火星の話

 「鴨川ホルモー」でデビューし、直木賞にこれまで5度もノミネートされた万城目学を世の中に送り出したことで知られる小説の新人賞が「ボイルドエッグズ新人賞」。出版社が新しい才能を確保するために行う賞とは成り立ちが違って、直木賞作家の三浦しをんや、テレビアニメにもなった「NHKにようこそ」の滝本達彦を発掘した出版エージェントのボイルドエッグズが主催して、契約したくなる才能を探して実施している。

 選考にあたるのはボイルドエッグズ代表で編集者の村上達朗ひとりで、合格すればその作品は出版社が参加する入札にかけられ、応札があれば刊行へとこぎつける。1品につき7000円のエントリー料が必要ということもあるためか、応募数はたいてい100作品に満たず、5000を超える応募作があるライトノベルの賞に比べて門戸は広そうに見える。

 もっとも、村上代表の目にかなう作品がなければ合格者は出ず、そして合格しても応札がなければ刊行されまない。最終選考に残らなくても、編集者が面白いと思えば応募作を手直しして刊行させることもある、最近のライトノベルの新人賞と比べると、むしろデビューまでのハードルが高いかもしれない。

 そんなシステムをクリアして、第16回ボイルドエッグズ新人賞を「気障でけっこうですが」で受賞しデビューしたのが現役大学生の小嶋陽太郎だった。女子高生が公園で見かけた、地中に埋まって首だけ出していた男が、死んでしまったのか幽霊となって現れ、女子高生につきまとうようになるという奇妙な設定の話で、そんな幽霊との交流を通して、女子高生は自分の日常とは違った厳しい世界があることを知り、懸命に生きている人たちがいることを知って、成長していくというストーリーは、働いている大人だけでなく、ライトノベルを読むティーンにも、ヒロインが同世代ってことでいろいろと感じるところの多い内容になっていた。

 ライトノベル世代が背伸びして読む作家の登場かと、そう世間に思わせたかもしれない小島陽太郎が、次に送り出してきた「火星の話」(角川書店、1400円)はもっとライトノベル寄りというか、異世界から来たお姫さまを助けて活躍する少年という、いかにもライトノベルといった設定だった。何しろヒロインとして登場する佐伯さんという少女は、子供のころから自分は火星から来たと言いう不思議ちゃん。18歳に火星に帰るとも言っていて、クラスメートたちか浮いた存在になっている。

 いじめられないのは周囲が賢かったからなのか、それをするにはあまりにも可哀想なところが見えたからなのか。いずれにしても敬遠される存在になっていた佐伯さんと、中学時代に続いて高校でも同窓になったのが国吉くんという男子高校生。別に頭が悪いわけではないのに、どうにもやる気が出ないようで、数学の試験で0点をとってしまい、インド人がゼロを発見したことを凄いとかどうとか考えるきっかけを得つつ、それで単位はもらえるはずもなく、補習のために夏休みの学校に通うよう羽目になる。

 そこには同じように数学が苦手な佐伯さんもいて、いっしょに先生の授業を聞いてた最中、ふっと意識が遠のいた国吉くんは、なぜか火星に飛んでいて、そこで佐伯さんにそっくりのお姫さまやお付きの老人と出会う。それからというもの、数学の補習で先生が発する「サインコサインタンジェント」という言葉を聞くたびに、ぎゅるぎゅるぎゅると遠のいた意識がなぜか火星の王宮に飛ぶようになった国吉くんは、そこで陸上競技に参加することになるものの、だんだんと火星に波乱が迫っていることを知っていく。

 その一方で、現実の世界でも国吉くんは佐伯さんと言葉を交わすようになり、いっしょに火星をながめ、ゲームセンターに行きショッピングセンターを歩き回るようになる。そして自分の見た夢が、佐伯さんが語る過去にシンクロしていて、そしてやあがて来る未来を想像させるものだと知る。異なる世界からやって来た少女の本当の姿を知り、埋もれていた才能を発揮して少女を助けるナイトとなって大活躍する少年の冒険ストーリー。そんな、ライトノベルでもある種の定番となっている設定が浮かんで来る。

 本当に佐伯さんが語るのが「火星の話」なのかどうかは読んでみたら分かるとして、ここでひとつ言えるのは、この物語は現在に不満を抱え、将来に不安を抱いているティーンに共通の悩みをしっかりとすくい上げ、進むべき道を示してくれるということ。水野という国吉の友人は、急に学問に目覚めて医者になろうとしてしゃにむに勉強を始める。学校でも評判の美少女でありながら、高見さんはなぜか国吉に関心を向け、苦手だからと走ってる逃げる国吉くんを裸足で追いかけます。ちょっと羨ましいけどちょっと怖い。

 水野も高見さんもそれぞれに事情は違っているけれど、今という現実に不満を覚え、自分い不甲斐なさを感じ、未来に不安を抱えながらもどうしようもない状況に戸惑っている。そんな気持ちを、どうにかしたいとあがいてみせる感情と持っている。火星が本当の居場所だと言い続けている佐伯さんにも、そんな彼女の世界に夢の中で入りこみ、どんどんと関心を強めていく国吉くんにも、そんな不安や不満があるのかもしれない。ってことはつまり火星は誰かの妄想? それにしてはリアルでシンクロしすぎている佐伯さんの話と国吉くんの夢。その秘密は……。

 そこに明確な答えがある訳ではないけれど、示唆はある。それは「アニメミライ」という短編アニメーションを競作するプロジェクトで発表された、吉浦康裕監督の「アルモニ」を思い起こさせる。ささいな言葉、その交流が呼ぶ記憶の共有とそしてシンクロ。「アルモニ」にあったそういう関係が、佐伯さんと国吉くんの間にもあったのかもしれない。それがどうかも読んでのお楽しみ。仮にファンタジーであっても、シリアスな青春を描いた物語であっても、ライトノベル世代なら読めばきっとモヤモヤとした現在を見つめ直すきっかけを得られるだろう。


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