真鶴

 小田原の向こうで熱海の手前。気候も穏やかな太平洋岸の伊豆半島の付け根にちょろっと生えた半島を一帯とする真鶴という街のイメージを、行かずして思い浮かべるならば、のんびりとした港町で、水揚げさればかりの魚介類が新鮮で美味しく食べられる街。海も綺麗で空も突き抜けて青く、景色を眺めつつ2日3日を過ごしては、体の疲れを癒し荒れた心をリフレッシュするの最適な場所、といった感じだろうか。

 北海道の函館ほどには観光地化はされておらず、より生活に近い部分で漁港の日常が感じられる場所。ほかに並べるならば房総半島の突端にある銚子なり、知多半島の先端のの師崎あたりの雰囲気か。歳を重ねた人間が、出来た暇を過ごすひとつとして自然を感じ、新鮮な魚介類を味わいに行こうと思いを抱いて赴く場所であっても、年若い身で通う場所ではなさそうだし、何か狂おしいドラマが生まれる場所でもなさそうだと、地理的な状況から多くが共通して認識している場所と言って言いすぎではない。

 しかしそこは川上弘美。薄皮一枚に覆われて体裁を取り繕っている人間の、皮膚の下にあってうごめく情念を、ぬめぬめとまとわりつくような濃さを持つ筆致で描かせれば、世界にだって右に出る人のいない作家が真鶴を舞台に物語を紡げば、途端にそこは人生のあらゆる紆余曲折を経た人間が、悩み悶え苦しんだ果てに行き着く枯淡の場所、そこより向こうにあるのは地獄とも極楽ともつかない虚無の境地という雰囲気が、立ち上っては読み手の心を浸潤する。

 文芸誌の「文學界」での連載を経て刊行された長編「真鶴」(文藝春秋、1429円)は、結婚して娘も成したにも関わらず、夫が突然失踪してしまった後、エッセイを書く仕事を得て、どうにか食べていけるようになった女性が、夫の日記にただ一言残されていて、終焉の地になったのではなかと思われた真鶴を幾度となく訪れては、薄く漂う残り香のような夫の気配を探り嗅いで、身を震わせるストーリー。陽光が煌めき潮風も爽やかな海辺の街というイメージはそこにはなく、どんよりとして強い風が吹いては身を射し、心をえぐる最果ての地というイメージが目に浮かぶ。

 エッセイを書くようなって知り合った編集者と体を重ねる関係になり、気持ちもその編集者に向かっているはずなのに、編集者との再婚へは至らない。相手に家族があることも理由だが、それ以上に主人公の女性が口や態度では失踪した夫のことを何とも思っていないように振る舞っても、どこか忘れられない仕草なり、言葉なりをのぞかせてしまうところが、恋人の編集者を躊躇わせた。

 愛人関係にあった時代には決して一緒にしようとしなかった仕事を、改めて女性に依頼し、これをもって愛人関係を終えて仕事の付き合いに戻るんだと悟らせる。着いた離れたと関係を単純にして描くあからさまな恋の物語が多い中で、間接的な立ち居振る舞いの向こう側に、未練を残しつつも引く男と溺れたくてもあと1歩を踏み出せなかった女の、深い心理を垣間見せる筆のさばきが凄まじい。こういう人間関係の描き方があったのだ。あったけれども失われていたのだ。川上弘美がそれを取り戻したのだ。

 東京にいても女性の周囲を徘徊し、真鶴では目の前に現れいろいろとささやきかけてくる幽霊のような、幻のよう女の不気味さも、真鶴という舞台となっている街のイメージに幻想的な匂いを加える。幻のようにうっすらを現れては去る、失踪した夫の影も含めて或いは、浮気をして逃亡した夫を妻だった女性が見つけ追いつめ、愛人ともども殺害しては埋めるなり、海に沈めるなりしたものの、それを認めず記憶の埒外へと追いやったまま、失踪した夫を捜す貞淑な妻に自分を見立て、自分を可愛そうに想おうとしていても、心の裏側に刻まれた事件の記憶が、時に蘇って女性に幻を見せているのかもしれないという、ミステリアスな想像も浮かぶ。

 駒のように配置された、特定の人間たちによる表面的な恋愛ドラマが、その単純さ故に広く受け入れられている現状を見れば、「真鶴」は文体も凝ってすんなりとは読めず、展開も不条理な所があって真っ直ぐなラブストーリーに馴れた目には、扱いづらい小説だとの印象を与えるかもしれない。それでも紡がれる言葉の、身にまとわりついて染みいって来る強さは、一読すれば目を奪い心を引いて本を手放させることを許さない。

 場面場面の心理を含めて描ける言葉を選び、並べて物語を紡ぎ上げる才覚は高水準。身をくねらせ心を震わせる人々を姿を目に浮かべながら、歯ごたえのある文章を1行、1ページと読み進めていくうちに、知らず灰色の雲が空を埋め、強い風が海から吹き付ける終焉の地・真鶴へと連れていかれ、錯綜する関係に取り込まれて離れられなくなっているだろう。

 芥川賞をすでに獲得している川上弘美だけに、新たに「真鶴」が著名な文学賞を獲得することはなんだろう。けれども数多の著作を持つ川上弘美のキャリアの中でも、最高峰に位置して世界に強くアピールできる物語であることは確実。賞なりメディアミックスなりが付かないと世に広まりにくい状況がある中で、これが一般の読者にどこまで浸透できるかが不安で仕方がない。

 それでも読めばこれが川上弘美のたどり着いた頂点だと分かるはず。風光明媚な漁港を虚無への入り口に変えて何の不思議も抱かせない、川上弘美の物を語る力という奴を味わえる。気が付くと本から湧き出てきた「真鶴」の空気が全身を包み心を小田原の向こう、熱海の手前にある半島へと向けさせる。奪われた心を抱え出向いて見られるのは、いったいどんな真鶴だろう。はやり行くしかなさそうだ。


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