苛憐魔姫たちの狂詩曲 〜棘姫ととげ抜き小僧〜

 どうして「とげ抜き地蔵」というのかを、知っている人がどれだけいるのかは分からないけれど、東京の巣鴨にある「とげ抜き地蔵」こと高岩寺には、おじいちゃんおばあちゃんがいつもいっぱい集まっていて、門前あたりはいつも原宿のような混雑ぶりを見せている。来ている人も売っているものも原宿とはずいぶん違うけれど。

 その様相から想像するに高岩寺、高齢者のつきものの疾病を治癒してくれる御利益があるお寺のようで、加齢とともにどうしてもガタついてくる体を少しでも良くしたいと、各地から集まりご本尊の地蔵菩薩に祈念しているらしい。その効果は? これも分からないけれど、江戸時代の昔から途絶えず賑わっていることから、信じるに足る何かがやっぱりあるのだろう。

 これもそんな御利益のひとつのなのか。何冊か刊行されてから後、しばらく新刊が出ないでいたオークラ出版のNMG文庫がここに来て復活。その1冊が西紀貫之という平安時代の歌人のウエスタンリーグ版のような名前の人による「苛憐魔姫たちの狂詩曲〜棘姫ととげ抜き小僧〜」(NMG文庫、638円)で、その中にとげ抜き地蔵の名代という少年がひとり登場する。

 刊行を前にしてレーベルの担当者が巣鴨の高岩寺に参ってレーベルの快癒を祈り、成就するならその中でとげぬき地蔵の御利益を描いて讃えますとでも願ったか。結果、再スタートにゴーサインが出てそれならと作家にとげぬき地蔵をテーマにした小説を書いてもらったのがこの本、ということは流石にないだろうけれど、そうでも思わなければおじいちゃんおばあちゃんの原宿、とげぬき地蔵をライトノベルのモチーフにはなかなか選べない。

 実際のところがどうなっているか、それは想像するしかないとして、こうして復活したレーベルの新たな先陣を切るだけあって「苛憐魔姫たちの狂詩曲〜棘姫ととげ抜き小僧〜」は、この作品のみならずレーベルのこれからをも期待させるくらいの面白さに満ちている。

 訳あって巣鴨のとげ抜き地蔵の名代となって、人心を惑わすトゲを抜く力を与えられた高岩禅次郎という少年と、ヨーロッパの森からやって来た、長い年月を域ながらも見た目は少女のままという棘姫ことターリアがペアを組んで、トゲに惑わされて少女たちを喰らった古流神道の女総帥に立ち向かうという。

 そんなストーリーのこの小説、ヒーローがいてヒロインがいて敵がいてライバルがいてと配置されたキャラクターたちが明解で、その間でかわされる会話のテンポが楽しいことや、バトルの描写が明解なことが読んでストレスなく物語を頭へと入れてくれる。

 キャラクターではターリアに仕えている服部シズカという女性の性格がなかなかに秀逸。運営する事務所のスポンサーでもあるターリアへの心酔ぶりと、ターリアといつも一緒にいる禅次郎をからかう様が愉快で、下着になった姿を禅次郎に見せつけ誘ってその様子をターリアに見せて憤らせるなど、なかなかの策士ぶりも見せてくれる。

 そんなコミカルさを持ったキャラクター同士のふれあいが繰り広げられる一方で、本筋は案外にシリアスで残酷。霞桜という古流神道では代々、女性が総帥として立ち一族を導いて来たけれど、当代となった美佐子の心に何か良くないトゲが刺さったのか、一族にいる少年少女を呼び寄せその肝を喰らって惨殺する挙に出た。

 当代の妹の娘、千鶴は霞寿三郎という男によって本山から逃がされたものの、その寿三郎も当代によって意思を奪われ、千鶴を追って連れ戻そうとする。そんな千鶴をかくまうことになたのが禅次郎とターリア、そしてシズカたち。追いかけてきた鬼を倒し寿三郎も撃退し、そして本格的な闘いへと向かう。

 千鶴の母親も含め大勢が総帥に寄って殺されたことに、遺恨が生まれて当然の展開。仲の良かった一族の間に入る亀裂を思うと心も痛む。もっとも、そうした遺恨も含めてトゲとして抜き、後腐れを遺さないで平穏の中に収めて去るその去り際がなかなかに格好いい。

 禅次郎が武術や剣術をふるって戦うシーンの迫力と、棘姫という存在に科せられた過酷な運命など様々な角度から味わえる物語。決して多くはないページ数でも、ストーリーを読み終えて存分の充実を得られる。

 ひとつの事件が片づいても、禅次郎にはとげ抜き地蔵の名代としてこの世に刺さったトゲを抜き続ける使命が与えられ、ターリアも棘姫の名が示すようにその棘を抱えて永劫の時間を生きていかざるを得ない。そんな2人と、性格的にダメでなおかつ強いシズカのトリオが次にいったいどんな事件と直面し、どう凌いでいくのか。あれば読みたいその続き。巣鴨に行ってとげ抜き地蔵にお参りすれば出るだろうか。


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