KIPLING´S JAPAN
キプリングの日本発見

 今がいったいどんな状態で、それがいったいどういった力学でもって起こっているかをしたり顔で解説、とういか解釈して講釈を垂れる”自称”政治評論家、その実態は政治家講釈師な面々の、果たしてどれくらいが100年の未来を予見して今の政治状況を理解し警告を発しているのか実に疑わしいところだけど、そうした輩がジャーナリストとして成立してしまう評論家状況、メディア状況の浅ましさというものが一朝一夕に変わるはずもない。

 そもそもがそうした状況がどれほどの問題なのかを、理解している評論家もメディアもなかったりするから、将来においても変わる可能性も極めて低い。とはいえ変わって欲しいというのも厳然としてある気持ちだけに、かつて日本をおとずれ歴史認識から現状を解釈し、未来に指針を示し警句を発したジャーナリストの存在に触れるにつれて、こうした人が日本にも出てきてくれないだろうかと、心からの切望にかられる。出て来ていてもそうした人物を今のメディアでは理解し紹介する能がないから世に見えていないのかもしれないけれど。

 名をキプリングというそのジャーナリストが著書に書いた言葉がこれだ。「私が思うには、正解銃に憲法というものを持つことがゆるされる国はたった二つで、それはイギリスとアメリカです。要するに芸術とは無縁の国々です」「すなわち人類の平均値より高い精神を与えられている国民が憲法を制定すれば、合い悪の事態を招くものであろう、と。まず投票をするようになる。政治談義をするようになる。新聞を発行するようになる。向上を建設するようになる。ところGそれらは芸術性とまっこうから対立するものなのだ……」。世界でも芸術に秀でた国だった日本がさてはて憲法を持てばいったいどんなことになるかをこれほどまでに完璧に、予見した言葉は他にないだろう。

 おまけにこの言葉が発せられたのは1889年、つまりは今から110年以上昔の、未だ江戸だった時代の意識や景色も残る明治22年の日本でのこと。インドで生まれ英国留学を経てふたたびインドでジャーナリストをしていたキップリングが、後に「ジャングル・ブック」を書いて世界的なベストセラー作家となるよりしばらく前、これから筆で身を立てていこうと決死して英国へと向かう途中に立ち寄った日本を、長崎から神戸大阪京都名古屋と伝って箱根横浜東京日光を見て歩いて感じたことをまとめた「キップリングの日本発見」(H・コーダッツィ、G・ウェッブ編、加納孝代訳、中央公論新社、4500円)という本に書かれてある言葉で、読むほどにその状況分析力の確かさと未来に対する洞察の鋭さを痛感させられる。

 もっとも芸術の国とキップリングが規定する国々は例えばフランスでは20年に1度革命が起こるしスペインはときどき動乱が起こる。ロシアも芸術の国だけどときどきは皇帝(ツァー)を殺したがるよーに、政治に対してつねに突き上げがあって安定しないものなんだけど、同じ芸術の国だと言われたこの日本が憲法を制定して芸術性とまっこう対立する政策をずいずいと取り続けているにも関わらず、取り立てて動乱とか起こらないってのはつまり逆説的に考えれば、芸術性が薄れてしまったということで、世界で憲法を持つことが許される国の1つに戦後の何年かを支配され、根こそぎ変えらられてしまった結果が、憲法を持つにふさわしいつまらない国へと日本を至らしめたって考えも出来るだろう。だから日本に今、世界をリードする芸術が生まれないのか。あるいは大勢の人の目に見えてこないのか。

 読んで興味深い箇所は他にもある。京都に滞在した時、花見だなんだと野山に寺院に出かけては景色を愛でる日本人の不思議さを見たキプリングが、案内してくれたガイドに「人間はピクニックをしに世に生まれてくるわけじゃないだろう?」と聞いたところガイドはこう答えた。「何故ですかって? お天気がよいからですよ。イギリス人はたちのことを、天から降ってくるお金で暮らしているって言います。日本人がちっとも働かないって。まさか、ね。でも、ほらごらんなさい。あそこにあんあに景色のよいところが…」(166ページ)。

 仕事にあくせく働くよりも裏山にそびえる桜の美しさに桜が咲いている間は心をまかせるべきだ、なんてことを言う人が日本にかつてはいたんだということを表す描写を読むにつけ、これほどまでに自然を何よりも第一に置き、自然に身を委ねて生きていた日本人の気質が、心のゆとりがいったいどこに言ってしまったんだろうか、と悩む。と同時に、こうした気持ちの欠如までは著書で予言し切れていなかったキップリングの善人ぶりも感じてしまう。今のこの荒れた山河を見たら何と言うのだろう。子供を宝と可愛がり老人に敬意を示し進取の気風に富むと同時に伝統の味わいも大切にしていた、キプリングが出会ったという日本人はどこに行ってしまったのだろう。

 日本を驚き日本に親しんだキプリングではあったものの、すべてを讃えるばかりではなかった。日光に行ったら誰もが結構と言うべき代物を「あらゆるガイドがおの眠り猫をあなたに見せようとするだろうが、ゆめゆめ行かぬがよい。ひどい代物である」と切って捨てていたりして、ただ日本の価値観に染まらない我の強さもあって面白い。権威におもねらず過去にとらわれず見たままと書き感じたままを言う正直さ。ジャーナリストにとって必要不可欠なこの資質を今のどれほどのメディアが持ち得ているのかと思い起こさせる。

 左甚五郎の「眠り猫」に関してガイドが「是非に見るべきもの」と規定し、誰にでもそう言って来たという記述に、日本における観光案内の系譜が見て取れる。また、鎌倉の大仏を見物に行った時に、大仏の巨大な青銅板の裏側に男も女も落書きをしているのを見たという記述には、それが一体いつ頃の落書きなのかを知りたくなる。江戸期から続くものなら古くさい権威を粋にあしらう気質の現れだともとれるし、明治以降のものなら厚かった信仰心が維新を経て変わり始めた兆しとも見てとれる。今もその落書きはあるのだろうか。キプリングのたどった長崎から日光までの軌跡を訊ね、日本や日本人の何が変わってしまったのか、何が今もしっかり残っているのかを確かめて歩きたくなった。

積ん読パラダイスへ戻る