まるいち的風景 1

 いくら心の中で想っていても、口に出さなければ伝わりませんし行動しなければ実現に向かって動き出すこともありません。けれども哀しいかな人間には、見栄とか照れとかプライドとか、そんな余計な感情がときおり、人によっては頻繁にわき上がっては言葉を遮り行動を邪魔して、なかなか前へと進ませてくれません。

 シャイ、と呼べば可愛く微笑ましい性格のように思えますが、尽きせぬ想いを口にできないもどかしさ、一歩を踏み出せない苛立たしさは、シャイな心に少しずつダメージを与えて行くのです。そして澱のように溜まっていったダメージは、心に高い壁を築き、固い殻を作って他人(ひと)からの愛情も忠告も受け入れない、シャイなんて言葉から思い浮かべる高潔さとはほど遠い、捻れた性格を作り上げてしまうのです。

 「どうして解ってくれないの」−そんな独りよがりの身勝手な感情も、捻れてしまった心には至極正当な要求に映ります。けれども決して受け入れられない要求に、苛立つ心が向かう先は1つしかありません。「もっと僕を(わたしを)見てよ」−他人を傷つける行為によって、あるいは自らを傷つける行為によって、自らの存在を主張することになるのです。

 柳原望さんがコミック「まるいち的風景」(白泉社、390円)が描くのも、そんなシャイな人たちの、「もっと僕を見て欲しい」「もっとわたしを解って欲しい」と叫ぶ心の、情けなくもいじらしい様子のような気がします。そしてそんな感情が、1つクッションを挟むことによってどうにか世間に解ってもらえて、ほんのちょっぴりですが一言を、あるいは一歩を発し踏み出すまでの道のりを、優しく指し示してくれているのです。

 「まるいち」というのは、KAMATAという企業が開発した一種のお手伝いロボットです。それ自体は何の感情も持たず、意志も持たずただ持ち主の行動を真似ることしか出来ません。カップ麺やレトルト食品ばかりを食べている家の「まるいち」は、料理をしろと言われてもお湯を沸かすことくらいしか出来ませんし、四角い部屋を丸く掃く家の「マルイチ」は、掃除をしろと言われても部屋の四隅のゴミは必ず残します。

 けれども真っ白な無垢の存在であるが故に、それぞれの「まるいち」にはそれぞれの持ち主の「個性」がそのまま宿ります。明るい家庭の「まるいち」には明るい表情、忙しい家庭の「まるいち」には忙しい表情が普段の行為として、あるいはボディーへの傷として刻まれます。そして寂しい心の持ち主が育てた「まるいち」には、所有者の寂しい心がそのまま映ってしまうのです。

 冒頭の「機械仕掛けの伝言(メッセージ)」に登場する「まるいち」は、シリーズキャラクターとなる大学生・有里幸太の家にいる「まるいち」です。本当は、幸太は「まるいち」の持ち主なんかではないのですが、テストユーザーとして「まるいち」の貸与を受けていた彼の父親が、突然心筋梗塞で死んでしまい、家を飛び出していた幸太が戻った家には、とうに死別していた母親はもちろん家族も誰もおらず、ただ父親の行動をトレースしたテスト途中の「まるいち」だけが、残されていたのでした。

 料理を作れと言えばカップラーメンにお湯をそそぐだけ、男所帯らしく洗濯も掃除もインプットされていない「まるいち」を見て、家を飛び出していた幸太は父親の事を少しだけ想います。けれども自分に冷たく当たり、死に際の母親をベッドの横で看取らず「死んだら呼んでくれ」と言った父親を、幸太はなかなか許すことが出来ませんでした。

 そうこうしているうちに、事件が持ち上がります。町中で発生した泥棒事件に、どうやら「まるいち」が関係しているらしいのです。決して自分から行動はできない「まるいち」です。誰かが命令して泥棒させたに違いないと、開発元でも警察でも「まるいち」を貸与されていたテストユーザーを疑います。そして幸太の父親も、ちょうど事件が起こった前後に会社がピンチに陥っていたことから、犯人の一人と疑われてしまいます。

 庭にある木を軽やかに上る「まるいち」を見て、幸太もあるいは父親が犯人かと疑います。けれども隣人からその木が植えられた理由を聞き、どうして「まるいち」が木に登ったのかを聞いて、幸太は父親の心に秘められていた自分への想いをはじめて知るのです。一緒に歩く「まるいち」、痛みに震える人間を慰める「まるいち」。それは虚勢を張って生きていた、息子にすら胸襟を開けなかったシャイな父親の哀しく優しい心が映ったものだったのです。そしてそんな父親に、やっぱり素直になれなかった幸太自身の、心の一番深い所でなりたいと望んでいた姿だったのです。

 「まるいち」を通してほんの少しだけ近づいた幸太と父親の関係をよそに、泥棒事件の犯人は意外なところから上がりますが、それもやっぱり素直になれない人間の、想いが託されたものだったおとが解ります。第2話の「雄弁なモノたち」でも、しょせんはモノでしかない「まるいち」の、それでも人の心を映す鏡のような行動を通して、寂しかった少女の気持ちが白日のもとにさらされます。第3話の「BORDER」でもやっぱり、声高に自分を主張できない苦しさに鬱積した澱を、「まるいち」を介してぬぐい去ろうとする少年が登場します。

 「まるいち」がいたから、彼女も彼もその想いを伝えることが出来ました。前に向かって歩き出すことができました。残念だけれど現実は、「まるいち」のような自分の心を代弁してくれるような便利な機械は存在していません。けれども見回してみれば、文章による表現でも、絵画による表現でも、何かしら気持ちを代弁してくれる「まるいち的存在」があるものです。そうした「まるいち」を通して自信を深めていくうちに、やがてある日、自分にとっての「まるいち」が自分自身と重なって、素直な気持ちになれる時が来るのです。

 とはいえ、シャイで見栄っ張りな性格が、そう簡単に「まるいち」なんか必要ない、開けっ広げでストレートな性格に代わるものではありません。それでもちょっとは前へと一歩を踏み出したいと思っているのなら、そうこの「まるいち的風景」が、そんなあなたの気持ちを代弁してくれる「まるいち」なのだと考えてみたらどうでしょう。「読んでみてよ」と差し出すことで、自分の素直になれないシャイな気持ちを伝えることが、ちょっと婉曲的すぎますけど、もしかしたら出来るかもしれません。


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