迷信 SUPERSTITIOUS

 人は一生にどれだけの「迷信」に出会のだろうか。人の営みととも増え続けて来た迷信は、大英図書館とはいかなまでも、国会図書館の蔵書の数に匹敵するくらいの分量にはなっているだろう。そのすべてを理解し、守り、実践していくことは不可能に近い。いきおい「迷信」を取捨選択して、あるものは守り、あるものは守らなかったりして生きていくことになる。

 「迷信」なんて信じない。絶対に守るものかと心に決めて生きている人だっていることはいる。けれども世の大半の人は、たいてい1つや2つの迷信を信じて生きている。黒猫が前を横切れば不吉だと思うし、下駄の鼻緒が切れれば何となく不安になる。ツバメが低く飛んだら雨が降ると思うし、太陽に傘がかかったら・・・これは自然現象か。いや、自然現象にもやっぱり迷信はあり、それを信じている人は決して少なくないのだ。

 子供向けのホラー小説「グースバンプス」シリーズで知られるR・L・スタインの、本格的な大人向けホラー「迷信」(友成純一訳、ソニー・マガジンズ、2500円)には、世の迷信をすべて信じ、実践して生きている男が登場する。アメリカに典型的な学園都市「フリーウッド」に暮らし、大学で民族学を教えているリアム・オコナー教授は、くしゃみをすれば「神のご加護を」とお祈りをしてもらい、はさみを落としたら決して自分では取ろうとしない。石鹸は絶対に手渡しにせず、夜には絶対に卵を買おうとはしない。

 そんなリアムの務める学園の大学院に、ニューヨークから戻って来たサラ・モーガンが入学する。大学を卒業したあと、出版社に勤務してさあこれからという意欲に燃えていたサラだったが、知り合った男に鬱陶しく付きまとわれた挙げ句殺されそうになり、ニューヨークを逃げ出したのだった。旧友のメアリ・ベスと食事していたサラの頭に降りかかった清めの塩。振り返るとそこにリアムがいた。

 ハンサム、そして有名な大学教授。急速に関係を深めていったサラとリアムは結婚し、いっしょに暮らすようになる。はじめは甘い新婚気分に浸っていた2人だったが、リアムのあまりの「迷信」ぶりに、サラは次第に怒りを爆発させるようになり、リアムの前で平然と「迷信」を破ろうとする。

 怒りをみじんも見せずに、サラとの暮らしを続け、しきりに子供を求めようとするリアム。しかしそんな2人のまわりでは、リアムに関わりの深い女性が、そして警官が、教員が何者かによって次々と惨殺されていく。血塗れで散らばった死体は、あるものは頭の皮を剥がされた上に生きながら内蔵をえぐられ、あるものは眼球をくり貫かれて口にくわえさせられる。そしてあるものは、肉を斬り骨を断ちながら、肩口から臀部へと降りていくナイフの冷たい歯触りに恐怖し、そのまま永遠の暗闇へと落ちていく。

 繰り返される惨劇の中心にリアムがいる。そしてサラのもとには「リアムに気を付けろ」「すぐに逃げ出せ」といった謎の電話が入る。恋は盲目の例えもあるように、リアムの「迷信」は信じていなくても、リアムへの「愛」は信じていたサラだったが、自分自身に迫り始めた惨劇の気配におびえ、おののき、やがて恐るべき真実を知ることになる・・・・。

 「迷信」をどうして信じるかといえば、程度の差こそあれ自分自身を安心させるためだろう。「ほんの気休め、転ばぬ先の杖」程度の軽い信じ方もあれば、生活のすべてを規定してしまう強い信じ方もある。そして後者の場合、強く信じた「迷信」はエネルギーとなって内部に顕在化し、「迷信」を守るために外部に吹き出す。結局のところ恐ろしいのは「迷信」ではなく「迷信」を信じる人間の「心」。そういうことになる。

 「グースバンプス」や「ファイアーストリート」などのシリーズで、1億冊以上を売り上げたR・L・スタインの面白さは、なんといっても次から次へとページをめくらせて止めさせない、ストーリーテリングのうまさだろう。章の終わりに引きを付け(「その時特派員がみたものは!ジャーン!!」)、それがフェイントだったしても、次の章の終わりにもさらに引きを付けて、なかなかページを閉じさせてくれない。あまりにもフェイントが重なると、あざとさを感じてしまうこともあるが、その時にはもう止められなくなっていて、やがて来る真実の恐怖に、もはや一気に最終章まで突き進まざるを得なくなる。

 スプラッタな描写で定評の友成純一が、R・L・スタインの翻訳でストーリーテリングの妙を覚えた。これで無敵のホラー作家が誕生することになる・・・かもしれない。


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