後宮に星は宿る 金椛国春秋

 両親を失い、家族を失い、自らも追われる身となって後宮へと潜入した少年が、女装をして後宮で働きながら、いつかお家の再興という目的を果たそうとする。篠原悠希の「後宮に星は宿る 金椛国春秋」(角川文庫、640円)という作品のストーリーからふと浮かぶのが、石川博品の「後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール」という作品。そこでは、後宮に宮ごとの野球チームがあって、位によってメジャーからマイナーへとリーグも公正されている中を、後宮で働く女子たちが野球の腕前で立身出世を狙っていた。

 どうにも無茶な設定でありながら、それがユニークだと思わせてくれたのはおそらく、ライトノベルという何でもありのカテゴリーにおいて生み出された作品だからだろう。一種の思考実験、あるいはエクストラポレーションといったSFにもよくある思索の中から生まれた、独特なシチュエーションにおける展開や情動の面白さを噛みしめる種類の作品。それだけに、設定をそのまま現実の世界に持って来ることはちょっと難しい。

 だから、「後宮に星は宿る 金椛国春秋」では後宮に女装して逃げ込んだ少年は野球なんてやらないし、そもそもが野球のリーグが存在していない。少年の女装がずっと露見することなく、見た目は少女のままで在り続けるといったこともない。現実の少年は歳を重ねれば性徴が現れ、声が変わりのど仏がふくらみ手足に筋肉がついて背も伸びるものだから。

 そんな性徴という時間的に厳しい制約を抱えつつ、それでも星遊圭という少年が後宮に身を置き続けるのには訳があった。一族から皇太子の后を出した星家だったけれど、皇帝の崩御で皇太子が皇帝となって、そして星家から迎えた后を皇后にしたことで、一族が皆、殉死をさせられることになったのだった。

 皇帝の外戚として権勢を振るうのが中華的な世界における王宮の常。けれども、「後宮に星は宿る」の舞台となっている金椛国は、過去に外戚が権勢を振るった挙げ句に国を傾けたことがあって、以来、外戚となった一族はすべて処刑ならぬ殉死として、先皇の墓に生き埋めにされることになった。

 星家も、それまでしっかりと皇帝に仕え、有能であった父親も母親も兄も誰もかれもが捕まって生き埋めにされようとする中、遊圭だけは病弱だった彼の面倒を見ていた薬師の女性、胡娘の助けも借りて逃げ延び、以前に街で出会って働き先を見つけてあげたことがあった明々という少女と再会。後宮に働きに出ることになった彼女に着いて、皇帝の足下ともいえる後宮に入り込んで、男子であるとも、星公子でるあるとも露見しないよう、しばらく時を過ごすことになる。

 病弱だからといって寝てばかりもいられず、日々の仕事にも精出す遊圭は、胡娘から習い、本も手渡されていた本草すなわち薬草の知識を生かしながら、同じ後宮で働く女たちの悩みを解消するようになる。あるいは読み書きの知識を生かした祐筆の役割も担うことになる。

 もっとも、それで正体が露見しては意味がない。後宮に出入りしているまだ若い宦官の玄月は、叔母にあたる皇后にも似たその面影と、薬草や読み書きといった知識に気づいてひとつ疑いを抱くものの、それで突き出すことはしないでしばらく様子を見る。その間に遊圭は、後宮でも長く務めて慕われた初老の女が病気になっていたのを診断し、皇帝にお目見えを頂く算段を付けたりもして、なおいっそうの地歩を得ていく。

 四面楚歌にも近い状態にある少年が、持てる知識を生かし、友人にも助けられながら生き延びて復帰を狙うというストーリー。そこに奇跡のような展開も、異能の力も存在しないのは、ライトノベルのレーベルではない一般文庫から出ている作品ならでは。遊圭が後宮を逃げ出したくても金が足りず、警戒も厳しくて逃げ出せず、かといって居続けるには声変わりや体格の変化といったものがだんだんと起こり始めて、居続けることは難しい。

 さらに、後宮ならではの妬みや嫉みも膨らんできて、遊圭と明々の身辺にはどんどんと危機が迫っていく。人死にすら起こって後宮という世界が決してお花畑ではない、人の情念が渦巻く戦場なのだと気づかせる。そんな切羽詰まったシリアスな状況の中、針に糸を通すような道を探して足掻く遊圭姿に、頑張れと声援を贈りたくなる。いつか正体が露見する可能性の高い展開のその先に、どんな謀略が待ち受けていて遊圭たちを巻き込んでいくのか。逃げ場の見えない状況、露見すれば死は免れない境遇が一変する思えないだけに、そこをくぐり抜ける手段が気になる。

 たぶん続いてくれるだろうと信じて、遊圭や明々の未来、玄月という宦官の将来、そして金椛国そのもののこれからを確かめていこう。


積ん読パラダイスへ戻る