魔法使いと副店長

 神奈川県の藤沢市にあるスーパーの副店長をしている男性が、藤沢太郎だなんて名前なのはちょっとできすぎだけれど、それなりに人口のいる街だけに1人や2人、そんな名前の人がいたって不思議はないかもしれない。

 ただしその藤沢太郎、すなわち越谷オサムの「魔法使いと副店長」(徳間書店、1800円)の主人公は、別に湘南や藤沢で生まれ育った訳ではなく、家は東京を挟んだ埼玉県久喜市の栗橋にあって、そこに奥さんと息子が住んでいる。藤沢太郎は単身赴任で副店長として、湘南にあるスーパーに来ては、遠からず都内の本社に戻れる時を願っているけれど、そこにちょっとした騒動が。近所に暮らしている今は刑事をしている友人の家で飲んで帰った自分のアパートに、空からガラスサッシ窓を破って飛び込んだ者がいた。

 それは人で、女の子で、大きな箒にまたがっていて、破ったガラスサッシで切ったらしく額からポタポタと血を垂らして「いいい、痛い、痛いぃぃぃ」と言って呆然としていたりする。これは大変。というよりいったい何者なんだ? それよりまずは治療をと慌てているところに中年男の声がした。いったいどこから? 探すとムササビともモモンガともつきつつつかない小動物がいて、中年男の声で日本語を喋っては藤沢太郎にあれやこれやと説明を始めた。

 少女の名前はアリスで、魔法使いの修行中で人間界にやって来たそうで、藤沢太郎のことをいろいろ研究してて、中年男なら安心で家族思いだから頼れるとみて狙って飛び込んで来たらしい。

 なるほどそうですか。なんて受け入れられるかとうとそうでもない。なるほど目の前でアリスの怪我が魔法のような力で治り、太郎がガラスを踏んで負った傷も治ってといった具合に不思議なことが次々と起こって、そのこと自体は認めざるを得なくなる。だったら夢だ、夢なんだ。そう思い寝て起きたらやっぱり夢ではなくて、そこにアリスはいて、まるるんという名前らしい小動物もいて、そして14歳らしいアリスと41歳で単身赴任中の中年男との奇妙な同居生活がスタートする。

 そんなシチュエーションから浮かぶ諸々の不安。まずは奥さんと子供がいる身で単身赴任のアパートに14歳の少女がいるという状況を、家族が知ったらいったいどんな騒動が起こるだろうかといった不安。そして、近所に暮らす人が中年男と娘ではない女の子との同居を不審がらないかといった不安。さらには、勤め先の人たちがアリスのことを見とがめて、大過なく副店長の仕事を真っ当して本部に復帰したい太郎の日々が、厄介なものにならないかといった不安。

 そうした不安の中で、どこかから迷い込んできて、天真爛漫な態度で魔法使いになるための修行に励むアリスを誰かが傷つけたりしないかといった心配も浮かんで、物語の先を読むのが怖くなる。あるいは途中を飛ばして結末だけ読んで、安心するにしろ絶望するにしろ、おおよその覚悟を持ってからプロセスを埋めていきたいといった気持ちが浮かぶ。

 けれども、そこを我慢して1行ずつ読み、1ページずつ読んでいくことによってしっかりと、アリスが藤沢太郎になつき、自分の居場所をしっかりと得て、藤沢太郎もアリスの頑張りを認め、そして同じアパートに暮らす人たちにも、同じスーパーで働く従業員たちにも、ちゃんとした立ち位置を理解させることでアリスが悲しい思いをし、その思いに読む僕たちも釣られて悲しくなるようなことにはならないようだ、といった理解に至る。

 失点を嫌がって藤沢太郎の提案する挑戦的な施策をことごとく却下する、嫌な上司として登場する店長ですら、アリスの天真爛漫で藤沢太郎のことをまっすぐに思って示す態度や言葉に心を打たれ、自分を見つめ直そうとする。無垢な少女は自分の歪みを映し出す鏡。そんな鏡を通していろいろな人たちが自分を取り戻していく様子を噛みしめていける。

 ただ、そんな物語の半ばほどに繰り出されるアリスという少女の“正体”が、先の展開に暗い影を及ぼす可能性が浮かんで、改めて身構えも浮かぶ。大丈夫なのか? 本当に大丈夫なのか? それはだからもう読んでもらうしかないとして、結果として得られる感動があり、浮かぶ感涙があるとだけは言っておこう。

 どうであっても心配することはない。それがアリスの選んだこと。そして読後感は辛さに歯がみするようなものではなく、幸いを得たものになる。だから気にしないで手を取りページを開いてアリスの頑張りに目を向け、太郎の応援を後押ししていこう。

 読み終えれば人に優しくする嬉しさを味わえる。人から優しくされる喜びを確認できる。そして抱きしめたくなる。最愛の人を。この世界に生まれたすべての人を。そんな物語だ。


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