀河を現出せしめた森岡浩之の、並外れた空想力の成せる技といったところだろう。そしてそんなSF的なガジェット以上に、中核を占めている主題の重さにも、同じく「星界の紋章」で、アーヴという悲しい出自の種族を創出せしめた森岡の、SF的なビジョンの確かさを感じる。

 漫画版「風の谷のナウシカ」にも通じる二者択一の果てに、およそ論理的ではない感情的な意志の発露によって、タケルたちは厳しい未来を手にすることになった。けれどもひとたび歪んだ機械の感情が、再び歪まないという保証がなかっただけに、その選択はたぶん正しかったといえるだろう。

 余韻を残した終わり方に、続編への期待もいや増すが、ひとたび拒否した機械文明に、少なくともタケルたち一党の未来は決まったものになった。あるいは何世代か経た後、「それみたことか」と甦る機械たちの横暴な奉仕に、タケルなりカーシャなり鴉の子孫たちが、再び立ち向かうことになるのかもしれない。さて歴史は繰り返すか、それとももう1つの選択肢を選びとるか。興味はつきない。

 遠い未来にタケルたちに投げかけられた同じ問いに、今この場で出せる答えは「判断保留」。決断するにはあまりにも、機械のもたらす快楽に身を委ねすぎている。せめて森岡浩之には、そのSF的ビジョンによって、思考停止に陥っている機械文明の享楽者たちに、これからも鋭い楔(くさび)を打ち続けていってもらいたい。


積ん読パラダイスへ戻る