機龍警察 火宅

 身近に警察官がいれば、警察官が何か企んでいる存在でもなければ、常に周囲を威圧している存在でもなく、普通に市民の安全と治安を守るために活動している、ごく普通の公務員だということくらい分かる。とはいえ、そうした組織にあっても人事という、厳しい世界を泳いで渡って乗り越えていくために、いろいろと難しいことをしなくてはならない可能性があることも、同時に分からないでもない。

 ただ、その難しいことにも程度があって、上司に媚びるとか、盆暮れの付け届けは欠かさないといった、人間関係の円滑化に止まる範囲だったら、やって人間性に恥じるところはあったとしても、人道として否定できるものではない。これが人の命に、人の尊厳に関わることだったらどうなのか。それをやってまで出世したいという意識を前にして、人は何を思うのか。

 月村了衛による「機龍警察」のシリーズで、初となる短編集「機龍警察 火宅」(早川書房、1400円)に収録された、タイトルにもなっている短編「火宅」がそんな、欲に向かった人間の暗い心が醸し出す、何とも言えない恐ろしさといったものを、感じさせる話になっている。

 警視庁にあって、外務官僚から部長に就任した沖津旬一郎の下、結成された特捜部は、「龍機兵」なる一種のパワードスーツをまとった突入要員と、そして叩き上げの捜査官やキャリア組から出る理事官、龍機兵を整備する技術班をチームにして、日本に起こる凶悪な事件、とりわけ機甲兵装を使った犯罪を中心に取り締まりに当たっている。

 つまりは警察の最前線。危険も多い、日本の治安を守る橋頭堡のような立場なのに、警察内では非常に評判が悪い。それは、外様の人間が立ち上げた部であり、傭兵や外国の刑事、さらにはテロリストとおぼしき人間までをも、龍機兵の操縦者として雇い入れる横紙破りが祟ってのこと。そんな部署で働く人間は、たとえ同じ釜の飯を食った人間でも、忌避の目が警察組織から向くようになっている。

 捜査員で警部補の由紀谷志郎も同様で、所轄時代の恩師が病気に倒れ、調子が思わしくないと聞き、見舞いに行った先でかち合った刑事たちから疎まれ、罵声すら浴びせられてもう出入りしないでくれと言われる。どうしてそこまで? これもひとつ、警察という組織が持つ強烈な仲間意識の現れで、それが時に内輪で何かを画策しているように取られ、疑われる理由にもなっている。

 もっとも、「火宅」で恐ろしいのは、そんな内輪意識で由紀谷が排除されたことではない。尋ねた恩師の家で出た過去の事件、長く冷や飯を食っていた恩師の急な出世ぶり、さらには病床にあった恩師の身の回りにあった品々から浮かぶ、ある“事実”が由紀谷を震撼させ、そして読む人たちをも震えさせる。そうまでして。そうしなければ。人間の欲望であり、組織の硬直といったものが浮かんで、警察という場所、あるいは組織という存在の怖さを思い知らせる。

 精緻な観察と推理によって、とてつもない“事実”を導き出すミステリーの秀作に描かれた由紀谷の才能が、特捜部ではなく捜査課のような場所で事件の捜査に活かされれば、どんな未解決の難事件だって解決したかもしれない。もっとも、特捜部が取り扱うのは日本のみならず、世界を揺るがす事件たち。そちらでこそ発揮されて、世界を救ってくれればありがたいと思うしかない。

 ある意味で現場バカの由紀谷とは正反対に、キャリアの警察官僚として出世ルートに戻りたくて仕方がない、理事官の宮近浩二が珍しく本気を出すのが、「勤行」という短編。誰もが“正義”に邁進している特捜部に居ながら、向いてるのは上であり、外でもあってその言動が鬱陶しい場合が多々あった彼が、国会での国家公安委員長の答弁という難題のために、資料を作る仕事を任される。

 同じ理事官の城木貴彦と数日間、それこそ寝ずに挑んだ姿はまさしく日本の官僚の鏡ともいえるもの。音楽の発表会に来てとせがむ家族すら、振り切らなくては行けない苦労をのみ込んで進んだ宮近が、回り回って喝采を浴びる様にちょっとした感動がわき起こる。それを鼻にかけ、さらに上を目指そうとしなければ良い奴なのかもしれない。家でも城木の方が人気という絶望が、その性格を作っているのだとしたら可哀想過ぎるけれど。それも自業自得か。

 そして「化生」は、シリーズとして続いてきた「機龍警察」にこれから、大きな嵐が吹き荒れそうな予感を覚えさせてくれる1編だ。元よりブラックボックスに近い機構を持った龍機兵だけれど、その域に近づく可能性は誰にでもあって、それが早いか遅いかの違いで世界の情勢がガラリと変わる。

 沖津部長はそれを少しでも先に先にと延ばそうとするけれど、「機龍警察」シリーズでたびたび取りざたされながら、未だ見えない特捜部の、あるいは“正義”としての警察の“敵”がそれを許してくれるのか。というよりそもそも“敵”はどこにいる? 分からないし見えないけれど、その気配がひたひたと迫る中で、今は特権的に率先している特捜部に今後、大変な自体が起こるかもしれない。

 そんな危機の中で、最前線に立ち続ける突入班の元傭兵の姿俊之は、元ロシア警察刑事のユーリ・オズノフは、元IRFのテロリスト、ライザ・ラードナーはいったいどこへ行くのか? それぞれの過去を描き、今を描く短編も収録された「機龍警察 火宅」を経て、より厚みを加えたその人となりを理解して、どういう人生を送るのかに心が向くようになった今、これからの歩みが気になって仕方がない。

 もちろん沖津部長であり由紀谷や城木、宮近らメンバーの行方も。何より「化生」で大活躍する才女の技術班主任、鈴石緑の警察の中での行方であり、プライベートの将来が気になる。出世するのか、良縁を得るのか、分からないけれども生きのびさせて欲しいというのが最低限の願い。権力を握った強大な“敵”の魔手によって、全滅した「ワイルド7」のようにだけはならないで欲しいけれども、果たして。


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