レアアース・ガール
希土類

 お国のためにと言われ、送り出された先でその若い命を、銃火の下に散らせた大勢の人たちがいた。今にしてふり返れば、誤った判断によってもたらされた、不必要だった死も少なからずあると分かる。けれども当時、多くはそれが当然と考え、誇りにすら感じて戦地に赴いた。その理不尽に疑いを覚えた人たちも、周りの期待を裏切れず、はみ出て除かれる不安もあって、無理に気持を奮い立たせ、戦いの場へと出ていった。

 そんな哀しい時代から、どれくらいの時間が過ぎたのか。戦争という場に国のためだからといって、人が陸続と送り込まれるような事態こそ、もうずいぶんと起こってはいない。だからといって、戦場ではないこの国に暮らす市井の人たちが、国なり行政なりといった公的な存在によって、戦場にも劣らない苛烈な境遇へと、至らしめられてはいない、苦しめられてはいないとは言えない。ダムに沈む村。空港に埋められる畑。爆発した原発によって閉鎖された町。

 「私」に勝る「公」は絶無ではない。いわゆる「公共の利益」というもので、得られるその大きさとの見合いで制限される、「私」の権利はある。問題は、「公」によっても絶対に踏み込めない「私」の権利の範囲が、大きく揺らぎ始めていることだ。何者にも冒せない“生きる”権利。あの悲惨な戦いを経て、誰もが感じているはずその権利ですら、脅かされようとしている。

 未来への希望を見出しづらくなった今、自分がその埒外にあるという安心を抱きながら、誰かの権利を「公」が損なっても是とする空気が、このところ色濃さを増している。そんな空気が、さらに濃くなった遠くない未来、あるいは今現在においてですら、成り立ち得るかもしれない状況を、青柳碧人が「希土類少女 レアアース・ガール」(講談社、1400円)に描い世界と、その世界に生きる少女たちの哀しみに満ちた境遇によって指し示す。

 レアメタル。そしてレアアース。非鉄金属でもとくに希少で、物作りの分野においてとてつもなく有用なこれらを日本は、ほとんどといっていいほど国土の内から産出していない。以前なら、飽くなき技術開発力で最新の製品を作り出すことで、海外から必要な分のレアメタル、レアアースを購入できていたけれど、産業の振興を掲げる中国のような国々が、国土から産出しているレアメタル、レアアースを国家戦略に組み入れ、海外には出さなかったり、出しても高値で売りつけようとして、日本を始め非産出の国々を困らせている。

 そこに起こった不思議な事態。7年ほど前から、少女たちの中に体のどこかから、金属を出すようになった者が現れた。それが、鉄や銅といったありふれた金属ではなく、モリブデンやガドリニウムや、ゲルマニウムやタングステンといった、希少な金属だったから誰もが驚き、そして国は狂喜した。

 海外に頼らなくても、とりわけ中国の思惑に翻弄されなくても、日本独自でレアメタル、レアアースを確保できる。物作りに、産業の発展に優位なこの状況を国は逃さず、レアメタル、レアアースを体から出す少女たちを国で確保し、集め収容してレアメタル、レアアースを採取する施設を作り上げた。

 それがコミュニティ・マヒトツ。収容された少女たちが、家畜のように虐げられることはなく、ネットを通じてショッピングだって出来るし、運動会のようなレクリエーションだって楽しめる。ただし、そこから出ることだけは絶対に認められない。いずれ体からレアメタル、レアアースが出なくなれば解放される、ということもない。なぜなら少女たちは、生命力の何かを削るようにレアメタル、レアアースを出し続け果てに、命を失ってしまうからだ。

 逃げ出すことはできない。国家戦略の上で重要なレアメタル、レアアースを生成する少女たちを逃がせば、それは国への叛意として取られ、逃がした人は処分され、黙っていた家族も罪に問われる。公共の利益。お国のため。そんな亡霊のようなキャッチフレーズが世の中を覆い、人心へと染みて、少女たちをコミュニティ・マヒトツへと送り込む。少女たちも国のためだからという思いと、家族のためにという思いで協力し、コミュニティ・マヒトツへと足を運び、レアメタル、レアアースを出し続けて、いずれ果てる。

 それは理不尽か。それとも正しいことなのか。いくら国のため、家族のためとはいっても、家族や恋人と切り離されれば誰もが悲しい。絶望だってして、施設から逃げようとして果たせず、世界から永遠に逃げようと試みる少女も現れる。もっとも、そうした自尊すら「公」の御旗の下に蹂躙される。その末路として描かれるひとりの少女の姿に、それでも国のためだからと言えるのか、否か。それ以前に、既に収容され、自由を奪われ、命すら差し出している少女たちの姿に、納得して良いのか、否か。

 コミュニティ・ヒトマツが出来た当時から、収容されて来る少女たちと接し続け、その境遇も運命も知り尽くしている江波という中年男が見せる、理不尽に憤り、迷いを覚える態度に、人間らしさを見て共感を抱く人が大半だろう。一方で、広く天下国家を考えつつ、少しの残酷さに目をつぶる若きキャリア官僚の高松の態度も、昨今の中国が示すレアアース、レアメタルへの施策を見るにつけ、真っ向から否定しがたい。

 この狭間を、どうやって埋めればいいのか。あるいはどちらを選ぶべきなのか。リーダー格だった先輩の最期を看取り、弟のために自分の腎臓を提供したいと言って退けられ、それでもとコミュニティ・マヒトツからの脱走を企てる、冴矢という少女が行き着いた、どうしようもなく哀しくて、寂しくて、胸苦しい結末を見てなお、重くて難しい判断に迷い、惑う。

 それでも、キャリア官僚として国に忠誠を誓っているように振る舞いながら、セクシャルマイノリティとして受けた経験を芯に、人を愛せない人間に、国家を愛する資格などないと断じる高松が、長じて広げてくれるだろう突破口への期待も浮かぶ。読み終えて多くが、この先に待つ世界が幸せであって欲しいと願い、礎となった少女たちに落涙するはずだ。

 環境問題、エネルギー問題の突破口になると期待され、東京湾の千葉県沖に作られながら、国の政策転換に翻弄され、わずかな年月だけ存在して消えていった海中市の思い出を描いた「千葉県立海中高校」(講談社、1000円)とも重なる、寂寥感にあふれた物語。裁判員裁判がテレビショー化された世界で浮かぶ、人心の歪みを描いた「判決はCMのあとで ストロベリー・マーキュリー殺人事件」(角川書店、1500円)も含め、社会問題に触れつつ国家について考えさせつつ、人の今を良く生きようとする姿を描こうとする、青柳碧人ならではの作品だ。

 肝心の部分、少女たちの体からどうしてレアメタルが出るのかと、それが命と引き替えになってしまうのかという不思議への、明確な回答は描かれていないけれど、そうした仮定をもとにして、推察をめぐらせ、及ぶ影響を描き、動く人心を描くこともまたSF。そんなSFとして楽しめて、泣けて、学べて、考えさせられて、喜べる作品はなかなかない。まさに希少な「希土類少女」をSF好きは読んでおいて、決して損はない。


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