こいわらい

 京都が舞台となった伝奇小説なら、万城目学の「鴨川ホルモー」(産業編集センター、1200円)が、近く刊行された作品では異色さと面白さで抜けていたが、松宮宏の「こいわらい」(マガジンハウス、1500円)だって負けていない。何しろ京都の古い街々を縫って美少女剣士が大活躍するという話。聞けばぐっと首も伸びる。

 さらに言えば舞台は「鴨川ホルモー」と同じ現代で、主人公の和邇メグルも京都女子大学の学生。子供の頃に鴨川の土手で拾った長さは30センチくらい、太さは4センチくらいの木の棒きれを、背中に背負ったプラダの巾着リュックに指して、ビームサーベルよろしく引き抜いては、相手の顎にぶち込に倒して歩いていた。

 よほど手に馴染んでいたのか、それとも棒に不思議な力でも宿っていたのか、あるいはメグルの体に流れる血の成せる技か。両親ともども車で谷底へと落ちる事故に遭い、前席に乗っていた父母は即死。メグルはといえばその日も側に置いていた棒が頭に当たって小脳に内出血を起こし、大部分を切除する大けがを負い、一生をベッドで暮らすかと思われた。

 ところが。弟が持ってきた例の棒を手にした途端、神経が全身に行き渡り、運動中枢を小脳の代わりに大脳が務めるようになって奇蹟的に回復する。命を奪いかけ命を救った棒の謎。悩みながらもメグルは両親の死で家屋敷を奪われ、弟と2人だけになった家族を支えるために、大学で見つけた奇妙な求人に応募する。

 仕事はボディガード。京都の街を表から裏から仕切る謎の老人、京都宮内庁という会社の田上源助会長の身辺警護を、当初の月収50万円から上がって月収100万円で依頼され、メグルはそれを引き受ける。武道の心得があったわけではない。けれども誰にも負けない技があった。それが「こいわらい」だ。

 語源は不明ながらも、和邇家に伝わる巻物にそう書いてあり、死んだ祖父からそう聞かされたメグルは、背負ったリュックから引き抜いた棒を、人差し指と親指で挟んだだけで振り抜き、迫るヤクザやならず者の顎を砕いて退ける。連戦連勝。会長も安泰。そこに不穏な空気がわき上がる。

 いつものヤクザと思い相手をし始めた背後からナイフが飛んできた。やがて拳銃の弾も飛んで来るようになった。飛び道具に棒では分が悪い。多勢に無勢も宜しくない。それでもメグルは己を信じ、家族のためと戦い続けるが、一方で疑念も浮かんでくる。

 会長は本当に自分の味方なのか。祖父の友人で和邇家の再興を助けてくれようとしているのか。「こいわらい」とはまた別の、「放心」という古来より続く不思議な技を体得した川又新三も絡んで、物語は戦国の世へと遡るメグルのルーツへと迫り、そして和邇家に伝わっていた「こいわらい」と「放心」という幻の武術を現代の京都に顕現させる。

 ただの少女が不思議な力を得て敵と戦う展開は、ライトノベルにはよくあって、敵も学園なり街なりに迫る魔物なり妖怪変化といったものになって、次第に強力になっていく敵を相手に、少女が眠っていた力を爆発させて粉砕する。畳みかけられるような興奮が味わえるそんなドラマに填る人の多さが似たジャンルの物語を次々と送り出している。

 けれどもライトノベルとは違う「こいわらい」では、少女が戦う相手は別に京都を襲う魔物や妖怪変化ではなく、成金っぽい風情の老人を襲うヤクザたち。強いといっても人知の範囲は超えてはいない。老人を護る行動にも、金のためという目的はあっても世界の安寧を護るといた大げさな理由はない。暴かれる闇とか逆境から蘇る少女といったシチュエーションを期待すると最初は物足りなさを覚えるかもしれない。

 それでも棒1本を片手に取り、独学の技で戦うメグルにとっては男の拳銃使いは強大な敵。挑み乗り越えるに相応しい相手だ。使う技の不思議さも、魔道妖術超能力の類に決して劣っていない。一撃必殺の「こいわらい」が持つスピード感。それに「放心」が加わった時にいったい何が起こるのかという期待感。わくわくとさせてくれる。どきどきとさせてくれる。面白い。とてつもなく面白い物語だよ「こいわらい」は。

 おそらくはそうだったんだろうという帰結に向かう途中にも、紆余曲折があってこれという真相が得られるまでのミステリー的な読みどころも充分。ただの棒きれが何故にそれほどまでにメグルを突き動かすのかという伝奇的な謎もあって、想像を巡らせる楽しみを味わえる。

 それよりなにより和爾めぐるという、一介の女子大生にして美少女剣士の格好良さ。後遺症から体が時折動かなくなる彼女を助ける、中学時代の同級生で今は川又の下で「放心」を学ぶ五郎をナイトに従えて、向かう敵を一撃必殺で叩き伏せていくメグルの姿には、文字の描写からでも見ほれないではいられない。

 空間開発ディレクターという経歴の作者がにひょるデビュー小説にしては、とても初めてとは思えない書きっぷり。お金持ちが嗜む京都の食事や習俗にも触れられていて、ちょっとした観光の気分も味わえる。どうやって調べたのだろうか。一見さんお断りの中に潜り込めるだけの財力人脈の持ち主なのか。作者自身への興味も浮かぶ。

 現代を舞台にした陰陽道バトルをダシにして、学生達の恋模様を描いた万城目学の「鴨川ホルモー」に対し、秘伝を奪い合い極め合う剣豪小説を土台に、女の自活と探求を描いた「こいわらい」。左右に並び立つ現代京都伝奇の良書が、2006年という同じ年に出そろった裏にはいったい何が? 棒のたくらみか。それとも鬼たちのてまねきか。そちらもまた興味深い。


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