かりゆしブルー・ブルー 空と神様の八月

 白狼というイラストレーターでありマンガ家が創造し、描き続けてきた“蒼囲空”というキャラクターと沖縄方面という舞台を得て紡がれた物語らしいけれど、その書き手となったのが「黒豚姫の神隠し」(ハヤカワ文庫JA)で沖縄の島に根ざした不思議を描いたカミツキレイニーだけあって、「かりゆしブルー・ブルー 空と神様の八月」(スニーカー文庫、620円)という小説もしっかりと、沖縄にある島を舞台に青春と伝奇とが融合したストーリーになっている。

 暮らしている東京で恋愛を巡っていろいろあったらしく、それによって被った呪いらしきものによっていなり寿司しか食べられなくなった政治家の息子の三鷹春秋という男子高校生。いなり寿司以外の物を食べるとすべて吐いてしまうという厄介な呪いで、祓ってもらおうと東京で祈祷師に見てもらったものの埒が明かない。シャーマンに見てもらっても神社仏閣を巡って、解けない呪いに春秋は、叔母が暮らしている石垣島からさらに離れた白結木島にいる強力なユタの存在を知って渡航する。

 政治家の家系を嫌って飛び出し島の人と結婚して民宿を開いている叔母、というと怒るから祀紀と呼ぶ女性から日々いなり寿司を用意してもらい食べたり弁当として持参したりながら、ユタのオバアを尋ねていこうとしたら病気か何かで入院中。代わりにお祓いのようなの仕事は弟子という少女の空が担当していて、それならと尋ねたものの忙しいのかあまり乗り気を見せてくれなかった。

 断られた春秋はそれならと入院していた病院にいたオバアを尋ね、大好きらしいジャッキー・チェンのDVDで釣って仕事を受けてもらおうとするもののすぐに復帰は無理らしく、とりあえず春秋は空と助手の流威奈が出向いた先に行って、彼女たちが行うお祓いの様子を間近に見る。そこはやはり弟子のレベルらしく、手順にどこか不安を漂わせていた。

 空は本当にユタとしての能力を持っているのだろうか。やっぱりオバアの復帰を待った方が良いかもしれない。そう考えいたところに色々なことが起こって、本当に空にに頼るしかなくなった春秋は、何があって自分がいなり寿司しか食べられなくなったかを空に話す。空もどうして自分がユタの家系でもないのにユタをめざそうとしたのかを打ち明ける。ともに抱える過去への後悔。そして今への不安。けれども未来のために協力して呪いに挑む。

 高校生の少年や少女が主人公になってはいても、ライトノベルというには形式からは少し外れて南国も外れの島が舞台で、学園ものでもなければ異能は出てきてもぶつかり合うようなバトルでもない。もちろん異世界転生でもなく俺TUEEEEでもない。方言は出まくり精霊なり妖怪も泥を食わせる仮面をかぶったハーントゥとか、股間に突っ込んでくる豚娘の片耳豚(カタキラトゥ)といった具合に、水木漫画的な馴染みからは程多い土俗的な雰囲気を漂わせている。

 けれども、そうしたシチュエーションが今時のライトノベルはこうだといったパターンでは計れない意外な読書体験をもたらしてくれる。悲しいけれど前向きな離別もあり、沖縄ならではの開けっぴろげな関係性も楽しげで読んでいて心が明るくなる。春秋がぶち当たった失恋話も割と深刻で、青春小説の純文学に近いものを読んでいるよう。そんなドロドロに巻き込まれた春秋が、いなり寿司しか食べられなくなるという珍奇さを漂わせる呪いを受けても鬱屈せず、誰も恨まないで乗り越えていった姿も心に刺さる。

 空も白結木島で自分が犯した過去と向かい合い、乗り越え今から先を生きていくようになった。2人の物語はこれで終わってあとは別々の場所で進んでいくのかと思われた時に、新たに持ち上がった困り事に挑むため、春秋はまた白結木島を再訪しそうで、そこで空とも再会しそう。どんな関係が始まるか。続きがあるなら読んで観たい。

 ライトノベルで沖縄の暮らしと食と開けっぴろげな関係性を描いた作品では、岩井恭平の「サイハテの救世主」シリーズがあったし、神野オキナの「あそびにいくヨ!」もご当地在住だけあってなかなかに詳しい。ただ、どちらもSF色が濃くて土俗的なファンタジーといった要素はあまりない。むしろ比べるなら「風祭車」や「レキオス」の池上永一か。あるいは儚げな少女ジャンパーとの邂逅を描いた仁木英之「水平線の僕ら 天使のジャンパー」が近いかもしれない。

 現代でも色濃く残る、沖縄や石垣島をはじめとした南西諸島ならではの習俗と宗教と食と少女を堪能したい人は、「かりゆしブルー・ブルー 空と神さまの八月」を読んで他に行き、他から「かりゆしブルー・ブルー」へと入ってみよう。


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