郊外へ

郊外へ

 まがりなりにも文章を書いて生計を立てている身にとって、自分の文章の善し悪しはいつも気にかかるもので、書いた文章を読み返しながら、相変わらず拙い文章だと恥じ入ったり、導入部にちょっと工夫ができたと悦に入ったりと、その都度違った思いにとらわれる。名文家として知られるエッセイストやコラムニストの文章を読み、いつかこういう風に書けないものかと切望するのだが、ほんの短い文章でも、そこには筆者の経験や知識がふんだんに盛り込まれていて、乏しい経験と薄っぺらな知識では、とうてい追いつけないと嘆息する。

 素晴らしいエッセイの書き手として、勝手に私淑している須賀敦子さんが、「流れるようでいて、情には流されることのない、磨きのかかった文体」と評する、堀江敏幸さんの「郊外へ」(白水社、1800円)は、その言葉に違わず、街や、そこに暮らす人々の描写を淡々と積み重ね、ときおり自分の経験をを織りまぜて、観光客であふれかえった喧噪のパリではなく、ファッションやアートによって彩られた華やかなパリでもない、ヨーロッパにある、ちょっと大きな都市の郊外を、描き出している。

 奥付にある、著者略歴に1964年生まれとあり、自分とたった1歳しか違わない筆者が、雑誌などで目にする軽薄な文章、漫画の吹き出しや広告で接する短い文章に、よくも染まらずにいられた不思議に驚かされる。そして、フランス文学やフランス文化に関する知識も、専門に染まった学者のようではなく、かといって好奇心の固まりのようなジャーナリスト風でもない、その年齢とはとても思えない、深みと広がりを感じさせる。

 13本ある文章のなかでは、「動物園を愛した男」に最もひかれた。停留所に止まっているバスに、行き先も確かめずに飛び乗って、適当なところで下車して辺りを歩き回る、そんな衝動にかられることが、自分にもときどきあるからだ。そして筆者が、仏語訳された書物を読む時に感じる「くつろぎ」を、実は手抜きであったと感じ、「こんな歳になるまで、なにごとにつけ本質の理解を、たんなる置き換えでごまかしてきたのではないか」と語るにいたって、薄っぺらな知識をためこんで、ちょっとは成長した気になっている、自分の滑稽さに気付かされる。

 別のエッセイ「ロワシー・エクスプレス」で、「おなじように郊外をぶらついていながら、私はなんといい加減で、なんとお粗末な物語をつむいでいることか」と筆者はいう。筆者のあせりは、そのまま自分のあせりとなって、どうすればいいのかと悩みもだえる。

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