漫画の時間

漫画の時間

 名古屋市民の9割は読んでいるであろう新聞には、月1回、漫画評が掲載されていました。権威のカタマリのように思っていた新聞が、漫画評を掲載するのですから、漫画ばっかり読んでと怒る親に、漫画だって立派なものだよと言い返す、いい材料になりました。

 今はなにしろ、築地の魚市場横にある新聞社が、毎週1回1ページものスペースを使って、回によって面白かったり面白くなかったりする漫画評を連載する時代ですし、プラウダ亡き今、世界最大といってもいい大部数を誇る大手町の新聞社も、スペースこそ小さめですが、毎週1回の漫画評を掲載していますから、子供が漫画を読むことに、親がなかなか言いがかりを付けにくい、いい時代になりました。

 漫画家のいしかわじゅんさんが、正論で鳴る新聞に連載していた漫画評は、ペースこそ月1回程度でしたが、メジャーを問わずマイナーを問わず、毎回のように目新しい漫画家が紹介され、そのいずれもが、漫画への理解と愛情が注がれたものであったことに、いつも感心していました。

 いしかわさんはこの仕事と並行して、SFマガジンにも3月に1度のペースで、漫画評を連載していましたし、かつては週刊宝石、最近ではペントハウスと、実に多くの媒体で漫画に関する文章を書いています。晶文社からこのほど発刊された「漫画の時間」(1900円)は、これらいしかわさんの漫画に関する文章を集めた、長く刊行を待ち望んでいた1冊です。

 漫画好きな私でも、月に数百冊も出る漫画雑誌を全て読むことは不可能ですし、もとより領域がSF漫画と美少女漫画といった具合に、とても狭いこともあって、「漫画の時間」で紹介されている漫画作品の、その大半を未だ読んでいません。忙しいいしかわさんが、いったいいつどこで、こんなに漫画を読んでいるのか、不思議で不思議でなりません。

 正論で鳴る新聞に掲載された、柴門ふみへの苦言は、SFマガジンに掲載されたほぼ同じ趣旨の文章とあわせて、おそらくは全面的に書き直しを行って、より増幅された形で収録されています。漫画家の慢心への苦言、漫画の可能性への指摘、そして漫画が好きで好きでたまらないという情感にあふれた文章を読むと、斜に構えて漫画を見てしまいがちな、スレた自分への戒めを覚えます。

 いしかわさんのエッセイでは、B5サイズだったころの漫画情報誌「ぱふ」に連載していたエッセイを集めた単行本や、その他何冊かが刊行されているはずです。地元の自動車会社(っても日本一のあの会社)に就職した時の話や、発注しておいて原稿をとりにこず、落としたといって原稿料を払おうとしない出版社のいいかぜんさに怒る話など、漫画家の肉声が聞けてとても面白かった記憶があるのですが、、今では店頭でみかけることはありません。あっ、「だってサルなんだもん」は、現在2巻が好評発売中ですね。

 それにしても晶文社という会社は、いつもいい本を出しますねえ。

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