機巧狩竜のファンタジア 1−3

 戦国の世に現代の戦車が自衛隊員と共に転移して、圧倒的な機動力と火力と防御力で一時の戦場を支配しても、燃料や弾薬が尽きればただの鉄の箱と化し、あるいは進路を塞がれるなり履帯を切られるなり砲塔を折られるなりしても、同様に鉄の箱と化すことは、半村良の小説であり、それを原作に千葉真一が主演して映画化された「戦国自衛隊」を観れば明らかだ。

 もしも戦国時代にエンジンを動かすガソリンなり軽油を精製する技術が戦国時代にあり、砲弾を作る技術もあったとしたら、転移してきた自衛隊員を抱えた武将は戦車を中心に据えつつ周囲を騎馬と足軽で固め、戦車が破壊されないような戦い方を選ぶことによって、天下どころか世界だって取れたかもしれない。それを歴史が許せばだけれど。

 これが一種の魔法と少しの技術、そして経験が存在しているファンタジーの世界だったら事情は大きく変わってくる。内田弘樹の「機甲狩竜のファンタジア」(富士見ファンタジア文庫、1−3、600円、620円、660円)がまさに、そうしたファンタジー世界ならではの戦車の効果的な運用方法であり、なおかつ戦車がファンタジー世界に存在する必然までをも含めて描いて、驚きのビジョンの中に人類と文明と自然との調和といった大きなテーマを投げかけて来る。

 第二次世界大戦時にドイツ軍が運用したV号戦車パンターがどういう理由からか出現し、それを運用して出現するモンスターと戦っていた機甲狩竜師がかつて存在していたという歴史の上、そのパンターを祖父から受け継いだトウヤ・クリバヤシという少年を鍵にして「機甲狩竜のファンタジア」は展開される。トウヤが幼馴染みのヨシノという少女とともに向かっていたのが、イシュトバーン王国にあって人間に害をなすモンスターを狩る狩竜師を育成するアーネンエルベ王立狩竜師学校。その旅程でモンスターに襲われた時、トウヤが持ち出したのが祖父がかつて駆っていたというパンターだった。

 どうして異世界に戦車が? それはどうやら戦車妖精なる存在とともに転移してきたものらしく、トウヤの祖父はそうした戦車たちを駆ってモンスターと戦う機甲狩竜師を名乗っていたという。その遺志を継いで自分も機甲狩竜師になろうとアーネンエルベに向かっていたトウヤヨシノ。もっとも、頑丈な上に人間よりも速く走れる箱に過ぎなかったトウヤのパンターは、モンスターを倒すことはできずアーネンエルベに所属する学生の狩猟師に救われる。

 つまりは役立たずでしかなかったトウヤのパンターが、アーネンエルベに到着して最下級のクラスに入って、そこで得た同級生たちとの交流の中で兵器としての強さを取り戻し、最下級の学生どころか本職の狩竜師ですら及ばないかもしれない戦果を上げるようになっていくのが「機甲狩竜のファンタジア」のおおまかなストーリーだ。

 騎士の家の出で優れた剣術の腕前を持ちながら、モンスターが苦手で最下級に配属されたシェルツェ・パウエルという少女を、単独での栄達よりもパンターで共に戦い上を目指そうと説得して車長に据え、フィーネという人見知りが過ぎる少女を水晶玉を使って音をやりとり出来ると知って通信手にする。なぜか銃器に詳しく、パンターの上についた筒は弾を発射するためのものだと看過し、トウヤに伝えて戦車本来の力を取り戻させたサツキを砲手にしてヨシノを操縦手としたパンターは、トウヤの戦車への愛情も含んで次々と戦果を挙げていく。

 もちろん単独ではなく狩猟師たちとも連携し、第2巻ではパンター以外にも存在していたとトウヤが喜んだ、といっても砲弾ではなく銛を発射するように改造されたIV号戦車を操るエルフたちとも共闘することで、暴竜種と呼ばれる異形にして異常な強さを持ったモンスターをも退ける。

 その過程でサツキの後悔がぬぐわれ、驚くべき出自だったフィーネの人見知りも改められるけれど、一方で世界そのものが揺らいでいることが浮かび上がって、それこそ人類存亡の危機かもしれないと思われ始める。モンスターから改修できる素材を使うと、医療でも技術でも驚くべき成果が得られることがわかり、人々は積極的にモンスターを狩るようになった。その結果として起こった生態系の変化がもたらしたもの。それが暴竜種の出現であり、世界が滅びかねない竜災期の到来かもしれないと分かった時、トウヤたちは決断を迫られる。それは……。

 突きつけられるのは、ひとつの惑星で人類に留まらずエルフにドワーフにモンスターといった、さまざまな種族が暮らしていく上で保たれるべき調和の必要性であり、そうしたバランスが崩れた時に下される鉄槌の存在であり、そうした鉄槌を下す上位者が存在がする可能性であり、それによって異世界より戦車と操る戦車妖精たちが引っ張り込まれて配置されたかもしれないという可能性。戦車がファンタジーのドラゴンと戦ったらどんな絵面になるのか、その戦車を操るのが4人の少女(いずれも巨乳)と1人の鈍感な少年という関係性でもアクション&ラブコメディとして面白がれる上に、世界そのものへの懐疑を示して物語の奥深さを増してのけた。

 トウヤを巡ってシェルツェとヨシノが気持ちを探り合うような恋愛要素もあるにはあるし、シェルツェへのライバル意識をむき出しにしたアーネンエルベの同級生が、独力で戦車のそれもVI号戦車ケーニヒス・ティーガーを探し出して駆り始める状況のインフレーションもあって楽しめる。そうした恋の行方と、そして次から次へと戦車が現れ世界を脅かす暴竜種と対峙する、といった構想もあったかもしれないけれど、「機甲狩竜のファンタジア」は第3巻で終幕し、世界はひとまずの調和を得た。

 物語内にとってそれは幸せなことだろう。一方でとてつもなく強大な敵を相手に戦車が、戦車たちがどういった戦いぶりを見せてくれるかも読んでみたかった。もとより戦記シミュレーションにおいて優れた著作を多く生み出してきた著者だけに、次に得た舞台でも戦車をただ機動力があり頑丈で火力も持った兵器としてだけでなく、その存在が世界にとってどのような意味を持つか、運用する者たちにとってどのような価値を持つか、武力としてどういった可能性を持つかといった思索を、物語に乗せて読ませて欲しい。


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