コマール&メラミッドの傑作を探して
展覧会名:コマール&メラミッドの傑作を探して
会場:川村記念美術館
日時:2003年10月11日
入場料:1200円



 ロシア出身で今はもっぱらニューヨークを拠点に活動しているアーティストのユニット「コマール&メラミッド」の日本での最初の展覧会「コマール&メラミッドの傑作を探して」が「川村記念美術館」で開催中ということで見物に行く。

 地下鉄の駅にポスターが張り出されてあって目にした名前と言うだけで、過去にいったいどんな活動をして来たアーティストなのかまるで知識がなかったものの、そこはフランク・ステラを始めに過去、さまざまな優れた現代アーティストを多く紹介して来た「川村記念美術館」が贈る展覧会。外れたためしがない以上は見ておいて損がないと思っていったらこれが大正解で、好奇心と期待を十二分に満足させてくれるアーティストだったとまずは断じて讃えておきたい。

 会場内には主に2つのテーマの作品が並べてあって、1つはさまざまな国の人にアンケートをとって好きな絵画、嫌いな絵画の傾向をアンケート調査を行って調べた上で、その結果を反映させる形で描いてみせた作品を並べた「みんなで選んだ絵」というコーナー。今回は過去に描かれた15の国に加えて、新しく制作された日本人にとっての「一番好きな絵」と「一番嫌いな絵」が展示されている。

 面白いのが「一番好きな絵」の内容が、日本を除くすべての国で森や海や湖や川といったものを題材に選んだ風景画になっていて、手前の岸辺あるいは湖畔に広がる草原に、人や動物が配置されているという、見るほどに気分が落ち付く絵になっている。それでも比べると国民性に違いはあるようで、アメリカだと手前にジョージ・ワシントン合衆国初代大統領が描かれていたりするし、アフリカだと遠くにキリマンジャロの山がそびえていたりする。

 ロシアは確か湖畔にクマがいたし、北欧だかはヘラジカがいたような記憶が。ほかにも猫がいたりバレリーナが踊っていたりと、国民の嗜好が何とはなしに感じられるような絵に仕上がっていて、社会学者とか心理学者とか文化人類学者とかにどこまでお国柄が反映されているのか、それともされていないのかを分析してもらいたくなった。

 海外がこれだとしたら日本はさしづめ中央に坂本龍馬でも立っていて、向こうに富士山でもそびえているんじゃないか、なんて想像が最初は浮かんだけれど、残念というか奇妙というか、日本人にとっての「1番好きな絵」はそのままモネの「睡蓮」になっていて、印象派が大好という国民性、というよりはむしろアートというと印象派あるいはピカソくらいしか思いに浮かばない、日本人のアートに対する認識度合いを如実に表した作品に仕上がっている。

 よくよく見ると子供のがシルエットで描かれていて、これは「いわさきちひろ好き」の反映なのかな、とか思ったりもしたけれど、他国の例えばワシントンのように、こうしたモチーフが鮮明にならないのはよほど「睡蓮好き」だけが突出していたということなのか。いずれにしても日本でこれからアーティストになって食べようという人は、好みに合わせて睡蓮を描いて子供を遊ばせるのが良いのかもしれない。

 「一番嫌いな絵」は各国ともデザインに違いはあっても大半は抽象画で、ドットとかパターンとかによって描かれるデザインめいたものを、多くの国民は絵として認めていないという雰囲気が伺える。それにしては現代アーティストの多くが抽象画なのは謎で、かくも世界規模で嫌われている絵を描いて、いったいどうやって食べているのだろうかと気になって夜も眠れない。

 一方で日本は抽象画ってよりはむしろシュールレアリスムに近い絵に「嫌いな絵」は仕上がっていて、曼陀羅のようなパターンが額縁のように取り囲むカンバスの中央に、あれは誰だろう、聖徳太子とそれから映画スター(裕次郎?)が一心同体になった奇妙な人物が、ロボットのような筒状の指が生えた手を前に突き出し、股間にメタルなマテリアルの巨大なペニスをぶら下げていたりする。

 その内容からは、グロテスクなものにはそこはかとない嫌悪感を覚える日本人の特質を垣間見る。日本的なモチーフにグロテスクでシュールなモチーフを重ね、不安定な構図の中にダークな色調で散りばめてみせる手法というのは、そのまま横尾忠則という印象で、ということは横尾忠則は日本人に嫌われているのか、というとこれが違って大人気になっている辺りに、嫌い=売れない、とはいかない他国の現代アーティストにも通じる構図が見える。これだからアートは不思議だ。

 この「一番好きな絵、嫌いな絵」と並んで円卵塊でもう1つのテーマになっているのが、絵を描く象の描いた絵の展示。聞くとその昔に動物に絵を描かせる活動をしていたことから発展して、米国に絵を描く象がいてこれがなかなかと評判をとっていることを聞いた2人が行って描かせたことを1つの発端に、このプロジェクトが発生して来たという。

 今回展示されているのは、タイで森林伐採を禁止するおふれが出て、材木を運んでいた象たちが”失業”の憂き目にあっているのをみかねた2人が、タイの象に絵筆を鼻にもたせて絵を描かせ、それを売って得た収益を象を救う活動資金にするという目的で始めたプロジェクトから生まれた作品で、タイとそして日本の市原市に居る象によって描かれたものも含めて展示されている。日曜日だったら前庭で実際に像が絵を描く場面も見られたらしい。

 象が絵を描くという思い出すのは日本の葛飾北斎だったか、気取った芸術を小馬鹿にする意味も込めたのか鶏の足に隅をつけては紙の上を走らせ、それにさらさらを筆を加えて紅葉かなにかにしてしまった話が思い出されるけれど、そうししたアート的な行動としての意味を含みながらも一方でこの「エレファント・アート」プロジェクトは、単なるアート行為の結果としではなく、象の描く絵そのものの美的な価値にも着目しているのが面白い。

 見ると分かるように鼻に握られた刷毛やら筆やらパステルによって描かれた絵は実に絶妙な味わいで、同じ美術館の別の部屋に収蔵品として展示してあったジャクソン・ポロックやらサム・フランシスといった抽象絵画の横に並べておかれてあっても、分からないくらいの”良さ”がある。

 教えられて花を鼻で描いた絵も悪くはないけれど、ドットでもって表現するカムサンという名の象の作品が自在さに溢れていて良い感じ。水墨画のよーに単色で刷毛を走らせた日本のテリーの作品も侘び寂びがあって面白い。子供がいたずらに色を塗りたくっただけの絵とはひと味もふた味も違うことは見れば瞭然で、それだけにいったい象にはどんなアートの才能があるのか、人間と同じで象によって才能に違いがあるのかを調べてみたくなって来た。


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