ライラ・ペンション/ノーベル・マンション
Lirac Pension/Nobel Mansion

 バケモノが出そうなペンションとバケモノしか住んでいないマンション。どっちが好きかと聞かれれば、本当だったらどっちも嫌だと即答したいところだけど、これが坂田靖子の手にかかった途端、どちらも不思議でお気楽で、暖かくって楽しい場所になってしまうから面白い。

 ひょうひょうとした坂田靖子の絵柄が醸し出す雰囲気というのももちろんある。けれどももっと大切なのは、あいてがバケモノであっても何であっても、気にせずありのままに受け入れ前向きに生きていくのが一番という、独特の哲学めいたものがどんな作品にも込められているから、なんだろう。

 漫画文庫の形式で登場した坂田靖子の「ライラ・ペンション/ノーベル・マンション」(白泉社、630円)は、「ライラ・ペンション」と「ノーベル・マンション」という異なった2つのシリーズが1冊に入ったお得仕様のコミックス。このうち前半分、バケモノが出そうなペンションが舞台の「ライラ・ペンション」は、両親が海外に長期出張に出ることになったのずちゃんこと野粋かづこという名の少女が、口やかましい叔母のやっかいになるのを嫌って一戸建ての家を借りようとしたことから物語は幕を開ける。

 貯めたお小遣いで借りられる範囲で探した物件は、「ペンション」とは名ばかりの床はギシギシと泣き扉はガタガタと喚く、まるでホラーハウスのような物件だった。いかにも出そうな雰囲気だったけど、叔母と暮らすよりはマシということで結局借りて住むことに。さすがにひとりは不安だったのか、同級生ですでに下宿していて大人びた雰囲気を持つ刈谷孝子ことコウさんと、本が好きでロックも好きな小沢礼子ことザワシの2人も巻き込んでの共同生活がスタートした。

 以下、物語は炬燵が壊れヒーズが飛んだ真っ暗な部屋でくじ引きに当たってもらった魚をおかずに食事したり、ザワシに届いた美少年の写真を見てうらやましく思ったのずちゃんが、実は「ジャパン」のメンバーの切り抜きなのを一般人と早とちりして自分も美形のペンフレンドが欲しいとひとり相撲をとってみたりする、女子高生の共同生活で起こりそうな甘酸っぱいエピソードが繰り広げられ、かつて学生だった人にそこはかとない懐かしさを思い出させ、そんな学生時代を過ごしたかったという憧れを抱かせる。

 本当はみんなと旅行に行きたいのずちゃんが、ひとり旅が好きなんだと問われず語ったコウさんの言葉を気にし過ぎて旅行に行こうと言い出せず、そうこうしているうちにコウさんとザワシの間で旅行の話が盛り上がってしまい、入り込めずにおろおろとする姿には、過剰な自意識と他人を思いやる気持ちの狭間で悩み悶える青春の一場面が感じられたり思い出されたりして、微笑ましく思いながらもちょっぴり泣きそうになる。

 トシちゃんとかスティーブ・ウィンウッドといった固有名詞の出てくる音楽の描写、「なめネコ」なんて風俗描写が実に端的に80年代初期を現していて、そんな時代に10代を過ごした人は懐かしさもひとしお、だろう。割に初期の雰囲気に近い細面でシリアスな表情も見せてくれるキャラクターの絵柄は、最近の坂田靖子の絵に見慣れた目には逆に新鮮に映るかもしれない。

 いっぽう「ノーベル・マンション」は、お尻に尻尾を縫いつけた、一風変わったところのあるデザイン事務所勤務のマックが、新しく入居したマンションで遭遇した奇妙な住人たちとの不思議な体験に、驚き戸惑いながらもやがて馴染んで最後には愛着すら感じてしまうようになる物語。善人の男がお姫様の幽霊と同居する羽目になる「伊平次とわらわ」ほか、奇妙な生き物とと暮らす羽目になる人間の戸惑いと優しさを描く坂田靖子に特徴的な世界が存分に出た話と言える。

 とにかく奇妙な同居人たちで、隣に住んでいるオーソンさんは自分をミイラだと自己紹介し、同じ階に住んでるミラーさんは帽子をとると頭に角が生えていて、ミッチさんは春が近づくと体を爆発させては胞子を振りまく。牛の縫いぐるみを着ているように見えたビッグマックさんの奥さんはやっぱり牛の縫いぐるみを着ていて娘もやっぱり牛の形で、出されるミルクは取れたてのように濃厚で、冷蔵庫の扉のなかには野原がひろがっていてやっぱり牛の格好をしている。

 かくも奇妙奇天烈な同居人たちの中にあっても、根が楽天家なのかマックはとくに気にもせず、今日も元気に会社に通っては同僚上司を呆れさせ、帰ってあ同居人たちとどんちゃん騒ぎを繰り広げる。そんな非日常的な日常に、人間もなく妖怪もなく物の怪もなく幽霊もない、楽しければそれで良し、なんて感じの気持ちにさせられ強い憧れを抱かされる。

 いろいろあってマンションが崩れてしまった後、地下1階に残った不思議な少女と巨大な物の怪との暮らしを描いた「ノーベル・マンションB1」は、坂田靖子の特長がさらに良く出た物語。たとえ非日常的な暮らしでも、それが日常になってしまうともはや単なる日常では、満足できなくなってしまうもの。虐げられたり邪険にされたり迷惑かけられたりして、嫌で嫌で仕方がなかったはずの物の怪たちとの暮らしが、いつの間にか楽しくて掛け替えのないものになってしまったマックが、消えてしまった少女を心配する姿に、妙に共感してしまっている自分に気付くだろう。

 かたや青春の思い出と憧れを刺激される「ライラ・ペンション」、こなた非日常への傾倒を喚起される「ノーベル・マンション」のどちらが上でも下でもなく、ともにさまざまな人間や人間でないものと出会い生きてきた楽しさと、人間や人間でないものに出会って生きていく喜びを感じさせられる物語たち。狭い範囲で利益を共にする仲間たちだけと固まりあって他の勢力と角突き合わせて生きていたりする今の世界の人たちに、理解し受け入れることで広がる世界で生きる楽しさと喜びを、坂田靖子の漫画を通して是非に感じてもらいたい。


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