時空暴走きまぐれバス



 三島由紀夫から新井素子に最近の乙一と10代でのデビューは文芸の世界でさほど珍しいことではないものの、これからどう変わっていくのか末恐ろしいながら現時点では未定な乙一はともかくとして、三島にしても新井にしても10代では書き得なかったことを、20代30代と年齢を経るごとに確実にものにしていっている、ように思う。

 それは文体かもしれないしモチーフかもしれないし単純な描写力かもしれない、時間によって育まれたスキルによって得られるもので、たとえすべてが込められているというデビュー作であっても、あるいは周囲に認められた習作であっても、歳を経て書かれたものにかなわない部分は必ずある。

 平井和正の場合それは、キャラクターというものをどう立て、どう動かすかというスキルだったようで、10代の高校生で未だプロの作家としてスタートを地点にも立っていない時代に書いた短い話を、プロとなり大勢の人たちに圧倒的な支持を集めた作品を数多く送り出しつつため込み育んだスキル、平井和正の場合は”言霊”とも例えられる作家的な能力でもって、一気呵成に700枚まで伸ばした小説が、「時空暴走 気まぐれバス」(集英社、667円)ということになる。

 主人公の少年が通学のためにフラリと乗り込んだバスが何故か古めかしい車掌付きのバスで、乗っていたのは色々な時代から引きずり込まれた人たち。中に女子高生時代の自分の母親がいて、実に何ともアヤシイ関係になってしまうという、ともすればムネにイタみを覚える設定をそうとは感じさせず、次々にページをめくらなければ気が済まないエンターテインメントに仕上げてくれている。

 物語の方はと言えば、主人公の少年は実は世界を救うために砂漠に住む神に時空を超えて呼び寄せられたそうで、同じ啓示を受けたアメリカ人女性のドナと2人対になって、洞穴の奥に棲むという悪魔を倒すために乗り込んでいく。途中、少年の性的な目覚めの場面が描かれて、一方で若いとは言え自分の母親に対するほのかな恋心を抱かせる近親相姦的な描写もあったりして、平々凡々と生きていた少年が何かをきっかけにして大人へと変わっていくドラマを堪能できる。

 もちろんそこは「幻魔大戦」で人類を脅かす悪との対決を描いた平井和正。単純なビルドゥングス・ロマンには終わらせず、世界を2分する善と悪との壮大な代理戦争という、大きな視点から世界の有り様を垣間見せてくれる。また文中、「しょっぺー」とか「拐帯犯人」とか耳古かったり耳慣れなかったりする言葉や言い回しが出てきて、平井和正の”言霊”も、随分と辞書が古くなったものだと思わせる部分もあるけれど、畳み込まれる展開の妙、繰り出されるエピソードの豊富さでは、流石に”言霊使い”平井和正だけのことはあると感じさせる。

 「キャラクターを立てる、という魔法を行使するだけで、単調なワンショット・アイディアの異次元物の短編が、七百枚の長編に化けてしまう」(361ページ)という言葉どおりに、母親なのに親友のようなテルちゃんという女性のどこか間が抜けて、けれども芯は真っ直ぐなキャラクターに、作家で物知り、なのに自分で動くということは一切しないダンディな中年の餡野英明、ヤクザながらも義理人情には厚いパンチパーマでグラサンの登美野長治(あんの&とみの、という名が何に起因するのかは不明)等々、癖のあるキャラクターによって脇を固められた物語は読みやすく、先の展開への期待が常につきまとう。

 サボり癖があって気が弱い癖に相手が弱いと見るととことん嵩にかかってくる運転手のキャラクターもなかなかなもの。その運転手を相手に少年が徹底して殴り蹴る暴力的なシーンがあったりするあたり、往年のバイオレンスな作家としての筆致が滲んでると思わせるれど、妙なところで人道的とか癒しとかに流れない徹底したリアリズムが逆に読んで新鮮でかつ心地良い。時空転移したバスが砂漠に放り出されても、驚きは驚きとしてだったらどうすれば良いのかを考える、妙に冷静な登場人物たちの態度などには、定型とか類例に流されない平井和正流の合理主義、現実主義が見てとれて、お涙頂戴な展開に食傷気味な心にズンとフィットする。

 善と悪、対立する人間世界とは違った世界の存在によって代理戦争をさせられる人々を描いていても、声高に正義を振りかざさないシニカルな視点もあって辟易とさせられることはない。エンディングのハッピーではなく何か啓示的な部分も安易な妥協に屈しない平井和正風。あるいは暴走し続けるバスの行く手に新しい物語を感じ、いつか”言霊”に乗せて繰り出す日を、今は静かにまっているだけなのかもしれない。


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