カナシカナシカ

 本当の居場所はここじゃない。自分には別の居場所、本当の居場所があるんだと信じたい年頃が、人にはたいていあるもので、いつか異世界から使者が現れ、迎えに来ましたお姫さま、出番ですよ剣士さま、なんて言われて今のこのつまらない暮らしから、引っ張り出してくれないものかと願っている。

 とはいえ、あなたの本当の居場所はここではなく、こっちなんだと連れて行かれた異世界で、開かされた自分の正体が、お姫さまでもなければ剣士でもない、その世界の土台をせっせと作る、働きアリか働きバチのような存在だったら、果たしてそちらを本当の居場所だと思えるだろうか。

 より良い方を選びたいというのが、人の当たり前の心理というもので、さっきまでの悩みなんて軽く吹き飛び、自分の居場所はここしかないんだと、現実を受け入れる決意をする。そういうものかもしれない。つまるところは自己都合、あるいは逃避の感情が、こことは違う場所への憧憬を、人に持たせているのだろう。

 もっとも、心の底にはやっぱり、自分が生まれ育った場所、接してきた家族への情感というものがあって、それはちょっとやそっとでは消すことはできないものらしい。紺野キタの「カナシカナシカ」(新書館、590円)でも、居場所のなさを感じていた現実の世界から、すべり落ちるように入った、夢のような世界での出合いや、そこの雰囲気に惹かれそうになっても、藍という名の少年は、現世に踏みとどまる。

 ずっと感じていた違和感。夜に眠ると横に、ひとりの少女が寝ているような感触があった。幽霊というより死体に近い雰囲気。誰なのだろうという戸惑いを抱えて生きてきた。それから家族との関係。父母はともかく祖母がなぜか藍には冷たく、鬼っ子といった言い方で藍のことを遠ざけようとする。それを真似して鬼っ子と誹る妹。曖昧さが漂う家で藍はずっと暮らしてきた。

 不思議なこともあった。あらゆる攻撃が藍には通用しなかった。脚をひっかけようとしても倒れないで、逆にひっかけようとした脚が痛む。殴ろうとしても届かない。それはバットでも同様。とはいえ薄気味悪がられるこてゃなく、不思議な力に守られているといった感じで、クラスメートからは接されていた。そんなある日。

 路地にある石をひょいと持ち上げ、猫が不思議な世界へと入っていく様子を見る。それは藍にしか見えていないらしい。やがて同じ通路を抜けて、藍は異世界へと入っていき、そこで自分が、人間とは違った存在であることを知る。

 本当は母親から生まれるはずだったのに、胎内で命を失ってしまった女の子がいた。そこに割り込んできた男の子が、女の子を異世界へとけり出した。その男の子が藍。検査では女の子が産まれることになっていて、だから藍という名を用意していたら、生まれたのが男の子だったものの、名はそのまま付けられた。

 死んで生まれてくることになっていた女の子は、異世界で命をつないで生きていて、そこにやってきた藍と再会する。彼女こそが本当の子供だと分かった藍は、申し訳なさに心を痛める。そして自分は、異世界にいて、腹から卵のようなものをはいて、異世界の土台を作っていく虫の一族だと知らされて、お姫さまでも騎士でもないその有り様に、ますます肩身を狭くする。どこにも居場所なんてないんだと思いこむ。けれども。

 藍はちゃんと思われていた。異世界にいる虫の女王は、藍を後継者と考えていて、現世で怪我をしないように、傷つかないようにと守ってきた。女王の後継者になるということは、性別を換え、夫を得て番い、世界を保持する虫たちを産み続ける運命を担わされることで、男の子として育った藍には、すぐには受け入れがたい事態だったかもしれない。けれども、一方では異世界を担う大切な位置を任されるということでもあった。

 それは、必要とされていないということと、まるっきり正反対のこと。受けるか否かは別にして、誇っていいことだろう。また、現世でも藍は、両親から疎まれていたわけではなかった。真相を話したとき、違った反応が出るかもしれないという不安はあっても、ずっとその家の子として育ってきた藍を、疎む両親などいなかった。最後に異世界へと行った藍が、3日間ほど行方知れずとなった時も、両親だけでなく妹までもが藍の行方を心配した。

 ともに思われていたことを知った藍。結果的に、長くいっしょに生きてきて、そして自分が消えてしまうことへの悲しみを、多く抱くだろう現世の両親のもとへと、藍は戻っていく。祖母だけは、かつて同じ世界に行ったことがあって、藍が取り換えっ子だと気づいていたものの、それでも共に暮らした日々を重く感じ、異世界へと行けなくなった藍を、孫とは思えなくても同じ家族として受け入れる。

 それぞれが、それぞれの居場所を探して悩み、そして得るまでを描いた物語。死んでしまった悲しみは抱きながらも、それを運命と受け入れ、今の居場所に留まる少女の健気さに涙する。本当の居場所を知りながらも、長く育った場所への情を高く見て、そこに留まろうと決意する少年に安心する。都合の良い異世界なんでないんだと知り、その場所で最善を選んで頑張ることの大切さを、感じさせてくれる物語だ。

 本当の母親とみえる虫の女王の死に、藍があまり悲しみを感じなかったシーンは少し残酷で、少し切ない。一緒には暮らしてはいなくても、ずっと守ってきた虫の女王への情愛を、いささかなりとも感じて欲しかった、という気がしないでもないけれど、それも一つの真理。誰もが居場所で得た感情をこそ、尊ぶべきなのかもしれない。

 だからこそ大切にしたい今この時。どこにも居場所なんてないと思うことなかれ。今生きているその場所をこそ最善と思って踏みとどまるべし。


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