球体の蛇

 「沈黙は金」とか「言わぬが花」とか、語らないことを褒めそやす言葉が昔から幾つも言われている。

 なるほど、無駄に口を開かない方が、かえって真意も伝わることもあるし、語らないことによって、自分を大きく見せられるということもある。そうした意味とは別に、語らないことで我が身を、あるいは誰かを守ろうとする意志を、義なり勇と認めて讃える向きもある。

 けれども、そうやって語るべき言葉を語らず飲み込んだままでいることで、語られるべき真実が歪んで、自分ではない他の誰かの人生が歪んでしまう悲劇も生まれる。

 それでも、やはり「沈黙は金」だの「言わぬが花」といった態度を貫き通せるのか。道尾秀介の「球体の蛇」(角川書店、1600円)という小説では、そうした態度が是なのか、それとも非なのが、鋭く問われている。

 離婚した父母とは暮らさないで、白蟻駆除の仕事をしていた隣家に引き取られ、娘たちといっしょに育てられた主人公の友彦は、アルバイト代わりに手伝いをしていた仕事で、とある屋敷に行った時に、老主人とは妙に釣り合わない智子という若い女性を見かけて、心を奪われてしまう。

 たかぶる神経に友彦は、仕事で入って勝手を知った屋敷の床下に、夜になると潜り込んでは智子と屋敷の老主人との情交を、暗がりの中から聞くようになっていった。ところが、何度か繰り返して潜ったある夜、屋敷が火事になって老主人は焼死。そして残された智子から友彦は、火を放ち老主人を殺してくれてありがと礼を言われる。

 彼女は、友彦が床下で耳をそばだてていたことを知っていた。知っていて黙っていた。そして、自分への恋情が憤りとなって放火へと走ったのだと信じていた。

 もちろん、友彦にはまるで身に覚えのない話。けれども、その場で違うと即座に否定しなかった友彦の口は、過去に隣家の長女を自殺に追い込んでいたことも、ずっと飲み込んだままでいた。そして、死んでしまった娘を想い続ける父親の親切にすがって生きていた。

 何という裏切り行為。ところが、老主人から解放された智子もまた、高校生の頃に友彦の知る人を失火で死なせたかもしれない過去をずっと黙っていた。それが理由で老主人とつき合う羽目になっていたことを、火事の後で情交を重ねるようになった友彦に明かすまで、ずっと黙り続ていた。

 そんな彼女の自責が、別の沈黙によってもたらされていたことまで明らかになるに至って、沈黙の連鎖がもたらす不幸の連鎖というものの残酷さ、やるせなさをまざまざと見せつけられて、激しく背筋を冷やされる。

 身にまとわりつく不幸の原因だったと思いこみ、智子を責めて追い込んだこともあって、智子の自責に別の沈黙があったと知って友彦が受ける絶望と後悔の感情は、普通だったら再起不能のレベルに達して不思議はない。それなのに友彦は、なにくわぬ顔で厚情に甘えて、表向きの幸せをつかんで生きていく。

 そんな生き様は、果たして幸せななのか。ちょっとした嘘を重ねたことで生まれた不幸に傷つき、それでも生き続けていかなくてはならない人生は、本当に幸福と言えるのか。

 まるまるとして幸せそうな体の内部に蠢く、嘘という名の蛇どもが、いつか体を食い破って平穏な日々をぶちこわす。そんな怯えは友彦にはないのか。彼に限らず、誰かを不幸へと追いやった過去を黙って生き続けることに、人間は耐えていけるのか。

 耐えられないのなら「沈黙は金」など嘘であり、「言わぬが花」などあり得ないことだと、真っ向から否定するしかない。耐えられるし、耐えなければならないと感じるのなら、黙り続けるより他にない。たとえ心が潰れようとも、ひとりの沈黙が不幸の連鎖を閉じられるのだと信じて。

 問われているのは生き方であり、身の処し方。あなたならどうするか。


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