クワガタにチョップしたらタイムスリップした

 タカハシヨウが本文で、竜宮ツカサが挿画の「クワガタにチョップしたらタイムスリップした」(講談社BOX、1200円、特装版2480円)という本は、元々はボーカロイド向けの楽曲として作られたものを、その作者の「家の裏でマンボウが死んでるP」が、自分たちで小説にしてイラストも付け、漫画まで描いたという作品だ。

 「悪ノ娘」とか「桜ノ雨」とか「ココロ」とか「囚人と紙飛行機」とかと同じように、昨今流行りの“ボカロ小説”たちと同じ成り立ちを持った作品だけれど、ほかのボカロ小説も含めて、いくら楽曲として人気があったって、イラストとして評判になっていたって、小説となり本となった時にどうなのか、というのはまったく別の話。

 そして、「クワガタにチョップしたらタイムスリップした」は、SF小説として、タイムトラベル小説として、そして青春まっただ中にある少女が自分を決意する小説として、とてもとても素晴らしく、読み応えがあって読み心地の良い話になっている。過去に幾つも出たボカロ小説たちが積み上げてきた、ボカロの楽曲は小説になっても面白いという評価に、新たな成果として加えらるべき作品だ。

 淡路なつみという名の17歳の女子高生が、飼ってるヘリウムという名のヒラタクワガタにチョップしたら、タイムスリップして50年後の未来に行ってしまった、というストーリー。つまりはタイトルそのまま。分かりやすい。

 クワガタにチョップすると、どうしてタイムスリップするのかというとそれは不明。もっとも、薄べったいボディに巨大な顎を持ったクワガタムシの、どこか猛々しさを漂わせるフォルムには、神秘的な力が潜んでいるように思えないこともない。

 というか、そもそもどうしてなつみはクワガタにチョップなんかしたのかというと、学校でドジっ娘をしながら頑張っていたものの、いろいろ失敗が積み重なっていつも以上に落ち込んで、これからどうしようかと悩んでいたから。慰めようとしたのか遊びたかったのか、指をガジガジと噛んできたクワガタムシのヘリウムに、仕返しとばかりになつみが軽くチョップして、気がつくとそこは見知らぬ場所だった。

 さっきとはまるで違った風景。そこに現れ襲ってきた謎のロボット。慌てたり逃げようとしたり戦ったりしていたなつみは、掃除ロボットが壊れたと聞いて駆け付けてきた、まるで前衛的な生け花のような髪型をした、怖そうだけれど実は親切で情熱的な警官に導かれて、過去に戻る方法を探すことになる。

 現在にとって未来は、未来にとっては過去であって、既に過ぎ去って記録され、記憶された出来事だったりする。それを、これから経験するはずのなつみが、知ってしまうことで未来が変わってしまう可能性は皆無ではない。むしろ、不遇かもしれない未来を知ることで、積極的にその運命を変えたいと思ってしまうことだって起こり得る。それは未来にとって脅威かもしれない。

 それなのに、過去から来たなつみを、未来に生きる人たちは優しく親切に迎え入れる。今を変えるなと押しつけるようなことはなく、かといって不幸な未来を変えろと迫ることもない。「あなたには不幸になる権利がある」と告げ、そして「大丈夫。私はちゃんと、幸せだから」と言って過去へと送り返す。

 自分の未来での不幸も幸福も、今を精いっぱいに生きた結果、辿り着いたひとつの結果に過ぎない。避けられない運命かもしれないし、そうでないかもしれない。だからといって悩んで迷って何になる? 今をまず生き、積み重ねた経験を伝え、未来に伝えていくことで、たどり着ける場所がある。そう信じて生きていく大切さを、50年の時間を隔てて出会った2人の会話から教えられる。

 ヌペラヒャッホウなんて妙な名前の、個々人に与えられた端末によって管理され、利便性が増した50年余年後の未来の描写はなかなかに楽しいし、車や移動手段などのテクノガジェットにも、現在の延長として来る可能性の割と高い未来の姿を感じさせる。豊かで確かな想像力。なつみが悩む、タイムスリップ物にはつきものの、過去改変なり未来の変更といった問題についても、独特の考察を与えつつ、それでも選ぶのは過去の君だと、未来の警官の口を借りて少女に説いて諭し、読者に諭す。

 今を生き、明日を生きてそして未来に行きよう、自分の意志で、自身の覚悟で。そんな気持ちにさせてくれる物語。そして、ヒラタクワガタが持つ謎めいた力についても、想像を及ぼしてくれる物語。本当にそうなのだとしたら、ちょっと試してみたい気も。とはいえいないんだ、ヒラタクワガタ。もしかしてみんな、どこかにタイムスリップしていった?


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