確率査官御子柴岳人 密室のゲーム

 もしも捜査一課の女性刑事がゲーム理論の本を読んだら。理解してバリバリと捜査に活用できるかというとそうでもないところが所詮は理論。多々ある現実に公式のようにピタリと当てはまり、スラスラと回答が導き出されるなんてことにはまずならない。

 それでも、大枠はつかめるし傾向は掴める。それが大事。もちろん昔ながらの勘と経験によってそうした大枠を自然と導き出せる人もいる。けれども、そうした勘や経験を持たない人でも常識や条件から、真実へと大きく近付けるとしたら使ってみて損はない。

 死者の魂が見える赤い左目なんて必要ない。人の死を予知する夢を見る美少女がそばにいなくても大丈夫。探偵とか刑事になって大活躍をしたいけれど、超常的な力に頼れない自分では無理だとあきらめる必要なんてまったくない。数学の力。統計学の知識。それさえあれば心霊探偵にも天命探偵にも近付ける。

 学生時代に数学で苦労した経験た自分にそれは無理だと、諦める必要もない。今から昔の教科書を掘り出して、数式や公式を覚え直す必要もやっぱりない。手元に一冊、神永学が新シリーズとして刊行した「確率捜査官 御子柴岳人 密室のゲーム」(1300円)があれば、探偵とか刑事として活躍するために必要な、数学や統計学とはいったい何かが分かるはずだから。

 婦女暴行の容疑で逮捕された男への、先輩刑事の暴力的な取り調べを止めようとして乱闘を起こした女性刑事の新妻友紀。辞職を考えながらも、やはり刑事で、仕事中に刺殺された父親への思いもあって踏みとどまり、特殊取調対策班という新設されたばかりの部署への左遷を受け入れる。

 そこで出会ったのが、30代前半くらいで白衣を着てボサボサ頭で、チュパチャプスをくわえ、パソコンでチェスをしていた御子柴岳人という男。どう見ても刑事には見えない風体に、友紀が「あなたは?」と聞くと御子柴はこう答えた。「人間だ」。

 そんなことは当たり前。見れば誰だって人間だと分かる。だから友紀は「知ってます!」と大声をあげた。けれども、そこで御子柴が発した「なぜ」という問いかから、確率という数学のジャンルが持っている、本質へと迫る力のすごさ、面白さが見えてくる。

 御子柴が地球外生命体かもしれない確率。それは限りなくゼロに近い。現実的にはありえない。けれども、決してゼロではない。ただ見つかっていないだけ。こここにこうして存在しているかもしれない。

 先入観に頼るな。あらゆる確率を考えた上で、最適な答えを導き出せ。本職は大学で数学を研究する准教授という御子柴岳人のそんな思考の数々が、友紀の担当する事件に絡んで解決へと導いていく。

 パート勤めをしている女性が、前に水商売をしていた時に客だった男を殺して逮捕された。痴情のもつれと誰もが即座に判断しそうな事件に、御子柴は恋愛トラブルを抱えた独身女性の人数や、痴情のもつれで女性が殺人を起こした件数を並べ、そうした事件が起こる確率の低さを示して、決めてかかるなとたしなめる。

 容疑者の女性は自分が犯人だと訴え、殺意も認めている。状況証拠もそろって、従来ならばそれで十分だと誰もが判断する。ところが御子柴は、現場の状況から確率的に滅多に起こり得ない事象を見つけ、なぜ起こったのかを探ろうとする。自分が犯人だと主張する人間が、確率的に何を選ぼうとしているのかを考えて、事件の本質へと迫っていく。

 そこには、霊に真相を教えてもらったり、予知した夢から事件現場に先回りするような、現実離れした言動はない。ベテランの刑事にあるような長い経験も直感もない。あるのは客観的に事件を見つめる冷静な思考。そして、確率や統計学やゲーム理論といった数学の知識。それさえあれば、自分だって名探偵、名刑事になれる、かもしれないと思わせる。

 もっとも、女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだからといって、すべての高校が甲子園に行ける訳ではないように、確率を学び、ゲーム理論を学んだからといって、すべての事件があっさり解決する訳ではない。

 何を確率によって判断するかを選ぶセンスが不可欠。女性ばかりを狙った連続強盗・強姦事件の容疑者が、もしかしたら犯人ではないかもしれないと推察する時に使った確率の材料たるや! 少しの笑いが浮かぶけれど、そういうものかと妙に納得出来てしまう。

 そんな展開のセンスに感心し、それを選んで書く作者のセンスを楽しんでいくのが「確率捜査官 御子柴岳人」のひとつの読み方。そこ加えて、友紀が事件を通して思い悩み、御子柴の今を形作った、人を疑うということの重さを、強く感じさせられるメッセージ性も強く持っている。人を疑う気持ちと信じる気持ちとの間に生まれる揺らぎを、どうやって収めるべきなのか。冷静になるしかなさそうだ。

 この先、シリーズが続くとしたらどんな数学で世界の真実へと迫り、どんなメッセージを発してくれるのか。神永学を読む楽しみがまた増えた。


積ん読パラダイスへ戻る