狩籠師 不即不難

 あちらを立てようとして、こちらが立たないとはよくある話。良かれと思ってしたことが、かえって不幸を招く話も辿れば過去にいくらだって例がある。まこと世の中というやつは思い通りには運ばない。だからすべてを流れに任せて自然に生きればいいものを、人間というものはやっぱり強欲な存在らしく、自らの生死や幸福にかかわることなら、未来を犠牲にしてでも今に得を得ようと躍起になる。

 ファンタジーやSFの世界ではすでにベテランの域に達する篠崎砂美の「狩籠師 不即不難」(リーフ、950円)は、退魔師ような、陰陽師のような魔を退ける力を持った”狩籠師”が2人登場しては、それぞれの持つ能力を使って現れる怪物・妖魅を滅したり、あるいは封印して人々を難局から救うエピソードを交互に並べた連作集だ。

 面白いのは片方の狩籠師が自らの思うままに講じた措置が、新たな災厄を招く羽目となり、その尻拭いを別の狩籠師がする羽目になるという連鎖の部分。その時の最善も永遠の善とはなり得ない構図を見せられて、読者は目先の利益ばかりを追いがちな昨今の政治情勢や社会的風潮が、いずれもたらすだろう別の災難を思い、怯えて身もだえる。

 まず登場の狩籠師は凛華という青年のような風貌をした女性。手に魔を退ける妖刀を持って諸国を巡り歩いている。たどりついたある村では、かつて何故か集まってくる妖魅を退けるために、蘇芳という名の女性狩籠師によって妖魅を食う化け物が作り出された過去があった。しかし妖魅から村を守っていたがいつした化け物は、いつしか妖魅にのっとられ、村人を襲うようになっていた。

 妖魅が入ってこないようにと村には封印が施されていたため、当面を生きる分には支障はない。だがいつまでも閉鎖空間では生きられない。そう考えた凛華は、化け物を退治し滅して村人たちにこれで安心、あとは自分たちで生きて行けと諭す。一件落着。ところがしばらく後の短編で登場した同じ村は、人も食べるが妖魅も食べてくれていた化け物がいなくなってしまったため、集まってくる妖魅に村は以前にも増して厳しい状況に直面していた。

 かつて化け物を作り出し、且つ村に結界を張ってその中だけなら安全なようにしてくれた女狩籠師の蘇芳が、戻って来て頑張っているがどうにもならない。窮状に来合わせたのが、どうやら凛華が持つ太刀を探しているらしい少年の狩籠師・青陵。得意とする魔を封じる力を使って何とかその場を切り抜けようとする。

 もっともその青陵。以前に通った海辺の村で、船幽霊になっても漁村の人たちを妖魅から守ろうとしていた同じ漁村の出身者たちの魂を、真珠に封じてこれからも村を守るようにしたことがあった。しかし妖魅が寄りつかなくなったことで、これまで襲撃を敬遠していた海賊が現れては、巨大な真珠を目当てに村を襲い網元を惨殺する。

 結局は凛華が乗り込み、真珠貝に取り憑いた村人たちの魂を滅して海賊もうち滅ぼす。その過程で何人も人が死に、村も甚大な被害を受けてしまう。青陵が共に戦った少女も死んで、哀れにも船幽霊と化してしまう。

 もしも青陵が真珠に魂を封じて村を守ろうとせず、おとなしく村人たちに村を捨てさせていたら。あるいは凛華が妖魅も喰らう化け物を退治しないで、村を結界の中においたままにしておけば。目先の安心を追う人と、自らの力を絶対を信じる正義の味方の善意がもたらす、決して幸福ではない結末に苦さも浮かぶ。

 続きがあるのだとしたら、謎めいた太刀をめぐり相対しながら、未だ出会えない凛華と青陵を描きつつ物語は続いて、それぞれが思い込みから来る不幸をまき散らしていく様が描かれるのだろうか。その際にはやはり、滅するにしても封じるにしても、どちらが正しく間違っているのではなく、それぞれに思い描いた幸福がすれ違いぶつかり合う様を双方に分からせ、考えさせてもらいたい。でなければ船幽霊になった少女が余りにも哀れでもの悲しい。

 田口順子の描くイラストは美麗。同じ狩籠師が登場しては、洋の東西の神話が重なる絢爛な世界を見せてくれた「魔鏡の理」(ファミ通文庫)とは特に重なる部分はないが、これも同じ田口順子の手になる美麗なイラストともども、読み返しては狩籠師なる単なる陰陽師退魔師の活躍譚とは違った、著者ならではの和風ファンタジーの世界を楽しんでみるのも一興だ。


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