魔魚戦記

 「君と出逢うために僕は生まれてきたのかもしれない」−なんて言われて今時、コロりと行ってしまう女性がいるとはちょっと思えないけど、それでも相手がキムタク級の顔立ちとか、アラブの王子様級にお金持ちだったりしたら、考えてあげても良いなんてことになるのかも。

 「君と出逢うために僕は1万キロを旅して来た」くらいじゃあ、今時のどんな女性だって心をグラつかせることなんて出来ないだろうし、かえって「あんたストーカー?」と鬱陶しがられるのがオチだろう。10万キロだって無駄無駄無駄。結論から言えば、愛には距離も時間も無関係で、人それぞれに心だったり顔だったりお金だったりする価値観でもって、相手の思いを判断することになっている。

 100歩譲ってもし仮に、愛の重さを距離や時間に置き換えられるのだとしたら、「魔魚戦記」(吉村夜、富士見書房、520円)に登場する”彼”くらいのことをして、ようやく女性に関心を持ってもらえるんだと思いなさい。それって一体どのくらい? 自分だったら愛の力で乗り越えて見せるなんて男性がいたら、結論は同じで諦めろってことになるんだけど。

 理由を説明する前にちょっとおさらい。ここで”彼”の想われ人になっているのは、決して優等生でもなければグラマラスでもない、例えるならば「ミクルを一滴も飲まずに育ったよなおチビさん」の少女レスタンティ・スタッカート。居眠りが好きで授業の時間を居眠りの時間と勘違いしているようによく眠り、美人教師でこっちは抜群の美貌と肉体を誇るメイ・ヴィブラホンが叱っても、天然ボケの妙味で糠に釘、暖簾に腕押しと返事をするから手に負えない。

 その兄のビル・スタッカートもレスタンティに増して脳天気な人間で、メイ先生と同じ学校つまりはレスタンティの通う学校で電子工学の教師を務めていて、メイとは電車を乗り継いで1時間近くかかる距離で言うなら1500キロ離れた場所からレスタンティと一緒に通っている。どうやったら1500キロを1時間で通えるのかと言えば、それは舞台が多分未来の人類が宇宙へと進出してから相当に経った時代で、ソニックリニアなる乗り物が開発されて高速移動が可能になっているからに他ならない。

 それにしても1500キロは遠すぎるとは思うけど、何しろレスタンティの暮らしている星ピアニッシモはアルゴ帝国によって占領されて、元からの住民は40年もの圧政の下で地方へと追いやられてしまっているから仕方がない。税金をしぼりとられて自動調理器なんてものも導入できず、食事は昔ながらのカレーにシチューにふかしいも、だったりする実に慎ましい生活を2人の兄弟は送っていた。

 さて本題。容姿もたいしたとこがなく、性格は脳天気で、地位も財産もないレスタンティの暮らしが、ある日を境に大きく一変していまう。理由は例のレスタンティを想う”彼”が現れたってことで、その想いを受け入れたレスタンティは、単なる被支配民の1女子学生という地位から、フロスティを支配から救う革命のシンボル的存在にまで持ち上げてしったのだ。

 もしかして銀河を放浪するハンサムでお金持ちのスーパーヒーローから求愛されたの? その愛を受け入れる条件でピアニッシモを救ってと頼んだの? という疑問には半分間違いで半分正解と答えておくのが良いのかな。というのもレスタンティがコロりと行った理由は、”彼”の顔でも地位でも名誉でもなく、「君に会うために超えて来た」距離と時間だったから。

 その距離実に10億光年、その時間何と8000年。脳天気だけど純粋なレスタンティにしてみれば、それだけの距離と時間をかけてまで自分に会いに来てくれたという言葉は、金にも顔にも換算できない、熱く激しい想いに聞こえたらしい。

 10億光年? 8000年? 人間じゃないじゃん勝てる訳ないじゃんと怒るなら、だから諦めなさいと言っておいたはず。加えてその”彼”にはもっと重大な秘密があるんだけど、わざわざバラして読者の興味を損なうのも申し訳ないし詰まらないからここでは内緒。出来れば折り返された部分にあるあらすじも口絵の説明も読まずに、一気に本編へと突入した方がレスタンティ以上の吃驚仰天(とは言えあまり驚いていないんだよねレスタンティ、照れてはいても)を味わえるから注意しよう。

 そんなこんなで(どんなだ?)つき合うことになったレスタンティと”彼”を軸にして、ピアニッシモ星から上がったアルゴ帝国への反攻の狼煙が、全銀河をも包み込む激しい戦乱の物語へと発展していくのかいかないのか。「魔魚戦記」で見せてくれた、史上稀に見るスケール感かつユーモア感あるファーストコンタクトは1発芸としては最高だけど、そこから先は、絶大な力を持つレスタンティと”彼”を巡る周囲の政治的な思惑やら、敵ではあっても愛のためではあっても同じ生き物を粉砕することへの”彼”の葛藤やらを折り込みつつ、それでもバカバカしさを失わないでどんな話をつむいで行けるのかが大切になって来る。

 とはいえ1発芸などでは決して終わっていない、物語として発展していく可能性は、”彼”が抱く哀しみとその哀しみを理解できるレスタンティの優しさを描く筆の細やかさ、異星人との相互理解よりも目先の利益を優先せざるを得ない人間の性質に言及する思考の冷静さなど、1巻の描写から存分に読みとれる。発想の破天荒さに会話の洒脱さ設定の奇抜さキャラクターのユニークさ。OKAMAのイラストの可愛らしに物語性が加わって、過去に類を見ないスケール感ある「大銀河ラブストーリー」が描き出されことを願いたい。


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