魔王の憂鬱

 注目されるU−30作家のひとりに多方面から数え上げられる日日日を、「ちーちゃんは悠久の向こう」で送り出した「新風舎文庫大賞」からまた1人、期待を抱かせそうな才能が送り出されて来た。

 第7回目の「新風舎文庫大賞」を受賞した相良直樹の「魔王の憂鬱」(新風舎文庫、753円)は、ファンタジーの世界に勇者として召喚された女子高生の大活躍という、ヤングアダルトにありがちな設定を使いながらも、エンディングに近づくに従って、終末的な状況におかれた世界の姿を、SF的な構造の中に描き出す。

 なおかつそんな世界を舞台にして、差別される存在の悲しみや怒りといったものを描き出しては、読む者にいろいろと考えさせる。出だしの軽さと表紙のポップさと女子高生が勇者という設定のありがちさに、これは読むに値しないと捨てては後で損を見る。

 場所は何処(いずこ)かの世界にある大陸。先代から位を引き継いだ魔王ゾルガディウスが世界を支配すると宣言し、四天王を召喚して征服に乗り出すものの、あまりに人間が弱くて張り合いがない。ならばと魔王に立ち向かえるだけの戦力を、人間に付与するべく、操り人形として作り宮廷に潜入させていた魔法使いの体に乗り移っては、異世界から勇者を召喚して自分に立ち向かわせようとした。

 ところが、現れたのは見るからに女子高生といった風情の少女ミユキ。大丈夫なのかと訝ったが、闘わせてみるとこれが意外な凄腕で、傍若無人な性格と茶道で鍛えた足腰に、剣道部の練習をながめて得た剣術で向かう魔族を蹴散らしていく。もといた場所との重力も違いもあるようで、飛べば頭上を越し持てば魔族でも難渋する剣を振り回しながら、魔王の潜む世界へと進軍を開始する。

 魔王には勇者が必要であり勇者は魔王に負けはしない。そんなファンタジー的お約束について、魔王も勇者も物語の中で言及してみせる辺りに、メタファンタジー的な構造が見て取れる。魔族の四天王を「物語の中盤を盛り上げるにはもってこいの人材」とも書いてあって、ページを開いた早々から、これは徹底してギャグとパロディで行く小説なんだと思わせる。

 ギャグも混じった語り口と展開に、豪屋大介「A君(17)の戦争」なりヤマグチノボル「ゼロの使い魔」なりといった、人間界から勇者を召喚するファンタジーのパロディなのだと最初のうちは感じる人は多いだろう。榊一郎「イコノクラスト」や瀬尾つかさ「琥珀の心臓」のようなシリアスさはまるでない明るい展開。それを描くあっけらかんとした文体が、読む人をしばしお気楽な空間へと導き誘う。

 けれども、途中からだんだんと明らかになるこの世界の真実と、そして魔王なる存在が何故に魔王と呼ばれるのかという理由が、お気楽な展開とは正反対にある、世界を包み込むシリアスな事情を浮かび上がらせる。お気楽さを楽しんでいた目には、これがズレと見えてしまう可能性を否定できない。

 魔王ゾルガディウスはどうして世界を支配しようと考えたのか。滅ぼしてしまって良いとまで考えてしまったのか。最初はファンタジー世界のお約束なんだと気楽に構えて見ていた物語の登場人物たちの行動原理が、シリアスさを増す設定の上で謎めいてしまって戸惑わされる。軽口はあってもメタめいた要素を省いて、魔王の正体と行動原理とに関連性を合理的な関係を持たせてあれば、もっと考えさせる物語になっていたかもしれいない。

 もっとも、読者を掴みたいという気持ちを筆に載せて描いた導入部だと言って言えなくもない。主人公に「開始早々に物語りが終わってしまう」だなんて、物語世界を斜め上から見たようなメタ的なセリフを吐かせるのも、読者の興味を誘いたいがためのお約束だと理解できないこともない。

 その了解の上で繰り広げられる、魔王の住む世界と召喚された女子高生が住む世界が生まれてしまった真相に憤り、それぞれの世界に暮らす人々がそれぞれに強いられる苦悩に怒り、弱者がより弱者を虐げるみっともなさ、歪んだ世界が正しい方向へと向かう可能性に想いを馳せるのが、この物語を読む上で正しいスタンスなのかもしれない。

 そうではなく、徹底してのギャグだと受け止め、シェリーちゃんというと謎めいた存在のナイスバディを想像するのもまたひとつの読み方だ。決して巧みではないし、気になるところも多々ある処女作ではあるけれど、何かを伝えたいんだという気持ちだけにはあふれている。前向きで明るくそして考えを持った新人作家がこれから紡ぐだろうストーリーを、しっかりと受け止め味わい楽しんでいきたい。


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