崑崙の東
アレクサンドロス異聞

 若くして没した英雄を、その後も所をかえて生き延びたといって、別の英雄の人生につなげて考えたがるのは、日本人だけに見られる「判官贔屓」ではないらしい。

 源義経がチンギス・ハンとなってモンゴル帝国を興したとか、イエス・キリストが復活の後にエルサレムから遠く離れた日本の地で没したとかいった伝承は、島国として孤立した歴史しか持てずにいた日本人が、なんとかして日本と世界とを結びつけようと熟考した果てに、生まれて来たものと言えるだろう。

 たしかに歴史年表を見ていると、ついつい身内意識が働いて、源義経をチンギス・ハンだと言ってみたくもなる。「いいくにつくろう鎌倉幕府」の1192年から14年後の1206年に、蒙古のテムジンが大可汗の位に就いてチンギス・ハンとなった。今だったら14年も何してたのって話になるが、そうした空白期間を「修行していた」と強弁してしまうのが、「判官贔屓」の「判官贔屓」たる所以だ。

 世界レベルの「判官贔屓」としては、最近ではエルビス・プレスリーが今も生きているというニュースが、世界をかけめぐったことがあったが、出所が怪しいいぜんに、医学・マスコミ・警察・行政が発達した現代で、1人の有名人がその死を偽って生き続けることなど不可能だ。けれども紀元前323年のアジアだったら、もしかしたらその死が、真の死ではなく偽りだったとしても、言下に否定できるだけの証拠はない。

 地中海沿岸からペルシアを経て、インドの手前にまで及ぶ広大な帝国を打ち立てながらも、紀元前323年に没したと言われているアレクサンドロス大王が、もしも死なずに生き延びていたとしたら? そんな考えには、「判官贔屓」が旨の日本人ならずとも、ついつい興味を覚えてしまう。

 もっとも、大和朝廷などはるか先という日本に、アレクサンドロスを連れてくるのは無理だったようで、武上純希がその著書「崑崙の東 アレクサンドロス異聞」(アスペクト、880円)で、アレクサンドロスを生き延びさせようとした先は、東周が細々と命脈を保ちつつ、その周囲に戦国七雄と呼ばれる七つの国が興り、しのぎをけずっていた中国大陸だった。

 息子に世界征服を託す、母親オリュンピアスの呪詛にも似た願いに押しつぶされそうになったアレクサンドロスは、引き返す訳にはいかず、かとって大地を血で染め上げていく戦いの生活にも疲れ果てて、進退窮まっていた。

 「皆の血を流しながらくりかえされる、終わりなき欲望のゲームから抜け出して、夢のために生きる術をもっていないのか」(32ページ)。そう問いかけるアレクサンドロスに、師であったアリストテレスは、いったん死んだ後に、単身その夢である、アトランティスの末裔たちが築いた国をその目で確かめる旅に出ることを勧めた。

 うまく母の目をごまかし、崑崙山脈を越えようとしたアレクサンドロスだったが、高山病にやられて足を滑らせ、山の頂から滑り落ちてしてしまう。疲弊した肉体を竜に襲われて死を覚悟したその時、アレクサンドロスの前に姜子牙と名乗る老人があらわれて、崑崙の東の国を襲っている妖しい力があることを告げ、その妖魔を倒すためにアレクサンドロスの力が必要だと語った。

 闘うために神によって造られた「なたく」という名の少年を見方に引き入れ、周の国にある祭器「九鼎」を求めて東に向かうアレクサンドロスの前に、次々と現れる謎の男や妖怪たち。大事の前には小事を見捨てるべきなのかを迷い、けれども信念に従って己が道を突き進んだアレクサンドロスが最後に出会ったのは、自らの使命をもゆるがしかねない影響力を持った、恐ろしくも強大な敵の妖魔の正体だった・・・。

 わずかに250ページ弱のノベルズで語るには、物語自体が壮大過ぎたと見えて、最後の方でずいぶんとストーリーが端折られてしまったような印象を受ける。戦国七雄の興亡を描けば、それこそノベルズが100冊あっても足りないことは承知だが、稀代の英雄アレクサンドロスと中国の歴史とを結びつけようとする試みに、ノベルズ1冊はとにかく少な過ぎた。

 少女と見紛う美しさを持った闘う鬼神「なたく」というキャラクターは、光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」(どちらかといえば萩尾望都の漫画版か)に登場する「阿修羅王」のようで、好感がもてた。けれども主人公として最後まで生き残った「阿修羅王」とは違って、「なたく」はろくすっぽ活躍しないまま、その出番を終えてしまう。橋本正枝さんの描く「なたく」の絵がなかなかに良かっただけに、とても残念でならない。

 1巻物でラストでけりが付いてしまっているから、続編の可能性は皆無と思えるが、もしも作者にゆとりと意欲があるならば、そして出版社に志があるならば、是非とも話をさらに練り上げて、膨らませて、西の英雄が崑崙山脈を越えて東の英雄たちと出会い、ぶつかりあう、壮大希有な物語をつむぎだして欲しい。それまではこの「崑崙の東」の評価を、ロマンチック大河ファンタジーのイントロを、さらにダイジェストにしたものとして、とりあえず留保しておこう。


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